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2009年2月28日土曜日

授業にBが参加!


 このブログでも時々話題にしているBがホーチミン市に2日だけ滞在した。
3ヶ月ぶりの再会を米国大使館裏の鍋屋で食べながら期した。

B曰く「6キロ太りました」
目の前の食べ物は食べ尽くさないと気が済まないという異常食欲の持ち主。6キロで済んだからまだマシだと思わなくてはいけない。

「ジョギングや散歩などは」「しました、してこれです。」「あ、そう。」後は会話が進みません。

ところで、そのBに翌日の会話の授業に参加してもらうことにした。少し前に、旅行で来た日本の女子学生が飛び込みで参加した時に学生の反応が良かったので思いついた。

ところが、その授業当日に本人自ら1時間前来て準備しますと言いながら、結果的には1時間も道に迷い授業始まる寸前に駆け込みでした。従って、打ち合わせもできず。



それでも、日本語検定試験1級合格者ですと紹介すると学生からはオーと歓声が上がる。

自己紹介後、学生からの質問は私には分からない韓国の歌手についてなどです。

しかし、Bは日本語1級合格でもまだその資格や能力は仕事としては生かせていません。
ふと、もったいないと思うのでした。

学生の将来の夢は、日本語を勉強して日本や日本企業で働きたいというのが多いのです。理由は条件が良いからだとのこと。そういう点では、目的ははっきりしています。金の為です。
現実的、堅実なのです。

しかし、今日はベトナムと韓国、そして日本の文化の交流で疲れました。

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2009年2月25日水曜日

全力疾走は無理です!スローダウンしよう。

[漢字] ブログ村キーワード
 写真はあるクラスの学生たちです。
初めての撮影で初めての投稿です。

 シャイではにかみ屋の学生たち、さわやかな笑顔を返してくれます。

授業も2週目に入り、学生とのやりとりにも少し余裕が出て来ましたが、まだ授業時間のことなど勘違いもあったりします。

授業内容も、早くも漢字の誤記を学生に指摘されるなど笑えないこともありますが、幸いにも日本の首相は漢字の読み違えの大御所であります、それをネタに言い訳をしてごまかしております。

しかし、今日も最大の山である一日に9コマをこなす水曜日です。
普通なら2〜3日分のコマ数を一日で行うという異常。
そこへ暑さです。
いや、もう、昼からは汗が出っぱなしです。
水分だけは、補給してますが。

暑さはまだこれからのはず。

大学へ来るのは自転車で20分くらいの時間なのですが、ここへ来てその20分が強行軍になってきました。

ベトナム人は何故もっと自転車に乗らないのだろう?
バイクばかりでは運動不足になるのでは?
バイクばかりに乗っているベトナム人を半ば馬鹿にしていたのが馬鹿だったと知らされました。

この暑さで自転車などに乗っていたら死の行軍になる可能性があるのです。
自転車で大学に着くと同時に汗がどっと出て来ます。
下着のシャツを替えても、その替えた物が出る汗でまた濡れてしまいます。

という訳で、授業内容などの前にいかに暑さをしのぐかが重要課題であることを知りました。

でも、この仕事、学生の笑顔があるからこそ、いやそれが宝です。


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2009年2月23日月曜日

先生もう終わりましょう!時間が過ぎてます。/え!?

 日に日に暑さが戻って来ているホーチミン市です。
天気予報を見ると、最高気温が今週は39度Cとある。

月曜日なので、気合いを入れて(教師はそのつもり)昼一番から3コマの授業をしていました。
しかし、授業の終わり頃になって学生から「先生もう終わりましょう!時間が過ぎてます。」と言われた。

「え!?まだ15分残っている?」
「いえ!もう過ぎてます。」

学生たちは、みんな暑さの影響もあるのか疲れたような顔で言うので、私の時間間違いだろうと思い授業はあわてて終わることにしました。

事務所で確認すると、やはり私の聞き間違いのようでした。新参教師の間違いでした。言い間違いかも知れませんが。

という訳で、今日の帰りの道程は事のほか暑さが応えます。
途中で、道路脇で1個5000ドンのココナッツを飲みました。これからは毎日飲みたいと体が言っているようです。

日本語教師は体力勝負だという言葉を思いだしました。



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2009年2月21日土曜日

やっぱり、暑いわ。

 内容はともかく、一週間の授業が終わりました。
今日は特に暑かった。
最近、日に日に暑く感じるホーチミン市です。

午後の4時過ぎに、まだまだ炎天下の1区の商店でサツマイモを甘く煮た物(商品名は忘れました)を1キロとトウモロコシ2本買ったら30000ドン出してもおツリが来ない、私の計算では2000ドンのおツリがあるはずだが。

あらためて、各々の値段を確認しだしたら担当のオジさんは何か言っているが分からない。
そしたら他の店員がよって来て「どうしたのか?」という感じになった。

どうも、サツマイモが1キロを少しオーバーしているらしい。
しかし、私にはそんなことは説明が無いから分からないのである。
私は1キロ欲しいと言っただけであると強調する。
オーバーしているなら、そのことを貴方は言わなければならないと語彙少ないベトナム語と身振り手振りで言う。

そうしたら、2000ドンを返して来て、1キロに計り直してオーバー分を取ってちょうど1キロにして渡すのである。

相変わらずサービス精神の足りない、いや無いベトナムの商売人根性だ。

頭に来た訳ではないが、この炎天下に買い物に来ているのである。いい加減にしてほしい。
前に来たときにも同じような感じでその時には確認しないままに、ボッタクラレタのでは?と思ったのである。
そのことが根に有って今回の言動になったのである。

外国人は常日頃、ボッタクラレているのでは?という被害者意識があるからこうなるのである。
外国人価格の二重価格の習慣は改めてほしいと思うのは私だけではないだろう。


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「今日はお暑いところ、ありがとうございます。」

[日本語教師] ブログ村キーワード
  標記の「今日はお暑いところ、ありがとうございます。」について
「お寒いところ」も含めて何となく使いにくいという、中国滞在の日本語教師からのメール。

「今日はお休みのところ、ありがとうございます。」
「今日は遠いところ、ありがとうございます。」
は違和感が無いが上記についてはしっくりしないらしい。

若い方ですから、世代ギャップでしょうか言葉は時代とともに変化する。
日本で使うときには、少し儀礼的な場面で使うような気がします。
会社でも、お得意様が多数集まっているような
会議や催しなどの挨拶には言いますね。
ビジネス文書でも使えますね。「昨日はお暑いところを、わざわざ
ご出席いただき有り難うございました。」
などお得意様に出す文書なら使ってました。ただし、私がサラリー
マン現役の頃ですから何十年前です。
今は知りません。どうですか?もう使われてませんか?逆にお聞き
したいですね。

「今日はお暑いところ、」は日本では使えても、年中暑いベトナム
では違和感があるかも知れませんね。
ベトナム人には暑いのは当たり前!むしろ「お寒いところ」はいい
かも知れません。こんなこと考えました。

「いつもとは違う今日のように寒い日にわざわざ有り難うございま
す」という意味では使えますからね。

しかし、ホーチミン市は暑くなってきたような気がします。まだ2月だよ!

もうホーチミン市は日本の真夏って感じです。
特に私の宿はエアコンが無いし二階なので屋根が焼けて暑いのです。だから昼はカフェに行くしかない。
コーヒー1杯21000ドン(約130円相当)で数時間をねばるのです。

今も朝からカフェでコーヒー&ネット。

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2009年2月20日金曜日

日本へ行けば、40年後にタイムスリップできる!?

[タイムスリップ] ブログ村キーワード 
 久しぶりの現場復帰の第1週の8割が終わりました。
今週、月曜日からの授業スタートで昨日の水曜日は朝から夕方までで9コマというハードスケジュールを終えて、
木金は無しで土曜日に3コマで1週間の予定終了となります。

3クラスを担当して、会話と作文を教えるのですが今週は学生と初めての対面なので自己紹介でかなり時間を消化しました。
2年生担当なので学生は20歳なんですね。あらためて若いなと感心しております。
ベトナム戦争なども、戦後10年以後に生まれた世代なんですね。

 「みんなの日本語」の40課まで勉強していて、その40課に「3億円事件」の事が載っているので、ちょうど私が学生と同じように若い時、40年前に起きた事件ということもありYou Tubeの当時のテレビニュースのムービーを見せて当時の日本と現在、そして今のベトナムを比較してみました。

当時の日本のサラリーマンの初任給が金額的には今のベトナムと似ているのですね。
でも今の日本はそれの10倍くらいです。
私などからすれば、40年という長い年月を経てようやく今の水準という感覚なのですが、ベトナムの若者にすれば日本はベトナムの10倍くらいの給料が貰えるという短絡的な理解しかしなかったのではないかと思いました。

日本だけでなく、努力して世界の先進国へ行けば日本が40十年を経てたどり着いた賃金が手に入る、40年後にタイムスリップするようなものですね。

その為には、語学力など色々と必要とされますが、それが可能な時代なことは否定できませんね。
その為に勉強するというのも、今の時代は間違いではないのでしょう。でも複雑な心境の私です。

だからではないでしょうが、自己紹介文を書かせたときに日本の会社で働きたいとか日本へ行きたいというのがあったのが気になりました。ま、日本語を勉強しているのだから当然と言えば当然ですが。

という訳で、世代ギャップや文化の違いを感じながら授業が始まりました。


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2009年2月19日木曜日

「大きな古時計」歌は好きです!でも下手です/上手だった!

 [時計] ブログ村キーワード
昨日の自己紹介の発表では日本語としてはまだまだだが、学生各々の個性が表れて面白かった。

下手ですが、歌が好きですと言う学生が「大きな古時計」を日本語で歌った。
上手だった。何が下手ですか。
これから、下手ですと言う学生は上手だと思わなければならない。

日本人女子学生2人の飛び入り参加で授業は学生に刺激があり良かったのではないかと思う。

ベトナム人学生に質問しなさいというと、例によって「恋人は居ますか?」と男子学生が聞く。
一瞬戸惑いながらも答えていたが、ベトナム人学生には「背が低いですね!」とか、調子にのって「身長は何センチですか」などと聞くのである。

さすがに日本人学生からは「日本では身体的なことは聞きません」「相手が嫌なことは聞きません」と言われたが、ベトナム人はそれがあまり嫌では無いらしい。この辺が文化の違いでしょうか。

一夜経ってみて、あの大人数のクラス運営には、昨日のように外部からの日本語ボランテアを活用するというのは面白いなと思う。

ふと、BとRのことを思いだす。
Bはオーストラリアから今月末に帰って来る予定だし、Rも米国から日本に帰国して3月にはホーチミン市に来ると言っている。
勝手に2人の日本語ボランテアを考えてる私である。


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2009年2月18日水曜日

一緒に授業を受けてもいいですか?/授業3日目

 今日は一番ハードな一日となりそうな日である。
朝の9時20分から夕方の6時までの長い一日になる。

よしがんばるぞと気合いを入れて少し早く教室の前に行くと、まだ前の授業が終わってないようだ。

しばらくしてから行ってもまだ終わってない。
時計を見ると、もう私の担当の授業の始まりの時間ではないか。
どうなってるのかね?

前のクラスの先生、一生懸命なのか時間に無頓着なのか知らないが、予定時間オーバーして終わっても教室を出る時は私の存在など無関心でさっさと行かれました。ベトナムですな〜!

ま、そんなことに構っては居られません。
こちらは体力勝負の一日が始まります。

6コマの授業を終わり、7コマから9コマまで連続の授業が始まる前に突然「一緒にジュギョウを受けてもいいですか?」と2人の女子学生が目の前で言っているのであるが、私には一瞬意味不明だった。私にはベトナム人学生に見えて、他のクラスの学生なのかと思った。

聞き直すと、その2人は日本人の女子学生でホーチミン市へ旅行に来ているとのこと。
この大学で勉強している女子学生に観光案内をして貰っていたらしい。今夜、関西に帰るのだが女子学生と一緒に授業を受けてもいいですか?と言うことだったのである。

突然のことだったが、私に断る理由はない。
今日は作文の授業だが最初の時間でもあるし、自己紹介がテーマだから自己紹介をして貰いますよということでOKする。

授業ではベトナム人学生と同じように自己紹介文を書いて、自己紹介をして貰った。
せっかくだから、質問もベトナム人学生からして貰う。
同じ大学生同士であるので、日本の音楽や漫画、小説など若い世代の話題に盛り上がっていた。

最後に、2人にベトナム人に言うことは無いかと聞くと、商品を買う時の外国人価格について「ぼったくりではないか?」と学生たちに言っていたが、ベトナム人学生の反応は今ひとつだった。まだ外国人の気持ちが理解できていない。

突然の飛び入りだったが、学生たちには刺激になったのではないでしょうか。
という訳で、ばたばたで終わった一日でした。

明日は休みだ、寝ようと〜!

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2009年2月17日火曜日

授業二日目

 授業二日目は、早朝6時45分開始なのだが、時間になって20名くらいの学生が席に座っている。
一クラス40名くらいは聞き間違いかと思いきや、それからだらだらと学生は入ってくる。

結局50数名の学生数だ。多すぎる。
昨日のクラスは20数名なのに、この差は何なんだ?

学生は自由にクラスを選べると聞いていたが、何を基準に?

授業の途中でだらだらと来られては授業にならないので、「遅れて申し訳ありません」と言うことを義務付け注意するがどれだけ効果があるやら、これからがが楽しみだ。

しかし、一クラス40名でも多いのに50数名とは、日本語学校よりも多い。

でも、久しぶりの現場、悪くない。学生の生き生きとした目の輝きを見るのは良い。




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2009年2月16日月曜日

授業の初日


 今日は授業の初日でした。
日本語教育の現場に立つのは一年半ぶりです。

テト休暇前から色々と準備をしてきたが、直前になっても授業内容は変えることしきり。
復習を兼ねて4年前の3億円事件を題材にしてYouTubeのムービーを学生に見せようと考えていたが、いざ授業になるとネットに繋がらない。

授業は昼からだが、今朝に担当の教師からメールでプロジェクターは使えないという直前になっての連絡がある。

おそらく申し込み忘れだろうと推測するが仕方ない。
それでも少し早く行き、事務所にて借りる交渉してOKだったが、今度はネットに繋がらないのである。

ま、何が起きても驚かないことがこの国での生きることの条件。

初日だから、勘弁してねという感じで何とか3コマの授業は終了。さすがに少し疲れました。でも仕事の疲れは悪くないもんだ。

学生数も当初は40名くらいを覚悟していたが、20数名だ。嬉しい誤算、このくらいの人数が良いな。

しかも男性は一人、後は女性だけ。
初日は様子見という雰囲気でした。



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村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判

[文学賞] ブログ村キーワード
村上春樹さん、エルサレム賞記念講演でガザ攻撃を批判(asahicom)
2009年2月16日8時27分印刷ソーシャルブックマーク

エルサレム賞を授与される村上春樹さん(右)=AP

「エルサレム賞」の受賞式に臨む村上春樹さん=AP
 【エルサレム=平田篤央】イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレム市で開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。

 ガザ攻撃では1300人以上が死亡し、大半が一般市民で、子どもや女性も多かった。このため日本国内で市民団体などが「イスラエルの政策を擁護することになる」として賞の返上を求めていた。

 村上さんは、授賞式への出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。

 また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言とみられる。

 村上さんの「海辺のカフカ」「ノルウェイの森」など複数の作品はヘブライ語に翻訳され、イスラエルでもベストセラーになった。

 エルサレム賞は63年に始まり、「社会における個人の自由」に貢献した文学者に隔年で贈られる。受賞者には英国の哲学者バートランド・ラッセルや、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘス、チェコの作家ミラン・クンデラら著名な名前が並ぶ。欧米言語以外の作家の受賞は初めて。

 ただ中東紛争のただ中にある国の文学賞だけに、政治的論争と無縁ではない。01年の受賞者アーサー・ミラーさんは授賞式に出席する代わりにビデオスピーチで、03年には記念講演で故スーザン・ソンタグさんが、それぞれイスラエルのパレスチナ政策を批判した。

*村上春樹なりに考えた末の行動だったのでしょう。拍手喝采。彼が受賞することで市民運動側にも議論がありました。


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2009年2月14日土曜日

就労と自立支援を 連合、カンパ呼びかけ/やっとかね!

就労と自立支援を 連合、カンパ呼びかけ
(asahi com)
 連合は3月3日から「雇用と就労・自立支援のためのカンパ活動」を始める。雇用保険などの安全網からこぼれる労働者の就労・生活支援が目的。傘下労組の組合員だけでなく国民に呼びかける。

 上記は、朝日のネット記事。感想は、やっとかね!遅いなだ。

まずは。自らが溜め込んでいる闘争資金を出すことから始めましょう。
蓄えている闘争資金は相当あるのではないだろうか。
ストライキをしないのだから、いざという時の、例えば首を切られた組合活動家の為の生活資金目的などで貯めてる資金を少し使ったらどうかと思う。
単一労組から連合全体でみたら相当の資金があると思うのはやっかみでしょうか。

昔話で申し訳ないが、それこそ3億円事件が発生した頃の日本はある意味活気がある時代だった。
私が就職した会社も戦後の景気が良くなると共に大きくなって行ったが、労働組合は当初は無かった。

一部の勇士が何回か労組の設立を試みては潰されていたが、時代の流れの中で労組の設立にこぎ着けて、いつか私もその先頭に立っていた。

それこそゼロからの労組設立で暗中模索の状態だった。
会社側からの圧力も跳ね返す中で、今思うにやり過ぎたかなと思う事もあった。

会社側からの圧力で組合を脱退した管理職を、一晩中ラブホテルで説得続けて脱退を翻意させたりなどなど。

組合活動は順調に行き、労働条件は大幅に良くなり会社も発展して行った。

当時、組合活動の何たるかを勉強する中で、日本の労組は企業別組合で欧米のような産業別に組織されていない事を知った。
活動が企業内に限られて、日本全体の労働者を見るような広い視点は無いのである。弱点であった。

設立した労組は10数年を経て、会社側の巧妙な懐柔策で御用組合になった。その原因の一つは労組幹部の仲間割れだった。
労組の原点は団結である。それができなくなると力は無くなることを身をもって知った。

労組が御用化すると、まともな組合を守る為に最後まで裏切らないで御用化反対でがんばった組合活動家の運命は悲惨である。首切り、左遷、配転、差別、退社などなど。

組合が御用化したら、労働者にとっては不幸であると今でも信じている。国民にとっても良くないと思う。
日本全体の労組が御用化した(今でも御用化していないところもあるが少ない)結果が今の連合である。

企業内だけの組合員のことしか考えない、視野の狭い組合の集合体が連合である。ましてや一部の連合幹部は労働貴族と言われて久しい。もはや労働者では無い。

派遣労働者などというものを日本に生み出した責任の一端は今の日本の労働組合全体にあると思う。
自らのことしか考えていない結果が今にある。

長くなった、年寄りの昔話とぼやきでありました。






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2009年2月13日金曜日

ハッピーバースデーinダラット

 写真はダラットのケーキ屋の二階での出来事です。
私はこの店の人参ジュースがお気に入りで飲んでいた時です。
店内の奥でパチパチと音がするので何事かと見たら、バースデーケーキの花火でした。

どうやら、少女の誕生日を二人の男子が祝ってるようです。
可愛い少女でした。中学生かな。
一人ではなく、二人の男子が居るところが何とも微笑ましいというか、二人の男子は大げさに騒ぐでも無く、二人の憧れの少女の誕生日を祝うという様子でした。

一方、少女は堂々と二人の好意を受け入れて、ケーキを食べ始めました。その前に、男子に先にケーキを分けていましたが。

なんか、私の方が3人の邪魔をしてはいけないと席を立ちました。といっても、3人には私の事など眼中に無く、自分たちだけの世界に浸っているようでしたが。

ふと、日本でもこんな風景は見られるのかな?と思うのでした。日本の世情に疎くなって久しいな。


 
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今日もサイゴン下町のカフェで

 今日は朝から曇り空だ。
最近は雨期になったのかと勘違いするような天気である。
自転車でカフェまで走る途中でポツリと来た。

カフェに入ると、常連のオジさんがすでに来ていた。

今日は大学で提出書類や授業の事で打ち合わせがある。

授業の準備で、「みんなの日本語」40課の3億円事件の事を
復習を兼ねて話す事にしているが、この事件を振り返ってみるに、胸の奥底が妙にざわつくような感覚がする。

一言で40年と言っても、この気持ちは20代の若者には理解不可能だ。自分の生まれた年よりも倍近い前の時代の事である。

ふと、浦島太郎の話も思いだす。何故か、この話も教科書に載っている。
どういうつもりでこの教科書は掲載しているのだろう。

やはり、私は日本人だ!


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2009年2月12日木曜日

三億円事件

 日本語の教科書に三億円事件の事が載っている。
久しぶりにそれを読みはるか大昔の40年前に思いを馳せた。

 当時、私は大阪に住んでいたが、テレビや新聞の報道で東京都の府中市という地名を覚えてしまった。今でも記憶にあるから驚く。同時に、あの白バイ警官に扮した犯人のモンタージュ写真が蘇るのである。

 今更、あの事件の復習をすることは必要ないでしょう。
最近でも、テレビであの事件の謎にせまったらしい。

ネットで検索しても、色んな説があった事が多く出てくる。
現職の白バイ警官の子供、会社社長などなど、中でも「公安筋による某略説」は興味をもった。

当時は、日本の歴史上で最も学生運動が盛んだった。その活動家の学生たちが犯人探しの名目で徹底的に捜査されて逮捕されて、学生運動は小さくなって行った。

公安により仕組まれた事件なので、当初から警察は犯人を逮捕する気はなかった。
従って、後になって分かるが、あのモンタージュ写真も死んだ人間の写真をそのまま写した物だった。犯人の顔に似ていたかどうかは定かではない。

しかも、私が三億円事件というと今でも鮮烈に思い出すほど、あの写真は日本中に宣伝された。だからあの写真に仮に犯人が似ていないとしたら、どうしようもないだろう。結果的には、あの写真で日本中が振り回されたのである。

それにしても、謎の多かった事件である。
激動の日本を象徴するような出来事だった。

ふと、あの頃の学生運動のエネルギーは何だったんだろうと思う。あの頃の血気盛んだった若者は今、企業の定年を迎えて来ている。

この40年の日本の、いや自分の総括をどう考えるのか、語ってみたいものであるなどとは白昼夢なのか。

その三億事件をベトナムの学生に話してみる予定だ。
果たして、反応は?



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2009年2月11日水曜日

ダラットで会った元気な日本人!

 テト休暇でダラットへ行っているときに、ダラット市場の中をウロウロしていたら日本語で「日本人ですか」と声をかけられた。

 久しぶりの日本語に驚いて振り返ると、同世代風の男性がニコニコと立っていた。

 一緒にカフェで話した。
ベトナムを約二週間一人旅をしているとのことだった。ホテルは予約をしないで来たがテトの期間はダラットも市内の中心街はどこも満室で、郊外のホテルしか取れなかったとの話だった。

それにしても、元気な方だと感心した。
聞くと、私と同世代だった。
しばし昔話もしたりで懐かしかった。

その方は、私と違って一度転職はされたらしいが順調に定年まで会社員を全うされた、企業戦士だ。

まさに日本の戦後と共にひたすら働いてきた典型的なサラリーマンだったのではないかと思う。

それが、これからの人生を考えたときに、海外を一人で旅してみようと思い立ち、その手始めがベトナムだったのである。

多感な青春時代をベトナム戦争反対運動の盛んな当時の日本で生きた世代である。

多くを語る時間はなかったが、何か共感するものを感じた。

その後、その男性(Yさんとしよう)はムイネやホイアン、フエまで行き、ホーチミン市に帰るとのことだった。

そして、今週の月曜日にホーチミン市に帰られて連絡があったので夕食を共にした。
その夜には帰国されるとのことで、短時間の出会いだったが、元気そうでなによりだった。

宿泊先のミニホテルで、同じように一人旅をしている男性にも会った。この方も元気そうだった。やはり同世代風だった。

健康だったら、どこへでも行ける!というのが実感だった。

Yさんは、ベトナムの食事は美味しいので食べ過ぎて体重が増えたと笑っておられた。

食事後、慌ただしくタクシーで空港まで行かれたが、無事に帰られたと思う。

ヘンガップライ!




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2009年2月9日月曜日

「みなさん、本当の幸せって何だと思いますか」

「みなさん、本当の幸せって何だと思いますか」
http://www.asahi.com/kansai/kouiki/OSK200902070079.html13歳で亡くなった少女の1419文字

 2月7日のAsahi.comの上記の言葉が私の目に飛び込んで来た。そして少女の1419文字を読み涙腺が潤んでしまった。


「それは『今、生きている』ということなんです」

なんと重みのある言葉か...。


私は、少女の言葉全文を掲載したかったが、恐れ多いので上記のようにAsahiのアドレスを掲載します。
上記のアドレスに訪問すれば全文が読めます。

私はぜひこの文をベトナムの若者にも読んで欲しいと思う。作文の授業で使用させていただこう。


「命さえあれば、必ず前に進んで行けるんです」

この言葉も13歳の少女のだ。今の私にも心から実感できる。

合掌



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2009年2月7日土曜日

フレンドリーなApple専門店

 [MacBook] ブログ村キーワード
 先に、ホーチミン市のApple専門店のことを書いたが、ようやく今日MacBook Proの修理が完了した。
ハードデスクを交換したが、ハードデスク代は修理担当者の友人が持っているのを買ったので90万ドン(約5千円、80ギガ)
を直接払った。

そのハードデスクを組み込んで修理が完了して、修理代は幾らかと聞くと、いらないと言うのである。

どうも、ニューMacBookを買ったからいいよという様子だった。
このフレンドリーな感じに感激した。

日本でも、Apple専門店ができた頃にはこんな雰囲気があったような気がする。

Cảm ơn future world 

実は、昨夜、購入したばかりのMacBookがデーターの入れ替えなど色々とシステムフォルダをかまっていたら起動と再起動を繰り返すだけのトラブルになったので、今朝から持ち込んでサービスを頼んでいたのである。

直るまで、時間がかかり、昼食を二人のスタッフと一緒に共にした。
このへんもフレンドリーですね。

という訳で、Appleを通じて新たなコミニュケーションルートができつつあります。

幸い、今月から日本語を教える大学の直ぐ近くにそのApple専門店はあるのです。

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2009年2月6日金曜日

ホーチミン市のApple販売店

 ホーチミン市3区のnguyen thi minh通りでfuture worldという看板を掲げている店がApple専門店だ。

この店に最初に行ったときに、日本でApple製品が売り出された初期の頃を思い出した。

今から15年以上も前になるが、当時私は名古屋市に住んでいた。大須商店街の一角に小さなApple専門店が開店したので、すでにAppleのパソコンを使っていた私はよく通った。

そのApple専門店には、いかにもマニアックナスタッフが居て訳の分からん専門用語を連発していた。
いつも、内心、もっと素人に分かりやすい言葉で話せよと思っていた。

それがいつの間にか大きくなっていった。Appleパソコンの売れ行きとともに。

このホーチミン市のApple専門店もそういう経過を今後辿って行くのだろう。
いや、当時の日本での歴史よりもスピードは速いだろうと思う。

なぜなら、そのホーチミン市のApple専門店でMacBookをフランスで購入したというベトナム人青年に出会ったが、「MacBookは高くないですよ。フランスではベトナムで買うより高いです。」と言い切っていた。

最近まで、いや今でもApple製品は高いと思っているのだが、高くないと言うベトナム人が出て来たのには驚いた。

そう言えば、1区の家電店でもApple商品が展示販売されていた。急速な変化である。

決して安くないAppleのパソコンやiPhoneを購入する層が出現しているのだろう。

当初、その家電店でMacBookを見て「おー、ベトナムでもとうとう売り出したか!」と感激して、購買心をくすぐられたのだが、結局今後のサービスのことやAppleフアンのネットワークに魅力を感じて専門店で私はMacBookを買ったのである。

ちなみに、価格は米国や日本での販売価格よりも約20%ぐらい高いのである。それは税金分らしい。日本で購入すれば安いのだが、当面帰国の予定も無いし、日本から来る友人に頼む手もあるがいつになるか分からない。
という訳で、決断したのである。

修理に出したMacBook Proは未だに直らない。安い部品を探してるので見つかったら連絡するということだがいつになるやら。でも、そういうフレンドリーなところが気に入っている専門店のサービスだ。



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2009年2月5日木曜日

Macがとうとう故障した

 Mac Book proがとうとう壊れた。
長年愛用したパソコンだ。私はアップルのコンピュータしか購入したことがなく、ウインドウズの製品は全く使ったことがない。

それはそれで不便なこともあるが、約20年前に最初に使ったパソコンがアップルだったのがきっかけなのだが、よくも浮気もしないで来たものである。

ま、殆ど自己満足と自己陶酔の世界なのだが。

ベトナムに来るときに、日本で使っていたデスクトップタイプは涙を飲んで友人に譲ったりして、残った一台のMac Book proが愛機であった。

しかし、ダラットへ行く直前に急にエラーマークが出て起動ができなくなった。

前から、一台のパソコンでは故障したときに、このベトナムでは日本とは違いサポート体制も無いだろうからと不安感を持っていたがとうとう其の時が来た。

昨年後半に、新しいMac Bookが発売されたのでデータのバックアップの為にも機会があれば購入しようと思っていたが間に合わなかった。

ベトナムに来るときにはできるだけ身軽にして来たので、マニュアル本も手元にない。

そう言えば、同じ4区にアップルマークの看板の店があったの思い出して行ってみた。
結論から言うと、其の店はiPhoneの販売だけの店だったが、若い店主が親切に市内のApple専門店までバイクで案内してくれた。

そこで、初めてホーチミン市内にもApple専門店が存在するのを知ったのである。
展示しているのはApple製品のみで修理も受け付けてくれるのである。
とうとう、ホーチミン市にもできたか!と感動した。

その店にMac Book proを持ち込んでから2週間になるが、まだ修理は完了していない。どうやらハードデスクが壊れたらしい。

話が長くなって来たし、何を書きたいかも分からないようになってきたので結論を急ごう。
結局、新しい Mac Bookを昨日買ったのである。

その経緯はまた書くとして、今そのMac Bookでブログを書いている。



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毎日カフェで/ダラット


 ダラットでは、朝の起床時間が遅くなり(涼しくなった夜が活動の時間である為?)毎日10時頃に中心街の公園沿いの坂道の道路の斜面を利用して造られたカフェを梯子していた。

カフェデン一杯が12000ドンだからホーチミン市よりも安い。
それで何時間も座っていても誰も文句もいわない(当然だが)のだから、快適な時間を過ごせる。

それで私は毎日、日本語教育の準備をしていた。
上の写真はそのカフェから正面を眺めた所である。

道路沿いにカフェはあるのだが、走るバイクも少ないので排気ガスのことも気にするほどではない。


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ダラットの桜

 ダラットに来て見て、桜の木が多いのに驚いている。ダラット市場近くの公園沿いや湖岸に桜の木は植えられている。
樹齢も何十年物もあるようだが、管理は良いとは言えず、無造作に枝が切られていたりする。

正月に飾る為に切ったのではないかと勘ぐってしまう。

もっと大事にしてほしいと思う。

ただ、花は日本の桜と比較すると、小さい。
種類が違うのか気候のせいなのかは分からない。

テトの前に咲きかけて、テトに満開となるようなのでダラットは今が春なのだろうと勝手に想像している。



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2009年2月4日水曜日

Da Latの年末風景



 ベトナムのテトはどういうのだろうと興味も湧いてくるのだが、一方でベトナム国内の外国人には大変だと聞いていたので、結果的にはDa Latダラットへ旅行することになった。

 今回は、12日間の旅だ。旅といっても同じホテルに宿泊する。
28日までは空いているが以後は予約で満室、しかしなんとかしますという返事を頼りに行くことになった。


 ダラットの町は高原なので空気が乾燥しているし、気温も低いので快適だ。ホーチミンなどと比べてバイクが少ないので騒音や排気ガスの影響も少なく空気は奇麗である。

 今回、二回目のダラット訪問だが、ダラットはベトナムの観光地としては洗練されていると思う。


 


上の写真は、ダラット市場の近くで路上でバザーをしている風景である。
真ん中の少女が可愛かったのでカメラを向けると途端に意識してか石のようになった..。
 上の写真は正月向けの飾りの木を展示している所である。
桜や梅の木を展示していたが、生木をばっさり切って置いてるのである。
正月に飾って、その後はどうするのだろう、もったいないことをするなと思ってしまった。


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