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2011年12月31日土曜日

今年、お世話になりました。来年は良い年でありますように。

今日は大晦日、ベトナムでの年越しは4回目だと思うがいつも何をしていたのかな?と思う今日です。
今年の大晦日は心穏やかに居られる事に感謝です。

今年の日本は何といっても3.11東北大震災、原発事故の事を語らずには居られませんね。
お亡くなりになった方には心から、ご冥福と、震災、原発事故で避難されている方にお見舞いを申し上げます。

原発事故では今まで無関心だった原子力発電について、原発事故以来ネットで多くの情報やニュースを見て、原発の恐ろしさを痛感しました。そして反原発を表明いたしました。

日本語教育については、長年勤めたホーチミン市の大学を辞めて田舎町で教える予定でしたが、結果としてその話はダメになって長く暇を持て余していましたが、暮れになり研修生に教える仕事を紹介いただき嬉しかったです。

その長く暇を持て余している時に、色々と思い悩み、考えた末に、この間3年ほどベトナム人女子大学生と共同生活をした経験を活かして、前から考えていた構想を実現する為に今準備中です。テト明けには具体的な話になると思っています。

このように、今年も色々とありましたが、日本を離れて異国の地で生活している者にとっては、一人では何もできないということを今更ながら思いました。
上記の色んな出来ごとも、多くの学生、友人、知人の方に助けられて、寂しいときや落ち込んだ時には励まされてきました。

最後に、私は4年前にホーチミン市で命に関わる病気になり、日本に帰国して手術、療養して再びホーチミン市に戻りました。その時に医者が5年間元気に生きたら後は大丈夫、と言ってました。
ですから、この4年間はその医者の言葉がいつも気になってました。でも、おかげで元気に生きています。その事に感謝いたします。

健康にも自信が出て来たので、これからの人生をもう少し積極的に生きてみようかと少し欲も湧いて来ました。

来年こそは、私自身にも日本全体にも良い年でありますように願わずにはいられません。


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2011年12月28日水曜日

考えてしまうな!ベトナム人との結婚。

年の瀬になって嫌な話が飛び込んできた。
以前、友人を介して会った日本人男性、私よりはるかに若い方でベトナム人女性と結婚して幸せそうだった。
その時は家を新築中だと言っていた。自分たちが住む以外にも家を建てて貸しているとかだった。

ここベトナムでお金があれば土地を買ったら良い投資になることは分かっているが、貧乏な私には無縁な話だ。

その男性の話を友人から聞いた。
今、ベトナム人の奥さんと離婚の協議中らしい。
え!と絶句してしまった。

家を新築して間もないはずだ。奥さんから離婚の話が出たらしい。ベトナムでは外国人は自分名義では土地は買えないので、当然結婚していたら奥さんの名義だ。金は日本人が全額出す。

こういう例での離婚の話は噂ではよく聞く。
金を夫が出していれば離婚しても全部は奥さんの物にはならんだろうと思うのだが、どうもそうではないらしい。

最初からこれが目的で結婚ということだったのかどうかは分からないが、同じ日本人としては身につまされる話である。
家を3軒も立てて、その権利が全部奥さんの物とは行かないでしょうが…。子どもも居たはずだ。

今回の話は知人のことだったので頭から冷水をかけられたような気分になった。

思わず、怖いな!!と独り言。

でも、このホーチミン市でも結婚して幸せに暮らしている人も多いはずだ…。


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真実を報道しないマスゴミの実態暴露!!

2011年12月31日をもって日本国内でのジャーナリスト活動を無期限休養する上杉隆氏の手元には、これまでのジャーナリスト生活の中で独自ルー トで入手してきた、政治家とマスコミのオフレコ懇談会の40万枚にも渡るメモがあるという。それにはマスコミが伝えない事実が赤裸々に綴られているとい う。上杉氏はそれを「上杉リークス」と称して記者クラブ以外のメディア(ラジオ・雑誌等)で暴露していくと宣言している。
その第一弾が週刊ポストに掲載された。
▼上杉リークス掲載:週刊ポスト 2012年 1/1・6合併号[雑誌]

以下は、週刊ポストに掲載された記事を大友涼介さんが文字おこししたものを、一部修正、編集して掲載したものです。
▼元記事:上杉隆氏~「上杉リークス ~ 永田町爆弾 ~ 記者クラブのオフ懇メモ大公開」(週刊ポスト)|平和ボケの産物の大友涼介です。
後半の仙谷由人氏の権力に固執する発言など、現在の民主党政権を端的に表しているものだと思う。
それではどうぞ。
▼最後に投下する「永田町爆弾」上杉リークス「談合記者クラブの恥メモ大公開」週刊ポスト2012/01/01・06日号
年 内をもってジャーナリズム活動を無期限休業する上杉隆氏が権力とメディアの「官報複合体」に向け最後の爆弾を投下する。政治記者たちが封印してきた「オフ レコメモ」をすべて暴露するというのだ。政治家・官僚と記者クラブメディアの「不適切な関係」を白日の下に晒す最後の警告。
■官邸に上納される取材メモ
<→
記者:今日の総理会見の感想は?
A:まぁまぁ。
記者:語りかけているのは向いていないようだが?
A:ああいうのは得意じゃない。
記者:菅総理が記者会見で(国会議員の)定数削減に言及したが?
A:今朝の公邸での朝食会で「具体的なことを言った方がよい」と言った。私が指示した。これオフだよね。(笑)
記者:総理の演説はどうだった?
B:良かったんじゃない。両院総会の演説は良かったよね。
←>
上から目線で受賞の会見を評価してみせたこの二人。何を隠そう、枝野幸男経産相と蓮ホウ・行刷相である。
Aは2010年7月30日に枝野氏が、Bは11年1月24日に蓮ホウ氏が、ともに番記者たちを前にして首相会見の感想を語ったものだ。
だが、これらの発言は、一切翌日の新聞には掲載されていない。枝野氏が確認したように「オフレコ」条件の取材だったからだ。彼らはそれで表の「事業仕分け」とは違う顔を番記者たちに見せたのである。
では、記事に残っていないオフレコ発言を、なぜその場にいなかった私が知ることができたのか。これからその秘密を明かそう。
記者クラブメディアの記者たちは、官邸などで開かれる表向きの会見を速記すると同時に、政権幹部らによる「オフ懇」(オフレコ懇談会)も記録に残す。オフレコといいつつ、実際にはICレコーダーに録り、書き起こしてメモにする。
そ うして「オン」「オフ」などと注意書きされたメモの集約が、キャップからデスク、政治部長、編集局長へと「メモ上げ」されていく。現場で取材もしない幹部 たちが記事を書いたり、テレビで解説したりできるのはこのためだ。メモさえあれば、新聞やテレビの報道など誰でもできてしまう。
現在は禁止されているが、米国でも30年前まではこうしたオフ懇メモが存在した。ただ、時代遅れには違いないが、日本のマスコミではこの程度なら問題とならないだろう。重要なのは、国民にはわからないところで、メモがもうひとつ別の使われ方をしているということです。
メディアの幹部や中堅記者たちは、野党も含む各現場から上がってきた膨大なメモを、結果として官邸に「上納」しているのである。つかり、各メディアの取材メモはすべて官邸の手元に渡っているということだ。
現 場の記者たちがこっそり回していると信じているオフ懇メモも、当然、権力側は知っている。だから、政権幹部や官僚たちは、実際には録音されていることを見 越してオフ懇で観測気球を上げたり、メモを見て与党議員や野党の動向を探ったりもしているのだ。しかもメモがあれば、どのメディアがどのように取材を進め ているかも手に取るようにわかる。結果として、現場の記者たちは官邸の情報収集係として利用されているというわけである。
かつて『週刊ポスト』で官房機密費問題を追及した際、自民党政権時代の官邸関係者はこう語っていた。
「官邸は、機密費で各新聞社の幹部からメモを買っていました。メモを集約するのは毎日の日課だった。月一回くらい、情報の対価として機密費から100万円程度を支払っていた」
このシステムは、徹底して情報収集した当時の官房長官の名前を冠して「野中システム」あるいは古くは「後藤田システム」と呼ばれていた。
■40万枚以上のメモ
実 はこの膨大な量に上る各社の(1社ではない)メモが、極めて希少なソースを通じて、私の手元に10年以上ほぼ毎日送られ続けているのだ。記者たちが懸命に 作り上げたメモは、24時間以内にデータとして私に届く。その数はA4用紙にして日に平均100枚以上。ジャーナリスト生活12年の間で、少なく見積もっ ても40万枚ものメモを私は保管していることになる。さらに1対1でのオフレコ取材など、より機密性の高いメモも別途送られ続けている。
官僚と記者クラブから最も嫌われるはずの私が、このメモを持っていることに、記者クラブシステムの限界を見て取れるだろう。
た だし、メモの中身となると、官僚の首が一発で飛ぶようなものや記者の人間性が問われるものも混じっているが、オン会見は予定調和のものばかりだし、オフの メモもどうでもよい与太話ばかりだ。しかも、各社のメモにはほとんど違いがない。会見やオフ懇の後に記者同士で「メモ合わせ」を行い、聞き漏らしや間違い がないように確認し合っているからだろう。さらには、現場に来ていない他社の記者のために「代打ち」をしてメモを上げたりしている様子も窺える。メモには 「他社もらい」という言葉が散見される。
こうした「談合」が罷り通ってきたのが記者クラブの実態なのである。記事を書く元になっているメモ が同じなのだから、新聞各紙、横並びの記事になるのも当然である。こんなカルテルやカンニングのようなことは海外メディアでは絶対に有り得ない。「談合」 の証であるメモの存在が明らかになった時点で、それらを共有した記者たちは一人残らずクビになるし、そのメディアも終わりになるだろう。
私は11年12月31日をもってジャーナリストを無期限休業する。元ジャーナリストになる私は、いよいよこの不健全なメモを公開し、記者クラブシステムの是非を問おうと思う。
来年早々、私はさまざまな」メディアでこの40万枚にも及ぶメモを分散して公開していくつもりだ。それは、自らの身の安全を守る意味でも、また、官報複合体がソースに悪事をしないためにも、長い準備を経て行う決断である。
米 外交当局の公電を暴露したウィキリークスに対し、私のそれは、官報複合体の恥部を晒すものとなるだろう。このメモ公開は、記者や政治家の個人攻撃を目的と するものではない。あくまで日本のメディアシステムの不健全さを表す象徴的な存在として、日本の皆さんに問うものなのだ。
今回、記者クラブ問題や官房機密費問題を追及してきた『週刊ポスト』で、まず最初にそのごく一部を公開することにした。
■「怒ってる感じ伝わった?」
今回公開するのは、震災前までの菅政権のオフ懇メモの一部だ。書かれている発言の真偽は別として、メモ自体が本物であることは、関係者には一目瞭然だろう。
例えば10年9月には、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件があった。海保は中国漁船の船長を逮捕したが早期に釈放。菅政権は「あくまで検察の判断」と言い逃れした。その間、官邸側が記者たちに何を語っていたかは明らかにされていない。
9月22日、中国の抗議がエスカレートしている点について、瀧野欣彌官房副長官(当時、以下同)はオフ懇でこう述べている。
<→
記者:起訴でもされるとさらにエスカレートしそうだが?
瀧野:勾留期間は29日。そこでどうなるか。シーシェパードのように長期化するのは懸念している。小泉さんのときのような反日にならないことを願っている。
記者:有罪判決にでもなればどうなるのか?
瀧野:こちらは粛々とやるだけ。こちらはあくまで、受身の態勢。そうなるかについては・・・。
←>
中国を恐れ早期釈放への願望を吐露する一方、あくまで検察の判断に「丸投げ」する体裁は崩していない。
瀧野氏は官僚だけにまだ発言に含みを残すが、民主党参院議員の福山哲郎官房副長官になると、ずっとわかりやすい。
10月末にASEAN会合でベトナム・ハノイを訪れていた福山氏は、日中首脳会談が中国にドタキャンされたことを受けた会見で「驚いた。真意を測りかねる」と強い口調で述べた。11月1日夜に官邸で行われたオフ懇では、福山氏が自らそのことを振り返った。
<→
福山:そうだ。俺なんか映像写ってた?
記者:コメント映像は何回も使われてました。
福山:そう。何か「怒ってたね」って帰ってきたらすごく言われたんだよね。でもあれ(現地での)質問誰したの?ここにはいないよね。なんか「日本からまたお願いしますか?」とか言うから。
記者:でも怒ってましたよ。
福山:そういう感じは伝わった?
記者:伝わりました。弱腰と言われないためにもいいんじゃないですか。
福山:そう。
←>
福山氏は最後に「これオフだよ。明日紙面に載ったら怒るからね」と語っている。ハノイの会見で憤っていたことが、実はポーズであることを自ら認めているというわけだ。
こうして政治家や官僚は、オンとオフを巧妙に使い分ける。記者たちもそれをわかっていながら、表の予定調和な会見だけを記事にしていく。私が日本の記者会見を「茶番」と言い続けてきた理由はここにある。
記 者メモを見ていると「オフ」で話す政治家とそうでない政治家に二分されることに気付く。小沢一郎氏や岡田克也氏、原口一博氏などは、ほとんどオフ懇に応じ ることがない。記者会見をオープン化してきた政治家にとって、記者クラブの番記者相手にオフ懇をやることは、そこに入れないフリーランスや海外メディアに 対してアンフェアだと考えているからだろう。
一方で菅政権当時、もっとも多くオフ懇を行ったのは仙石由人氏だ。彼は官房長官として、後藤田正晴や野中広務氏と同じように、番記者をコントロールしようと目論んでいたのだ。
たとえば10年12月28日、赤坂の中華料理店で行われた番記者との忘年会で、小沢氏が政倫審に出席するとのニュースが突如舞い込んできた。小沢氏と対立いしていた仙石氏はその場で記者から一報を伝えられるとこう言ってのけた。
<→
ほれ。俺の言った通り(笑顔)。政治は一寸先は闇・・・というあれだから。一寸先は台風一過!
←>
わざわざ良い意味の諺に置き換え「明るい話題」であることを強調している。
11年1月14日には、翌日に65歳になる仙石氏の誕生会が番記者によって開かれた。記者たちからペアカップなどをプレゼントされた仙石氏はご機嫌になった。
<→
記者:解散はないか?
仙石:解散なんてしないよ。306~7議席持っていたら世論がどんなに非難しようと解散しないよ。またたらい回しするだけ。そのとき誰が(総理を)やるかわからないけど。どんなに支持率が下がろうと権力持っている方が強いんだよ。簡単に手放すなんてしない。
←>
このあとも解散権を持つ菅首相を無視するような発言が続くが、まったく報じられることはなかった。官房長官として仙石氏の不信任案が出された際など
<→
「あなた方がちゃんと(記事に)書かないからこうなるんだよ。そうでしょう?」(10年11月15日夜)
←>
と恫喝まがいのことまで言われているにもかかわらず、記者たちは黙っている。もはやジャーナリストとはいえない。
■こんな八百長は止めろ
こうした記者クラブの限界が、3・11の東日本大震災で露呈する。政府や東電の会見で、原発事故の問題をなにも追及できない記者クラブの無能ぶりが、国民の目にも明らかになったのだ。
一 方で11年は「オフレコ破り」によって、多くの政治家や官僚が辞任した。だが、そもそも海外のジャーナリズムにおいては、複数の記者がいる懇談の場でオフ レコが成立すること自体が稀だ。政治家や官僚の言いなりになって「オフレコ」を守る日本のメディアこそが異常なのである。
松本龍復興担当相のオフレコ発言を最初に報じたのは東北放送だし、田中聡沖縄防衛局長の「犯す」発言は琉球新報だった。ともに、記者クラブの中ではメインストリームではないローカルメディアが報じたものを、他が仕方なしに後追いしたに過ぎない。
鉢 呂吉雄経済産業相の「放射能つけちゃうぞ」発言に至っては、そもそも鉢呂氏は「放射能」という言葉を使ってはいない。防護服姿の鉢呂氏は記者から「放射能 付いているんじゃないですか?」と言われ、近づいただけだ。しかも第一報を報じたフジテレビ記者の姿を、鉢呂氏は確認していない。つまり、記者たちの談合 で生まれた虚報で、鉢呂氏は辞任に追い込まれた。
松本氏といい鉢呂氏といい、政権の中枢ではなく、官僚たちが「あいつはもう駄目だ」と切り捨てた閣僚が、オフレコ破りの標的に遭っている。一方で、仙石氏や政権中枢のオフレコが表に出ることは決してないのだから「オフ破り」すら八百長に過ぎないのだ。
政治家が表の会見では嘘をついていることを知りながら、国民を騙し続ける記者クラブメディア。これによって洗脳される国民はあまりに不幸である。
いい加減、八百長カルテルに加担するのは止めるべきではないか。今回のメモ公開はジャーナリストとして無期限休業する私の、そうした「同業者」に対する40万ページにも及ぶ「クリスマスプレゼント」であり、記者クラブシステムへ全体への「最後通牒」でもあるのだ。

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2011年12月26日月曜日

たまには、社説を!「国の未来は自分たちで決める」

年の瀬になって、週のはじめに、ふと立ち寄った東京新聞の社説、最近ではほとんど読まなくなった新聞社の社説ですが原発事故では辛うじて評判の悪くない東京新聞。「国の未来は自分たちで決める」この言葉の意味を噛み締めて新年を迎えたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー転載記事


【社説】

週のはじめに考える 遠くて近きものは

2011年12月26日

 
 過去は現在を照射して未来への展望を開いてくれます。閉塞(へいそく)感に覆われ、政治が非力な時代だからこそ熱狂を警戒し冷静であることが求められます。
 真珠湾攻撃から七十年、映画の完成もあって山本五十六が脚光を浴びています。対米戦争に誰よりも反対しながら、開戦の指揮を執ることになった提督です。
 経済停滞、政治の機能不全に不安、不満が募る状況に当時と似たところがあるからでしょう。
 陸軍若手将校がクーデター未遂の二・二六事件を起こした一九三六年から開戦の四一年までの五年間で、内閣総理大臣が六人誕生するほど政治は不安定でした。
◆民主的に握った独裁権
 政治のブレーキが利かず、軍部は既成事実を積み重ねて暴走し、まるで軍部独裁でした。
 それから七十年余、「独裁も必要」と言う橋下徹氏の率いる「大阪維新の会」が大阪府議選、府知事選、市長選で圧勝しました。橋下氏は「民意を無視する職員は去ってもらう」と自分になびかない職員を威嚇し、「維新の会」は政治的に中立であるべき教育委員を政治に追従させる教育基本条例を制定しようとしています。
 枕草子には「遠くて近きものは極楽、舟の道、人の仲」とあります。「十万億土の彼方(かなた)にある極楽も、ひたすら仏を念ずればたちまち到達する」「遠いと思っても舟旅ならすぐ着く」「男女はいつの間にか結ばれる」と言うのです。
 清少納言が生きていたらこれに「民主主義と独裁」を加えるかもしれません。
 日本の同盟国だったドイツのナチスはクーデターで権力を奪ったのではありません。極めて民主的と評されていたワイマール憲法の下で選挙に勝ち、全権委任法を議会で制定して総統ヒトラーが独裁者になったのです。独裁を許したのは国民でした。
◆言葉が躍るだけの政治
 野田佳彦首相は、小泉純一郎氏が退陣した後の五年間でやはり六人目の総理大臣です。政権が変わっても民主党のマニフェストは多くが空手形です。政治家の言葉が躍るばかりで成果はいっこうに見えてきません。
 破産に近い国家財政、破綻寸前の社会福祉制度、難航する地震、津波被害からの復興、終息の見えない原発事故…重なる危機を前に責任者が適切なリーダーシップを発揮できず混乱しています。
 その一方で「風評被害」だとか「絆」などといった責任を曖昧にする言葉が飛び交い、異論を唱えにくい空気もあります。
 政治不信が高じると強力な指導者待望論に結びつき、独裁を歓迎する雰囲気が生まれかねません。
 閉塞感に覆われた時代に民衆の不満を束ねるには、敵をつくって目をそちらに向けさせ、二者択一の決定を迫るのが手っ取り早い手法です。分かりやすく激しい言葉で熱狂させ、「人気」を「支持」に変質させます。
 橋下流はその典型といえます。その人気に押され、異なる考えの主は萎縮し沈黙します。地方自治にしろ国政にしろ、そうなると真の民主主義は機能しません。
 かつての日本軍部の暴走もナチスの暴虐も民衆の熱狂が後押ししました。「改革派か守旧派か」と問題を単純化して異論を蹴散らした小泉元首相も、有権者は圧倒的に支持しました。
 小泉改革の熱が冷めた後に見えてきたのは荒涼たる社会です。社会福祉は揺らぎ、貧富の格差が広がり、貧困層が増大し、若者が夢を抱けなくなっています。
 清少納言は「近うて遠きもの」に「宮のべの祭り、思わぬ同胞、親族の仲」をあげました。後の世に「民主主義と国民の幸せ」と加えられないよう、歴史の教訓を生かさねばなりません。
 多様性、少数意見の尊重は民主主義の大原則であり、責任ある立場の人の適切な指導力発揮と、時間をかけた丁寧な議論により相対的に適正な結論が生まれます。自らと正反対の意見でも真摯(しんし)に聞いて、自分の主張を疑ってみる寛容が社会を成熟させます。
 国民一人一人が、冷静な目で全体を客観的に見渡し、人気を能力や識見と見誤らずに熱狂から距離を置くことが大事です。
 それは報道に求められる姿勢でもあると自戒しています。近現代史はメディアが国民を熱狂に追い込んだ歴史でもあります。
◆自分たちで決める気概
 混沌(こんとん)たる不安、不満から建設的な力は生まれません。情緒や感覚に頼らない冷徹な現実認識と主体的思考が、不満や政治不信を前向きエネルギーに変えます。
 増税論議の本格化など一段と厳しくなる新しい年を前に、誰かに任せるのではなく「国の未来は自分たちで決める」という気概に富む主権者でありたいものです。

2011年12月23日金曜日

「生きよ、堕ちよ」 週刊・上杉 隆 最終回 「最期のメッセージ」 /転載記事

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●堕国論 Ⅲ  「生きよ、堕ちよ」 週刊・上杉 隆 最終回 「最期のメッセージ」
(ダイヤモンド・オンライン)1-11
http://diamond.jp/articles/-/15455 

▼ジャーナリストを休業される上杉隆さん。最後の迫真の3.11当日の調査・ドキメント記事。
原発に関する日本政府と記者クラブの実態告発文です。
長文ですので、前半をみなさまにご紹介させていただきます。
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▼ジャーナリストの日隅一雄(HPJ編集長・弁護士)さん。ご自身の命をかけた壮絶な取材の姿。
せめて、せめて1日でも長く生きていただきたい!
毎日手を合わせ願い祈っております。(涙)

▼全文については、下記アドレスからNO9-11をお読みねがいます。
ダイヤモンドラインでは、終わりに、簡単なアンケートが今集約されています。
みなさま、ご自身の意見表明にぜひご利用ください。
http://diamond.jp/articles/-/15455/votes

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堕国論 Ⅲ
http://diamond.jp/articles/-/15455
2011年12月22日【第205回・最終回】 週刊・上杉 隆 :ダイヤモンド・オンライン


http://diamond.jp/articles/-/15455/votes

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12月23日、布袋寅泰(元BOOWY)の30周年ツアーは被災地・仙台で幕を閉じる。

7月のコンプレックスの再結成による東京ドームチャリティライブ、そこで4億円もの支援金を集めたロックスターの2011年がそうやって終わろうとしている。

「何ができるんだろう。3.11の呆然とする中、しばらくして俺は気づいた。やはり俺にはこいつ(ギター)しかない。30年以上一緒にやってきたこの相棒で表現するしかないんだ」

渋谷公会堂での演奏の合間、そう呟いた布袋氏の言葉を聴きながら、筆者は、継続することの力強さ、さらに、またひとりの人間がなすべき可能性について、想いを巡らせていた。

▼ひとりひとりにできることは小さい。だが、今回の震災で、「何かしたいのだ」と考える機会を、ひとりひとりの日本人に与えるきっかけになったことは大きい。

布袋氏は、それをギターという道具を使ってロックで届けようとした。その布袋氏の言葉に符合するのが、広河隆一氏(フォトグラファー)の言葉だった。

▼「何ができるのか、そして何をしたのか。3.11は、ひとりひとりのジャーナリストにそのことを突きつけた」

▼野田首相が「事故収束」宣言を発表した翌日、DAYS JAPAN編集長の広河氏は、その総会の冒頭挨拶でこう述べた。

乾杯の挨拶を待つ間、筆者はその言葉を自らに向けて、深く反芻させていた。

いったい3.11のあの日、筆者は何をしていたのだろうか。

▼そう、そういえば、あの日、筆者はいったんすべての取材活動を休止し、あるひとつのことに集中、猛進していたではないか。それは、一瞬の判断での決断と行動であった。

「▼記者会見をオープンにしてください。まもなく世界中から一線級のジャーナリストたちが日本に到着します。その時に政府の会見をクローズドにしていたら、まちがいなく情報隠蔽を疑われます。そしてそれがデマとなり、▼世界中で日本政府の信用、さらには日本の国家全体の信頼を堕とすことになります。最初が肝心です。▼放射能事故の際はなおさら完全な情報公開が必要です。なんなら、私は入らなくてもいい。とにかく、▼外国人記者だけでもいいから会見に入れてください」

官邸の脇、途中からは国会議事堂前の坂道に自動車を止め、筆者はこうした電話を繰り返し繰り返しかけ続けた。相手は内閣官房、閣僚、民主党幹部、秘書、党職員、そして官邸中枢だ。

だが、その震災後の100時間ほど、筆者の人生において無力感を覚えた時間はなかった。

官邸の笹川武内閣広報室長(当時)、西森昭夫内閣参事官(当時)は相も変わらず、煮え切らない態度を続けている。私の口調は徐々に荒くなり、3月14日以降の電話では、ほとんど怒鳴ることが続いていた。

「原発事故だ。原発事故! 人の命が懸かっているんだ。▼国民の命だぞ。お前ら役人に何の権限があって情報を遮断するんだよ。とにかく、こちらには現地の情報があるんだ。▼フリー記者、海外メディア、自由報道協会の記者たちが現場に入り、そこの情報を持っているんだ。▼ガイガーカウンターで測定した数値もある。こんな時に政府を批判しようなんてジャーナリストなんていないよ。いいか、おい、記者会見は質問ばかりではない。▼記者が政府に情報を伝えるという機能もあるんだよ。とにかく、早く官房長官、副長官でもいいから伝えろ!」

▼前の日の3月13日、筆者は原発から3キロメートルのところに到達した広河氏と電話で話していた。

広河氏は、▼子どもたちの遊ぶ病院の敷地内で3つあるガイガーカウンターを稼動させた。▼すべての計器の針は振り切れ、それは20年来チェルノブイリを取材している広河氏にとっても初めての経験となる恐ろしい出来事であることを示していた。

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▼「とにかく、子どもと女性だけでも逃がさなくてはいけない。首長に掛け合っているところですが、なかなか信じてもらえない」

その広河氏の言葉を聞いた私は、官邸への圧力をさらに強める覚悟を決めた。携帯電話のバッテリーはすぐに消耗し、▼自動車の電源系統から直接、充電しつつ、電話を続けるようになった。

また、ちょうど同じころ、▼自由報道協会所属のフリーライター島田健弘氏の知人の自衛隊員が、福島第一原発への最初の突入を試みていた。それは初めての現場の声として、▼筆者らの背筋を凍らせるに十分な情報だった。

「ダメだ。遠くに避難しろ。ここは無理だ」

島田氏は迷いながらもそれを自由報道協会のメーリングリストにアップした。情報源との兼ね合いなどもあるものの、▼人命救助を優先させた末の判断だった。

▼その時期、そうした決断をした人物はほかにもたくさんいる。▼三号炉の緊急冷却装置の設計者でもある上原春夫・元佐賀大学学長もそのうちのひとりだ。

「▼燃料棒が空気に触れている今、メルトダウンは確実に始まっているんだよ。緊急冷却装置を作動させ続けて、時間を稼げば、どうにか対応できるんだよ。▼なんで、動かさないのかな。上杉さん、伝えてくれよ」

上原氏による原子炉のメルトダウンの可能性にかかる重要な情報は、▼翌14日、氏を紹介してくれた原口一博元総務大臣の口から、直接、官邸のオペレーション室に届けられた。

▼その原口氏は今回の震災後、もっとも献身的に行動した政治家のひとりである。仮に原口氏がいなければ、福島の原発はもっと酷いことになっていたに違いない。それは断言できることだが、▼残念ながらその原口氏の評価は低いものとなっている。

▼なぜか。それは記者クラブメディアが自らの「誤報」を隠すために、▼原口氏を悪者に仕立て上げることを続けているからだ。その証拠はたくさんある。だが、そのすべてをいま明かすことはできない。ただ、筆者はその証人でもあり、▼確固たる自信をもって原口氏の涙ぐましい努力の数々を証言することができる。

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▼3.11直後のうんざりするようなあの情報隠蔽の中、原口氏は果敢に官僚機構に挑んだ数少ない政治家だった。

▼だが、当時の官邸は、いや現在もそうだが、完全に機能不全を来たし、▼そうした献身的な人物たちが寄せる情報を吸収する余裕はなかった。▼むしろ、官僚と記者クラブが伝える偽情報ばかりを信じ、▼逆に、現場からの正しい情報を排除するという過ちを繰り返すことになる。

▼それは9ヵ月後のきょう(12月22日)、ようやくメディアが当時の真相を明らかにし始めたことでも、本コラムの読者のみなさんならばすぐに理解できるだろう。

〈▼東京電力福島第一原子力発電所の3号機で、水素爆発を起こす前日の3月13日に、▼現場の運転員が非常用の冷却装置を所長らがいる対策本部に相談せずに停止し、▼原子炉を冷やせない状態が7時間近く続いていたことが、政府の事故調査・検証委員会の調べで分かりました。

福島第一原発では、▼1号機に続いて3号機も原子炉が冷却できなくなってメルトダウンを起こし3月14日に水素爆発しました。政府の事故調査・検証委員会の調べでは、▼この前日の13日未明に、3号機の運転員が原子炉を冷やす「高圧注水系」という非常用の冷却装置のバッテリーが切れることを懸念して、▼消火ポンプによる注水に切り替えようと装置を停止したということです。▼ところが、注水ができるように原子炉の圧力を抜くための弁の操作に必要なバッテリーを用意していなかったため、▼弁は開かず、再び冷却装置を稼働させようとしましたが、▼動かなかったということです。このあと、▼3号機では車のバッテリーを集めて弁を開け、消防ポンプによる注水が行われましたが、▼原子炉の冷却が7時間近くにわたって中断され、その後メルトダウンに至ったということです。

▼装置の停止が対策本部に伝わったのは停止から1時間以上あとだったということで、事故調査・検証委員会は、▼冷却装置を止めるという重要な決定を事前に所長らがいる対策本部に相談しなかったことは問題だったとみています。

福島第一原発では、▼1号機でも、非常用の冷却装置を運転員の判断で停止したのに対策本部に伝わらず、▼所長らは冷却装置が動いていると誤って認識していたことが明らかになっています。こうしたことから事故調査・検証委員会は、安全上重要な情報を現場 と対策本部が共有できなかったことが事故対応の遅れにつながったとみて、今月26日に公表する中間報告で指摘することにしています〉(12月22日NHKニュース)。

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▼こんなことは3月13日、遅くとも15日までにはすべてわかっていたことだ。結局、筆者らがずっと指摘してきたように、▼今回の原発事故は「人災」だったのだ。

▼だが、NHKをはじめとするメディアは当時、そうした可能性を一切報じなかったばかりか、真実を口にする者を次々とメディアの世界から追放しはじめたのである。

▼果たして、戦時中の「大本営」を髣髴とさせるそんなことがこの現代日本に起こるのだろうか。▼いや、実際にそれは起きたのだ。

▼政府と記者クラブは、3.11を境に事実上、自分たちと論を異にする言論人たちを社会から遮断し続けた。それはチュニジア、エジプト、リビアの独裁者たちが行った情報隠蔽とまったく同じ構図である。

いや、わざわざ世界に例を探す必要もないだろう。▼かつて日本においても同じことが行われていたではないか。そう、▼日本のパワーエリートたちは再び70年前のあの愚挙を繰り返しているにすぎないのだ。

まさか、そんなことはなかった、とは言わせない。▼3月、原発事故による瓦礫とともに築かれたメディア「誤報」の山は、いまなお撤去されること無く積み上げられたままである。自らの目で確かめるがよい。

▼その誤報の山はまた、TBSを筆頭に、まともな言論人たちを追放した責めを将来にわたって負うことになるだろう。すべての記者クラブメディアが背負った▼国家と国民への重大な「犯罪」は2011年の歴史に確実に刻まれている。

▼いったい誰が放射能の危険性を最初に追及したのか。いったい誰が東京電力の隠蔽に迫ったのか。▼いったい誰がこれから日本の未来図にとって重要な原発事故の工程表を明らかにさせたのか。

少なくともそれは政府でも、役人でも、東電でも、▼ましてや大手メディアの記者でもない。▼あの三月、自由報道協会を筆頭とするフリーランスのジャーナリストたちがいなかったら、果てして日本はどうなっていたか。それは考えるだに恐ろしい。▼現在の日本社会から事実上、追放された者たちの仕事によって、ほとんどすべてが明らかになったのだ。

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▼仮にあの三月、ジャーナリストの日隅一雄氏がいなかったら、あるいはフリーライターの木野龍逸氏がいなかったらと考えると筆者は暗闇に落ちるような錯覚を覚える。

▼とくに日隅氏は、自らの本業である弁護士業務をすべて中断させ、東京電力本店に通い続けた。あの底冷えする暗いロビーに座り込み、記者クラブの記者たちが独占している椅子の隅で立ち続けていた日隅氏。体調不良を洩らすも、彼の使命感は東電会見から離脱することを許さなかったのだ。

▼その結果、5月、耐えに耐えた末に向かった病院で余命半年の末期がんを宣告されることになる。▼だが、それでも、日隅氏は政府と記者クラブの隠蔽に立ち向かい続けた。

▼週に2回開かれる統合対策本部の記者会見に姿をみせ、弱って痩せ細ったその体から、か弱き声をマイクにぶつけ、文字通り命を賭けた質問を繰り返している。

12月、日隅氏の余命はマイナス一ヵ月になった。それでも彼の姿は東京電力本店に認められていた。咳き込みながらも、いつものように鋭い質問がマイクを通じて繰り出される。だが、いまの日隅氏に残された力はそこまでだ。▼質問を終えると机に突っ伏す。そして肩で息をしながら、その耳で回答を聞くのがやっとのこともあるのだ。

しかし、▼政府・東京電力は、その日隅氏の唯一の心の叫び場である会見を閉鎖することに決めてしまった。なぜ、政府と東電による統合対策室は命の明かりを灯しながら、真実に向かって戦う者を排除するのか。細野豪志原発担当相によると、▼会見の閉鎖というそのアイディアは同業者、つまり、▼筆者たちとおなじ記者からもたらされたものだという。▼記者クラブの記者はそこまで腐りきっているのか。

また、▼福島第一原発の現場にいる2000人を超える作業員たちも同じだ。まさしく日々、命がけで「冷温停止状態」の政府の保証する「安全な」原発の収束作業に当たっている。

3月以降、▼すでに5人以上の作業員が命を落としている中、現場検証もされず、死因特定もされず、親会社の東京電力への捜査も、証拠保全さえもされない中、「安定して安全な原子炉」(政府)の作業に当たらされているのだ。

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▼日本という国家が彼らを救済することは絶対にないだろう。なぜならこの9ヵ月間、どんな死因であろうが、政府と東京電力は一例たりとも放射能の影響による健康被害を認めていないからだ。

▼政府・東京電力は賠償逃れを確定させるため、今日の今日までこの事故が「人災」であるということを伏せ続け、代わりに「津波」や「地震」のせいにし、▼時間稼ぎをしているのである。そして、▼原子力賠償法に基づくそうした賠償逃れの片棒を担いできたのがメディアだ。▼記者クラブという世界でも稀に見る不健全な利権システムを完成させた大手メディアの記者たちだ。▼それはまさしく「大本営発表」以外の何者でもない。

▼あのころ、官邸は何をしていたのか。筆者がかけ続けた電話をすべて拒否したあの100時間、政府と記者クラブは何を諮り、▼実際どのような「犯罪」を繰り返していたのか。

その欺瞞の証拠を少しだけお見せしよう。

〈記者 ▼IAEAへの要請については首相はなんと言っていたのか?

顧問 早期に先遣隊というのは時期的な問題もあるから、▼そういうのは外国の受け入れを含めて細野さんのところだったかな、そこに指示を出すと。

記者 国民が安心していない、ということか?

顧問 ▼説明に対して、やっぱりわかんねえんだよ。やっと専門用語じゃない、平易な言葉で話すようにはなったけれども、やっぱり国際機関の中でこういう処理をしていけば大丈夫だとか、これがものすごく広がることにはならないよ、とか政府や事業者がいったって、なんとなくそうなのかなとは思うわね。

記者 ▼首相はそれについての問題意識は持っていたのか?

顧問 ▼本人は「ぼくはものすごく原子力には強いんだ」と。詳しいんだといっていた。辻元さんが「まいっちゃうよねえ」とかいっていたね。ハハハ。

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記者 ▼危機感がないようだが?

顧問 ▼福島が弾けた後、最大の危機の震災の問題、日本の半分はつぶれるんじゃないかと。このまま、もしチェルノブイリと同じようなことになったらね、という危機感の中で対応した、ということだ。▼技術的な面も含めて、自分は詳しいからものすごい対応をしてきたと。でも、▼ここから先、収まりそうになったので、原発問題については枝野さんと福山さんのかかわりかたを少し軽減させたいと。

記者 ▼軽減させる、というが、それは首相の言葉?

顧問 それは少し、荷を軽くするといったのかな。▼原子力ばかりしゃべっている話じゃないわけだから。

記者 4号機も近付けないようだが。

顧問 ▼炉心に完全防護で入った経験からいうと、10分交代でやる作業になるわけだよ。今もうちょっと短い期間なのかな。一番いいのはわかるところから注入するのがいいんだけど、▼これが接近できないとなるとね。非常にタイトなところを渡っているのは間違いない。

記者 ▼「ぼくは原子炉に強いんだ」の発言はどういう文脈で出たのか?

顧問 ▼電力事業者の危機感が薄いねと。だから最終的に乗り込んでいって、もっと危機感をもって対応してくれないかという話をしたなかで出た。

記者 それは首相が話した?

顧問 そうですよ。自分としては原子力の問題については詳しい。▼まあ、たぶん自分は政府の中で一番知っていると思っているんじゃないかって。

記者 政府で一番知っていると言ったのか?

顧問 ▼あ、それは私の感じだが。

記者 東日本が、というのも首相の発言か?

http://diamond.jp/articles/-/15455?page=9

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2011年12月21日水曜日

民族対立か?低次元の文明衝突?理解不能なベトナム人。

ここ一週間ぐらい、宿の学生家主の態度が妙によそよそしい。私と話す時に目を合わさない。
家にいる時に、昼飯の時間でも一緒に食べようとしない。「今は食べたくない」と言うから、食欲が無いのかな?と思っていたが、そうでは無かった。

今の宿は、ベトナム人は3人いる。一人は学生家主で、あとの二人は親戚のベトナム人が居候している。その二人は私よりも後から来た。

実はと、学生家主が話し出した内容は、その二人の親戚のベトナム人が私に不満を持っているらしい。「何もしない」が理由らしい。

その二人は、一人は男子で18歳、学生家主もその男子に「何もしない」と良く文句を言っていた。少し異常なくらいボーとしている。

もう一人は、24歳くらいの女子で、会社員である。
会社の近くに家を探すまでの短期間居候と聞いていたが…。まだ同居して3週間くらいだが、学生家主よりも年上だからだんだん我が物顔になってきたようだ。ベトナムでは年長者は絶対である。どうも、この24歳の女子が18歳の男子を味方に付けて学生家主に圧力をかけているようだ。

そこで、最近妙に余所余所しい学生家主の告白。
上記の2人が私が何もしないと文句を言っているとのこと。
上記の女子が来てから、夜の食事を自分が作るからと言って皆から食事代を徴収して作り出した。

会社が終わってから買い物をして家に帰るので料理ができるのは夜の8時ごろ遅い。前は6時ごろには食べていた私としては改悪だ。

自分から、作ると言ったはずなのに、仕事で疲れて帰って作るのは大変だ、一方で日本人は何もしないのはおかしいと言い出すのだ。

ベトナム人は家族や親戚は理屈抜きに運命共同体的なところがあることは、この間の3年間のベトナム人学生8人と住んで経験済みだ。

何かあると、ベトナム人は家族や親戚は理屈抜きに一致団結して外的に立ち向かうがごとくに私にも対決姿勢を表す。
今回もそれと同じようなものを感じた。

「なにもしない」と文句を言う意味がもちろん理解できない私は、学生家主に色々と質問するが具体的なものは返ってこない。

思い当たる趣旨は、台所のゴミ出し、皿洗い、家の掃除、トイレ掃除、料理…。

ゴミ出しは18歳の男子の担当のはず?私は数回は行っている。皿洗いは、自分が作ったりした時には自分で行っている。家の掃除は、自分の部屋は自分で行うが、廊下や階段が気になる時には時々している。トイレは数回おこなったが、共同トイレだ。料理は昼は自炊するが、夜は私が作る物はベトナム人の口には合わないから作らない。

だから、私にはベトナム人が言う不満は理解できないと学生家主に言うが、「親戚ですから…」と言うだけ。

「しかし、私は家賃を払っているだろ、あの2人の親戚は家賃を払っているか?」
「いいえ、親戚ですから」
「ええ!そんなバカな!」「私は家賃を払っているということを2人は知っているのか?」
「ええ、知っています」
「いや、そのことの意味を分かっていないだろ」

家賃も払っていない居候の身なら、もっと色んな事をして当たり前、家賃を払ってる私と立場が全く違う事を理解できない、田舎者の言うことなど関わっていられない。

しかし、非文明的人間に文明社会の常識を一夜にして理解せよと言うのは簡単では無いのかも。

二日目に急に、学生家主の母親と親戚の男が一晩やってきて、その2人と学生と話をしていた。母親は二晩泊まって行った。

2人の理不尽な言い分が何故おかしいかを教育してくれていると思うのだが、内容は分からない。

とにかく、今回の出来ごとは私には全く理解できない事である。嫌な気持ちになった。

また一つ、この国が嫌になった。

今回の事が理由ではないが、テト明けにはこの家を出る事は学生家主には既に言ってある。


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2011年12月17日土曜日

政府の「冷温停止状態」会見、作業員「政府ウソばかり」場

転載記事

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作業員「政府ウソばかり」

「冷温停止状態」を通り越し「事故収束」にまで踏み込んだ首相発言に、福島第一原発の現場で働く作業員たちからは、「言っている意味が理解できない」「ろくに建屋にも入れず、どう核燃料を取り出すかも分からないのに」などと、あきれと憤りの入り交じった声が上がった。
作業を終え、首相会見をテレビで見た男性作業員は「俺は日本語の意味がわからなくなったのか。言っていることがわからない。毎日見ている原発の状態からみてあり得ない。これから何十年もかかるのに、何を焦って年内にこだわったのか」とあきれ返った。
汚染水の浄化システムを担当してきた作業員は「本当かよ、と思った。収束のわけがない。今は大量の汚染水を生みだしながら、核燃料を冷やしているから温度が保たれているだけ。安定状態とは程遠い」と話した。
ベテラン作業員も「どう理解していいのか分からない。収束作業はこれから。今も被ばくと闘いながら作業をしている」。
原子炉が冷えたとはいえ、そのシステムは応急処置的なもの。このベテランは「また地震が起きたり、冷やせなくなったら終わり。核燃料が取り出せる状況でもない。大量のゴミはどうするのか。状況を軽く見ているとしか思えない」と憤った。
別の作業員も「政府はウソばっかりだ。誰が核燃料を取り出しに行くのか。被害は甚大なのに、たいしたことないように言って。本当の状況をなぜ言わないのか」と話した。

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2011年12月15日木曜日

心が和む日だった!捨てる神あれば拾う神あり。

今日は久しぶりに一定数の日本語学習者を相手に日本語を教えることができた。その、感想は「私はやはり日本語教師の仕事は好きだ!」

3年働いた大学を辞めてから半年が経過していた。
他の大学で働く予定で辞めたのだが、次の仕事は結論から言うとご破算になった。ベトナム人教師を信じてたのに…。

ホーチミン市からは遠い田舎町なので、宿も引っ越した。
しかし、その引っ越しも今では無駄になってしまった。
時々にホーチミン市へ行く時、遠いは!が感想だ。

でも、今日はある日本人の方に日本語教師の仕事を紹介していただいた。
久しぶりの朝の授業、会場へ向かうバイクに乗った私の心は爽やかだった。やはり、朝の授業は気持ちが良い。

事前打ち合わせ無しだったので、いきなりの授業だったが、そんなことは問題無し。
若い学習者の輝く目を久しぶりに見ることができて感無量。

紹介いただいた方に感謝です。
「捨てる神あれば拾う神あり」が今日の実感です。



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2011年12月12日月曜日

ニューヨークタイムズ記事、除染計画に疑問を呈す/転載

=====以下、全文転載(英文は省略しています)=====
Friday, December 09, 2011
ニューヨークタイムズ記事、除染計画に疑問を呈す New York
Times Article Poses Questions Over Japan's
Decontamination Plans

12月7日のニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・フラッカー氏による記事「日本は大規模な除染計画への希望(見通し)について二分されている」は注目に値する。除染事業を、日本最大の「ホワイト・エレファント」公共事業になる可能性があると言っている。共同通信はこのように報道した。
2012年12月7日 共同通信

米紙、除染への悲観論紹介 「最大の浪費事業になるかも」
http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011120701001683.html

【ニューヨーク共同】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は6日、東京電力福島第1原発事故後取り組まれている除染とそれに対する日本での論議を紹介し、「日本再生を示す」との積極論の一方で「最大の浪費事業になるかもしれない」との悲観論もあることを指摘した。

同紙は除染を「巨大な規模」とし、専門家は「数千の建物を洗浄し、コネティカット州並みの広さの地域で多くの表土を交換して初めて住民は戻れる」とみていると説明した。

さらに児玉龍彦東大教授の見方を紹介。除染自体は支持するものの、避難している人は除染が生きているうちには終わらないということを受け入れなければならないとしている。
「ホワイト・エレファント」は文字通りだと「白い象」であるが、この記事では「浪費事業」と訳している。基地や原発を受け入れている自治体が交付金で作る、小さな町にはそぐわないような立派な施設の数々、いわゆる「ハコモノ」を指していうときも多い。「無用の長物」とも訳せる。しかし除染は「無用の長物」どころか、大量の放射性廃棄物という「有害の長物」を生む。除染自体に効果があればいいが、それが疑わしいというのがこの記事の論点である。

NYT記事は、双葉町のゴーストタウンぶりを記述した後、このように綴る。

双葉町から避難した人たちは、福島第一から半径12マイル(20キロ)ともう一つの北西部の地域(飯館村等計画的避難区域のこと)から避難した90,000人に含まれる。

現在日本は、この人たちが帰還できるように、前例のない除染計画を立てている最中である。

試験的な除染が成功した場合避難地域に人を戻すか否かは、未来の日本をどうするのか、というより大きな議論を象徴する論争となっている。除染を支持する人たちにとって、この地域は、日本の大いなる決意と卓越した技術力をショーケースするため―日本がまだ大国なのだということを証明するため―の機会なのだ。その人たちにとって除染は日本の復興のシンボルなのだ。

しかし除染に批判的な人たちは、これが日本の最大の「ホワイト・エレファント」(無用の長物)公共事業になり得ると反論する。日本が震災後、過去20年間経済成長を阻んだ浪費的な方法に舞い戻る例になると。

今のところ政府は原発事故発生以来のパターン通りに動いてる―危険を軽視し、事故の規模を過小化して見せるのに懸命になっている。すでに試験的な除染は立ち往生している。除染後の汚染土の引き受けを地元が渋ることを政府は予想できなかった。

近くの町で大規模な除染に関わった放射線の専門家は、除染後も、長期的に住むための国際基準以下に抑えることはできなかったと言う。

この人は除染・帰還を支持しているが、政府が事態の深刻さを国民に率直に伝えていないと指摘する。

その人とは東大アイソトープセンター所長の児玉龍彦であり、「福島を救うことは可能と信じているが、避難した人たちの多くは、自分たちの生きている間にはそれは起きない(帰れない)ということを受け入れなければいけません」と言っている。

何千、何万もの建造物に付着している放射性物質を除去して、コネチカット州に相当する土壌を入れ替えなければいけないと専門家が指摘していることから、日本がどれだけの規模の除染を行おうとしているかの想像がつくだろう。

森林の除染も必要となると、完全な伐採(クリアカッティング)、文字通り森林自体をぜんぶ削り取らなければいけなくなる。

福島第一の事故より大規模であった唯一の事故、チェルノブイリのときはそこまではやらなかった。30万人の住民を避難させ、広大な農地を放棄した。

日本の政府関係者の多くは、日本にはそのような余裕はないと信じている。避難地域は、人口の多い日本の面積の3%以上を占めている。

避難地域の一つ、大熊町の渡辺利綱町長は、「我々はチェルノブイリとは違う」と言う。「我々は戻ると決意している。日本にはそれができる意思と技術がある」と。

先祖代々19世代大熊町に住んできた渡辺氏の地元への愛着は、日本の地方の人々の思いを反映している。地元の人の故郷への戻りたいという思いは日本中に大きな同情を呼び、その願いに逆らうことを困難にしている。

しかし、避難した人たちからも、また、巨額な費用のかかる除染事業が本当に人々を放射線から守るのかという保証もないのに行うのは犠牲が大きすぎるのではないかという人たちの中からも、反対の声が次第に出てきている。

地元自治体や、専門家たちが、事故を起こした原発付近にまた安全に住めるようになるなどと慰めの表明をしているが、それらは希望的観測以上のものではないように聞こえる。

低線量の被ばくの場合、どの程度の被ばくで、早死にしてしまう可能性が出てくるのかは誰もわかっていない。ということは、汚染地に住む日本人は将来的な調査の対象となっていく可能性が高い―広島と長崎の原爆以来、70年ぶりに日本人が再び放射線被ばくのテストケースとなってしまうのだ。

日本政府は、避難指定地域の除染にのみ責任を持つと言っている。それ以外の地域では、自治体が除染をすでに始めている。

20キロ圏内では環境省は2年以内に放射線のレベルを半分にまで下げると約束しているが、半減期の短い同位体があるのでそれは比較的容易な目標である。問題は、ICRPが指定する、年間の人工的放射線被ばく基準とされる1ミリシーベルトに下げるまでどれぐらいかかるかということである。放射線を何十年にも渡って発し続ける、セシウム137(半減期30年)の除去のことを考えるともっともっと困難な目標となる。

フットボール・ドーム33個分の汚染土を受け入れる場所がないため試験的な除染にも何か月もの遅れが生じている。

神戸大学の放射線専門家である山内知也は福島市での除染実験を行ったところ、丁寧な除染作業をした後も、家屋内の放射線量は25%しか減らないという結果だった。これは、福島市内に、被曝許容量の4倍もの線量の地域がそのままになっているということを意味する。

「この試みは今のところ失敗だ、と結論づけるしかありません」と山内は言う。

除染の限界については、原発から15マイル(20キロほど)にある南相馬市の例を見るのがいいだろう。

南相馬市は7万人の人口のうち3万人が避難しており、その人たちを呼びもどすために学校、公園、スポーツ施設などの除染をしてきた。先日、ある高校のサッカー場、野球場にブルドーザーとダンプカーが入り、サッカー場の片隅の穴にはぎ取った表土が埋められた。現場を監督していたサクラ・マサヒロは、この作業で線量はかなり減ったが、市内の多くの場所はまだ、最低2年間は除染が行きとどかないであろうという見通しに不安を抱く。

彼が3人の娘を外出させるのは、学校に行くときと、表土を取り替えた公園で遊ばせるときのみである。「こんな生活は現実的であるのか」、と問う。

20キロ圏内では除染の困難は更に大きいものとなる。場所によっては、避難基準(年20ミリシーベルト)の25倍を」超える、510ミリシーベルトのところもある。

除染・帰還計画は避難した人たちの間に亀裂を生んでいる。大熊町から避難している1万1千5百人の人たちは、多くが60マイル(100キロ)ほど内陸に入った仮設住宅に暮らすが、この件について分断された状態だ。

渡辺町長は、大熊町西部の比較的汚染が少ない農地に新しい町を3年から5年以内に創ることによって町に帰還する計画を立てるよう指示している。

渡辺氏は最近の町長選で当選しているが、対立候補は、日本の別の土地に町を移動させるという計画で、小さい子を持つ住民たちからかなりの支持を集めた。支持者の一人、イケダ・ミツエは、8歳の息子がセシウム内部被曝していることを知り、町には戻らないと言う。

「危険すぎる。どうやって常にマスクをしながら生きろというのか」とイケダは言う。

他の多くの避難者のように、イケダも、政府は補償を払うのを避けるために除染にこだわっているのだと政府を非難している。

逆に、より高齢の住民たちは、家に戻してほしいと言う。

福島第一原発に修理工として40年間働いたツカモト・エイイチは、「放射線より喫煙の方がずっと危険だ」と言う。「大熊町は、原発事故後の復興の世界のモデルになれる。」

しかし政府の除染事業を支持する児玉龍彦でさえ、若い人たちが戻らなければ、そのような勝利は浅薄で一時的なものとしか言えないと言う。政府がまず、何か月もの責任回避により失った信頼を取り戻すことによってコミュニティの再建を始めなければいけないと言う。

「福島を救うにはお金と努力だけでなく、信じること(faith)が必要だ。年のいった人たちだけが戻るのでは意味がない」と児玉は言った。

Faith という言葉は、宗教的な「信仰」という意味や、誰かを信じるという意味で使われる言葉である。同じ「信じる」でも、trust や believe よりも、観念
的な意味合いが強い。児玉氏がNYT紙のインタビューに英語で答えたのか日本語で答えたのか知らないが、科学者が faith という言葉を使ったのだ
としたら、それは彼自身が除染計画の効果に確信を持てていないということであり、「福島の除染の計画は、信じてやっていくしかないのだ」と言ったという様なニュアンスに聞こえる。

放射線被曝による健康被害のリスクと、巨額の費用が概ね無駄になるリスクをおかしてまで、「信じて」やっていくしかないような除染計画を行う意味があるのか。除染作業自体も、高汚染地域の除染に動員される自衛隊員、民間除染作業員、市民ボランティアの除染などで女性や若い人たちが無用の被ばくをすることになるのが心配である。除染で被ばくし、除染後も被ばくし、大量の除染土が盛られ、汚染が減っていない場所にたくさんの人が返され被ばくをさせられ、帰りたくない人は補償を切られ、見捨てられていくのは到底許せることではない。

ここまでの除染の費用と意思があったら、避難指定を受けていない、比較的汚染の高い福島市、郡山市などの子ども抱える人たちや若い人たちに避難の権利を与えてほしい。また、現在人のいない地域より人の住んでいる地域を優先してほしい。

米国きっての大手メディアがここまで日本の除染への疑問について踏み込んだ記事を書いている 。日本のメディアも、政府の除染計画や帰
還計画を発表するだけでなく、もっと議論してほしい。

@PeacePhilosophy

元の記事は下記を参照。
Japan Split on Hope for Vast Radiation Cleanup

(以上、日本語文のみ転載)


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2011年12月11日日曜日

涼しくなったな!?サイゴン

今、1区のビンタン区寄りのとあるカフェで居る。
半年前までは良く通った店だが、9区に引っ越してから久しぶりに訪れた。

2階の席で、いつもはエアコンが効いているので窓が閉めてあるが、今日は空いている。
最初、暑いのでは?と思ったが外気は以外にも涼しい。

もう12月だ、サイゴンもようやく涼しくなった。
今日の空は真っ青で気持ち良い。

昨日会ったベトナム人はいつもの口癖か、ベトナムは年中暑いです。雨が降るか、降らないかだけです。と言っていた。
その雨は、まだ時々降る。今が乾季なのかどうかはっきりしないこの頃だ。

2011年12月8日木曜日

『堕国論 』/転載記事

<以下転送・拡散歓迎>
***************************************************
■『堕国論 』週刊・上杉隆 =ダイヤモンドオンライン=下記ご紹介です。
http://diamond.jp/articles/-/15248

---「粉ミルクからセシウム」またも最初の報告は市民団体から----
----明治乳業に罪はない「犯罪者」は政府やマスメディアだ------
*******************************************************************
こんなに国民をばかにした政府。
この日本国の政府を選んだのも、民主党に期待し投票した選挙民の責任と言えるのでしょうか?

菅前政権・野田現政権の両方共の真の姿とは、、、、→ベールをはがすとアメリカ・財界傀儡政権と言えるでしょう。
国民との約束を平気で蹴散らし、選挙公約である、マニフェスト違反の、とんでもない化け物。
日本は民主主義国家などとは、「安全神話」と同じです。
政府・マスメデイアによる、国民の洗脳による幻想でしかありえません。
財界後ろ盾のフランケンシュタインに私は見えています。

<貼り付け開始>
******************************************************************
http://diamond.jp/articles/-/15248

2011年12月8日
上杉 隆 [ジャーナリスト]
【第203回】 2011年12月8日

『堕国論 』
「粉ミルクからセシウム」
またも最初の報告は市民団体から
「子どもと女性を守ろうとしない国家(政府)は必ず滅びる」

明治の粉ミルクからセシウムが検出されたという共同通信発のニュースは、強烈な無力感を筆者にもたらした。

本コラムの読者ならばすぐに察しがつくだろうが、相も変わらずこのニュースも、最初に調査したのは政府やマスメディアではなく、市民団体(NPO法人・チーム二本松「市民放射線測定室」)である。

〈速報 【粉ミルク(明治ステップ)からセシウム検出】2011/12/06

明治乳業(株)が製造の粉ミルク『明治ステップ』からセシウムが検出されていることを、明治乳業(株)側が認め、40万缶が無償交換されることになりました。
http://www.47news.jp/news/flashnews/

当測定室での測定結果を基に、共同通信社の記者さんが動いて下さいました。〉
http://team-nihonmatsu.r-cms.biz/topics_detail1/id=43

それにしても、いったいこれで何度目だろう。そう思い、ラジオ出演中の筆者は、思わず冒頭の言葉をラジオ(『吉田照美のソコダイジナトコ』(文化放送))でつぶやいていたのだった。

4月4日の放射線汚染水の海洋リーク、レベル7への引き上げ、メルトダウンの追認、作業員の被爆、海産物への放射能汚染――。

だが、3・11以降、数あるこうした政府・東電・マスメディアの情報隠蔽の嵐の中、ずっと取材をしてきた筆者自身、もっとも堪えたのは次の3つだった。

「4月の茨城、千葉の母親の母乳から放射性セシウムを検出」、「6月の450人の児童の尿から放射性セシウムを検出」、そして、今回の「粉ミルクからの放射性セシウム検出」である。

まず「子どもと妊婦を守る」
最低限のモラルすら守ろうとしなかった国
放射能に対して、相対的に耐性の弱い子どもや妊婦などに対しては、震災発生直後から、世界中の政府・国際機関などが優先的避難を日本政府に対して訴えてきた。

実際に、米国やフランスをはじめとする各国は、3月18日までには子どもと女性を、政府の用意したチャーター機で国外退避させるなどしている。

また、同時期、日本国内でも、チェルノブイリ子ども基金の創設者でもある広河隆一氏などが声を上げ続け、福島県の各自治体に対して、子どもと妊婦の一時退避を直接、呼びかけ回っていた。

さらに同じ3月、予想される内部被爆の危険を避けるため、グリーンピースなど各国NGOのスタッフなどがやはり現地入りし、食品の安全摂取と検査の必要性を説いて回っていた。

同じくWHOも、福島県内の子どもと妊婦への取り計らいを日本政府に求めていたのも3月のこの時期である。

なにより、こうした有事の場合、子どもと女性を守ることこそが、政府や各自治体の行うべき最優先事項であるのは自明の理だろう。

古今東西、長い人類の歴史の中で、数多くの戦争や天災、大事故などが発生している。

近代以降、有事の際には自国の子どもを守り、女性を救うということが、国家の存亡につながっている最重要事項になっている。

とりわけ、現代においては、社会的弱者である子どもと妊婦は特別に扱われるべきという概念が広がり、世界共通の認識にさえなっている。

だからこそ、私たちはいま、たとえば世界各地で頻発している紛争において、子どもたちが死ねば大きなニュースになり、また地震などの天災発生時には、妊婦などの救出が優先されることに少しの違和感をも持たないのであろう。

だが、そうした時代の中、「子どもと妊婦を守る」という最低限のモラルですら守ろうとしなかった国がある。私たちの国・日本である。日本の社会は本当にその大事なことを忘れてしまったのだろうか。

党内からの子どもと女性優先避難の
提言を無視し続けた民主党政権
「被災地支援を続けている私達にも世界各国から暖かな救援物資などの援助が届きました。本当に感謝でいっぱいです。

『液体ミルクを送ったので被災者の皆さんに届けてほしい』2億円分もの液体ミルクがヨーロッパの友人から届きました。

あくまでも寄付は匿名にしてほしいということで名前を明かすことはできませんが、この方は民族浄化から自らの命をかけて第二次世界大戦中に迫害されている人々を救った方の孫にあたる方です」(原口一博オフィシャルブログ)

原口一博衆議院議員は、初期の段階から子どもと女性の避難を呼びかけ続けてきた数少ない民主党幹部のひとりだ。

3月、官邸に乗り込み、菅直人首相(当時)や枝野幸男官房長官(当時)に子どもと女性の優先避難をも直談判している。

だが、政府は、原口氏の提言を無視し続けている。そればかりか、細野豪志原発担当相は、避難解除宣言とともに、子どもと女性までも、例外なく南相馬などの解除域内に戻してしまう始末である。

世界の対応と間逆のことを続けている、これが現在の日本社会の現状なのである。

なぜチェルノブイリの教訓生かし
“未来の日本人”を救おうとしないのか
実際、子どものセシウム摂取を防げれば、後の健康被害も軽減できるという教訓は、チェルノブイリ事故を取材してきた広河隆一氏も繰り返し述べている。

たとえば、当時、ポーランドでは母乳からの粉ミルクに切り替えたため、小児甲状腺癌の発症率が下がったという報告もある。

なにより、放射能国家日本を救うのは、未来の日本人、つまりいまの若者たちだ。とりわけ、その主役になりうるのが現在の乳幼児やこれから生まれてくる赤ちゃんたちだ。

その赤ちゃんの「主食」であるミルクの汚染に関して、当初から多くの人が万全の注意を払うべきだ、といい続けてきたのは当然のことだろう。

だが、日本政府はそれをできなかった。今回の粉ミルクからのセシウム検出は、残念だったという言葉では片付けられない。

にもかかわらず、政府や大手メディアは、次のような報道を続け、相変わらずの「安全デマ」を撒き散らしている。

〈粉ミルクから1キログラム当たり最大で30.8ベクレルの放射性セシウムが検出されたことについて、食品の安全に詳しい国立医薬品食品衛生研究所の松田りえ子食品部長は「今回検出された値は国の暫定基準値を下回っているうえ、粉ミルクは7倍くらいに薄めて飲むので、赤ちゃんの健康への影響を心配する必要はないと思う。ただ、メーカー側が公表したように、大気中の放射性セシウムが入り込んだのだとすると、空気中の微粒子が製造過程で混入したことを意味している。放射性物質については想定外だったとしても、外部から空気を取り入れる吸気口に微粒子の侵入を防ぐ目の細かいフィルターを設置するなど、管理態勢をもう少し厳しくしておくべきだったのではないか」と話しています〉(NHKニュース)。

国の暫定基準値は震災以降、ご都合主義で引き上げたものだ。さらに内部被爆による幼児などへの健康被害はわかっていないことが多い。それをなぜ、「心配する必要はない」と言い切るのか。報道の公平性の観点からいえば、危険だという反対意見を述べる専門家も出演させるべきである。

3・11以降、そうした当然のことをしなかったために、日本は世界からの信頼をも失っていったのだ。

明治乳業に罪はない
「犯罪者」は政府やマスメディアだ
〈【北京時事】中国国家品質監督検査検疫総局は7日、日本産の粉ミルクについて、昨年4月に日本で発生した口蹄(こうてい)疫や今年の東京電力福島第1原発事故の影響を受けて導入されている輸入禁止措置を現在も継続していることを改めて明らかにした。

明治の粉ミルク「明治ステップ」の一部から放射性セシウムが検出されたことは、7日付の中国各紙も報道。同総局は、オーストラリアで製造され正規輸入された明治の粉ミルクについては、検疫当局の検査に合格し、「豪州産」と表示しなければならないと指摘。正規販売されている豪州産製品には問題ないとの認識を示した。(2011/12/07-14:41)〉(時事通信)

明治に罪はない。「犯罪者」は、一方的な「安心デマ」を広めて、結果として、日本という国家の信頼までをも貶めてしまった政府やマスメディアの方である。

あの3月、川内博史衆議院議員らが繰り返し訴えていたのは、SPEEDIの公開だった。

仮に、公開によって、放射線の飛散状況などを知ることができていれば、個人も企業も各々が判断を下して各々の対応ができたはずだ。明治であるならば、その数日間だけ操業を停止して、今回の悲劇を回避できたかもしれない。

政府・東電・マスメディアという「原子力帝国」が、そうした情報公開に積極的でなかったのは、国家や国民のことは、自らの利益や立場に比して二の次だと考えているということの証明となろう。

中でも、子どもと女性を守ろうという成熟した民主国家であるならば、誰もが考えうる大前提を忘れてしまっていたのは残念極まりない。

▼繰り返し言おう。子どもと女性を守れない社会は必ず滅ぶ。日本政府と東電、そしてその「犯罪」に加担した日本のマスメディアはいま、世界から冷たい目で見られている。



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2011年12月7日水曜日

卒業おめでとう/ベトナムの大学の卒業式

先日、大学の卒業式に出席した。
大学で3年間教えて来たが、卒業式出たのは初めてだ。それもそうだ、日本語学科の初めての卒業式なのだ。

式は冒頭で国歌斉唱で始まり、大学の代表の祝辞があり学生代表の答辞があり、その後卒業生一人一人に証書が手渡される。
約2時間の式でした。式が終わると皆が記念写真を撮ったり、花をプレゼントしたりで会場はてんやわんやの大騒ぎ。

私も30数名の卒業生に花を1本手渡す予定だったが、全員は無理でした。

でも、卒業式に出席して良かった。感動しました。卒業生の笑顔が素晴らしかった。

しかしながら、今回の卒業生は100名以上の中から30数名だけの卒業です。少な過ぎますね。これについては前にも書きましたが、未だに大学側の方針が理解できない。

もっと多くの卒業生を送り出しても良かったと思った次第です。


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2011年12月5日月曜日

ベトナム人で人相が悪いのは根性が悪い!と思っていい。

家探しの一件で、家主と長時間交渉して話がまとまりそうになった頃に、突然に交渉の場に人相の悪い顔からして薄汚れた風の男が乗り込んで来て喋り出した。

最初、どこの誰かが分からなくて家主の親戚か?と思ったりしていたが、あとで家探しの時の紹介人の連中の一人だと分かった。

家探しをするときに、最初頼んだ一人のベトナム人のオバさんが最後は6人くらいのベトナム人がウロウロと寄って来ていた。連中の顔は胡散臭い腹に一物ありそうな顔つきのベトナム人ばかりだった。金の匂いがするから寄って来た連中だ。

その男が呼びもしないのにやって来て、家主との話でまとまりかけていたのに、家賃を1ヶ月分多く払うような条件を言い出した。当然、こちらは頭に来た。家主も、また欲が出て来て話を元に戻す。

その男は、勝手に言うだけ言うと帰って行った。

結局、家主との交渉はまとまらず、元に戻ってしまった。もっといい条件があればそちらに貸したいと言い出した。

はい、ではさようならと帰って来た。

と言う訳で、今回のお邪魔虫のベトナム人男性の顔は人相が悪くて不健康そうな顔の野郎だった。
前から思っていたが、ベトナム人はある意味正直で思ったり考えたりしていることが表情に出るのですね。これはベトナムに5年住んでみての経験則です。

だから、人相の悪い奴とは付き合わない方が良い。



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2011年12月1日木曜日

間違いましたで済むか!学生通訳の間違い。

家探しをするのに、ホーチミン市では物件を紹介してくれる人が居るとの学生の紹介で頼むと、早速何件か案内してくれた。その物件を見学する途中のバイク上の会話。

学生:紹介料は、契約したら家賃の1%です。いいですか。

私:1%!?

学生:契約できなかったら、少しお礼を出します。

私:幾ら?

学生:20万ドンぐらい。

私:……………。??
(10チユの1%は10万ドン?)

ーーーーーーーーーーーー
後で電話の会話場面

私:ところで、紹介料は1%だよね。

学生:はい。そうです。1%です。

私:あ、そう。じゃ、例えば、14チユの1%は14万ドンだけど、14万ドンでいいのだね。

学生:エエエ!14万ドン!?
1チユ40万ドンです。

私:何を言っている。それは10%だろ!

学生:間違いです。

私:(バカモン)通訳するのに、数字や金額を間違うな!!!間違いでしたで済むか!

学生:…………… 。

私:(ぷっつん)(電話を切る音)

……………………………
後で、メッセージが入る。

学生:間違ってごめんなさい。紹介者に確認しましたが、紹介料は10%です。でも、相談で交渉はできます。

私:(性格は良いのだが、通訳の能力としてはちょっとね…。)

………………………………………
こんな簡単な事でも、通訳の間違いで問題は生じる。通訳者の経験や能力の差もあるが、何事にも大雑把なベトナム人のばあいは特に金額や数字の確認はダメ押しを何度もすることが大切と痛感した出来事でした。

2011年11月30日水曜日

おいおい!あんたはどっちの身方なんや?!/ベトナム学生の通訳としての言動に文句あり!

最近感じた出来事ですが、例えば家を借りる交渉をベトナム人家主とするとします。

通訳として、私は約3年ほど共同生活をしたベトナム人学生を連れて行きます。

物件を見て、条件などを聞いたりしていると、気付いたことがあります。

私がいろいろと質問したり、条件を出したりしていると、学生はいつの間にか、家主側に立っての発言を私にしてくるんですな。

「そんなことはオカシイです。ベトナムでは無理です。」などと、私が条件を出すと、家主に聞きもしないで言ってくる。

私はつい、ムカッとして「君に聞いているのでは無い!家主に聞いてくれ。君は通訳なんだから、自分の考えなど言わなくてもいい。」と言うのである。

交渉事なんだから、まずはこちらの条件を家主にぶつければいいのである。そのことが分かっていないというか、そういうときには、何故か、通訳の学生は同じベトナム人としての固定観念的な常識論を言うのである。

このことは、過去にも経験している。
どうも、根底には日本人である私に「外国人だから」という観念が学生にも働いているような気がするのである。

同じ屋根の下で同じ飯を食って来た日本人(外国人)の私にでもこうである。
一抹の寂しさを感じる。

通訳としての未熟さもあるのだろうが、「家主はこう言っていますが、どうしますか?」と言わずに「○○ですが、どうしますか?」と、家主が言う言葉をそのまま言ってくると、「私はあんたと交渉しているのではない」と言いたくなる。

その大学生も、大学で通訳の仕事の勉強もしたはずなのだが、そんな基本的な勉強は教えなかったのかな?それとも、学生が忘れたのか理解できなかったか?

ま、昔学生から聞いた話では、通訳の学習で通訳経験者の講義を受けたときに、日本人が言っていることが分からないときには笑ってごまかすというようないい加減なことを聴いたと言っていたのを思い出した。

ベトナムでビジネスをしている日本人の皆さんは通訳ではご苦労をされているのだろうと想像するこの頃です。


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おいおい!あんたはどっちの身方なんや?!/ベトナム学生の通訳としての言動に文句あり!

最近感じた出来事ですが、例えば家を借りる交渉をベトナム人家主とするとします。

通訳として、私は約3年ほど共同生活をしたベトナム人学生を連れて行きます。

物件を見て、条件などを聞いたりしていると、気付いたことがあります。

私がいろいろと質問したり、条件を出したりしていると、学生はいつの間にか、家主側に立っての発言を私にしてくるんですな。

「そんなことはオカシイです。ベトナムでは無理です。」などと、私が条件を出すと、家主に聞きもしないで言ってくる。

私はつい、ムカッとして「君に聞いているのでは無い!家主に聞いてくれ。君は通訳なんだから、自分の考えなど言わなくてもいい。」と言うのである。

交渉事なんだから、まずはこちらの条件を家主にぶつければいいのである。そのことが分かっていないというか、そういうときには、何故か、通訳の学生は同じベトナム人としての固定観念的な常識論を言うのである。

このことは、過去にも経験している。
どうも、根底には日本人である私に「外国人だから」という観念が学生にも働いているような気がするのである。

同じ屋根の下で同じ飯を食って来た日本人(外国人)の私にでもこうである。
一抹の寂しさを感じる。

通訳としての未熟さもあるのだろうが、「家主はこう言っていますが、どうしますか?」と言わずに「○○ですが、どうしますか?」と、家主が言う言葉をそのまま言ってくると、「私はあんたと交渉しているのではない」と言いたくなる。

その大学生も、大学で通訳の仕事の勉強もしたはずなのだが、そんな基本的な勉強は教えなかったのかな?それとも、学生が忘れたのか理解できなかったか?

ま、昔学生から聞いた話では、通訳の学習で通訳経験者の講義を受けたときに、日本人が言っていることが分からないときには笑ってごまかすというようないい加減なことを聴いたと言っていたのを思い出した。

ベトナムでビジネスをしている日本人の皆さんは通訳ではご苦労をされているのだろうと想像するこの頃です。


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『美味しんぼ』が反原発で政府の監視の対象に!作者は激怒

ネタ元は東京新聞らしいですが、下記ブログに政府が反原発の情報発信をチェックしていて漫画『美味しんぼ』がその対象になってるとの記事です。

http://www.tanteifile.com/watch/2011/11/23_01/index.html

嘘で固めた原発安全神話がバレルのが怖いのか、原発利権を守るのに必死なのか、政府が言論の自由を無視しての行動。憲法違反ではないのか?と思うのですが。

そういえば、福島原発事故は日本国憲法の生存権に抵触するのではないでしょうか。本来なら憲法違反で東電を監視して逮捕しないといけないのではなでしょうか。

残念ながら、今の日本政府ではそんな原則的なことなど馬耳東風という感じですな。情けない。


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2011年11月24日木曜日

ブータンへ行って見たくなった。

ブータンのワンチュク国王夫妻が来日して爽やかなブータン旋風を巻き起こして帰国した。いっぺんに私はブータンのファンになった。一度ブータンへ行って見たいと思ったのは私だけではないだろう。そして、下記の毎日新聞の社説にあるように、経済的には貧しいのに圧倒的な国民が幸せだと思っている現実。このベトナムに住んでいても、社説と同じように幸せとは何かを考えさせられる。日本のような人間を幸せにしない経済発展を、改めて考えてみよう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー転載記事


社説:ブータン国王 問いかけられた幸せ

 さわやかな風が吹き抜けたような6日間だった。国賓として来日したブータンのワンチュク国王(31)とジェツン・ペマ王妃(21)が20日に帰国した。東日本大震災の被災地を訪れて鎮魂の祈りをささげ、各地の人々と交流した。

 いつも微笑を絶やさない夫妻の姿は鮮やかな印象を残した。各メディアは大きく取り上げ、久々の心温まるニュースに沸いた。国民のブータンへの関心も一挙に深まった。

 ブータンはヒマラヤ山脈に接し、中国とインドにはさまれた小国だ。九州と同じぐらいの面積で人口は約70万人。前国王の下で、近代化と民主化に取り組み、立憲君主制を基本にした国家建設を進めている。

 特筆すべきは前国王が提唱した国民総幸福量(GNH)という概念だろう。国民総生産(GNP)に対置されるもので、経済成長を過度に重視せず、伝統や自然に配慮し、健康や教育、文化の多様性、生活の水準やバランスを追求する考え方だ。ブータンの8割の人たちが信仰している仏教的な価値観が背景にある。

 現国王は06年に即位した。今年10月に結婚式を挙げたばかりの夫妻のしぐさや言葉からも、そんな国の理念が感じられた。死者への敬意、伝統文化の尊重、子供たちへの真剣な接し方、いつも相手の目を見て話す姿勢、少し高い位置で合わされる両手。一つ一つに、夫妻の心がにじむようだった。

 夫妻が自らの思いを伝える力も確かなものに感じた。二人とも英国などへの留学体験があるためか、文化的背景が異なる相手に対して、どう接すれば気持ちが伝わるのかをよく知っているように見受けられた。

 国会では「われわれブータン人は共にある」と連帯を訴え、被災地の福島県相馬市の市立桜丘小学校では、経験を積み重ねて強くなっていくことの大切さを語りかけた。相手に寄り添いながら、思いをきちんと届かせる態度が共感を呼んだ。

 日本とブータンは今年、外交樹立25周年になる。しかし、それ以前から国際交流が進められてきた。農業指導に尽力し、ブータンの最高称号を授与された故西岡京治さんはその代表だろう。

 一方、ブータンは国際会議で日本を支持する貴重な親日国だ。大震災では3月12日に国王主催の追悼式をし、同18日には義援金100万米ドルが寄付された。

 外務省によると、ブータンの1人当たりの国民総所得は2000ドル(約15万4000円)足らず。しかし、05年の国勢調査では国民の97%が「幸せ」と回答した。経済成長を経た私たちに必要なものは何なのか。夫妻から、幸福とは何かと問いかけられた。

2011年11月22日火曜日

2区から1区へのトゥーティエムトンネルをバイクで走って来ました。

昨日にトゥーティエムトンネルが11月20日に正式開通するニュースを思い出して、9区から2区を通りいつもなら2区から橋を渡りビンタン区に出て1区ヘ向かうところをもしかして予定通りトンネルが通れるかも知れないと思い向かいました。

しかし、そのトンネルがどこにあるのか分かっていないのでとりあえず渡し船の入り口へ行くと、当然違うと言われて、説明の通りにバイクで走ります。この時は、先のパスポート紛失騒動の時でパソコン店へ探しに行く時でした。家主学生も親切に同行してくれていた。トンネルを初通行が20歳の女子学生と一緒とは嬉しい記念だななどとつぶやきながらバイクでトンネルに向かいます。

行って見ればそうかと分かったのですが、サイゴン川直ぐ側にトンネルの入口はある訳がなく、川底に向かって緩やかに勾配を保つのですから一定の距離が必要なんですね。ですからトンネルの入口は川からは少し離れていました。

朝9時前でしたが、トンネルの入口はバイクの走行帯は結構混んでいました。車の走行帯はガラガラです。
トンネルの入り口を少し入った所でサンダルが一つ転がっていて、黒っぽい汚れが真新しい通行帯の上に付いていました。
後で考えるにバイクの事故で血だったのではと思いました。開通したばかりで縁起が悪いですね。

バイクの走行帯は幅が3メートルぐらいで狭く感じました。これからはバイクの走行は増えると思われるのに、あの幅だと渋滞するだろうと思われます。
一方で車の走行帯はガラガラ。ま、将来は増えるでしょうが。

そのトゥーティエムトンネルは日本のODAが使われたんですね。中国のような手抜き工事が行われていないことを祈ります。
いやいや正直人間の国ベトナムではそんな事はありませんと反論があることを願っています。

と言うわけで、トゥーティエムトンネルが11月20日に正式開通しての初体験でした。

2011年11月21日月曜日

パスポートが無い!大変だ。

日曜日の朝、パスポートが無い事に気づいた。
ホーチミン市に出かける前で時間が無いので、部屋の中を探すのは途中で外出した。

頭の中は、パスポートの事で一杯。
何処に忘れたのか?落としたのか?盗まれたのか?などと頭の中は走馬灯のごとく回り出す。
一日中、気が気ではない。

一週間前に、家庭教師で教えている家に忘れたのではないか?と友人に確認の電話を入れて返事を待つ。
そのベトナム人の友人の、最近の行動を思い出して何処へ行ったのかなど思い出して、の冷静なアドバイスに従いメモをチエックする。

パスポートを紛失したらどうなる?
再発行はできるはずだが、当然費用は掛かる。それよりも、VISAは発行したばかりだし紛失のパスポートに証明してあるが、再発行したら再度とらないといけないのか?一年以上も出国していないのでVISAの費用は割高になっていたので、一度外国へ出た方が良いのか?
などと、不安がいっぱい。

夜に帰宅して再度部屋を探すが無い?!!

学生家主にも事情を話すが解決策は無い。
そうこうするうちに、頼んでいた友人が電話で、やはり無いと言ってきた。困った!、

再度、冷静にこの一週間の行動を思い出す。
ふと、パソコンのMacBOOKを金曜日に修理に出した時に店でパスポートの入った袋をカバンから取り出したのを思い出した。

実はその店で、客の中に日本語を話す見目麗しいベトナム人女性がいたので、つい嬉くなり会話をして電話番号を聞きだすときにメモ帳をその袋から出したのだ。

人間、昔から酒と女には気をつけろ、と言われている。
いやいや、それは私の弱点のことで、散々失敗してきて今では辞めたつもりでも、目の前に日本語を話す女性が現れるとつい調子に乗って、心は上の空と言うか、ベトナム人のことわざでは「雲の上を歩いている」状態だったのでしょう。

そのパソコン店で忘れたのだと気づいたのが夜の10時過ぎでした。学生家主にそのことを話すと、明日早朝にその店に一緒に行きましょうと言う。私一人でも大丈夫と思うが親切心で言ってくれるので従う。

そして、今日、早朝に二人でその店に行きました。その店はホーチミン市でApple専門店として3年前から開いている店で、Appleファンの私は客の常連で、修理担当者は旧知の仲です。
結論から言うと、ありました。

その、店の帰りに学生に聞きました。私の電話番号は店では分かっている。パスポートをみれば私のだと分かるはず。
そういう時に、日本なら電話をするのが常識かな?!
ベトナムでは?

学生曰く、ベトナムでは電話は無理です。前にカフェで忘れ物をした経験でも、電話しても確認できなくて直接に行って初めて出てきた。わざわざ親切に電話などはしない。

そうですね、出てきただけで感謝しなければ。

お騒がせな出来事でした。
やれやれ。

2011年11月20日日曜日

記者の目:浜岡永久停止の「牧之原ショック」=小玉沙織/転載

いい記事内容ですね。原発で電気を作り製造業に売り込んでも、その会社が脱出したら元も子もない。今までは嘘でごまかせたがこれからはそうはいかない。冷静に考えたら原発はとんでもない物だったのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー転載記事


記者の目:浜岡永久停止の「牧之原ショック」=小玉沙織

 菅直人首相(当時)の要請を受けて中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)が全面停止して半年。10キロ圏に位置する同県牧之原市の議会が9月、浜岡原発の永久停止を求める決議を賛成多数で可決し、西原茂樹市長が「永久停止は譲れない」と表明した「牧之原ショック」は周辺自治体を今も揺さぶる。同市が原発容認から転換した背景には地元産業界の強い危機感がある。

 牧之原市は人口5万人ほどの小さな町だが、広大な牧之原台地は静岡茶の主産地として知られる。約400キロ離れた福島第1原発の事故は、この茶産地を直撃し、茶農家は、放射性物質検査に追われた。ある茶農家の男性が「もう茶を生産するのは難しい」と語った声が忘れられない。

 ◇スズキ会長が「移転を検討」
 牧之原市は工業のまちでもある。市内には、スズキ、小糸製作所など大企業の工場が建ち並ぶ。そうした企業のトップも、原発リスクを深刻に受け止めていた。3月下旬、スズキの鈴木修会長兼社長は西原市長に「万が一、原発事故があったときのリスクを考え、(牧之原市にある)相良(さがら)工場の一部機能を移転するかもしれない」と告げた。

 西原市長は急きょ、自ら電話を取って市内の大手企業9社に「原発リスクを考えて撤退を検討する考えはあるか」と尋ねた。5社が「検討している」と答えたという。

 並行して行った市民アンケートでは「停止しておいた方が良い」が53.6%、「安全が確認できれば稼働した方が良い」が19.8%だった。

 鈴木会長はさらに6月下旬、静岡県内の5工場について「地震に、津波に、原発に、液状化現象もあり得る」と生産拠点の分散化を図る考えを表明。そして7月には海岸から約200メートルの二輪技術センター(磐田市)の開発・設計部門を浜松市北区の高台に移転すると発表した。スズキは「相良工場の機能縮小や移転はまだ白紙」としているが、関係者は「浜岡再稼働となれば移転計画が現実味を帯びるのではないか」と語る。

 原子力防災対策重点地域(EPZ)内にあり、中部電と安全協定を締結している牧之原市には、いわゆる「原発交付金」が潤沢に入ると思われがちだが、固定資産税は入らず、原発関連収入は約174億円の歳入の1%に満たない。原発停止の不利益より、原発リスクを嫌って工場が撤退する方が、市財政にとってはるかに大きな痛手になる。地方自治体として選択すべき方向は明白だった。

 牧之原市の動きへの周辺のリアクションは「賛意」が多い。半径20キロ圏に位置し、牧之原市の東隣にある吉田町の田村典彦町長は「廃炉にすべきだ」と言い切る。「原発は一度壊れたら歯止めが利かない物だとわかった。もし事故があれば町民の生命や企業活動に影響を及ぼす可能性が高い」が理由だ。静岡市の田辺信宏市長も、市内で生産された茶から暫定規制値を超える放射性物質が検出されたこともあり、「安全はお金に換えられない。今まで国はお金で解決してきたが、私たちはもうお金では解決できないことを知っている」と語った。こうした首長たちの発言は、これまで漠然と信じてきた「安全神話」が、完全に打ち砕かれた衝撃の大きさを示す。

 これに対し、浜岡原発が立地する御前崎市議会は、ともに浜岡原発安全等対策協議会を構成する隣の牧之原市の「永久停止」決議に、「困惑している」との意見書を可決した。約167億円の歳入の4割を原発関連に頼り、浜岡原発の交付金減少によって一般会計予算の大幅な減額補正を強いられている同市にすれば、「苦しみを分かち合ってくれない友」との恨み節ももれるところだろう。

 静岡県企業立地推進課によると、東日本大震災以降、県の防災計画や県内事業所を移転する場合の補助制度について説明を求めた企業は、10月末までに16社。経費や従業員の問題もあるので即時に移転しようというところはないが、これらの多くは「施設の建て替え時期が来たら移転を検討したい」との意向という。

 ◇地域の活力維持 県の役割は重大
 国の要請で運転を停止した浜岡原発は、定期検査などで止まっている他の原発とは、位置づけが異なる。東京の南西180キロに位置し、万一の場合の首都圏への影響という問題もある。その意味でも、近接の牧之原市の「覚悟」は重い。同時に、原発に依存した立地自治体などの地域経済をどう立て直していくかという課題も避けて通れない。

 国策として原発を推進してきた国はもちろん、県民の生活や企業の生産活動を守るべき県の責任も重い。対立する自治体の利害を調整し、いかに地域全体の活力を維持するデザインを描くかが問われている。【毎日新聞静岡支局】

2011年11月18日金曜日

◇精神のがれき洗おう--佐野眞一さん(64)/転載記事

さの・しんいち 1947年、東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。97年に「旅する巨人」で大宅壮一ノンフィクション賞。「東電OL殺人事件」など著書多数。近著に東日本大震災の現場をルポした「津波と原発」。=梅村直承撮影
 <この国はどこへ行こうとしているのか>

 ◇精神のがれき洗おう--佐野眞一さん(64)
 「まるでポール・デルボーが描く幻想画のようでした。黙示録ですよ。この目の前に広がる光景はたぶん死ぬまで夢に出るんだろうと感じました」。佐野眞一さんが静かに振り返る。実際、今も悪夢にうなされる夜がある。

 ベルギー生まれのデルボー(1897~1994年)は、シュールレアリスム(超現実主義)の代表的画家。静寂の中に、幻想的な世界を表現する。大震災の発生から9日後の3月20日、岩手県の陸前高田市街で“それ”を見た。

 「津波が奪い去った無人の廃虚を、恐ろしいほど明るい満月が照らしていたんです。恐怖と怪奇、あるいは夢幻。濁流にのまれて絶命した人々も、末期に同じ光景を目にしたかもしれない。私は生きて見ている」。そう思ったら、体に震えがきたという。

 「被災者が『失った』言葉を、その沈黙を、どうやって伝えるか」。メディアからの2次情報でなく、自ら体感し取材した事実を丹念に積み上げるのがノンフィクション。事故や災害の現場には、常に「生の声にかさぶたができる前」に駆け付けた。昨年初めに受けた大手術後の体調を懸念し出発こそ遅れたが、今回も三陸沿岸を走り回った。

 実は、地震直後に<略奪一つ行われなかった日本人のつつましさも、誇りをもって未来に伝えよう>との文章を在京紙に寄せている。現地入りする前のこと。東京ではそんな「美談」が報じられ、海外でも、絶賛評が続いていた。

 「ところが、実は行われていたんです。複雑な気持ちになりました」。自警団が夜間パトロールをしていたという。「大災害は、人間の崇高さと同時に醜悪さもあぶり出すんです。その現実から目を背けてはいけない」

 一方で、佐野さんは「傷ついた人が前を向くのはたやすいことではない」と憂える。岩手県宮古市の定置網業の社長(57)は朝から酒浸りで「日本の漁業は全滅した」とむせび泣いていた。6隻持っていた船の5隻を流され、ろれつの回らない声で、「船さえあれば」と訴えたという。

 「ところが東京都知事が『天罰』と発言してみたり、『がんばろう』では済まないのに、テレビではエラソーな評論家がもっともらしい顔で空疎なコメントを繰り返す」。そのコメントで妙に納得してしまう。「日本人のすべてが彼らの身の上を思いやれるか、その想像力を問うているのが今回の震災なんです」。想像力が欠如しているとすれば--。「それこそ、精神のがれきですよね。国会を見てください」

 千葉県にある自宅の2階。本に埋もれた仕事場で、椅子に座った佐野さんがこちらを見つめている。最も嫌うのが「日本は一つ」キャンペーンだという。

 「冗談じゃない。日本って一つじゃなかったんですよ。福島県の原発は東京のため、中央のため。(沖縄の米軍)普天間飛行場と同じ植民地が福島にあった現実が、あらわになったんです」。原発から送られてくる電力で築かれた繁栄。安全でクリーンだと言いくるめられてきた私たち。そして、取り返しのつかない事故が起きた。しかしそれで国と電力会社に八つ当たりするのは短絡的だという。

 「原発労働には歌がないんです」。同じエネルギーでも炭鉱労働には歌があったし、娯楽映画もできた。漁師も、板子一枚、下は地獄といわれる危険な仕事だが、「でも、誇りもあったんです。俺が女房、子どもを支えていると。単なる金稼ぎではないんです」

 それまで体をいたわるように静かだった語り口が、急に熱を帯びてきた。「しかし、原発で働く人たちは、作業をすればするほど放射線を浴びる。そして最後に捨てられる。体を張るというより、ある意味、体を売っている。原発に支えられた繁栄の前に原発労働者を踏み台にしての繁栄だったんですよ。私たちは、その事実にあまりに鈍感過ぎた。原発が日本にできて40年以上もたつのに気づいてこなかった。想像力の欠如。罪深いことですよ」

 今こうしている間も、原発では約3000人が被ばくの恐怖と闘いながら復旧作業に努めている。

 佐野さんが埼玉県加須市の避難所で聞いた被災者の話では、原発付近に住む人々は、江戸時代の「天保の飢饉(ききん)」の際に失われた労働力を補うために相馬藩が全国から集めた農業移住者の子孫だったという。

 「なのに今、古里を追われ散り散りになっている……。私は阪神大震災の翌日、神戸市に入ったんです。火のくすぶる焼け跡で、焦土をふるいにかける夫婦がいましてね。近寄ってのぞいたら、中に白っぽいものが見えたんです。我が子の骨を探していたんですよ。三陸や福島では、それすらできない」

 今取り組んでいる作品は、ソフトバンク社長、孫正義さんの人生記だ。以前から取材を続けていたという。「震災の後に何をしていたか尋ねたら、彼は、ずっとテレビを見ていたと言うんです。三陸の海岸で赤い服を着た女の子が、海に向かってお母さんと叫んでいる姿が映って、思わず泣いてしまったと。その時どう思ったかと重ねて聞くと『自分は非力だ』って3回も繰り返したんですよ。本当なら、そういう言葉って政治家の口から出てくるものだと思うんですけどね」

 孫さんは福島県の避難所を訪ねて、子ども1000人に佐賀県への一時避難を勧め、すべての移動費は自身のポケットマネーから払うと申し出たそうだ。「表現は悪いが彼は一介の携帯電話屋ですよ。しかも言葉だけでなく、行動した。逆に言えば、日本のリーダー不在が露呈したんです。菅直人前首相も失言で辞任した閣僚も、民主党も自民党も公明党も、空疎な時間の浪費を続けている」。国会の関心は、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に移っているようだ。

 「私たちが、言葉をいかにつむいで行動していくか。政治家や他人の言葉に左右をされず、想像力を働かせる。考える訓練が必要です。それがこの震災を乗り越える一つの道だと思うんです。戦後の日本は若く勢いがあって復興を果たしたけれど、今は高齢化が進んでいる。一人一人が精神のがれきを洗い流さないと、今回ばかりはちょっと難しいかもしれない」

 精神のがれきを洗い流す……ひょっとしたら、それは被災地のがれきを取りのぞくことよりも、難しいのかもしれない。

 被災地に厳しい寒さがやってくる。【根本太一】毎日新聞

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 ◇「特集ワイド」へご意見、ご感想を
t.yukan@mainichi.co.jp

ファクス03・3212・0279

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 ■人物略歴

 ◇さの・しんいち
 1947年、東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。97年に「旅する巨人」で大宅壮一ノンフィクション賞。「東電OL殺人事件」など著書多数。近著に東日本大震災の現場をルポした「津波と原発」。

なんか怖いなベトナム人の躾 !

今の宿に引っ越して感じること。
右隣の家に小さい子供がいる。その家から連日、母親のドスのきいた声が聞こえて来る。
その声を聞くたびに、私の心臓はドキッとする。

何オクターブか甲高い声で子どもを叱りつけているようだ。
前の宿の時も近所でよく聞いたような声だ。

私の勝手な想像で言うと、ベトナムの家庭では親には絶対服従の躾を体罰も含めて行っている。
体罰も半端じゃない。最初平手で叩いて、子供が泣き出すと次はそれが泣き止むまで叩き続けるのを見たことがある。

今の宿ではそこまで酷くはないが、子供を威圧して叱るような声が聞こえてくる。
最近、宿では一番暇な私はよくその現場に遭遇する。

そのことを、宿の家主学生に言うと「普通です」とさらりと言ってのける。私も母親に厳しく躾けられました。私も結婚して子供ができたらそうするでしょう。と宣うのである。

ベトナム人は親や先輩には絶対服従だと、日本人からため息混じりに聞いたことがあるが、それは子供の頃から徹底的に躾けられているようだ。それが、ここベトナムで生きる知恵なのだろうか?

2011年11月17日木曜日

脱原発ポスター展!その2


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この頃、憂鬱だな!

最近、憂鬱な気分だ。原因については大体理解しているのだが。
一つは、仕事が無くなったこと。大学を辞めて次のある大学で仕事する予定でいたのに、次の大学で結論から言うと仕事できなくなった。

それで、暇なのでネットニュースなどを見ているとますます気分が落ち込んでいく。

TPPをめぐるドジョウ首相の姿勢は国民無視、議会無視、あるのは米国様々な売国的な態度。
「すべてを対象に…」としゃべり米国に記録を公表されて言ってないと嘘の方便で日本の国民や議会には済まそうとする姑息な態度。許せませんな。

国内では一言も言わずに、外国で消費税のアップを公約『?』するなど「貴方はどこの首相?」と言いたい。

この20年間を振り返って見て欲しい、米国流経済に追随してきた日本は良くなりましたか?一部のおお金持ち、大企業だけが繁栄して多くの国民や労働者は貧乏になるだけです。
格差は広がる一方ですね。

このままTPPなどに加入したら、美味しいところを米国にもって行かれるだけで日本国は衰退するのは目に見えている。
国の食料を作る農業を政策的に守れなくて国が守れるか。

米国の遺伝子組み換えの危険な物がどんどん入ってきたら取り返しのつかないことになる。

日本の政治家や官僚は、国家全体をどう守るかを考えているのか?

などなど、憂鬱な気分になるばかりですな。


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2011年11月7日月曜日

隠れ家的、カフェ、何故かプールがある。

9区に引っ越してから宿の近くで見つけたカフェである。当初はこの辺で唯一Wi-Fiができるので助かったのだが、このカフェこの辺にしては豪華な雰囲気である。
小さいがプールがあるのである。最初は池か?プール?と思ったが、あるとき子供たちが泳いでいた。


何のために作ったのか?金持ちのベトナム人が道楽で作ったのでは?と思っている。写真では分かりにくいが、カフェとして使用している場所はそんなに広くはない。

豪華な家の広くない庭の場所を、カフェとして利用している感じである。
でも私はこのカフェが気に入っている。暇なときに朝来てコーヒーを飲むのが習慣になった。

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2011年11月3日木曜日

TPPが日本の政界再再編につながる?/転載記事

[田中宇] ブログ村キーワード
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★田中宇:TPPが日本の政界再再編につながる?
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日本政府は、11月12日にハワイで開かれるAPECサミットまでに、米
国主導のTPP(環太平洋経済協定)に参加するかどうかを決めねばならない。
ここ数日、TPPをめぐる議論が政界やマスコミで激しくなっている。

私が見るところ、日本でTPPの参加に賛成している人々の本音は「米国は
日本にとって唯一絶対に大事な国であるのだから、米国が日本のTPP参加を
強く望んでいる以上、参加しない選択肢はない」というものだ。賛成派の多く
は、対米従属論者である。日本が入った後のTPPの加盟諸国をGDPで見る
と、米国が全体の7割、日本が2割を占めている。他の7カ国の加盟国・加盟
交渉国は合計で1割にしかならない。TPPは事実上、日米FTAである。

日本がTPPに入る経済的な利得は少ない。農業産品については、米国や豪
州から日本への輸出が増え、日本の農業が打撃を受ける。日本経済全体に占め
る農業の割合はわずかだが、地方の社会は、農業で支えられている部分が大き
い。農業が成り立たなくなると、地方の社会がますます過疎になって荒廃する。
食料安保の問題を外して考えたとしても、社会的、政治的、国家安全保障的
に良くない事態が加速する。

金融については、ゆうちょ銀行つぶしが加速するだろう。全国津々浦々、コ
ンビニがない集落にも、郵便局があり、金融サービスを提供している。この点
も地方の荒廃を加速する。工業製品については、すでに日米間の関税がかなり
低く、日本企業の北米での現地生産の割合も高いので、いまさら自由貿易体制
を強化しても大してプラスにならない。TPP参加によって日本経済は10年
間で2・7兆円の利得があるという。年間2700億円だ。約500兆円ある
日本の経済全体(GDP)の0・05%の効果しかない。

米国の債券金融システムが隆々として、米国民が気軽に借金をして旺盛な消
費をしてしいた以前なら、日本企業が製品を米国に輸出しやすくなることは、
日本側の大きな利得となったが、リーマンショック後、米国民は借金できなく
なり、米国は世界から大量に輸入できる体質でなくなった。オバマがTPPに
力を入れるのは、米国製品を日本市場で売りやすくして、米国の輸出産業を復
活させ、再選に向けた自らの政治的得点にしたいからだ。半面オバマは、日本
などアジア諸国に対し、対米輸出で経済発展しようと考えるのはもうやめろ、
と警告している。衰退しつつある米国は、日本を含む世界にとって、旺盛に消
費してくれる経済覇権国でなく、逆に、政治と軍事の力で世界から利益をむし
りとる存在になっている。

http://tanakanews.com/091126economy.php
経済覇権国をやめるアメリカ

日本がTPPに入ると、利得より不利益の方が大きい。それなのに、政府や
外務省、マスコミなどがさかんにTPPに入った方が良いと言い続けるのは、
米国が日本に入れと強く言っているからだ。TPPは、実は経済の話でなく政
治の話、対米従属という日本の国是をめぐる話である。対米従属の話であるの
で、TPPの報道には、沖縄基地問題などと同様、マスコミ報道にプロパガン
ダ的な歪曲がかかっている。

たとえば、TPP反対論者である京都大学の中野剛志準教授が出たフジテレ
ビの番組では、テレビ局側が「TPPの日本経済へのメリットは2・7兆円」
と「10年間で」という条件をすっ飛ばした表記や「日本から米国へのテレビ
の輸出にたとえば100%の関税がかけられるとすると・・・」と、実際には
10%である関税率を「たとえば」という言葉をつけて「100%」と誇張し
てしまう報道を行った。中野氏がこれらの間違いを語気荒く指摘し、テレビ局
のプロパガンダ体質がその場で暴かれる番組の展開になっている(番組内で暴
露されてしまう点は、国粋主義の側からの、別の演出がある感じもするが)。

http://www.youtube.com/watch?v=0tZ3obEJmB0
TPP問題で中野剛志氏がフジテレビを論破!

▼腐敗した米国型の体制を強要される

TPPの要点は、ほかにもある。TPPは加盟国に、関税だけでなく、政府
の監督政策、労働、環境、公共事業政策、安全基準など、規制や制度といった
「非関税障壁」の撤廃を義務づけている。参加国の中で、米国の政治力と経済
規模が圧倒的に大きいので、事実上、米国が、日本などの他の参加諸国に対し、
米国型の規制や制度を押し付けるかたちとなる。

http://www.bangkokpost.com/opinion/opinion/262024/wooing-japan-with-tpp-deal-as-economic-saviour
Wooing Japan with TPP deal as 'economic saviour'

米国の規制や制度が、日本よりすぐれているか、日本と同程度ならまだ良い
のだが、この10年あまり米国の政府と議会は、金融界や防衛産業、製薬業界、
医師会、農業団体など、各種の産業のロビイストに席巻され、各産業界が思い
思いに米政府を牛耳り、自分たちに都合の良い政策を政府にやらせる傾向が
年々強まっている。911以後、防衛産業(軍産複合体)が有事体制を作り、
民主主義の機能低下が起きたことに他の業界が便乗した結果、米国の行政はも
のすごく腐敗したものになっている。

http://dailybail.com/home/barry-ritholtz-the-left-right-paradigm-is-over-its-you-vs-th.html
The Left Right Paradigm Is Over! It's You Vs. The Corporations

その結果、金融界をはじめとする大金持ちに対する課税の比率が少なくなっ
て貧富格差が急拡大している。リーマンショックで金融界が潰れそうになると、
巨額の公金が注入され、金融界による連銀の私物化に拍車がかかってドルが
過剰発行された。製薬業界や医師会が、メディケアなど管制健康保険の診療報
酬や処方箋薬適用をお手盛りで拡大した結果、メディケアなどは支出過剰にな
り、米政府の財政赤字が急増している。これらの全体に対する米国民の怒りが
「ウォール街占拠運動」などにつながっている。

http://tanakanews.com/080206USbudget.htm
アメリカ財政破綻への道

公的な事業であるべき、道路や電力網など公的インフラの整備が、市場原理
重視策によってないがしろにされている。ここ数年の米国では、大都市で大規
模な停電が起きている。電力自由化のなれの果ては、01年に起きたエンロン
破綻事件だ。道路や橋の整備が不十分なので、民間企業が橋や道路を建設して
高めの通行料をとるケースも増えている。

http://www.cnn.com/2010/TECH/innovation/08/09/smart.grid/index.html
U.S. electricity blackouts skyrocketing

http://www.washingtonpost.com/business/with-us-infrastructure-aging-public-funds-scant-more-projects-going-private/2011/10/17/gIQAGTuv4L_story.html
With U.S. infrastructure aging, public funds scant, more projects going private

米議会の共和党は、米国の産業界が守るべき環境基準を緩和し、環境汚染を
今よりも容認することで、企業が環境保全に払ってきたコストを減らし、その
分、雇用を増やせるはずだから、汚染容認が雇用対策になるのだと主張してい
る。TPPに入ると、日本政府が企業に環境保護や消費者保護、厳しい安全基
準の遵守などをやらせるのは非関税障壁だという話になっていきかねない。

http://www.nytimes.com/2011/10/21/opinion/party-of-pollution.html
Party of Pollution   By PAUL KRUGMAN

米国型の経済政策は、自由市場主義を表の看板として掲げているが、それは
実は、企業が米政府を牛耳った腐敗構造の産物だ。そうした構図が露呈し、米
国型の経済政策がうまくいかないことが明らかになった今ごろになって、日本
はTPP加盟によって、米国型の経済政策を強制的に導入させられる方に進ん
でいる。

日本が唯々諾々とTPPに入って米国にむしり取られていくと、それは終戦
後、日本が米国から技術や資本をもらって成長してきた分を、すべて米国に差
し戻して、再び貧しい「第二の敗戦」の状態へと向かっていくことになる。米
国は、日本の「戦後」をちゃらにするリセットをかけようとしている感じだ。

日本の財界はTPPへの参加を支持している。米国からの圧力で、日本市場
での規制が緩和されていくと、日本企業にとってもプラスだとの思惑からだろ
う。だが実際には、米国企業がロビイ活動によって米国政府を牛耳ってやらせ
ている米政府の産業政策が、TPPを通じて強制的に日本に導入されると、得
をするのは米企業であり、損をするのは日本企業だ。

日本の官僚機構はこれまで、官僚の権限を維持するために、各業界に対して
厳しい規制を敷き、日本企業はその規制を満たす努力をすることで、環境や安
全の面で技術を磨いてきた。規制を満たせない外国企業は入ってこれなかった。
今後、日本の規制が崩されて米国型に変質していくと、この点での日本市場に
おける日本企業の優位性が失われてしまう。

同時にTPPは、農水省や厚生労働省など、日本の官僚機構の中でも現業官
庁の既得権益を破壊する。半面、対米従属の国是を推し進める主役である外務
省は、当初からTPPを強く支持している。外務省は、対米従属の国是を守る
ために、仲間であるはずの現業官庁の権限を削って米国に譲渡する戦略をとっ
ている。(日本の外交官たちは、現業官庁の官僚を馬鹿にしており、仲間と思
っていないが)

▼「対米従属vs国粋主義」の対立軸に転換する?

農業団体から左翼系市民運動まで、TPPへの反対を強めている。だが、野
田首相はすでに米国側に対し、TPPに参加しますと表明してしまっている。
日本政府は、反対論を押し切って、無理やりにTPP参加を実行しようとする
だろう。しかし、それは野田政権にとって、政治的に危険なことだ。自民党も
民主党も、内部で賛成派と反対派にわかれ、反対派の方が多い。これまで対米
従属が日本のために良いのだと思っていた人々が、米国の露骨な利権あさりの
やり方を見て、米国との関係を損ねてもTPPに入らない方が良いのでないか
と思い始めている。

これまで対米従属で一枚岩だったはずの日本の中心部分が、対米従属に残る
勢力と、米国を見限ってもっと国粋主義(鎖国)の方向に移り出す勢力に分裂
し始めている。これまで少数派だった反米主義の左派(社民党や共産党)と、
国粋主義の右派(自民党)が「日本の農業や、市民生活の安全を守れ」という
点で一致して、TPP反対集会で並んで座っている。

日本の政界は、これまでの「左派vs右派」「民主党vs自民党」という構図が
崩れて「対米従属主義vs国粋主義(鎖国主義)」という対立軸に再編されてい
くかもしれない。米軍基地の存続に反対する沖縄の人々と、TPPに反対する
本土(ヤマト)の国粋主義者が連携しうる。対米従属プロパガンダ機関である
マスコミは、TPPの本質を隠す報道に力を入れ、国民の怒りをそらす努力を
しているが、それを超越してTPP問題で怒る日本人が急増すると、野田政権
は意外と短命で終わる。日本の政治が、再び面白い時期に入っていくかもしれ
ない。

前回、日本の政治が大転換したのは、09年秋に自民党が下野して民主党政
権ができ、鳩山元首相が対米従属をやめる方向性を示したり、小沢一郎が大量
の国会議員を引き連れて中国を訪問したりした時だ。あの時は、日本の国是を、
対米従属からアジア重視に転換させようとする政治ベクトルが動き出し、すぐ
に官僚やマスコミといった対米従属派が全力で反撃して乱闘状態になった。
当時は「対米従属vs中国重視」だった。今回は「対米従属vs鎖国(国粋主義)」
である。これは、幕末の「尊皇攘夷」以来の事態になるかもしなれない。
(「鬼畜米英」は米英に引っかかって始めた戦争でやむなく使った言葉なので、
もっと底の浅い話だ)

フジテレビなどは、日本が米国から「日本は韓国ともっと仲良くして、日米
同盟を米日韓の3国同盟にせねばならない」と命じられた結果なのか、韓国の
芸能人をテレビに大量に出す韓流重視策をやっていた。しかし、それは「韓国
人なんか嫌いだ」という排外的な国粋主義の反発にあい、フジテレビ前で韓流
反対運動のデモが起きたりした。日本人の特性として、鎖国的な国粋主義はか
なり強い。

【続く】



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2011年10月29日土曜日

7歳のベトナム娘に発音チエックされて四苦八苦!

宿からバイクで15分のところにプールがある。最近暇な時に週に一二回泳ぎに行っているのだが、今日は7歳のベトナム娘二人とプールの中で会話をした。

親ときているのかどうか分からなかったが、可愛い娘達と視線が合い恐る恐る話しかけてみる。
挨拶から、子どもの年齢を聞くと7歳と言う。7歳にしては水に慣れている感じだ。

空がにわかに曇ってきて雨が降りそうな天気になってきたので、sap mua(間もなく雨だ)とベトナム語で発音したら、なに?という風な大人の様な顔つきで発音が違う!と言う。

Muaの発音が違うらしいのだが、何回発音しても違うと言う。今まで大人と会話をしていても注意されなかったのに子供は正直なのか敏感なのか?

6回目ぐらいにようやくokとなる。
泳ぎよりも疲れるよ!
娘たちにカムオン(cam on)と言うと、キョトンとしている。ウソ!分からんの?コムヒユ(分からん)と言う。

でも、3回繰り返すと分かった顔をする。
発音よりも、コミニュケーションの理解力の問題かな?
ベトナム人はめったにカムオンなどと言わんからね。

もう少し娘たちと話したかったが、雨が降る前にと私は一人先にプールから上がりました。
へン ガップ ライ。



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2011年10月27日木曜日

TPP交渉参加は本当に必要か/記者の本音:必要ない/転載記事

TPPについては毎日新聞ネット版に下記の意見記事が掲載された。私もこの意見に賛成だ。TPP参加は日本を滅ぼす。
以下転載
ーーーーーーーーーーーー


記者の目:TPP交渉参加は本当に必要か=位川一郎(毎日新聞)


◇輸出依存戦略もう見直す時だ
環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉参加問題が大詰めを迎えた。政府は、「アジア太平洋の成長を取り込む」として参加を決めたいようだ。しかし、これ以上海外に依存した成長を目指す戦略は間違っていると私は考える。国民の大多数にとって、TPPのリスクは大きく、メリットはわずかだろう。野田佳彦首相が参加を思いとどまってくれることを願う。

◇農業、医療などリスクが大きい
TPPについて、慎重派は多くのリスク、問題点を挙げている。関税撤廃で打撃を受ける農業のほか、▽「混合診療」の全面解禁や株式会社の参入で公的医療保険が縮小する▽遺伝子組み換え作物の表示、残留農薬などの食品の基準が緩められる▽公共事業の発注ルールや日本郵政の簡易保険への影響--などだ。

農業以外の懸念に対し、政府は「交渉対象になっていない」などと説明するが、楽観的すぎる。9カ国のこれまでの交渉で議論されなかったテーマも、日本が加われば取り上げられる可能性があるだろう。慎重派が指摘する項目の多くは、過去に米国が「年次改革要望書」などで日本に要求したものだからだ。また、理不尽な要求は拒否するといっても、国際交渉で主張がすべて通るはずがない。TPPへの不安は、実体のない「TPPおばけ」(前原誠司民主党政調会長)ではないのだ。

影響を受けるのは日本だけではない。TPP加盟国は、ビジネスの「障壁」を除くために国内規制の緩和を求められる。他国でも、医療や食品安全に関する日本の規制のように国民生活に不可欠なものが、緩和対象に含まれるかもしれない。推進論者は「アジア太平洋のルールづくりに日本がかかわるべきだ」と声をそろえるが、誰のためのルールなのかと問いたい。

そもそも、輸出や海外進出に依存した経済成長はもはや国民を幸福にしないのではないか。輸出主導で景気が回復した03~07年度の間に、企業の経常利益は48%増え、株主への配当金は94%増えた(財務省の法人企業統計)。しかし、同じ期間に労働者の賃金は0・3%下がった(厚生労働省の毎月勤労統計)。輸出企業が、新興国などの安い製品と競争するために人件費をカットしたからだ。

経済連携を広げ輸出と対外投資を増やしても、利益を得るのは輸出企業とその株主だけで、賃金と雇用は増えない構造と言える。松原隆一郎東大教授は、輸出企業が「国内を牽引(けんいん)するのでなく、切り捨てた」と指摘している(農文協「TPPと日本の論点」)。

◇内需を重視し地域自立型に
むしろ、中長期的な政策の方向としては、国内の需要に注目することの方が重要だろう。供給過剰(需要不足)の日本経済だが、環境、自然エネルギー、福祉、食などのように、供給が足りない分野はまだ多い。むやみに海外へ販路を求める前に、国内で必要な製品・サービスが十分に提供され、雇用も確保される経済が望ましい。同時に、税などを通じた所得再配分で格差を是正すれば、中間層の厚みが戻り、個人消費が増え、景気回復の力にもなる。

特に、グローバル化の対極にある「地域」の役割はもっと評価されていい。原発やショッピングセンターに象徴される外部からの大規模投資は、あちこちで地域の自立を損ない、コミュニティーを破壊し、人と人の絆など国内総生産(GDP)の数字に表れない便益が失われた。もう一度、地場の企業や自治体などが主役になって、身近なニーズに応える自立経済を築いてほしい。その際、経済評論家の内橋克人氏が提唱する「FEC自給圏」、つまり、食料(Food)、エネルギー(Energy)、福祉(Care)の自給という考え方が指針になるだろう。

貿易には資源を浪費し地球環境に悪影響を与えるというマイナス面があることも、忘れてはならない。食品の遠距離輸送が大量の化石燃料を消費することを示す「フードマイレージ」という言葉が知られているが、同じ問題はあらゆる物品に存在する。また、消費者は生産地が遠いほど、そこで起きる資源・環境問題を実感しにくい。例えば、日本などに向けた穀物の生産で米国中部の地下水層が細っていることを、日本の消費者はあまり知らない。安く輸入すればそれでハッピーなのか、改めて考えるべきだ。

「鎖国」の勧めを述べているのではない。日本の関税率は一部を除いて低く、海外からの投資も原則自由。経常収支は約17兆円もの黒字(10年)だ。既に国は開かれ、海外からの果実も十分得ている。言いたいのは、もっと自国の足元を見つめようということだ。                    (東京地方部:毎日新聞)


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2011年10月18日火曜日

(写真の人は泥棒ではありません、工事人です)

(写真の人は泥棒ではありません、工事人です)

 昨日の朝、電線ドロボー事件が発生してから電気が来ないのでネットをしにカフェに行って宿へ9時に帰ると電気工事の車が来ていた。思わず早い!とつぶやく。

早くても今日中かなと思っていたので嬉しい誤算だ。
盗まれた電線は8mだった。
引き込み線は屋外なので費用は電力会社の負担だろう?

(分かりにくいが、左上から右に斜めに走る線が引き込み線だ)

工事が終わって後で聞くと、作業した二人に我が宿と隣で5万ドンづつ渡したらしい。コーヒー代として。

というわけで朝の10時頃には電気が回復したのである。

しかし、
電気を供給している電線を盗むとは、電線は至る所を走っているので盗む機会はいくらでもあると言えばあるよな!

何で、我が宿の電線だけ?後日談だが近所でもドロボー被害はあり、パスポートなど重要な物を盗み、後でドロボーがお金を請求して来ることがあるらしい。

とんでもないことだが、ここベトナムでは警察も頼りにならないので住民は気をつけかしかない。
(白いのが引き込み線)

今まで、私は夜中は暑い時にはドアを開けて寝たりしていたが、そんなことはベトナムではドロボーに入って下さいと言っているようなもんだと思った。

仕方がない、暑くても夜中は鍵を掛けて寝ることだ。
日本人はベトナム人のドロボー対策にはいつも過剰反応だと思ったのだがそうでもないと反省!

昨日は、一日中周りのベトナム人が皆ドロボーに見えた。
(ベトナム人はよく、隣の人は泥棒ですから気をつけてください、と言っているがその気持ちが分かるような気がしてきた。)




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2011年10月17日月曜日

泥棒が電線を取ったので停電です!

今朝は同居人のベトナム人若者のタンが家主女子学生と騒いでいる。
どうやら昨夜に電線を盗んで行った奴がいるらしい。

そう言えば、昨夜の深夜2時半ごろに宿の外で異様な物音がして目が覚めた。直後にバイクが走り去る音も聞こえた。
その時に停電だと気付いたが、いつものことだと気にしなかった。しかし左隣の家は電気が付いているので不思議だと思い、念のためにブレーカーをチエック
するが異常はない。

近所を見渡すが街路灯も付いている?我が宿と右隣は電気が付いていないことに不思議を感じながらまた寝る。そして、今朝の騒ぎだ。

現場を見ると、宿への引き込み線が約10mぐらい切られていた。隣の家と二軒分だ。
セコイドロボーだ。

引き込み線の宿側は住宅の軒下間際で切られているので、そこを切断するには門をよじ登るか何かしなければ手は届かない高さだ。昨夜の物音はその時のモノだと理解する。

結局、右隣の住人が電力会社に連絡をしてくれるらしい。はたして電気の復帰はいつになるだろうか?今日中に付けばいいが、まさか数日もかかることは無いだろうに。
午前中ならば上出来だなどと思いながら、いつものカフェへiPadを持参してネットをする。

久しぶりの投稿は以上のように電線ドロボー事件で始まった次第です。

2011年10月15日土曜日

防護服の男、「25人の真実」、福島原発事故直後の真実/転載記事

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/e623ea60d0c7288f4c4fd6f68c00f230?st=0#comment-form
ブログ「薔薇、または陽だまりの猫」より転載記事。元ネタは朝日新聞の記事。

〈プロメテウスの罠〉防護服の男(1)〜(12)
2011/10/15 08:25社会
■防護服の男(1) 

 福島県浪江町の津島地区。東京電力福島第一原発から約30キロ北西の山あいにある。 

 原発事故から一夜明けた3月12日、原発10キロ圏内の海沿いの地域から、1万人の人たちが津島地区に逃れてきた。小中学校や公民館、寺だけでは足りず、人々は民家にも泊めてもらった。 

 菅野(かんの)みずえ(59)の家にも朝から次々と人がやってきて、夜には25人になった。多くが親戚や知人だったが、見知らぬ人もいた。 

 築180年の古民家を壊して新築した家だ。門構えが立派で、敷地は広い。20畳の大部屋もある。避難者を受け入れるにはちょうどよかった。門の中は人々の車でいっぱいになった。 

 「原発で何が起きたのか知らないが、ここまで来れば大丈夫だろう」。人々はとりあえずほっとした表情だった。 

 みずえは2台の圧力鍋で米を7合ずつ炊き、晩飯は握り飯と豚汁だった。着の身着のままの避難者たちは大部屋に集まり、握り飯にかぶりついた。 

 夕食の後、人々は自己紹介しあい、共同生活のルールを決めた。 

 一、便器が詰まるのを避けるため、トイレットペーパーは横の段ボール箱に捨てる。 

 一、炊事や配膳はみんなで手伝う。 

 一、お互い遠慮するのはやめよう……。 

 人々は菅野家の2部屋に分かれて寝ることになった。みずえは家にあるだけの布団を出した。 

 そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。しかしよく聞き取れない。 

 「何? どうしたの?」 

 みずえが尋ねた。 

 「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」 

 みずえはびっくりした。 

 「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」 

 車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。 

 「放射性物質が拡散しているんだ」。真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。 

 家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。 

 2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。 

 政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。だいたいあの人たちは誰なのか。 

 みずえは疑問に思ったが、とにかく急いで家に戻り、避難者たちにそれを伝えた。(前田基行) 

     ◇ 

 ギリシャ神話によると、人類に火を与えたのはプロメテウスだった。 

 火を得たことで人類は文明を発達させた。化石燃料の火は生産力をさらに伸ばし、やがて人類は原子の火を獲得する。それは「夢のエネルギー」とも形容された。しかし、落とし穴があった。 

 プロメテウスによって文明を得た人類が、いま原子の火に悩んでいる。福島第一原発の破綻(はたん)を背景に、国、民、電力を考える。 

     ◇ 

 「プロメテウスの罠」は、数カ月にわたり長期連載します。
第1シリーズ「防護服の男」は十数回の予定です。文中はすべて敬称を略します。

2011.10.3朝日新聞朝刊
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■防護服の男(2)
 3月12日夕、菅野みずえは自宅に駆け戻り、防護服の男たちの話を避難者に伝えた。議論が始まった。 

 「本当に危険なら町や警察から連絡があるはずだ。様子をみよう」。やっと落ち着いたばかりで、みんな動きたくなかった。 

 しかし深夜、事態が急変する。数台のバスが、避難所になっている公民館に入って行った。それに避難者の1人が気付く。バスの運転手は「避難者を移動するのだ」といったという。 

 当時、浪江町は、逃げ遅れた20キロ圏内の町民たちを津島地区までバスでピストン輸送していた。しかし、みずえはそんなことは知らず、やはりここは危ないのではないかと思った。みずえは寝ていた人々を起こし、再び議論となった。 

 多くは動きたがらなかった。しかし、一人の女性が「みんながいたら、菅野さん家族が逃げられないでしょう」といった。それで決まった。 

 「車のガソリンが尽きるところまで避難しよう」 

 深夜0時すぎ、若い夫婦2組が出発した。2月に生まれたばかりの乳児や、小さい子どもがいた。 

 夫婦は最初、「こんな深夜に山道を逃げるのはいやだ」と渋ったが、「子どもだけでも逃がしなさい」とみずえがいい、握り飯を持たせた。 

 翌13日の朝食後、再び話し合った。前夜「逃げない」といっていた若い夫婦連れが「子どものために逃げます」といった。年配の女性が、夫婦に自分の車を貸した。 

 「私は1人だから、避難所でバスに乗るわ」 

 夕方までには、25人全員が福島市や郡山市、南相馬市などへそれぞれ再避難した。 

 みずえは近くの家で避難している人たちにも、防護服の男たちのことを伝えた。1人が笑って答えた。 

 「おれは東電で働いていた。おれらのつくった原発がそんなに危ないわけねえべ」 

 男は原発事故からではなく、津波から逃れてきたのだ。みずえはこれで気が抜けた。みずえと長男の純一(27)は避難を取りやめた。 

 純一は避難所の活性化センターの炊き出し係で、握り飯をつくっていた。 

 「おれだけ逃げるわけにいかないよ」。このとき津島地区から10キロほどの地点で、30マイクロシーベルト用測定器の針が振り切れていた。(前田基行) 

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防護服の男(3)警察官、なぜあんな格好を

3月13日に菅野家の25人が出て行った後も、津島地区の避難者は大半が残っていた。 

 避難指示は12日午前5時44分に10キロ圏内に拡大。1号機が水素爆発した後、午後6時25分に20キロ圏内に広がった。 

 しかし官房長官の枝野幸男は12日夜の記者会見で、「放射性物質が大量に漏れ出すものではない。20キロ圏外の地域の皆さんに影響を与えることにはならない」と語った。 

 要するに、たいしたことはないが念のため避難してくれ、という趣旨だ。人々は30キロの津島地区は安全だと信じていた。 

 東電の社員が12日と13日に浪江町の津島支所を状況報告に訪れた。彼らは防護服ではなかった。「ここは危ない」ともいっていない。菅野みずえが会った男たちの様子とは大きく違っていた。 

 役場職員も区長も、みずえの会った防護服の男を見ていない。しかし、みずえは見聞きしたことをしっかりメモに書きとめていた。 

 15日早朝、前日の3号機に続いて、2号機で衝撃音がし、4号機が爆発した。政府は初めて20〜30キロ圏内の「屋内退避」を要請する。 

 津島地区の住民が避難したのはそのころだった。町長の馬場有らが14日の3号機の爆発をテレビで知り、隣の二本松市に15日から自主避難することを決めたのだ。 

 福島第一原発の正門では、15日午前9時に毎時1万1930マイクロシーベルトの高い放射線量が観測された。それでも枝野の発言は楽観的だった。 

 「放射性物質の濃度は20キロを越える地点では相当程度薄まる。人体への影響が小さいか、あるいはない程度になっている」 

 「1号機、2号機、3号機とも今のところ順調に注水が進み、冷却の効果が出ている」 

 原子炉が12日のうちにメルトダウンを起こしていたことが国民に知らされるのは、後になってからだ。 

 12日朝、浪江町で交通整理などにあたる警官が、防護服を着用した。 

 「警官はなぜあんな格好をしているのか」 

 住民は不安を抱いた。浪江町議会議長、吉田数博(65)は津島地区の警察駐在所を訪れ、「不安を与えるので防護服は着ないでほしい」と要請した。 

 吉田はいう。 

 「知らないのはわれわれだけだったんだ」(前田基行) 

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防護服の男:4 殺人罪じゃないか

 SPEEDI(スピーディ)というコンピューター・シミュレーションがある。政府が130億円を投じてつくっているシステムだ。放射線量、地形、天候、風向きなどを入力すると、漏れた放射性物質がどこに流れるかをたちまち割り出す。

 3月12日、1号機で水素爆発が起こる2時間前、文部科学省所管の原子力安全技術センターがそのシミュレーションを実施した。

 放射性物質は津島地区の方向に飛散していた。しかし政府はそれを住民に告げなかった。

 SPEEDIの結果は福島県も知っていた。12日夜には、東京の原子力安全技術センターに電話して提供を求め、電子メールで受け取っていた。しかしそれが活用されることはなく、メールはいつの間にか削除され、受け取った記録さえもうやむやになった。

 3月15日に津島地区から避難した住民に、県からSPEEDIの結果が伝えられたのは、2カ月後の5月20日だった。県議会でこの事実が問題となったためだ。

 福島県の担当課長は5月20日、浪江町が役場機能を移していた二本松市の東和支所を釈明に訪れた。

 「これは殺人罪じゃないか」

 町長の馬場有は強く抗議した。

 馬場によると、県の担当課長は涙を流しながら「すみませんでした」といい、SPEEDIの結果を伝えなかったことを謝ったという。

 知らされなかったのはSPEEDIの情報だけではない。

 福島県は、事故翌日の3月12日早朝から、各地域の放射線量を計測している。

 同日午前9時、浪江町酒井地区で毎時15マイクロシーベルト、高瀬地区では14マイクロシーベルト。浪江町の2地点はほかの町と比べて異常に高い数値を示した。1号機水素爆発の6時間以上も前で、近くには大勢の避難民がいた。

 これらの数値は6月3日に経済産業省のHPに掲載された。しかし、HPにびっしり並ぶ情報の数字の中に埋もれ、その重大さは見逃された。

 8月末、浪江町の災害救援本部長、植田和夫にそれらの資料を見せると、植田は仰天した。

 「こんなの初めて見た。なぜ国や県は教えてくれなかったのだろう」

 菅野みずえはいう。

 「私たちは、国から見捨てられたということでしょうか」

 (前田基行)
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防護服の男(5) 私、死んじゃうの?

菅野みずえの家にいた25人の人々は、その後どこに向かったのだろう。 

 その一人、谷田(やつだ)みさ子(62)はいま、愛知県春日井市の市営住宅で避難生活を送る。 

 みずえの遠い親戚だ。同じ浪江町の小野田地区に家がある。みずえの家からは約20キロ海寄りで、福島第一原発から10キロ以内の距離にある。 

 3月11日午後、自宅で地震に襲われた。 

 翌12日早朝、隣の双葉町に住む次女一家が「ここは危ないから逃げるのよ」と駆け込んできた。朝9時、家を出た。 

 みずえの家がある津島方向に向かう国道114号はすでに大渋滞。国道6号に出て北に進み、南相馬市小高区の長女宅に向かう。ここで1号機の水素爆発を知り、さらに全員で津島を目指した。 

 みずえの家に着いたのは夕方6時を回っていた。他の避難者が炊き出しの握り飯を食べ終わったところだった。 

 一日中走り回って疲れていたが、避難者の会議には出席した。共同生活ルールのうち、使用済みトイレットペーパーを段ボール箱に捨てるよう提案したのは、みさ子だった。以前メキシコ旅行をしたときの経験を思い出したからだ。 

 しかし、ほっとしたのもつかの間、白い防護服の男たちの警告をみずえから聞かされた。 

 生後1カ月の赤ちゃんを抱えた次女一家7人と、長女一家4人を、夜中に逃がした。翌13日夕、みさ子も発った。 

 行くあてはなかったが、「少しでも遠くに」と郡山市を目指す。 

 郡山市では、避難して来る人たちの放射能測定をしていた。みさ子に測定器が向けられると、針が大きく振れた。「私、死んじゃうの?」と測定係に叫んだ。 

 その晩は車で寝た。15日朝、地震当時は相馬市にいた夫(54)と携帯電話でようやく連絡が取れた。会津若松市で合流し、新潟県経由で、22日、姉が暮らす春日井市に逃れた。 

 国や東京電力から的確な指示が一切ないまま、12日間の逃避行だった。 

 「原発は安全」。これまで、そんな説明を何度も聞いていた。それを前提とした生活がすべて崩れた。 

 しかし、原発のおかげで住民が恩恵を受けてきたのは事実なのだ。「原発だけ悪いなんて、私たちはいえないのよ」。みさ子はため息をつく。(前田基行) 

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防護服の男(6)ハエがたかっていた

谷田(やつだ)みさ子(62)は浪江町で生まれ育った。中学生のころ、東京電力が福島第一原発づくりを始めた。 

 高校卒業後、上京して就職したが、1年半で浪江町に戻った。そのあとは東電一色の生活だった。 

 結婚し、3人の子を育てながら焼き鳥屋をやった。客は原発で働く作業員たちだった。 

 その後は東電の社員寮に勤める。 

 昨年の夏まで10年間働いた。食事をつくり、若い社員らに「やつだっち」と呼ばれて慕われた。女子寮には、女子サッカーのなでしこジャパンで活躍した鮫島彩選手らがいた。「みんないい子でかわいかったです」 

 子供たちの手が離れてからは、東電の管理職の寮に住み込んだ。 

 思い出すのは選挙の時の東電の力の入れようだ。 

 町長選挙や県議会議員選挙があると、寮の食堂が東電幹部らの待機場所となった。支援候補が当選すると、幹部はそろってお祝いに駆けつけた。「電力会社は政治とがっちりつながっているんだな」と感心した。 

 これまでの人生の半分以上を東電とかかわってきた。にもかかわらず、今度の事故では東電から何の情報もなかった。 

 愛知県春日井市に避難してからはいっそう情報が入らなくなった。福島県の地元紙を郵送してもらい、隅から隅まで目を通す。 

 これから生活はどうなるのか。補償はどうなるのか。不安だらけだ。 

 6月、浪江町の家に一時帰宅した。冷凍庫は地震でひっくり返ったままで、腐った食材にハエがたかっていた。 

 8月末、自分の車を引き取りに再び福島に戻った。夫が車を運転し、春日井市から高速道路で8時間かかった。広野町の体育館で防護服に着替え、用意されたバスに乗り込んだ。 

 バスが止まると、首輪をつけた2匹の犬が足元に寄ってきた。途中、道ばたで猫が2匹死んでいるのを見た。 

 「一歩間違えたら、私たちがああなっていたのかな」 

 事故後、長女は郡山に、次女は新潟に、家族は散り散りになっている。 

 9月、福島県の仮設住宅に入居を申し込んだ。 

 「福島は何十年も暮らした土地ですから。戻りたい」。涙がこぼれた。(前田基行) 
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防護服の男(7) 早く東京へ来なさい

東京に住む娘の携帯電話の指示で転々と避難を続けた者もいた。菅野みずえの家に避難した門馬洋(もんま・ひろし)(67)と昌子(しょうこ)(68)の夫婦だ。 

 自宅は浪江町の権現堂地区で、原発まで10キロない。3月12日朝、町の防災無線が「津島に逃げてください」と避難を呼びかけた。車で知り合いのみずえの家に避難した。 

 菅野家には昼前に着いた。昌子はみずえの炊き出しを手伝い、お握りを握った。夕食後、25人の避難民たちが自己紹介しあった。知り合いが何人もいた。 

 みずえから白い防護服の男たちの話を聞かされたときは、夫婦はずるずる居残った。 

 しかし、翌13日朝、再びみずえから逃げるようにいわれ、昼前に菅野家を出発した。 

 とにかく北へ逃げようと、南相馬市を目指した。コンビニも商店も閉まっていた。レストランを見つけた。納豆定食が残っていたので、それを食べた。3軒のホテルに断られ、ようやく見つけたホテルに泊まった。 

 14日夜、福島空港から飛行機に乗り、15日に東京の長女と合流した。 

 長女の真理子(36)は地震のあと、両親の携帯を呼び続けた。11日の地震直後に、一度通じただけで連絡が途絶える。あとはメールだけだった。 

 しかし、メールの返信も途絶えた12日の午前8時43分。 

 「お父さんとお母さんの無事を神様にお祈りしています」 

 テレビやインターネットで、原発事故の新しい情報を必死で探し、両親に送り続けた。 

 1号機が水素爆発した12日の午後9時。真理子はテレビで専門家が「大丈夫」と言っているのを聞いた。「爆発は外壁だけで、放射能をまき散らすものではなかったと判明」。そんなメールを送った。大変な誤りだった。 

 両親が南相馬市に再避難した13日には「女川原発まで放射能が飛んでいる。そこも危ない。東京に来なさい」。 

 そして14日の正午。「3号機が11時半に爆発した。早く東京へ」 

 父は「そこまで行かなくてもいいじゃないか」と返してきた。真理子は「とにかく早く来なさい!」と叱った。 

 責任のある人たちは、だれも両親を助けてくれようとしなかった。真理子にはその不信感だけが残る。(前田基行) 

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防護服の男(8) 「ふるさと」歌えない

 菅野みずえの家に避難した門馬洋(67)は元高校教師だ。福島第一原発がつくられた40年前から反原発運動にかかわっていた。 

 当時住んでいた楢葉町(ならはまち)の町営住宅に、住民3人が集まって始めた運動だ。県知事や町長らに危険性を訴え続けた。東京電力とは数年前から毎月1回交渉し、3月22日も交渉が予定されていた。 

 原告404人で隣の福島第二原発について裁判を起こしたが負けた。そのとき仙台高裁の裁判長が述べた言葉を今もはっきり覚えている。 

 「反対ばかりしていないで落ち着いて考える必要がある。原発をやめるわけにはいかないだろうから」 

 それから21年。原発は安全だという幻想はあっけなく崩壊した。 

 「東京電力の想定がいかに甘いか。そのために多くの人に、どれだけの被害を与えたか。いったいどう責任を取るつもりなのか」 

 しかし、浪江町が今回の事故で「殺人行為だ」と国や東京電力を非難していることについても、同様に違和感がある。 

 浪江町にも、東北電力の原発建設計画が40年前からあった。浪江町議会が誘致を求めていたものだった。 

 昨年、町内会の会合で町議が洋を見ながらいった。「原発で浪江町の未来は明るくなる。門馬先生は反対でしょうが……」 

 7月に一時帰宅したとき線量を測った。家の近くで毎時4マイクロシーベルトあった。 

 畑には大きな柿の木がある。長女の真理子(36)が生まれたときに植えたものだ。300個以上の実をつけた年もあった。 

 「もう実がなっても食べられませんね。汚染されてしまったから」 

 30年ほど前、町内の体育館を借り、東京の劇団を呼んで放射能漏れ事故をテーマにした劇をやったことがあった。原発事故で町民が逃げ惑うというストーリーだった。それが現実になった。 

 夫婦は東京都北区の団地に身を落ち着けている。 

 家賃は13万5千円と高いが、長女の家の近くに住むため、そこに決めた。東京電力からもらった仮払金100万円を家賃の支払いにあてる。 

 洋は福島にいたころから合唱が好きだった。7月、北区で合唱団の催しがあるのを知り、妻の昌子(68)と参加してみた。 

 兎(うさぎ)追いしかの山、の「故郷(ふるさと)」を歌った。洋も昌子も途中で歌えなくなった。(前田基行) 

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防護服の男(9) 

 浪江町の赤宇木(あこうぎ)地区に住む三瓶(さんぺい)ヤスコ(77)は隣の飯舘村から嫁いで55年になる。菅野みずえとは公民館の民謡サークル仲間だ。 

 ヤスコは8月初めまで、細い山道を上った一軒家に1人で住んでいた。 

 地震直後は、神奈川県の孫娘の1DKのアパートに、富岡町の長女と孫息子の3人で避難した。 

 しかし、隣室の食事の音まで聞こえる。周りにも気を使う。「この年になると都会の生活は合わない」。犬と猫のことも気になり、4月末に赤宇木に戻った。 

 そのころは、まだ地区に数世帯が残っていた。そのうち1軒減り、2軒減り、誰もいなくなった。警察が30キロ付近で通行規制を始めると、車も通らなくなった。 

 さみしくなった。夜は真っ暗だ。何も考えないように思っても手が震え、食べ物がつかえた。 

 気晴らしに近くをドライブした。しかし、帰り道はどの家も明かりはない。山道を落ちてもだれも助けにきてくれないと思うと、ドライブが怖くなった。 

 日曜になると、背中に「文部科学省」と書かれた作業服の男たちが、地区に放射線量を計測にきた。ヤスコは車がくると出て行き、「今日はなんぼですか」と尋ねる。 

 「15マイクロシーベルトだよ」。男は気軽に教えてくれた。 

 「私の家も測ってくれんかね」 

 別の日、男は家の周辺を測ってくれた。家の外で10マイクロシーベルト、居間で5.5マイクロシーベルトあった。平常値をはるかに上回る量だ。 

 男はそれを紙に書いてヤスコに渡した。 

 6月初めのある日曜日、男がポツリと言った。 

 「今だからいうけど、ここは初め100マイクロシーベルトを超していたんだ。そのときは言えなかった。すまなかった」 

 その後も、男は「参考にして」といって、各地域の放射線量が書かれた地図をヤスコにくれた。 

 だが、ヤスコは8月初めまで赤宇木にとどまる。 

 「放射能は目に見えるわけでないし、数値を聞いてもよく分からなかったのよ」 

 8月初め、二本松市の仮設住宅に当たったため、赤宇木を出た。 

 しかし、今も2日おきに、約25キロ離れた自宅まで車で通う。 

 犬と猫にえさをやるためだ。 

(前田基行) 

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防護服の男(10)口止めされた警察官

関場和代(52)は3月14日、会津若松市の親類宅に避難した。家は菅野みずえの家に近い浪江町南津島にあった。 

 その後も避難指示がないため4月2日、ひとまず自宅に戻った。数日して、家の前に自衛隊のジープがとまり、隊員が降りてきた。安否確認で来たという。 

 そのころ浪江町の放射線量が高いことが報道されていた。それが心配で、おそるおそる尋ねた。 

 「この辺の線量はどのくらいですか」。隊員はにっこり笑い、ここは大丈夫だと答えた。 

 「私たちは線量計を付けています。1日にどのくらい線量を浴びたか分かるんですよ」。和代はそれで安心した。家に閉じこもるのをやめ、近所に出かけていった。 

 4月17日。近くの橋の上にいると、男が近づいてきた。フリージャーナリストの豊田直巳(55)だった。和代が、自宅の線量を測ってほしいと頼んだ。豊田は敷地のあちこちを測りはじめた。 

 玄関の雨どいの下を測ったとき、豊田が「ワッ、これは大変だ!」と叫んで立ち上がった。 

 ためらう豊田に、和代は「本当のこといってください」と頼んだ。 

 「2時間いたら、1ミリ吸います」と豊田は答えた。 

 豊田によると、そのときの線量は毎時500マイクロシーベルトを超えていた。2時間いただけで年間許容量の1ミリシーベルトを超える値だ。 

 具体的な数字を初めて聞かされ、大変なことだと初めて自覚した。和代はあわてて身支度し、豊田に見送られて家を飛び出した。 

 数日後、ネコを引き取りに再び家に帰った。警視庁のパトカーが敷地に入ってきた。 

 「ここって高かったんですね」と30代ぐらいの警察官に聞いてみた。 

 「そうなんです、高いですよ。でも政府から止められていていえなかったんです」 

 警察官はそう答えた。 

 和代はびっくりした。ジープの自衛官がいったことは何だったのか。 

 「もし自分の家族だったら、同じことがいえますか。真っ先に逃がすでしょう。私らのことは、しょせんひとごとなんですかね」 

 7月、中国の高速鉄道事故で証拠隠しが発覚した。日本のメディアは中国政府の対応を厳しく批判した。和代は腹が立ってくる。 

 「日本だって同じじゃないの」(前田基行) 
 
*2011.10.13朝刊

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防護服の男(11) あの2人のおかげで

菅野みずえの家に避難した25人は、「白い防護服の男」の情報とみずえの判断でそれぞれ再避難し、危険な状況から逃げることができた。 

 大量の放射性物質が飛び散り、住民が被曝(ひばく)するかもしれない緊急の時期だった。しかし政府も東京電力も、それを住民に教えなかった。 

 しかし25人は、混乱を起こすこともなく、冷静に動いている。 

 みずえは今、福島市に近い桑折町(こおりまち)の仮設住宅で暮らす。 

 「ほら、見てください」。みずえは空き地で遊ぶ子どもたちを指さす。 

 「あんな小さな子が、避難生活の苦労を背負ってこれから生きていくんですよ。もし被曝していたら……」 

 それにしても、あの白い防護服の男たちは一体だれだったのか。みずえは今も考える。 

 そのころ福島県内は、文部科学省や福島県、日本原子力研究開発機構、東京電力、東北電力などの計測車が走り回っていた。 

 例えば新潟県からの応援車もきていた。3月12日夕のちょうどその時刻、津島地区を通っている。 

 新潟県の職員2人は、原発事故対応の支援のため、ワゴン車に乗って福島県に入った。114号を浪江町に進み、津島地区を通った。午後4時ごろ、その先の川房地区で警官に止められて引き返している。 

 その職員に話を聞くことができた。ただ、内部被曝してしまったので、名前が出るのは困るとのことだった。 

 職員によると、当時、測定器は激しく鳴りっぱなしで、焦っていた。 

 津島地区を通ったとき、車がたくさん止まっていたので避難所だと思った。 

 「防護服? いいえ、着ていませんでした。車を降りてもいません」 

 14日未明には、放射線医学総合研究所のモニタリングカーが津島地区を通過している。まだ大勢の避難民がいたころだ。 

 車には測定器などを積み込んでいたが、「資材を運ぶのが目的だった。放射線量は測っていない」(広報課)という。 

 みずえが会った2人は、そうした計測チームの一つだった可能性が高い。 

 「あの2人の警告のおかげで逃げられた。それをなぜ国や東京電力は組織としてしてくれなかったのだろうか。もっと多くの人が逃げることができたのに」(前田基行) 

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防護服の男(12)区長は逃げなかった

菅野家の25人が再避難した3月13日、下津島区長、今野秀則(64)は、家を訪ねてきた菅野みずえから白い防護服の男の話を聞かされた。 

 しかし、逃げなかった。確かな情報もなしに右往左往すべきではないと思った。なにより、区長として先に逃げるわけにいかなかった。 

 3月15日の午前10時。津島支所の対策本部に呼ばれ、支所が二本松市に避難すると告げられた。 

 なぜだ。原発から30キロ離れた津島は安全のはずではなかったのか。しばらく事態がのみ込めなかった。 

 そのとき、テレビが政府の会見を放映していた。20〜30キロに屋内退避の指示。職員が食い入るように画面を見つめている。これなのか。 

 午後から下津島の50軒を1人で回り、避難を呼びかけた。 

 大半の家はカーテンが引かれ、避難していたが、10軒が残っていた。避難を促したが、拒まれた。3軒は「牛がいるので避難できねえ」といった。寝たきりの老人もいた。 

 今野は妻(55)と長女(23)を先に逃がし、そのまま津島に残る。 

 大勢の避難民でごった返した地区から物音が消えた。夜、雨が雪に変わり、路面は真っ白になった。静かだった。 

 昨日はたまたま留守だった家があるかもしれない。16日、もう一度、50軒を回った。いったん避難した5軒が戻ってきていた。 

 妻が車いすで、避難所ではトイレに行くのも大変だから帰ってきた――。1軒で、老夫婦がそう答えた。夫は「いいんだよ放射能なんか。もう年だし、ここで生活する」といった。今野は、車いすでも不自由しない別の施設をさがして伝えた。 

 「地域が消滅してしまう」 

 無人となった地区を車で走りながら、今野は悔しかった。 

 今野は元県庁職員で、今後は地元の伝統芸能保存活動に力を入れるつもりだった。しかし、そんな老後の夢は消え去った。 

 今野は町から測定器を借り、7月から毎月、地区の一軒一軒の放射線量を測り、その住人の避難先に郵送で知らせている。 

 県や町からいわれたわけではない。防護服の男の話を聞いたとき、津島が高い線量だと知っていたら、もっと強く避難を呼びかけたのに……。そんな後悔があるからだ。 

 ひと月前と比べ、どの家の軒先も雑草が生い茂っている。3年前に亡くなった父が大事に育てていた庭の植木も枯れた。(前田基行) 



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