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2011年5月31日火曜日

「原発依存は日本の現実」と米紙 補助金頼りの構造指摘/転載記事

「原発依存は日本の現実」と米紙 補助金頼りの構造指摘
2011年5月31日 23時56分(東京新聞)
 【ニューヨーク共同】5月31日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、福島第1原発事故で原発の安全性に深刻な懸念が生じた後も、日本で草の根の大規模な反対運動が起きないのは、政府や電気事業者から支出される補助金に依存する地域構造があるからだと分析する長文の記事を掲載した。
 「日本の原発依存」という見出しの記事は、補助金や雇用が日本の原発を「揺るぎない現実」にしていると報道。
 松江市の島根原発を取り上げ「40年以上前に立地の話が持ち上がった時は、地元の漁村が猛反対し、中国電力は計画断念寸前に追い込まれた」と指摘。しかしその約20年後には「漁協に押された地元議会が3号機の新規建設の請願を可決した」とし、背景に公共工事による立派な施設建設や潤沢な補助金があったと伝えた。
 同紙は、補助金への依存により、漁業などの地場産業が衰退していくと報道。広島、長崎で原爆投下を経験しながら、米国のスリーマイルアイランド原発や旧ソ連のチェルノブイリ原発の事故後に欧米で起きたような反原発運動が起きなかったのは、補助金への依存が理由とした。
 記事は「この依存構造のせいで地元は原発に異を唱えられなくなる」とする福島大副学長の清水修二教授(地方財政論)のコメントも伝えた。



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2011年5月30日月曜日

ドイツ 「脱原発」22年までに 与党合意、主要国で初 /転載記事

[脱原発] ブログ村キーワード
ドイツは日本と同じ敗戦国なのに、戦後の生き方は違いますね。
脱原発の動きは前からあったのですが、今回の福島原発事故で急展開してこの結果です。日本の事故を教訓としているんです。脱原発の国民のデモも15万人規模ですからね…。
他国の事故を教訓としてこれだけの政策転換ができるのだから、日本も自国の事故を教訓として脱原発をしないとね…。
以下転載記事です。
ーーーーーーーーーーー

ドイツ 「脱原発」22年までに 与党合意、主要国で初
2011/5/30 11:00/(日経新聞web)

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959FE1E2E2E3EB8DE1E2E2E7E0E2E3E39F9FE2E2E2E2
 【ベルリン=菅野幹雄】ドイツ連立与党の首脳は29日、首相府で協議し、国内に17基ある原子力発電所を順次停止し、遅くとも2022年までに「脱原発」を実現する計画で合意した。独DPA通信など複数の現地メディアが伝えた。福島第1原子力発電所の事故で想定外のリスクが判明した原発への依存をやめ、風力や太陽光など自然エネルギーを大幅に伸ばす。

 「脱原発」の方針決定はスイスが既に打ち出しているが、主要国ではドイツが初めてとなる。原発に対する拒否反応が国内世論で高まっているためだ。隣国フランスや中国など新興国はむしろ原発推進の立場で、世界のエネルギー政策の路線に大きな差が生じる。

 現地メディアによると、13時間に及んだ独与党協議でまとまった合意は、17基のうち大半を10年後の21年までに停止させるという内容。ただし、自然エネルギーなどへの転換が計画通り進まない場合はうち3基を「激変緩和措置」として22年まで稼働させる。脱原発による発電コストの上昇や供給不足を懸念する自由民主党(FDP)の主張に配慮した。

 東日本大震災の直後に3カ月間の稼働停止を決めた旧式の原発など8基については、7基を廃炉にし、残りの1基は冬場の電力不足に備え再稼働できる状態にしておく。

 メルケル首相は昨年、前政権での原発の稼働停止方針を変え、いったんは稼働期間の延長を法改正で決めた。だが3月に福島第1原発事故が発生し「考えを変えた」と脱原発に逆戻りする方針を表明していた。

 ドイツでは25年前のチェルノブイリ原発事故で放射能漏れなどに対する国民の懸念が極めて大きい。最近の地方選では反原発を掲げる連合90・緑の党が躍進を続け、首相は「脱原発」の方針を早く明示する必要があると判断したようだ。

 自然エネルギー分野を将来の成長分野と位置づけ、経済や雇用にもプラスとなると複数の与党幹部が説明しているが、コスト低減や供給確保が円滑に進むかどうかは不透明な面もある。(日経)
ーーーーーーーーー

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「家主がアメリカへ行きました」「え!」

娘:「家主がアメリカへ行きました」
爺:「え!‥いつ?」
娘:「昨夜です」
爺:「昨夜…」

 上記は先日の我が宿での会話です。
隣に住んでいた家主(正確には家主代行)が前から計画していた米国移住を決行したのです。まさに決行ですな。

正直、別れの挨拶ができなかったことが寂しい。その家主が別れの挨拶に来た時にはちょうど私は所用で出かけていたのです。
そんなに遅くない時間に帰ってきたのですが、その時には誰も教えてくれないので分からなかった。

翌日になってから、上記の会話ですわ…。寂しいね。
ベトナム娘達には家主の米国行きがどう感じられたか分からないが、私が帰宅時に即教えてくれたら、家主に会えたかも…、と思っても後の祭りですわ。

日本人とベトナム人では微妙な感覚の違いがあると思うこの頃です。

爺:「そうか。お別れの挨拶をしたかったな。」
娘:「大丈夫です。私たちがしましたから。」
爺:「うーん…。」(そう言われてもね)

その家主の親達や親戚は前から米国に住んでいます。今、私たちが借りている家はその家主の兄弟の家で本当の家主は米国に居るのです。(だから、家主代行)

今の家に住んでから2年ぐらいになりますが、昨年ぐらいから家主が米国へ移住するらしいと娘達が言っていました。
家主の家に「売り家」の張り紙がしてありました。

家の環境はあまり良くないと思うのです。1区の隣の区ですが、川の側で地面が低いので満潮時や大雨の時には家の前の狭い路地はどぶ川になります。

狭い路地に家が密集しているので、生活騒音がうるさい。

そんな環境の家が幾らで売れるのか?聞いてみたかった。娘達は聞いたのか?こんど聞いてみよう。
張り紙がしてある時に、何気なく娘に聞くと「何千万?」とか言っていたが、そんな値段でこんな環境の家は売れんだろうと思ったのだが、売れたらしい。

しかし、ホーチミン市の家の値段は高すぎる!!

何で、米国移住したいのか?聞いてみたかったな。

そう言えば、今の家の前の宿の家主も家族親戚は米国に住んでいると言っていたな。

ベトナム戦争で負けた南の政府はサイゴンにあった。
当然、戦争が終わったら北から勝利組がやってきて南政府の関係者は逃げ出した。その中に入っていたのかな?

会えなかった家主さん、お元気で。
(ふと、「惜別」の歌を思い出した。小林旭だったかな?何故か、歌に出てくる別れは北へ行くのですね。南では寂しさは表現できない?)


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2011年5月28日土曜日

事故を軽く軽く見せようとしている→原発 &  体重を軽く軽く見せようとしている→こころ

事故を軽く軽く見せようとしている→原発
& 
体重を軽く軽く見せようとしている→こころ
http://ameblo.jp/cocoro2008/

上記の言葉は藤波心(ふじなみこころ)というアイドルが自分のブログで書いている。彼女の言語センスはすごいと脱帽。
彼女は3月に脱原発、反原発の意見をブログ上で掲載して、12歳のアイドルということもあり、一方で原発の問題点を自らの感性で鋭く洞察していて大人も参ったという内容です。

そのブログに対して、業界関係者らしい者からは執拗な低レベルな攻撃的なコメントがあるが、それよりもはるかに多くの賛同者や感動したという内容の投稿が寄せられてまさにブログ炎上状態だ。

先に、山本太郎氏が反原発行動で事務所を辞めざるを得ない状況になったことで、彼女の存在が気になってブログをのぞいてみた。どうやら彼女はしぶとく頑張っているらしい。
アイドルや俳優である前に人間であれ。この実行には今の日本では大変かもしれないが、それ無くして子供の未来も日本の未来も明るくならないだろう。

がんばれ、藤波心。爺は応援しているぞ。

俳優の山本太郎が原発反対を表明して干されて、事務所を辞めた。

http://www.cinematoday.jp/page/N0032663
上記のアドレスがそのネットニュースです。
私は山本太郎という俳優は知りませんが、日本の芸能界では個人の意見が言えないんですね。その中で勇気ある行動をしていた俳優の山本太郎、今後も応援します

しかし、電力会社の力はすごいですね。電気止めるぞと言えば殺し文句になりますね。いや、広告費止めるぞでした。
日本の電力会社の地域独占は世界では異常なんですね。上記の殺し文句を怖く無いようにするには、電力会社の自由化をすればいい。
米国の方がよほど自由らしい。
電力会社が自由競争になれば電気代はもっと安くなり、風力、太陽熱、地熱など多様な選択ができます。

エネルギーーと言えば、ガス業界も独占状況ですね。昔から。昔、ガス業界にいたので詳しいです。
エネルギー業界は独占状態で昔の通産省時代から政府が公認してた。エネルギーの安定供給のためという大義名分を言い高い料金を消費者に払わせています。

そして、◯◯協会などと業界団体が作られて通産省から天下りが居ました。料金を自由化しないのが電力、ガス業界の常識でした。今思えば、それは業界のため官僚のためだったんですね。
電気は特に独占状態が異常すぎて、弊害だらけです。

今、電力の自由化が検討されているらしいが、思い切ってやりましょう。

2011年5月26日木曜日

もう、何が真実かなどは分からん。「実際には発電所長の判断で中断していなかった」と言うのも本当かどうか?

 東京電力と官邸、保安院をめぐる原発事故の真相は何が何やら分からないですね。当初から、お互いに真実などは公表しないで、自己都合に良い部分だけ公表しているような気がする。
 
そして海水注入の一時中断については、とうとう下記のような発表をした。現場判断で一時中断していなかったとは一体どういうことなんだろう?結果良し?

事故から2ヶ月以上も経過して、今ごろになって、ボロボロと事実が公表されてくる。それも、何が真実かなど疑わしい。

本来は、最初から最後まで事実を全て公表していれば問題にはならないだろう。それを、自己都合に悪い部分は隠したり嘘を言っているので、今ごろになって、隠蔽と嘘と真実が一緒くたになって、何が何やら分からなくなったのではないだろうか。

原子力発電は安全ではないのに、安全だと嘘を言って国民を騙して来たのである。元から真実など公表する姿勢はないと言って良いだろう。
それは、東電だけではない、政府や業界、学者など全ての関係者の責任だ。

事故発生以来、私は原発に無関心で無知だったことを恥じながら情報収拾し調べた。結果、原発は人間が管理できない恐ろしい物だと思った。それを管理できるなどと嘘を言ってきた政治、官僚、財界、学者などの罪は重い。

放射能は地球を滅ぼしてしまう危険性がある。それだけの怖い原子力という物を人類は地球上で作り出してしまい、事故が起きたら何万年も後始末をしなければならないなど、もはや人類が管理できる状況ではない。

その怖さは、世界の英知は分かっているのだろうか?いや、分かっているから「核兵器の廃絶」をオバマ大統領は言い出したのだろうと考える。

人類が生き延びて、地球が安全であるかどうかは、原子力発電から脱却できるかどうか、核兵器を廃絶できるかどうかにかかっているのだろうと思う。

特に、日本は地震国だ。そんな国に原子力発電は一番不適であった。と同時に、技術大国だと思って来た、いや思われて来た仮面が今ボロボロとはがれている。

技術力も管理体制もボロボロだ。それが、今の日本の毎日の状況だ。これでは危険な原発を管理などできないことを知るべきだ。この状況で、やはり原発は必要だなどとどこから言えるのか?

日本のあらゆる組織には特性がある。それは、その組織を守るために組織の中の個人や真実が潰されていくということである。電力会社という組織を見ても分かる。原発は安全だと言う嘘を膨大な宣伝費をかけて行う。

その影響力はマスコミ、政治、学問の世界に大きく広がって行く。特に、国民に影響を与えるマスコミの変更した報道姿勢は近年激しいものがある。
広告費のスポンサーの影響を報道姿勢に反映するなど、真実を報道するはずのマスコミに取ってもってのほかだと思うが、もはやそれは事実である。

大学入試でカンニングした高校生の私生活をしつこく追求したマスコミはカンニングの罪としては何倍も重い罰を一人の少年に与えた。その罪は重い。

しかし、今回の原発事故で当初逃げ回っていた東京電力の社長をマスコミは上記のカンニングの報道以上に追求したのだろうか。カンニングと原発事故の比較など本来おかしいが、それでも私は言いたい。

原発事故の責任の重さはカンニングなど吹けば飛ぶようなもんだ。なぜ、マスコミは東電の社長をしつこく追いかけないのかと、インターネット上では疑問の声が飛び交っていた。

そこには、マスコミの世界での広告費の影響力だと言われている。その広告費で日本のあらゆる組織の中に「原発は安全」だと嘘の宣伝をしてきた。

原子力を研究する研究者も、その電力会社のお金で原子力発電推進のための研究しかしなくなり御用学者だけだ生き残って行った。

例を挙げれば切りがないが、このように日本の組織は個人や真実が大切にされる組織ではない。

政治も然り。政治家が国家や国民のために政治活動を行うことなど忘れて、自己のお金儲けのために魂を売った結果が今の日本だろう。

原発のある地域も、当初は反対していても自治体にお金が入って来るという現実に負けてしまう。
しかし、その結果はどうなるか。それは福島原発事故が証明している。一時期のお金の魔力に負けた結果、失われた物の大きさに愕然とせざるを得ない。

私たちが向かわなければならないのは「脱原発」であることは明確だ。
しかし、日本はその方向に向かうことができるのだろうか?

まだまだ多い「お上任せ」の自ら考えようとしない国民性から脱却しなければ難しいだろう。政治は政治家に、と言ってきた結果が今なのである。

でも、ようやく道筋が出てきた。
孫社長の「脱原発」姿勢、行動、政策力などは明るく道を示してくれている。
脱原発のための自己資金での財団設立、太陽熱発電計画などは具体的で展望が見えてくる。

一財界人でもこれだけのことができる。もっと多くの影響力ある人が出てくれば世の中は変わると思う。
勇気を持ってほしい。

そのためには、政治が真っ先に方向性を出すべきだ。
政治が方向を示せば、日本はそれに向かって動き出す。研究も進むだろう。

今こそ、政治が脱原発を宣言して、日本を変える時だ。

時の政治家が、決死の覚悟で日本を変えると宣言できるかどうか。今問われているのはそこだろうと思う。

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東京電力は26日、福島第一原子力発電所1号機への海水注入を一時中断していた問題について、実際には発電所長の判断で中断していなかった、と発表した。
http://www.asahi.com/national/update/0526/TKY201105260339.html

雨期なんだな!これから…。早朝から大雨が降ってるよ。これから授業なんだけど…。

 朝の5時、先ほどから外は大雨です。
雨期なんだな!これから授業なんだけど…。

人間の記憶なんていい加減で、雨期でも雨は午後にしか降らないもんだと思っていたが間違いなようだ。と言うよりは、私の記憶力がいい加減なんだ。昔から記憶には自信がない。
最近では、覚えたいことは覚えられない。覚えたくないことは、いや、昔の忘れたい記憶が走馬灯のように蘇ってくることがあったりする…。なんだ、これ!

記憶の構造なんてどうなっているのだろう?
脳科学者に聞いてみたい。

これから本格的に雨期なんだ!あらためて実感。
数ヶ月は雨期だよ。

日本の友人に久しぶりに連絡して、ベトナムへ遊びにおいでと誘ったばかりだが、これから本格的に雨期に入ることを忘れていた。もちろん、雨期でも旅行はできるが。

今日は、早朝6時45分から授業がある。
これでは、学生は遅刻が多いだろうな…。
でも、試験の説明もするからと言ってあるから休みは無いだろうが…。

この大雨じゃ、先生が休みたくなるよ。
先生がそんなこと言ってはいけません、などと聞こえて来そうだが、ここはベトナム何でも有りです。

ベトナムでは先生が遅刻するのは当たり前だからな。
学生に、遅刻厳禁と言った手前、先生が遅刻する訳にはいきません。今学期は遅刻はしていない、今日も行こうか。

でも、雨期なんだな。「降ってるよ。」


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2011年5月23日月曜日

寂しいな。その後…、あまりの変わりようにオタオタ。

 先に「寂しいな」タイトルで同じ屋根の下で一緒に食事しないことのおかしさを書いたがその後の状況を書く。

翌日の朝(今朝だが)一人の日本語を話すベトナム娘に昨夜の出来ごとを話す。正直に「寂しいな」と言う。その娘は素直に「寂しいですね」と言う。

振り返れば、その娘の居る時には「一緒に食べませんか」と声をかけてくれているような気がする。
それが、昨夜のように日本語を話さない娘達だけになると言葉の壁があるのか文化のすれ違いが起きているのか?分からない。

そして、その娘に話した結果はてきめんに現れてきた。
一人の娘は妙に寄って来て言葉をかけて来る。さっきの話がもう伝わっているのが分かる…。
良いも悪いも、単純なんですね。ベトナム人は。

2時間後、私が話した娘はどこへ行ったのか聞くと「市場へ行きました」との返事。この時に、合点がいきました。
おそらく、昼食の準備に買い出しに行ったのでしょう。

昼前になったら、案の定「ご飯を食べましょう」と声がかかって来た。そう言われたら、何か照れくさい心境ですが断る理由もありません。はいはいと階下に降りて行きます。

昨夜の娘達も一緒に居ます。でも、昨夜のことは何もなかったような素振りで食事は進みます。

やはり、食事は一人よりも一緒に食べる方が良いなは素直な感想です。

そして、夕食も、私は独自に自分用の料理を作ったが娘達も作った料理を一緒に食べることになった。
この変化、変わりように少々驚きながらも結果良しとしよう。

その上記の娘達の変化の早さに、その理由の一つに意地悪爺の発言が効いていないことを信じたい。
実は、さきに娘に昨夜のことを話した時、最後に「炊飯器も冷蔵庫も洗濯機も私が買った物だ…。」と嫌みたっぷりに言ったのである。(それは大変だ!と娘達は慌てたのでは…。などと思ったりもするのだが。まいいか、結果良しだから。)
ほんと、我ながら嫌みな爺だ。

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理念なき政治、労働なき富、道徳なき商業=東電、人間性なき科学、/京都大学の小出先生の参院での発言/転載

 ーーーー転載ーーーーー
永岡です、今日小出先生が国会で15分ほど証言されました。ネットを見たら映像・音声がここにアップされていました。
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/05/23/sangiin-may23/
 これを聞き、例によりまとめました。私も同感です、皆さん、これを広めてください!

 (お話の概要)
 原子力に夢を持ち入ったが、貧弱なエネルギーであり、石油の埋蔵量は60〜70年、石炭は800年、天然ガス、オイルシェールもあります。化石燃料の枯渇を心配していたら、ウランは石油の数分の一、石炭の数十分の一しかないのです。核分裂性のウランのみですが、推進派はプルトニウムがあると言うものの、ウランを掘って加工し燃やす、原子力は、エネルギー資源になりません、

 プルトニウムを使い、核燃料サイクルを利用したらいいと推進派は言っているものの、廃棄物処理がいる、プルトニウムは燃料を再処理して増殖炉に引き渡すものの、増殖炉は出来ない、日本の高速増殖炉は破綻しました。高速増殖炉がいつ実用化するかを書くと、1968年の計画で、80年代全般に実用化といい、しかし、90年前後と後退し、2000年前後として、最後の改定で2010年とやって、実用化ではない、技術体系の確定もダメ、次の長期計画で、年度すら示せなかったのです。

 その後、2050年に1基目の高速増殖炉を作りたいとしたのです。目標が逃げていく、10年たつと、目標が20年先になり、絶対に届かない、永遠に届かないのです。こういう長期計画を作ってきた原子力委員会、他は責任を取らず、もんじゅに1兆円使った。1億の詐欺で1年の実刑だから、1兆円の詐欺なら、1万年の実刑なのです。100人なら一人100年の実刑なのです。誰も、責任を取っていません。

 今進行中の福島の事故、原発は膨大な放射能を扱います。広島原爆のウランは800gで広島壊滅ですが、原発にはウランは一つに1年で1トン!燃やすのです。それだけの核分裂生成物が出ます。

 原発は機械で、故障するのは当たり前、どんなに事故が起きて欲しくなくても、破局的な事故は起こるのです。で、推進側は破局的な事故は起こらない、「想定不適当事故」と言って処理してきたのです。たくさんの壁があると言う事で、重要なものは格納容器、これがいついかなる時も放射能を閉じ込めるとしているのです。これが「絶対に壊れない」と言っていたのですが、今破局的な事故が進行中であり、どうやって行政が向き合ってきたか、防災は危険を大きく評価しないといけないのに、過小評価して、事故を小さく見せてきた、最後にレベル7とした、避難区域も「万一」のために3kmだったのが、次に「万一」と10kmにして、そして20kmにした、どんどん後手後手なのです。パニックを避けるのは正確な情報なので、政府が信頼を受けるのに、日本の行政は危機的な情報を隠してきたのです。SPEEDI、20億円かけたものを住民に隠していたのです。

 誰の責任か明確化せず、労働者、住民に被爆を強いています。本当にこんなことをやっていていいのかと思うのです。

 福島の本当の被害を考えると、途方に暮れます。福島全域を放棄しないといけない、それをしないならば被爆限度引き上げ=住民の被爆であり、一次産業は崩壊、住民は崩壊します。東電に賠償をさせても足りない、何度倒産しても足りない、日本国が倒産しても足りない被害なのです。
 ガンジーが7つの社会的な罪と言っており、理念なき政治、労働なき富、道徳なき商業=東電、人間性なき科学、などがあるのです。以上で終わります。


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寂しいな。

 昨夕の出来ごと。
今晩の飯はどうするか?と台所を覗くと、娘達が料理を作っていた。美味しそうだなと様子を見るが、私の食べる物を準備する場所は無さそうだ。

実は、最近は以前と違って食事は各自が作ることになった。
以前は、昼夜と2回娘達が交代で皆の食事を作っていたが、ある時に誰が言い出したか知らないが、これからは忙しくなるので各自で食べることにしましょうと一方的にベトナム娘たちで決めて言われた。

それからは、私は大変である。自分の食事は自分で用意しないといけない。いままで黙って座れば飯が食べられると自慢していたが、いきなり今日から作りませんと古女房に言われたような気分だった。何で…。

しかし、その生活も慣れたらそれなりになんとかしていたのだが、今回は久しぶりに寂しさを感じた。

上記の台所の場面に戻ろう。
台所の様子から、私は料理ができたら私にも「一緒に食べましょう」と声がかかるだろうと部屋で待っていた。

結論から言うと、声がかからなかった。
こういう時の心境は寂しいもんですな。
台所で5人のベトナム娘たちだけで食事したようです。私が2階の部屋にいることは知ってか知らずでか。

今までもこんな場面はあったのですが、そう言う時は日本語を話す娘が「いっしょに食べましょう」と誘ってくれたが、今回は後で気づいたがその日本語を話す娘達は全員外出中だった。

しかし、寂しさと同時に私の心には怒りが湧いて来た。
数日前には一緒に貝の店に行ったではないか。その時は勘定の半分は私が払ったのに…。勝手なもんだ、などと嫌みたっらしい思いも湧いて来た。

仕方なく、階下に降りてみるとすでに食事は終わっていた。
私は、所在なく家の外へ行く。

日曜日の夜は、近所では以外に気の利いた飯屋が無い。かなり歩き回った。気分も落ち込んでいたし疲れた。

この1週間は、寝違いによる首の痛みと仕事上のトラブルがありストレス状態だったが、首の痛みは再発しそうな気分だった。

ふと、家族が一緒にご飯を食べなくなったらダメだな…などと日本での生活のことを後悔の念とともに思い出していた。

帰宅後は、久しぶりに中島みゆきを聴く。

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2011年5月22日日曜日

【5.23 文部科学省 包囲・要請行動&院内集会】 ~子ども20ミリシーベルトを撤回せよ! 福島の子どもたちを守れ!~

~~~~~~~~~~~~ 以下転送 ~~~~~~~~~~~~

==========================================================
※拡散希望
【5.23 文部科学省 包囲・要請行動&院内集会】
~子ども20ミリシーベルトを撤回せよ!
福島の子どもたちを守れ!~
http://blog.canpan.info/foejapan/archive/25
集合:13:00 @文部科学省前
東京都千代田区霞が関3-2-2(最寄駅:虎の門、霞が関)
地図: http://www.mext.go.jp/new_map/index.htm
==========================================================

あまりの事態に、福島の親たちが立ち上がりました!
福島からバスを仕立てて乗り込みます。
みなさんもぜひ応援してください!
5月23日13:00、文科省前に集まってください。

5月23日のスケジュール:
13:00 文科省前集合
    福島からの代表団到着
13:30 文部科学大臣への要請(交渉中)
   (文科省外にて)要請行動
14:30 移動開始
15:30~16:30
    院内集会「福島の子どもたちを守れ!」
    於:参議院議員会館 講堂
    内容:交渉報告、国会議員との対話、記者会見など
16:30~17:00
    記者会見 於:参議院議員会館 講堂

【主催】子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク
【共催】グリーン・アクション、原子力資料情報室、
福島老朽原発を考える会(フクロウの会)、
美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)、
国際環境NGO FoE Japan
【協力】脱原発と新しいエネルギー政策を実現する会(eシフト)、
プルトニウムなんていらないよ!東京
【問合せ】福島老朽原発を考える会 03-5225-7213
携帯 090-8116-7155(阪上)
  子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク事務局
024-523-5238 携帯 080-1678-5562(中手)

4月19日、文部科学省は、学校等の校舎・校庭等の
利用判断における放射線量の目安として、年20ミリシーベルト、
屋外において3.8マイクロシーベルト/時という基準を、
福島県教育委員会や関係機関に通知しました。
3.8マイクロシーベルト/時は労働基準法で18歳未満の作業を
禁止している「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時
以上)の約6倍に相当する線量です。

基準を現実の合わせて引き上げたこの決定は、行政の都合で、
不必要な被ばくを子どもたちに強いるものです。

高まる批判の声に、原子力安全委員会は、「20ミリシーベルトを
基準として認めていない。また、どの委員も専門家も安全とも
していない」と発言し、政府の意思決定の根拠は
極めてあいまいな状況となっています。
この無責任で非人道的な日本政府の決定に、
国際的にも国内的にも、非難の声があがっています。
http://e-shift.org/?p=432

福島県選出の複数の国会議員からも「20ミリ撤回」の声が
あがっています。
http://blog.canpan.info/foejapan/archive/23

私たちの声を結集し、この「20ミリシーベルト」を
撤回させましょう!
福島の子どもたちの未来を守りましょう!
文科省を包囲しましょう!


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2011年5月21日土曜日

孫社長:全国10カ所に太陽光発電所計画

孫社長やってくれますね。一企業、一社長でこれだけできる。他にも追随する人が出てくれば脱原発も早くなるな。頑張れ孫社長。
ーーーーーーー転載記事ーーーーー

孫社長:埼玉などと連携、全国10カ所に太陽光発電所計画

 東日本大震災と福島第1原発事故の発生以降、原発依存からの脱却を訴えているソフトバンクの孫正義社長が、全国10カ所に大規模太陽光発電所「メガソーラー」を建設する検討に入ったことが21日分かった。

 関係者によると、「脱原発」構想を掲げる橋下徹大阪府知事が孫氏に共鳴。これをテコに孫氏は7府県でつくる関西広域連合などと連携。総額約800億円を投じて、1施設当たり1万~5万キロワットのメガソーラーを建設したい考え。事業費については、各自治体にも一部負担してもらうよう要請する方向だ。

 埼玉県の上田清司知事は21日、県内で記者団の取材に応じ、孫氏側が79億円、県など地元自治体が1億円をそれぞれ負担して、80億円の事業費でメガソーラーを建設する計画を進めていることを明らかにした。発電能力は約2万キロワット以上という。【堀文彦、高山祐、西田真季子】

毎日新聞 2011年5月21日 21時48分(最終更新 5月21日 23時31分)


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機嫌が悪い外国人と果物売りのベトナムオバさんの会話編

 一人の日本人爺が小雨の中を歩いている。
道ばたでカムと言ってベトナム風オレンジを売っているオバさんに呼び止められた。

ジュースにしたら美味しそうだなと思いながら、大小2種類のカムを見るが、小さい方を二個手にとり幾らか計りにかけて聞く。
500gで1万ドンとオバさんは言う。

お金を払おうとしたら、オバさんは大きい方を指差して「美味しいよ」と言う。

日本人は小さい方を見て「え!じゃ、これは美味しくないの?」と聞く。
オバさん:「美味しいよ」
日本人:「本当かよ?」

試しに大きい物を二個計りにかけて幾らか聞く。1キロg200だから3万ドン300だと言う。

「マックワー(高すぎる)」と言うと、慌ててさっき選んだ小さい方を差してそれを買えと言う。

日本人は買う気をなくして、「要らないよ」と言って雨の中を立ち去る…。

ベトナムオバさんは何かブツブツ言うも、日本人には聞こえない。

(会話場面:日本人はレストランから出て来たばかり少々機嫌が悪そうだった。)

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2011年5月20日金曜日

「まだですか?」「何を食べますか?」「はー!?」/レストランにて

 今夕、7時ごろに家の近くの食堂(一応レストランとしているが?)に食べに行く。

入り口で、「コム、ガー美味しいよ!」と言うのでそれを注文して2階席に行く。
そしたら、中年の店主らしき男がやってきて何を食べるかと聞くので、さっきコムガーと言ったよと言うと慌てた風で「そうですか」と言う感じで階下に降りて行った。

それからかなり時間が経って来た。外は大雨が降っている。
しかし、遅いなと周りを見ると、私より遅く来た客にはもう料理が出ている…。

さっきの店主らしき男に「まだですか」と聞くと「何を食べますか?」と聞いて来るのでムカッと来た。
遅い、時間がかかっていると言うとまた「何を食べるか?」と聞くので立ち上がって言う。

もう15分以上も経っている。あなたが注文を聞いた時に私は「さっきコムチンガーと言った」と言ったではないかと言う。

明らかに男は注文を忘れていることが分かったが、それを認める風ではなくて「何を食べますか?」と聞いて来るので頭に来た。

そしたら、前の席の女性が身振りで私が注文したことを聞いたということを教えてくれた。
狭い店内に私の大声が響いて、お客が一斉に私を見ている。

さすがに、男は形勢不利と見てかようやく「シンロイ(すみません)」と言う。
そして、階下に注文をしている。
「忘れていたんだろ!」と私が言うも返事はない。

しばらくして、注文の料理は出て来た。
そのときに、「カン」と言う小さなお椀に入ったスープを注文する。そしてさっきの男に「カンを注文したぞ」と大声で嫌みたっぷりに言ってやる。他の客は笑っている。

ここベトナムでは、上記のような店のミスや間違いなどは日常茶判事である。でもその時に店の「シンロイ(すみません)」と言う言葉はなかなか聞こえて来ない。

ベトナム人が日常会話で「シンロイ(すみません)」と言うことは殆ど無い。言葉はあるが使用されていないと言って良いだろう。自分の過ちを認めようとしないのがこの国の文化と言ってもいいだろう。

一方、日本人は「すみません」をよく使う。その日本人からすると上記のような場面になると、摩擦が起きて来るのは当然だろう。

ゆっくりと食べたつもりだったが、店を出た時はまだ小雨が降っていた。

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昨日はホーチミン様の誕生日パーテー、会場は貝のレストラン

 昨日の夕方、することもなく寝ていた私の部屋に一人の娘が入って来た。みんなで貝の店に行くので一緒に行かないかと誘う。場所を聞いたら、ゴーバックというホーチミン市の郊外で遠い。
あまり気が向かないが(理由は体調が良くないから)OKする。

バイクで走り出すと案の定、遠い…。
途中何度か「まだか?」と聞くが「まだ」と言いながら娘達はバイクで走る。バイク4台、娘6人と私である。

結局、30分は走った。遠いわ、が実感。何故こんな処まで貝を食べに走るのか?どうも、一人の娘の大学がこの辺らしい。その関係で新しくできた貝の店の割引券を誰かにもらったらしい。

それで、30分も走ってきたのである。最近ガソリンも値上げして高いのに…。などと思うのだが、ベトナム娘の思考方法は理解不可能!!
ま、昔、日本でもスーパーの安売りチラシに走る女性たちがいたな、その感覚とあまり変わらんかも知れん。

その店は、通りを少し路地に入った所にあった。夜の7時ごろだが客はまばらだった。
適当に注文を娘達に任せて、茶ダーで乾杯。今日は誰かの誕生日パーテーか?と冗談で聞くと「ホーおじいさんの誕生日」だと言う。おー、そうだったと気づく。

今日は、ホーチミン氏の誕生日だった。5月19日。

料理の味は普通だった。これなら30分も走る価値は無い。娘達も黙っているが同感だろう。
海老とイカも食べたが、材料が新鮮ではないのが分かる。これなら、市場で買って来て自分で料理した方が余程新鮮で美味しいやと文句を言いながら食べる。

結局、今ひとつ盛り上がらないままにパーテーは終了。
料金の半分を私が負担し後は娘達に…。

娘達は、カラオケに行きたいと言いながら結局家に全員帰って来た。どうも、娘達の気分も今ひとつのようだ。


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2011年5月19日木曜日

チェルノブイリ・ベイビーから「福島の子どもたち」へ~(エッセイ)

*************転載記事*****************************

http://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=938

[TUPエッセイ]

▼チェルノブイリ・ベイビーから「福島の子どもたち」へ~(エッセイ)





2003年11月のはじめごろのことだ。ブッシュ大統領のロンドン訪問にあわせた大規模反戦デモを翌日に控えて、ロンドンの議会前広場で抗議行動をしている最中に、顔見知りの反戦活動家がひとりの青年を紹介してくれた。

「反核活動家のイアンだ」

イアンと呼ばれた背の高い青年は人なつこい笑顔で握手を求めながら、「日本人だって?」と話しかけてきた。ジャーナリストの森住卓さんが撮影したイラクの子どもたちの写真展示を通して、イラク戦争と劣化ウラン兵器に反対する活動を行っているとわたしが自己紹介すると、イアンは、劣化ウラン弾によって発生した放射性物質でイラクの人々、とりわけ子どもたちがひどく苦しめられていることを知っていると言った。

そして、日本の人はヒロシマの経験があるから放射能の悪影響に敏感だねと続け、「放射能がどんなにひどいことをするか、ぼくもよく知ってるよ」と言いながら、かぶっていたキャップをとった。

イアンの頭は、火傷を負ったばかりように広い範囲にあちこち赤剥けていて、実際には乾いていたのかもしれないが、濡れたようにてらてらしていた。そして、そのただれた赤い皮膚のあいだに、金色か薄い茶色の髪の束が少しずつ、ここが頭であることの申しわけのように生え残っていた。赤剥けた皮膚は頭から首筋のほうへ、その下へとずっと続いているようだった。

「どうしたの?」と尋ねると、「チェルノブイリの灰をかぶったんだ」と答え、外したときと同じぐらい素早く帽子をかぶってしまった。

チェルノブイリ原子力発電所の4号炉が爆発した翌日、まだその爆発が隠蔽されていた4月27日日曜日の昼間、イアンは自宅の近所の海岸にいた。「ビーチで遊んでいたんだ」。ひとりではなく、友達か家族といっしょで、他にも大勢の人がいたらしい。「なにしろいい天気だったそうだから、その日は」

放射性物質の付着したホコリや灰が北西の風にのって千キロ以上離れたイギリスの東海岸まで到達し、雨粒とともに地上に降り注いだ結果、放牧されていた羊が放射能に汚染された牧草を食べて被ばくし、食用に適さなくなったといった話は聞いていた。しかし、チェルノブイリの灰で被ばくした人に遭うのはイアンが初めてだった。放射性物質を直にかぶっただけでなく、海で泳いでもいたので口から体内にも取り入れた可能性があり、その影響か、ひどく体が弱いという。

スウェーデンの原子力発電所にある放射線管理区域外の敷地で、そこにあるはずのない放射性物質が検出されて放射能漏れが疑われたのは、イアンが海岸で遊んでいた翌日だ。世界をかけめぐった最初の報道では、放射能漏れをおこしたのは放射性物質の見つかった当の原子力発電所だとされていたが、やがて、どうやら出所はソ連圏だということになり、同じ日の夜(欧州時間)になって、ソ連の通信社がチェルノブイリ原子力発電所(現ウクライナ共和国)での2日前の大爆発を報じた。

その大爆発を知っていたら、どんなに天気が良くても子どもを海岸になどやらなかったろうに、外でなど遊ばせなかったろうにと、イアンの母親は悔やんでも悔やみきれず、きっと何度も泣いたろう。

* * *

福島第一原子力発電所のふたつの原子炉建屋で水素爆発が発生してからまもなくの3月17日に、ロイターのウェブサイトに「チェルノブイリ・ベイビー」の証言が掲載された。「フォールアウト・ゾーン(放射性物資が降った土地)での暮らし、人生」について、その地で生まれ育ったロイターの新米特派員が自ら語る記事だった。

ナスターシャ・アストラシェウスカヤという名のその特派員はイアンよりさらに若い世代に属していて、イアンが長男とすれば、少し年の離れた妹あたりの年齢だ。ナスターシャはチェルノブイリで爆発が起きたときは、まだ生まれていなかった。それどころか胎児でさえなく、まだ母親の体の中の卵子のひとつに過ぎなかった。

ナスターシャは語る。



チェルノブイリが爆発したとき、私はまだ生まれてもいませんでした。にもかかわらず、私の子ども時代は命にかかわる負の遺産につきまとわれていました。

同じ学校の女の子の一人は片手の指が6本ありました。 私の甲状腺はいつも
肥大していますし、私も家族もずっとガンを恐れていくことになるでしょう。

津波に襲われた福島原子炉の暗い影の中で生活し、この先の影響を心配されている日本の方々が、そんな運命にならないようにと願っています。

私は1989年8月31日、チェルノブイリから500キロ離れたベラルーシのモギリョフで生まれました。モギリョフは、1986年4月に起きたウクライナのチェルノブイリ原発の火事の後、ベラルーシに向かって飛ばされた放射性の雲の中心にありました。

私はその時、起きたことを直接経験していませんが、両親がその話をするのを何度も聞きました。

そのスモッグが何日も漂っていたとき、何が起きていたか、両親は知りませんでした。公の説明は何もありませんでした。テレビでもラジオでも、役人の口からも一言もありませんでした。

本当のことを知っていた人たちは、自分の子どもに家の中にいるように指示しました。でも一般人のあいだにパニックを起こしたくなかったんです。一般人は自分の吸っている空気がどんなものかすら気づかずに、汚染された通りを歩いていました。

チェルノブイリの爆発が隠しおおせるものではないとソ連政府が悟るまでに数日かかりました。大量の放射性物質が放出されたと外の世界では知っていたのに。

危険に気づくと、両親はすぐ決断しなくてはなりませんでした。母と兄はモスクワへ行くことにしました。モギリョフより放射能の影響が少なかったのです。父はモギリョフに残って仕事を続けることにしました。息をするのも危険でしたが、家族にはお金が要りました。

「あなたのお兄ちゃんはそのとき五歳だった」と母は話してくれました。「連れ出さなくてはならなかったの」

荷物の支度をしてモスクワに向かい、母方の伯父の家に滞在しました。「五カ月いたの」と母は言いました。「でもすぐには何も変わらないとわかって、お父さんのところに戻ったの」。移住するのは無理だったんです。

私はその3年後に生まれました。

出生率は急激に下がり始めていました。事故のあとに生まれた赤ちゃんにいろいろな異常があって、みんな子どもを持とうとしなくなったんです。私と一緒に学校に行っていた女の子は腕に異常がありました。

こわかったけれど、慣れました。

事故のあと、ベラルーシで暮らしていたほとんどの人がそうでしたが、私の甲状腺はふつうよりずっと肥大していました。いつも甲状腺ガンになるのを恐れて暮らしていました。

ベラルーシはチェルノブイリから出た放射性降下物でもっとも汚染された国で、汚染が完全に取り除かれた地域はまだほとんどありません。

水のせいで歯が悪くなりました。放射能レベルが他より低い場所があって、きのこやベリーを摘むことができました。広大な森の地域が鉄条網で立ち入り禁止にされていて、 「放射能危険」という黄色
の標識があちこちにあったのを覚えています。

私の世代の、特にウクライナとの国境に近い地域に住む人は、「チェルノブイリの子どもたち」として知られるようになりました。気の毒に思った外国の人たちが団体を創設して、汚染地域の子どもの健康状態が改善するように手助けしてくれました。毎夏何週間か、歯の治療を受けたり、健康にいい食べ物を食べたり、新鮮な空気で肺をきれいにしたりできるよう、ベラルーシから欧米に連れて行ってもらいました。

今日、爆発から25年経って生まれる子どもも、やはり脅かされています。その子どもも孫もです。放射能はそんなにすぐには消えないからです。子どものころに放射能にさらされたので、その影響はずっと体に残るし、子どもがどこで生まれても、たぶんその子にも伝わるとわかっています。

でも今できることは何もありません。立ち入り禁止の森や野原に入らないようにするだけです。[翻訳協力:荒井雅子(TUP)]

http://www.huffingtonpost.com/2011/03/17/chernobyl-japan-nuclear-crisis_n_837213.html

* * *

もう一度、イアンの話をしよう。

イアンは反核活動家として、核兵器に反対する行動だけでなく、核再処理施設や原子力発電所での抗議行動にも参加してきたそうだ。イアンがそうであるように、世界の反核活動家はしばしば原子力発電(核発電)にも反対の立場にたつ。チェルノブイリ原子力発電所の爆発以降、その傾向は顕著で、「NO NUKES」と言えば、それは核
兵器と核発電の両方に反対する意見表明にもなる。

イアンは言う。

施設の前で抗議行動をしていると警備員が出てくるだろう。そうすると帽子を取って頭を見せてやるんだ。これが放射能のやったことだって。

イアンには核に反対するだれにも負けない動機がある。



かれの話を聞いて考えた。

日本人はしばしば「日本は唯一の被ばく国だ」と言う。実際には、核実験場をはじめ世界の至るところに被ばく地はあるが、とりあえずその点はおいておくとする。「唯一の被ばく国である日本は核兵器の使用にも所持にも反対である」と言うが、そこで問題にされる「世界で唯一の日本の被ばく」とは、どうやら「爆発」を伴う兵器による直接的な被ばく、わけても「体外被曝」にほぼ限られるようにみえる。

原爆の破壊力は確かに凄まじい。中規模の二つの地方都市が一瞬にして死体と瓦礫の山に変わった。爆発を生き延びたうちの少なくない人々が、爆発によって放出された放射線によって急性放射線障害を負い、数日から数ヵ月を苦しみ抜いて亡くなった。これらの被害は原爆の空間的な破壊力と定義することができるだろう。

核兵器の必要性を説く人たちが問題にするのも、核兵器のこの空間的破壊力だ。一瞬で大量の破壊をもたらすことによって敵に脅威を与え、それ以上の戦争の継続を断念させる効果がある、と。そして、この恐怖感を互いに煽ることで、冷戦は不思議に均衡していた。



しかし、原爆の恐ろしさの本質は、実は空間的なものより時間的な破壊力にある。

原爆投下の翌日、数日後、1週間後、けが人の救助や家族を捜して広島や長崎の市内に入った人々(入市被ばく者)が、急性放射線障害と同じ症状でばたばたと亡くなった。これはいまでは内部被ばくが原因とされている。

また、原爆を生き延びた人や残留放射能によって被ばくした人々は、数年後、数十年後に、複合的なガンに冒されることがしばしばある。ガンにならないまでも、疲れやすくて集中力が続かないなどの重度の倦怠感が原因で仕事に就けなかったり、一見怠けているようにしか見えないことから「ブラブラ病」などと揶揄され、苦しい生涯を送った人も多いと聞く。

仮に被ばくした本人は比較的健康に人生を全うすることができたとしても、次の世代、また次の世代に身体的な異状が現れることもある。そして、この情報が歪められて広がった結果、心ない差別に苦しめられてさえいる。そればかりか、ガンを患った子どもや孫が、自分より先に死ぬ不幸にもしばしば立ち会う。

こうした原爆の時間的な破壊力に注目すると、爆発を伴うかどうかよりも、放射能の拡散こそが問題だと気づく。

放射性物質がいったん環境に放出されてしまえば、その物質が放射能を出し切って別の無害な物資に変わるまで、時には何万年も何十万年も放射線を出し続ける。そして、そのあいだずっと危険は去らない。放射能は閉じ込めておくべきものという視点に立てば、放射能を閉じ込める器が核兵器の形をしているかどうかは、二次的な意味しかもたなくなる。

核兵器と原子炉が同じものでないように、核兵器の使用と原子力発電所の事故は同じものではないとの主張は、大量の放射能の環境への放出という点からみれば、あまり有効ではない。

「日本は唯一の被ばく国である」という前提が、「核爆発による被ばく者」とそれ以外の被ばく者のあいだにヒエラルキーを作っているのではないか。放射線の被害者であるという点において、爆心地の被ばく者と入市被ばく者のあいだに差がないように、原発の事故によって被ばくを余儀なくされている人々とのあいだにも差はないはずだ。

「日本は唯一の被ばく国である」というこの決まり文句がフクシマ以降も有効かどうか、わたしたちは夏までに答えを出さなければならない。



数十年前に爆発してしまった核爆弾の被害をいまから防ぐことはできないが、いま日本の核施設から拡散される放射性物質によって被ばくする被害者の数を、出来る限り低く抑えることは可能だ。

広島や長崎の上空で爆発した爆弾が、いま、福島第一原発の3つの原子炉と炉心冷却プールで、ゆっくり時間をかけて爆発していると置き換えてみよう。一瞬の爆発に逃げ場はないが、ゆっくりした爆発からは逃げ出すことができる。数十年後にはできないことが、いまならできる。



福島の子どもたちに対して文部科学省が出した「児童の放射線許容量を年間20ミリシーベルトとする安全基準」を、いますぐ変更前の基準に戻すべきだ。そして、そのような高レベルの基準にしなければ外遊びもままならないような地域の子どもたちは、学校まるごと疎開させたらいい。

少子化によって教室の余っている学校が全国にあるはずだから、それらの教室に担任ごと子どもたちを疎開させたらどうだろう。空き教室が3つあるなら福島の3学級が、ひとつしかないなら1学級が、同じ市町村のいくつかの学校に分散してクラスごと疎開すれば、子どもたちもそれほど寂しさを感じなくてすむのではないか。

いまの緊急事態が収束し、放射性物質の除去が行われるまでの1?2年の措置であるし、子どもたちは同じ学校に通う子どものある家にホームステイさせてもらったらどうだろう。何か支援したいけれどどうしたらいいかわからない、子どもの世話ならできるしやってみたい、力になりたいと申し出る人は多いと思う。

教室の整備や子どもの移動にかかる費用は税金をあててもらっていいのではないか。また、ホームステイ先にも食費などの補填があるともっといいと思う。

子どもたちが安全なところで暮らしているとわかっていれば、被災地に残る親たちも安心して生活の建て直しに集中できるだろう。被災した子どもたちが教室にいれば、わたしたちも福島の被害を身近に感じ続けていられるはずだ。



福島第一原発の事故がチェルノブイリと同じレベル7に引き上げられた日、BBC24のニューススタジオでキャスターがふたりの専門家に話を聞いていた。

ひとりの専門家が「これは日本が隠し事をやめるという意思表示でしょう。共産圏じゃないんですから、もっと情報をオープンにして解決策を広く求めるようになるのでは」といった楽観的な展望を述べると、もう一方の専門家は別の立場から意見を述べた。「レベル7になったということで、避難地域が拡大されるはずですが、全体主義の国じゃないので避難圏の住民を強制移住させるわけにもいかず、いっそう混乱するかもしれません」と。

政府が子どもの疎開を決断すれば、福島の人たちは不満を述べながらもほっとするのではないだろうか。たいへんなのはわかっているが、いま限られた時間を心配するほうが、将来にわたって心配し続けるよりずっといいはずだ。

政府の決断など待たずに、市町村ごと、地区ごと、学校ごと、子どもを受け入れると名乗りをあげてもいいと思う。あなたの周りの人と話してみて欲しい。

決断を遅らせるべきではない。危険の度合いは放射能に曝される時間が長くなるほど高くなる。

「フクシマの子どもたち」と呼ばれる世代を作り出してはならないと、「チェルノブイリの子どもたち」が身をもって教えてくれている。



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「原発」国民投票を実現させる市民の会/転載記事

転載記事
ーーーーーーーー
市民グループ「国民投票/住民投票 情報室」が、原発の是非を国民投票で
決めようと、《「原発」国民投票を実現させる市民の会》への
参加を呼びかけています。
http://www.ref-info.net/

東京では5/20(金)、名古屋では5/21(土)、大阪では5/22(日)に
意見交換会が行われます。
ご関心のございます方は、ご参加いただきますようよろしくお願いいたします。

----------------
開催!「原発」国民投票を実現する会・結成のための意見交換会

 「原発」をどうするのか。この極めて重大な案件は、行政府や立法府が
勝手に決めることではなく、主権者である私たち一人ひとりの国民が
決定権を握るべきです。任意のグループが行う「ネット投票」ではなく、
国会が認めた公式の「原発」国民投票を実現することは決して夢物語では
ありません。多数の主権者が望み、求めれば、実施されるのは当然の
道理です。そのための市民グループ《「原発」国民投票を実現させる
市民の会》を結成しようと考えています。

 この会は、「脱原発」あるいは「原発推進」を呼び掛けるグループ
ではありません。主権者が、原発の将来をどうするのかについて、
直接の決定権を握るための国民投票を実現させることを目的として
運動を進めるグループです。メンバー個々人が「原発」について
どういった考えを持つかは自由ですが、会として、「脱原発」
あるいは「原発推進」を呼び掛けることはしません。これは、
市民の知恵と情熱で歴史的な住民投票を実現させた、新潟の
「巻原発・住民投票を実行する会」や徳島の「第十堰住民投票の会」
の活動スタイルに倣ったものです。

その結成準備のための会合を、東京・大阪で下記の通り行います。

・東京 5 月20 日(金)19 時~
カタログハウス 会議室
http://www.cataloghouse.co.jp/company/profile/map_honsya.html

・名古屋5月21日(土)16時~
名古屋駅前のホテル「ル・ウエスト」の会議室
http://www.louest.co.jp/location.html

・大阪 5 月22 日(日)13 時~
新大阪丸ビル新館 7F 710 号室
http://www.japan-life.co.jp/jp/conference/map.html

【参考】諸外国での原発住民投票の事例
http://www.ref-info.net/topix/topix48.html

問い合わせ:国民投票/住民投票 情報室
TEL:080-3866-3037
E-mail:ref@clock.ocn.ne.jp
http://www.ref-info.net/


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日本語の習得には時間がかかる

 今更ながら、日本語の習得には時間がかかると思う。
今の宿で一緒に生活しているベトナム人女学生の中で日本語を勉強している者が3人居る。2年生の頃から一緒にいるが、毎日良く勉強していると感心していた。

その彼女達は、日本人と同じ屋根の下にいるので他の学生よりは日本語は上手である。特に会話は。当たり前だ。
それでも、その3人ですらN2は後わずかのところで合格していない。ホーチミン市での試験環境整備の悪さも関係しているが特に聴解試験の実施方法は改善されるべきだろう。

試験現場ではベトナム人が行っているが、聴解試験会場のスピーカーの音量は「ここはカフェか?」と思わせるような大音量で行っている。隣の会場の音が重なって聞こえにくい。
また、音質も未だにCDでなくテープで行うので聞き取りにくい。
これでは受験者が可哀想だと毎年改善を要望しているが全く改善の動きはない。

日本領事館が関与しているはずだが、情けない状況だ。
一方で、ハノイの試験会場はマトモだとの体験者の報告で、今年は7月に行われるハノイの会場へ家の娘達も行く予定だ。無事に合格することを祈る。実力的には充分だから…。あとは運次第。

ところで、タイトルと内容がずれてしまった。
ベトナムの日本語学習者達にとっては日本語の習得には時間がかかるという現実がある。
大学で4年間勉強してもやっとN2が受かる程度だ、それでも多くの学習者は会話は日本人とまともにはできない。

それは、学習達の責任ではないことが多い。
そのことについては、後日書くことにする。今日はこれから授業、時間がないので失礼する。只今、朝の6時丁度。


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2011年5月17日火曜日

えーーーー!!!! 日本には、「思想信条の自由」もないんですねーーー!!! /鎌仲ひとみさんの『ミツバチの羽音と地球の回転』

ーーーーーーー転送記事
5/15(日)に、鎌仲ひとみさんの『ミツバチの羽音と地球の回転』の上映と
鎌仲さんの講演会を、京都と大阪で行いました。


午前中の京都は、230人くらいの参加者、大阪は100人くらいの参加者でした。

この映画をまだご覧になっていない人は、ぜひどこかでご覧いただきたい
と思います。
「いま」見ると、ほんとうにいろんなことがズシーーンと迫ってきます。

●『ミツバチの羽音と地球の回転』上映情報
http://888earth.net/trailer.html

さて、鎌仲さんのお話、すごくおもしろかったですし
いろいろ考え込まされました。

一番衝撃的だったことは
電通が、タレント・俳優、司会者などをはじめ、テレビ・ラジオに
出演するような人の「思想調査」をしているということ!!

反原発とか脱原発とかの発言をしそうな人は使わないように
事前に調べ上げてチェックしているのだそうです。
(つまり、反原発・脱原発だと仕事が来ない)


えーーーー!!!!
日本には、「思想信条の自由」もないんですねーーー!!!


知らなかった。。。。
マスメディアの世界には、「憲法」で保障されている権利なんてないんですね、
ほんとに。。。

ほかにも、マスメディアがいかに電力会社や広告会社に牛耳られているかということを
いろいろお話してくださいました。

あの「ニュースの真相」ですら、電事連(電気事業連合会)がスポンサーで
反原発発言をする人がでれば、そのコーナー分のスポンサーを降りると
圧力をかけるそうです。。。
または、その人を降板させろと圧力をかける。。。


鎌仲さんを呼んだディレクターが、反原発、脱原発は絶対言わないでくださいね、
と事前にも申し入れ、番組中も、横でずっと、ダメですよーーーと言い続けてたそうです。。。
そのディレクターもかわいそうですが、
そんなふうに番組が作られていることをしらない私たちは
もっと悲惨ですよね。。。。

日本のマスコミがダメな理由の一つが、記者クラブにある、と鎌仲さんは言っていました。
原子力保安院付きの記者が、あの人は反原発の人だと
ごていねいに、ほかの記者にも情報を回したりするそうです。
(えーーと、記者って御用記者??なんですね???
 ジャーナリストではないわけですね。。。)


なので、鎌仲さんの映画は、まずもって、絶対にテレビでは紹介もされないし
新聞でも、まず記事にはならない。
誰かが紹介記事を書いても、載ることはない。

(もし、鎌仲ひとみさんの名前や、『ミツバチの羽音と地球の回転』を
 聞いたことがない方がおられたら、それは情報統制のせいです。笑)

坂本龍一さんはテレビに出ますが、原発関連の発言はさせてもらってませんよね。

鎌仲さんは、テレビ、新聞には、真実はない、とも言われていました。
それから、政治家は、原子力のことを、まったく知らない、意識が低いとも。。。

それにしても、電力会社って、すごーーい力を持ってるんですね。。。

鎌仲さんによると、原子力発電が、かくも力を持つようになったのは
50年代半ばに、アメリカによるビキニ環礁での水爆実験により被曝した
日本の漁船、第五福竜丸事件によって
日本に大きな反核運動が起こったのですが
(これは、アメリカにとっては相当まずいことですよね)
それを沈静化するために、「核の平和利用」という名のものに
原子力発電をすすめた、という経緯があるそうです。
(たぶん、アメリカから相当のお金が出てますよね。。。きっと)

原発を強力に推進したのは、中曽根さんですが

電源三法なるものを成立させ
それがいまの原発利権につながっているのだと思います。

原発は、日本の戦後の政治と、ものすごく深くつながっているし
いまの日本という国の、大きな権力構造と密着している。

原発をつつけば、イヤな思いをする権力者が
自分の既得権益をまもろうとしているのが、
いまの原発推進派の動きなのだろうと思います。


(年間5,000億くらいあるそうですから、エネルギー予算。
 その95%が原発にまわされている)

原発から脱却することは、ほとんど「革命」なのかもしれません。。。
ジャスミン革命のようなことが、日本にも起こらないとね、
とこころから思います。



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2011年5月12日木曜日

福島で農業をしている方のブログです。言葉一つ一つが心に響きます。ぜひ紹介します。

福島で農業をしている方のブログです。言葉一つ一つが心に響きます。ぜひ紹介します。
http://gimin.exblog.jp/



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2011年5月11日水曜日

「浜岡原発を止めろ」と言ったのはアメリカ? ~首相官邸は既に「米進駐軍」が占拠の事実~/転載記事

転載記事
ーーーーーーー
■週刊ポスト2011年5月20日号記事、暗黒夜考さんのブログからご紹介です。


(以下)拡散転送歓迎

*********************************************
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/d7a7ac111ed0f7ce2083bcb368b97afb

■「浜岡原発を止めろ」と言ったのはアメリカ? ~首相官邸は既に「米進駐軍」が占拠の事実~
2011年05月11日 | Weblog
(転載開始)

◆GHQ彷彿させる官邸へ派遣の米国人 菅総理に代わり決裁権
 2011.05.09 07:00 NEWSポストセブン

焼け野原からの戦後復興に大震災の復興計画を重ね合わせる菅直人・首相は、屈辱の歴史までも真似ようとするのか。
GHQ(連合国軍総司令部)に主権を奪われ、自主憲法さえ作れなかったあの時代は、この国の在り方に大きな禍根を残している。
だが、菅政権はこの震災対応の中、国の主権を米国に売り払うことで、自らの権力を守り切ろうとしている――。

この国の政府は震災発生以来、「第2の進駐」を受けている。
首相官邸ではそれを如実に物語る光景が繰り広げられていた。

菅首相や枝野幸男・官房長官、各首相補佐官らの執務室が並ぶ官邸の4、5階は記者の立ち入りが禁止されているが、そこでは細野豪志・首相補佐官、福山哲郎・官房副長官らがある部屋に頻繁に出入りしていた。
部屋の主は、米国政府から派遣された「アドバイザー」で、名前も身分も一切明らかにされていない。

官邸の事務方スタッフは、その素性と役割についてこう説明する。

「その人物は米原子力規制委員会(NRC)のスタッフとされ、官邸に専用の部屋が与えられ、細野補佐官とともに原発事故対応の日米連絡調整会議の立ち上げ作業にあたった。常駐していたのは原発対応のために横田基地で待機していた米海兵隊の特殊兵器対処部隊(CBIRF)が帰国した4月20日頃までだが、その後も官邸に顔を出している。福島第一原発の水素爆発を防ぐために実行された窒素封入や、格納容器の水棺作戦などは、そのアドバイザーとの協議を経て方針が決められた」

原発事故対策統合本部長を務める菅首相に代わって、“決裁権”を握っていたというのだ。

官邸へのアドバイザー派遣は、菅政権の原発事故発生直後にオバマ政権が強く要求したものだった。
当初、菅首相や枝野長官は難色を示したが、ルース駐日大使は福島第一原発から80km圏内に居住する米国人に避難勧告を出し、横田基地から政府チャーター機で米国人を避難させるなどして、“受け入れなければ日本を見捨てる”と暗に圧力をかけた。菅首相は3月19日、ルース大使との会談で要求を呑んだとされる。

外国の政府関係者を官邸に入れてその指示を受けるなど、国家の主権を放棄したも同然であり、GHQ占領下と変わらない。

しかも、その人物は「ただの原子力の専門家」ではなかったと見られている。

米国は震災直後にNRCの専門家約30人を日本に派遣して政府と東電の対策統合本部に送り込み、大使館内にもタスクフォースを設置した。
3月22日に発足した日米連絡調整会議(非公開)にはルース大使やNRCのヤツコ委員長といった大物が出席し、その下に「放射性物質遮蔽」「核燃料棒処理」「原発廃炉」「医療・生活支援」の4チームを編成して専門家が具体的な対応策を練っている。

「原発事故対応のスペシャリスト」だというなら、統合対策本部や連絡調整会議に参加する方が、情報収集という意味でも効率的な働きができるはずだ。
にもかかわらず、その後1か月間も官邸に常駐する必要があったのは、原発対応以外の「特別の任務」を帯びていたからだろう。

米民主党のブレーンから興味深い証言を得た。

「ホワイトハウスが、菅政権に原発事故の対処策を講じる能力があるかどうかを疑っているのは間違いない。だが、すでに原発処理についてはいち早くフランスのサルコジ大統領が訪日したことで、同国の原子力企業アレバ社が請け負う方向で話が進んでいる。

むしろ米国が懸念しているのは、これから震災復興を手掛ける菅政権が危うい状態にあること。オバマ大統領は、普天間基地移設をはじめ、日米間の懸案を解決すると約束した菅政権が続くことを望んでいる。

そのため、ホワイトハウスでは国家安全保障会議などが中心になって、日米関係を悪化させることがないように指導するオペレーションを震災後から展開している。“特別な専門家”の派遣もそのひとつと考えていい」

菅政権は米国の指導の下、国会では震災復興より米国への“貢ぎ物”を優先させた。
3月末に年間1880億円の在日米軍への思いやり予算を5年間にわたって負担する「在日米軍駐留経費負担特別協定」を国会承認し、4月28日には、日本政策金融公庫の国際部門である国際協力銀行(JBIC)を独立させる法案を成立させた。

JBICは米軍のグアム移転費用を低利融資する窓口になっているが、法改正によってこれまでは途上国向けに限られていたインフラ輸出への融資を拡大し、先進国も対象にできることになった。

経産省幹部はこう指摘する。

「菅政権は米国への新幹線輸出を進めているが、JBIC独立により、その資金を日本が拠出できることになる。アメリカも満足だろう」

※週刊ポスト2011年5月20日号

(転載終了)

これはちょっと驚きの情報である。 


上記ポスト記事にあるように、3月19日、菅直人がルース大使との会談にてアメリカ側の要求を呑み、それ以降、官邸内にアメリカ政府の要人が入り、指揮権を発動していたのが事実だとすれば”驚愕”である。
これは、2次大戦敗戦後、GHQ・マッカーサーに占拠されたのと同じ光景である。

ここに改めて、日本が今尚「アメリカの植民地」であることが露呈し、今の日本はまさに”敗戦国”そのものであるということを実感させられる思いである。
誰の弁だったか失念したが、ネット上にて今回の震災をして、「戦後2度目の敗戦」と表現していたが、まさにその通りであろう。
(「戦後1度目の敗戦」は、1985年の”プラザ合意”による経済敗戦)

大手マスゴミによる大本営発表さながらの偏向報道が連日のように喧伝され、露骨な”言論弾圧”がまかり通り、警察が”特高”さながらにデモに参加する罪なき一般市民を不当逮捕し、政府や官僚が”情報の隠蔽”を重ねる今の日本の現状は、確かに戦時下と何一つ変わらないと言えるやも知れない。
小生は勿論、戦時下の状況など経験していないので実感として知っている訳ではないが、想像するに、太平洋戦争時の大日本帝国も今とよく似た状況だったのであろう。
そして、本ブログのように国家権力を非難するような言動を行なう者は、”非国民””赤”として特高にしょっ引かれていたのであろう。

このような非常時に、「年間1880億円の在日米軍への思いやり予算」「日本政策金融公庫の国際部門である国際協力銀行(JBIC)の独立」といった震災復興には無縁の法案が国会にて可決されたことに違和感を感じていたが、首相官邸がすでに進駐軍に占拠されていたとなれば、なるほど合点のいく話である。

しかし、アメリカという国はここまでやるのか。
その”思慮深さ”というか、”奥深さ”というか、”したたかさ”に改めて感嘆させられる思いである。
諜略にかけては、アメリカと日本とでは「大人と子ども」、あまりにも役者が違いすぎるということであろう。

菅直人によってなされた「浜岡停止宣言」については、一部にて、浜岡原発のメルトダウンが起きれば横田、横須賀基地が使えなくなり、結果、自らの手で”デッチ上げ”ようとしている「対テロ戦争」に支障をきたすという理由で、浜岡原発を止めるようアメリカからの圧力があったとの声が聞かれたが、官邸がアメリカに占拠されたとなれば十分にあり得る話である。

今後、「今の日本はGHQの占領下である

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広瀬隆 特別インタビュー =浜岡原発全面停止」以降の課題=/転載記事

■広瀬隆 特別インタビュー =浜岡原発全面停止」以降の課題=

のご紹介です。他の国では電力について、発電と送電が分離されていて、

日本のような、電力会社が権利を独占する制度ではないと聞きます。

国民が自然エネルギーを使いたいと考えたら、自由に選択できるシステムへ、

日本は変換するときに、既にきていると思います。


(以下)拡散転送歓迎

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http://diamond.jp/articles/-/12199

【第169回】 2011年5月11日

 坪井賢一 [ダイヤモンド社論説委員] 1~5【ダイヤモンド・オンライン】


広瀬隆 特別インタビュー「浜岡原発全面停止」以降の課題

(略)

  また中部電力は、電源を高いところに設置すると言っていますが、あの人たちの頭を疑います。これで、大丈夫だと思う人はいますか?

 津波がさらってきた自動車も、船も、岩石も、家屋も、濁流となって、電源のケーブルに激突してくるのです。地盤が2mも隆起するのが東海地震です。それでも電源ケーブルは大丈夫ですか? ケーブルが切断さ
れても、電気が送られるのですか? 



 地震対策にしても同じです。今回の東北地方三陸沖地震は、沖合130kmとかなり遠くで起こりました。しかし、想定されている東海地震は、それと同じ規模の巨大地震が浜岡の真下で起こるわけです。想像したくもありませんが、浜岡原発は一撃で終わり、福島第一原発より大規模な放射能放出を一瞬で起こすでしょう。そこへ津波もくるし、電源も遮断される。結論を言えば、そもそも有効な地震対策など、あり得ないのです。

 もちろん、他の原発も危ないのですが、まずは歴史的な周期性から考えて、最も大地震が逼迫している浜岡を止めることは、日本人が生き残るための緊急課題です。そして浜岡を真の廃炉にもって行き、中部地方の経済が大丈夫だと証明されれば、すべての原発を止めてもよいという意識が、日本人のなかに確実に高まってゆくでしょう。(略)

 

 加えて、政治家もマスメディアも知らないらしいので驚くのですが、日本で発電できる会社は、電力会社だけではないのです。電力が足りないと言うのなら、電力会社は、日本の全産業界にすぐに送電線を開放する義務があります。なぜかというと、IPP(Independent Power Producer=
独立系卸電力事業者)がたくさん発電能力をもっているからです。鉄鋼、機械、化学などの業種がこの分野に参入しており、これをフルに活用すれば、たった今、日本全土のすべての原発をストップしても、停電など起こり得ないのです。

 

 日本で卸電力入札制度が始まった1997年の電気事業審議会の調査によれば、IPPの潜在供給力は、最低でも2135万kW、最大では5200万kWに達するという結果でした。では現在の数字を見てください。2011年現在の商業用原子炉は、名目上 54基
4911.2万kWですが、廃炉になる福島第一原発は469.6万kW。地震で破壊された柏崎刈羽原発2・3・4号機は再起不能の停止中で、330万kW。したがって現在の原子力発電所は、実際には4111.6万kWしか能力がありません。それに対して、総務省統計局のデータによるIPP、つまり自家発電の能力はすでに4000万kWもあるのだから、即刻、全原発の停止ができることを、日本人がまったく知らないのです。テレビと新聞が、見当違いの電力不足パニックを煽っていると批判したのは、このことなのです。

 

 ところが電力会社が送電線を独占し、高額の送電価格を設定しているため、これらのすぐれた事業者が電力市場から排除され、自由に電気を売れないわけです。日本の国家としては、即刻、送電と発電の事業を完全に分離して、電力の自由化を進め、国民のために送電線を開放させることが、国会と政府の急いで行うべき務めなのです。政治家とマスメディアは、電力会社に飼われた犬ではないでしょう? 産業界を含めた国民のためにあるはずだと、今こそ誰もがその疑問の声を上げるべき時です。  

5へつづく



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幸せいっぱいの花嫁の笑顔に感無量!思えば4年前の出来ごとが走馬灯のように蘇る。生きていることの幸せをありがとう。


昨日、結婚パーテーに出席した。写真の通り豪華なパーテーだった。実は花嫁は4年前に私が日本語教師としてサイゴンに初めて赴任して最初に日本語を教えた研修生クラスの学習者だった。その当時からニコニコと笑顔の可愛い娘だったが、昨日の幸せいっぱいの笑顔は最高だった。お幸せに。
思い起こせば4年前、勇んで来た異国のサイゴンで命に関わる病気が発見されて急遽帰国することになった時に、その研修生のクラスの学習者達はどうしても私に会いたいと、全て授業をキャンセルして帰国準備している私のために送別会を開いてくれた。たどたどしい日本語で「いつまでも覚えません」と間違った日本語で気持ちを必死に表現しようとしてくれた学習者たち。私はその気持ちがとても嬉しかった。そして、必ず病気を克服して元気に再度サイゴンの土を踏むと約束した。

そして、あれから4年が経過していた。その時の研修生希望の学習者達が念願の日本での3年間の研修を終えてベトナムに帰国している。

その中の一人の娘の結婚式が昨日あったのだ。
新郎は日本人で2歳上の会社員。研修生時代に愛が育まれた。結婚パーテーの招待状を持参して来た新婦の顔は終始笑顔だった。研修生仲間でも、一番日本語が上手になったと評判だ。やはり話したい目的意識が強いと会話は上手になる手本のようだ。

そして、昨日の結婚パーテーでの花嫁の終始笑顔いっぱいの姿を拝見して、大げさかも知れないが私はこの日の為に日本語教師をしてきたのだと実感した。日本語教師冥利に尽きるとはこのことなり。生きていることの幸せを実感できたことに感謝!!




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2011年5月10日火曜日

20ミリシーベルトに関する IPPNW(核戦争防止国際医師会議)から高木大臣宛の手紙

=====================転載
20ミリシーベルトに関する
IPPNW(核戦争防止国際医師会議)から高木大臣宛の手紙
http://dl.dropbox.com/u/23151586/IPPNWLetterNorimats_j.pdf(PDF版)

2011年4月29日

日本国
東京都千代田区霞が関3-2-2
文部科学省
高木義明大臣閣下

親愛なる高木大臣:

IPPNW(核戦争防止国際医師会議)は、貴省が今週明けに、子どもが被曝してよ
い電離放射線の最大許容線量を引き上げたことを深く憂慮しています。

貴省が設定した毎時3.8マイクロシーベルトという許容線量は、年間に換算する
と33ミリシーベルト以上に相当するもので、幼稚園、保育園の子どもたちと、小
中学校の生徒たちに適用されます。

被曝による健康へのリスクは被曝線量に比例するもの、つまり被曝が多ければ多
いほどリスクも高まるということ、さらには、リスクのない線量というのは存在
しない、ということは科学の常識になっております。国際放射線防護委員会(I
CRP)は、被曝を極力低減しなければいけないと勧告しています。一般人の被
曝は、自然放射線と医療による被曝を除き、年間1ミリシーベルトを超えない量
に抑えるべきです。

原子力産業の労働者に対してICRPの勧告は、許容される最大被曝量を連続す
る5年間の平均で年20ミリシーベルトまでとすること、また、その5年間のうち
1年でも50ミリシーベルトを超えてはならないとしています。日本では、福島原
発事故の前の基準である年間100ミリシーベルトはすでに国際基準を上回るもの
でしたが、3月11日の震災と津波に伴う悲惨な原発事故を受けて、250ミリシー
ベルトにまで引き上げられました。

米国国立科学アカデミー「電離放射線の生物学的影響」第7次報告書(BEIR-VII)
によると、被曝1ミリシーベルトにつき1万人に1人、固形癌(白血病以外の癌)
にかかるリスクが増し、10万人に1人、白血病になるリスクが増し、1万75
00人に1人が癌で死亡するリスクが増すと予測されています。しかし決定的な
要素は、人によってリスクが異なるということです。放射線被曝によって生じる
癌のリスクは乳児(1歳未満)の場合は大人の3倍から4倍であり、女の乳児は
男の乳児よりも2倍影響を受けやすいのです。

全般的に放射線被曝に起因する女性の癌のリスクは男性よりも40パーセント高
くなります。最も放射線に敏感なのは胎児です。先駆的な研究であるオックスフォー
ド小児癌調査によると、母親のレントゲン撮影で胎児が10-20ミリシーベル
トの被曝をした結果、15歳以下の子どもの癌罹患率が40パーセント増えてい
ました。ドイツの最近の研究では、25年間にわたる全国の小児癌の登録データ
を調べた結果、正常運転をしている原子力発電所でさえ、半径5キロ以内に住ん
でいる5歳以下の子どもは白血病になるリスクが倍以上だったという結果が出ま
した。原発から50キロ以上離れている場所でも有為に高いリスクが確認されま
した。これは予想を大きく上回る結果で、子どもと胎児が特に放射線に弱いとい
うことが明らかになりました。

また、一般的な放射線測定器で測定される外部被曝量に加え、福島の子どもたち
は、呼吸によって肺に沈着する粒子や、汚染された食品や水を通じて内部被曝を
します。さまざまな放射性物質が食物連鎖を通じて濃縮し、最終的には人体にお
いて凝縮します。私たちは医師として、福島の子どもたちにそのような有害なレ
ベルの被曝を許容するということは許し難く、子どもたちと将来の世代を保護す
る責任の放棄であると考えます。

私たちが日本政府に強く要求することは、すでに健康と安全をおびやかす状況に
おかれている人々の被曝許容量を引き上げるのではなく、この悲劇の結果として
汚染された福島原発周辺の避難区域を更に拡大し、日本の人たちの健康と安全確
保を他の何よりも優先させるためにあらゆる手を尽くすことです。

誠意を込めて

共同代表 ヴァップ・タイパレ
共同代表 セルゲイ・コレスニコフ
共同代表 ロバート・ムトンガ
東南アジア・太平洋地域副代表 ティルマン・ラフ

(翻訳:乗松聡子)
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「浜岡」停止 他の原発も検証したい /東京新聞社説:

菅首相が浜岡原発を停止要請して中部電力がそれを受けて了解した。「唐突だ」「政権延命策だ」などと賛否両論らしいが、取り敢えず浜岡が止まることを評価したい。もちろん菅首相の気持ちは脱原発ではないらしい。しかし、これから政権が脱原発を宣言するまで世論を作り追い込んで行きたいものだ。

ーーーーーーーーーー転載記事

【社説】

「浜岡」停止 他の原発も検証したい

2011年5月10日
 中部電力が、首相の要請による浜岡原発の全面停止を受け入れた。五十四基の商業炉のうち三基が二年は止まる。だが、浜岡だけが本当に特殊な原発か。説明も検証も、まだ足りない。
 枝野幸男官房長官は、浜岡原発の停止要請は、大規模地震発生の確率が圧倒的に高いという特殊事情によるもので、原子力発電に関する基本政策に変わりはない、との見解を示した。
 「最も危険」と言われる浜岡原発を止める判断は、福島第一原発の危険な状態が続く中、首都圏や中京圏にも及ぶ住民の不安を思えば無理もない。
 だが、あまりにも唐突な要請だった。浜岡さえ止めればそれでよし、あとは今までのままで、将来の危険回避は本当に可能なのか。浜岡への停止要請も、その場しのぎと見られても仕方ない。
 日本は地震国である。どこで暮らしていようと、大地震への備えが必要な国である。近年、宮城県の女川原発や新潟県の柏崎刈羽原発も、想定を大きく超える揺れに見舞われ、そのたびに押っ取り刀で耐震強化や耐震基準の改定が図られた。この国で地震と原発が共存していくための根本的な安全策は、まだ見つかっていない。
 耐震性だけならば、浜岡3~5号機は三年前、国の審査指針を上回る地震の加速度に耐えられるよう、補強工事を終えている。
 東日本大震災のあと、各電力事業者は、津波対策に乗り出した。だが、それで本当に安全かどうか、国民にはよく分からない。
 浜岡の場合も、問題にされているのは津波対策だけである。十五メートル以上の防波壁を築くなど、今示されている対策が終われば、本当に今度こそ安全は盤石だと、政府と電力事業者が、地元はもちろん、国民が納得できるように説明しないと、安心は得られない。
 「関西も九州もいつ津波が来るか分からない。なぜ浜岡だけなのか」と、浜岡原発のある静岡県御前崎市の石原茂雄市長は、問いかける。
 電源立地交付金は減額しない方針だ。だが、協力企業も含め約千二百人という原発従事者の暮らしはどうするか、商店街など地域経済への影響はどうするかなど、国策に翻弄される地元への対応策は、明らかになっていない。
 原発を含むエネルギー政策は国民的課題であり、議論はようやく始まったばかりである。議論を前へ進めるには、まず政府の具体的な説明が不可欠だ。

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2011年5月7日土曜日

浜岡原発が止まる!菅首相が指示。

今、ベトナムのビエンホアにいる。昨夜はネットチエックができなかった。
今朝、iPadでメールチエックをすると「浜岡が止まる」と言うニュースが飛び込んで来た。

二日前から体調が良く無く、気持ち暗くなりがちだったが、想像だにしなかった事が起きた気分だ。まずはやった!と喜ぶべきだろう。メールでの色んな意見も今回は菅首相を評価的だ。当たり前だろう。
今まで、何一つ評価すべき事は無かったが。
先に、私が当ブログに書いたように管首相は脱原発を宣言すれば歴史に名が残る。
今回はその一歩と思いたいのだが…。

しかし、期限付きらしい。新しい防波堤ができるまでらしい。何を中途半端な。

新聞の社説を見ると、朝日は浜岡が止まると中部電力は電力の余力が無いとか後ろ向きの冷ややかな態度に見える。一方で、中日新聞系の東京新聞は、この際国民的議論を巻き起こそうと呼びかけている。脱原発への積極的な姿勢を感じた。

浜岡が止まって一安心ではいけない、積極的な脱原発を全国民的に論議すべきだろう。

一方で、先に、心が落ち込むような話もある。脱原発を地方で呼びかけると、今はそんな話は聴きたく無い。今は国民が一つにならなければならない時だ。と言うような風潮があると聞いた。今、脱原発を言うのは非国民だと言いたいのだろうか!?
先の戦争時代もそんな話があったと聞く。

今回、日本の民主主義はまだまだ未成熟だと感じた。ガラパゴスとは進化の表現だと思うが、日本の民主主義は逆ガラパゴス現象とでも言いましょうか。

2011年5月6日金曜日

ベトナムは太陽光発電の絶好地

今、ベトナムは乾季でしかも一番暑い季節だ。
朝から日本の真夏のような照りつけがある。気温は40度以上が毎日だ。
ビエンホアのカフェで、ネット情報を見ながら日本の混沌とした情勢にうんざりしながら、ふと想う。

ベトナムこそ、太陽光発電に最適な地だと。日本よりも。
そのベトナムに原発を売り込む事の罪の深さを憂う。

もしお金があり、この地で家を建てる機会があれば太陽光発電を設置してみたい。
日本の太陽光発電装置を設置してその効果と将来性をアピールしたい。

日本政府も今こそ脱原発をアピールして太陽光発電などの発電方法を世界に売り込むべきだ。
それが、今回の原発事故で環境を汚染させた責任おの取り方の一つだろう。

2011年5月5日木曜日

被災者らの生活再建は生存権の問題です。政府にはその権利を保障し実現する責任があります。/転載記事

転載記事
ーーーーーーーーー
■東京新聞・社説(5月3日)をぜひお読みねがいます。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011050302000056.html


あの敗戦後の識者には、人間の赤い血が、まちがいなく流れていました。
国民は、今の菅政権に対して、一時も早く内閣不信任案を要望し、
まともな民主党議員に変えなければ!


(貼り付け開始)
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憲法記念日に考える 試される民主主義


■東京新聞・社説(5月3日)

2011年5月3日

 震災被害者、原発避難者の日常生活を取り戻して「生きる権利」を守ることは当面の最優先課題です。復興で日本の民主主義の成熟度が試されます。

 テレビから流れた声に耳を疑った視聴者は多いでしょう。

 「主体は自治体ですから…。われわれは応援ですから…」-ふかふかのじゅうたんが敷かれた広い執務室で、政府高官がそう言い放ったのです。

 テレビは、東日本大震災の被災者受け入れを観光地の旅館などが申し出ているのに、情報が被災者に届いていないことを報じていました。「なぜ?」と追及された高官の答えが冒頭のセリフです。

◆血の通っていない行政
 続いて登場した自治体の職員は「学校や買い物など生活に必要な情報とセットでなければ被災者に紹介できない。自治体は目の前の仕事に追われて自ら調査する余裕がない」と答えていました。

 中途半端な情報を流してこと足れりとしている高官の側に非があることは明らかです。まさに血の通っていない行政です。

 時計を六十五年前に戻します。一九四六年夏、新しい憲法案を審議する衆院の小委員会が「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という現行憲法の第二五条第一項をめぐって熱気に包まれました。

 社会保障の充実をうたった同条第二項は当初から原案にありましたが、問題の生存権条項は社会党の修正で挿入されたのです。

 「健康で文化的な生活を妨げてはならないが、権利とするのはいかがなものか」「第二項だけで十分だ」など他党から次々異議が出ました。そのたびに、後に文相を務める森戸辰男議員が「それでは恩恵的、慈善的にすぎない」「権利として保障することで政府に積極的施策を求めることができる」などと主張しました。

◆希望の灯だった生存権
 「屋上屋を架すようなものだ」と批判もされました。「国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については…最大の尊重を必要とする」との第一三条の採用が既に決まっていたからです。森戸議員は「生存権の裏付けがなければ個人の尊厳も守れない」と粘りました。こうして“生存”は「人権」として保障されました。今では「政府はこの権利を実現する法的義務を負っている」というのが憲法学の通説です。

 第一三条、第二五条第一項と第二項は、廃墟(はいきょ)に立つ日本人にとって希望の灯となりました。人々は憲法に励まされ「今日は昨日よりも、明日は今日より良くなる」と信じて懸命に働きました。曲折もありましたが、政府の経済政策の成功もあって生活水準は大幅に向上しました。

 しかし、あの地震と津波、そして原発事故が多くの人たちを半世紀以上前の悪夢の世界へ引き戻しました。生活再建のめどが立たない被災者、避難者らには、六十五年前の日本人が頼りにした光が果たして見えているでしょうか。

 被災者らの生活再建は生存権の問題です。政府にはその権利を保障し実現する責任があります。復旧、復興対策のもたつきぶりをみると、関係者が責任を十分自覚しているとは思えません。

 避難者らの苦しみをよそに「われわれは応援」と平然としている政府高官、政権の足を引っ張り、責任を担おうとしない野党と与党内の一部議員…国会とその周辺で繰り広げられる荒涼たる光景は、制憲議会における新国家建設への熱気と無縁です。

 政治家や官僚たちは当時の議事録を読み返し、原点に戻るべきでしょう。民主主義、憲法感覚の成熟度が問われています。

 ●同時に国民が自覚すべきこともあります。憲法は第一義的には国家、政府と国民との関係を定めたものですが、国民の行動指針を示してもいることです。

 難局を前に国民が求められているのは、政治家や専門家任せにせず主体的に参画する姿勢です。

 まず「社会連帯」に基礎を置く支えを被災者らに提供しなければなりません。全国からボランティア活動家が集まり、予想を遥(はる)かに超える義援金が寄せられ、被災自治体に応援が駆けつけるなど、重荷の分かち合いが始まっていますが、民主主義が試される事態が今後も次々生まれるでしょう。

◆求められる自覚的参加
 地震、津波にもろい国土、綱渡りのエネルギー需給など、基礎の危うい日本社会をどう変え、そのための負担をどうするのか。復興に向かって社会構造の根本的改革を迫られるはずです。

 憲法の大原則である「国民主権主義」は、国民が自らの社会をつくりかえていく営みに自覚的に参加することを求めています。

<拡散転送歓迎>

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2011年5月4日水曜日

「校庭の土を舐めて下さい」福島の母 /転載記事

***********************転載記事
2011年05月03日


http://tanakaryusaku.seesaa.net/article/199022544.html


●福島の母 「校庭の土を舐めて下さい」
                           
       田中龍作(フリージャーナリスト)


厚労省の担当者に福島市内の小学校の土を渡す佐藤幸子さん。(2日、参院会館。写真:筆者撮影)


 これほどまでにいい加減だったのか。子供を学校に通わせる親たちの怒りは収まりがつかない。福島県の校庭利用にあたって、文科省が定めた放射線量の上限である年20ミリシーベルトは出所、根拠ともに不明であることが明らかになった。

 連休谷間の2日、「20ミリシーベルト」の撤回を求める対政府交渉が持たれた(主催:グリーン・アクション/フクロウの会/美浜の会/国際環境NGO FoE
Japan)。参院会館講堂には福島県や関東一円から子供の放射能汚染に危機感を抱く父母、環境団体など約200人が参集した。

 政府側はまず厚労省、次に文科省・原子力安全委員会が出席した。福島の父母らは労働基準法と放射線管理区域に絡めて厚労省に質問した。労働基準法62条の②は未成年者が放射線管理区域で就労することを禁じている。

 内閣官房参与を辞任した小佐古敏荘・東大教授が指摘するように「放射線業務従事者でさえ年間20ミリシーベルトの被曝は極めて珍しい」のである。

 父母「保育園で放射線管理区域と同じレベルで子供たちが遊ぶことについて厚労省はオーケーなのですか?」

 厚労省「年間を通じてこの値(20mSv)を継続するということではない。数値は下がってきている」。

 厚労省自体、年間20ミリシ-ベルトの被曝は健康上良くないということを認めているとも取れる回答だ。

 「ノー(OKではない)と言って下さい」。父母たちはさらに問い詰めた。すると厚労省は「政府として決定したことなのでお答えすることはできない」と開き直るありさまだった。



郡山市から東京に避難してきた母と子。タスキの女性は福島出身。(2日午後、参院会館。写真:筆者撮影)


 【不自然な強弁繰り返す文科省】 



 20ミリシーベルトという数値を決めた、当の文科省も意味不明の答弁を繰り返した。「ずーっという意味ではなくてこれから(線量を)低くするという意味です」。

 「納得できないっ!」会場から黄色い声が飛んだ。若い母親だろう。

 さらに、文科省の強弁は親たちの神経を逆なでした。高木文科相が「除染の必要はない」と記者会見でコメントしたことについて父母らが追及すると、文科省の原子力政策担当者は「私たちの言った基準を守って頂ければいいという意味です」と言い放ったのである。

 原発震災復興・福島会議の佐藤幸子・代表世話人が一喝した。「そんなに安全だというのなら福島の土を舐めて下さいっ」。佐藤さんは5児の母である。

 佐藤さんらは交渉が始まる前、福島市内の小学校の土を厚労省と文部省の担当者に手渡しているのである。線量カウンターは30マイクロシーベルト/時を示し、ガーガーと不気味な音をたてた。1年間に換算すれば簡単に20ミリシーベルトを超える数値である。

 文科省の説明が不自然なのには事情があった。文科省は先月19日、「20ミリシーベルトで差支えない」とする原子力安全委員会の決定を受けた、としている。

 だが交渉の席で原子力安全委員会事務局を追及すると、正式な会議ではなく議事録も残していない、というのである。さらに驚いたことには「原子力安全委員会のなかには20ミリシーベルトを容認した者はいない」(原子力安全委員会事務局・課長補佐)というのだ。

 出所も根拠も不明のまま一人歩きを続ける「20ミリシーベルト/年」。

 かくもデタラメな政府決定から子供たちを守るため父母らは「避難、疎開、保養」の準備を始めた。


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