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2011年8月28日日曜日

新宿の風景

上の写真は今の宿を初めて見たときのである。学生(家主)の案内でこの部屋を見学、この明るさと周辺の静かさ(前に比して)が気に入ったのである。
上のは、その部屋のベランダから周りを撮ったものである。
この風景は前の宿とは比べ物にならない。
上のは、住み始めてから撮ったものだ。こうして部屋の中から空が眺められるとはいいな。

こうして部屋から外を見て建物に邪魔させられずに空を見ることができるのはいいもんだ。前のときは、すぐ前が住宅で空は見えなかった。
部屋の前は上の写真だが、カフェである。騒音を気にしていたが以外に静かで安心した。

静かで言うと、前の宿の時にはあまりにも周辺が住居密集地帯で朝から晩まで、否夜中も住民の生活騒音が部屋の中まで伝わって来て辟易していたものだが、ここに来てからは夜中も静かに眠れるようになった。

そして、最近そのベランダにハンモックを取り付けて心地よい夜風が吹くのを体で感じるという贅沢な時間を満喫する贅沢を味わっている。
その写真は後日に掲載しよう。



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中国鉄道事故より悪質な日本の原発事故隠蔽/転載記事

転載記事


フォーサイト POLITICS

中国鉄道事故より悪質な日本の事故隠蔽

科学ジャーナリスト
塩谷喜雄 Shioya Yoshio 
Foresightコンテンツ東京電力が撮影した被災4日後の福島第1原子力発電所3号機と4号機。3号機(左手前)は水素爆発で原子炉建屋が吹き飛び、4号機(中央奥)は建屋の壁に大きな穴が開いている。3号機と4号機の間からは白い煙が立ち上っている=2011年3月15日午前7時33分[東京電力提供]【時事通信社】
中国高速鉄道の事故で、中国当局による報道規制を口をきわめて非難する日本のマスメディアは、おのが姿を鏡に映して見たことがあるのだろうか。5カ月前に、日本で起こった原発事故――未だ8万人以上に避難生活という理不尽な不幸を強い、農畜産業と水産業に深刻なダメージを与えている空前の大事故、3.11。その真実を、日本のメディアはどれほど伝えているのか。
 法的責任を負うべき当事者、つまり検察がまっとうに機能すれば当然起訴の対象となるべき組織と人間が、恣意的に加工して発信する情報を、無批判に世の中に広めているだけではないのか。結果として、責任企業と責任官庁による証拠隠滅を黙認してはいないか。事故車両を地中に埋めた中国と、本質においてどこが違うのか。公然と物的証拠を埋没させた中国当局に比べ、断片情報を意図的に連発して、巧妙に国民を真実から遠ざけている日本の方が、事態は深刻ではないか。

1万ミリシーベルト超の高線量区域はなぜ突然出現したのか

Foresightコンテンツ福島第1原子力発電所の1・2号機主排気筒根元付近を、放射線の強弱が分かる「ガンマカメラ」で撮影した画像。中央の赤い部分で過去最高の毎時10シーベルト以上の線量が測定された。右上の赤い部分は未調査=2011年7月31日午後4時ごろ[東京電力提供]【時事通信社】
 恣意的な断片情報による世論操作の典型例が、原発排気筒の底部で毎時1万ミリシーベルト以上という極めて高い線量が観測されたとする、8月1日の東京電力の発表である。
 福島第一原発の1号機と2号機の排気筒底部で、1万ミリシーベルトまでしか測れない線量計が振りきれたという。また4日には、そこにつながる配管付近でも毎時3600ミリシーベルトが観測されたと発表した。メディアはこぞって「原発サイト内で最強の放射線」と大きく報じた。
 何の疑問も持たずにこの数字を垂れ流した時点で、報道機関としては失格である。無能といってもいい。広報機関に徹していて、報道なんかとっくに放棄しているというのであれば別だが、いささかの自負が残っているなら、数字の意味と発表の意図を問いただし、ニュースとしての価値を評価せねばならないはずだ。
 東電は3月12日のベントの際に付着したとするが、事故から5カ月もたってから、1時間浴びたら死に至るような高線量区域が突然「出現」したのはなぜか。本当に8月1日に新たに見つかったのか。同じ区域の7月1日の線量はどうだったのか、6月1日、5月1日、4月1日には、それぞれどうだったのか。そこを確認せずに「高線量区域見つかる」と報じたとしたら、お粗末というほかない。


ステップ1完了でも意味はない「お手盛り工程表」

Foresightコンテンツ記者会見する東京電力の西沢俊夫社長(左端)。前列右から2人目は細野豪志原発事故担当相=2011年7月19日、東京・内幸町の東電本社【時事通信社】
 もし、最近急に高線量区域が出現したのだとすると、その線源となる強力で高濃度の放射性物質が、最近になって急に、または少しずつ排気筒の底部に移動したことになる。いずれにしろ、とてつもない高線量区域が新たにできたということは、福島第一原発のサイト内では、大量の高濃度放射性物質が未だにあちこち動きまわっていることを示している。事故は収束も安定もしていないし、その方向にも向かっていない。
 「工程表」のステップ1が完了したとする東電と経済産業省の7月19日の発表も、結果としては何の意味もなかったことになる。お手盛りの工程表に書かれている課題をいくらクリアしても、事故の本質的なリスク、大量の放射性物質が遮蔽も制御もできないままむき出しで存在している事態は、ほとんど改善されていないということを、高線量区域の出現が物語っている。
 もし、高線量区域は以前から存在していたというなら、何故これまで秘匿していたのか、何故今になって発表したのか、その真意を問うのがメディアの役目だ。どこにどれだけの放射性物質があるのかは、事故収束に不可欠の基本要件だ。高線量はいつ出現して、どれくらいの線量がどれほどの期間継続して放出されているのか。東電と経産省は常時監視・把握する義務を負っている。これまで隠していて、今頃になって公表したとすれば、その狙いを見極める必要がある。
 事故調査・検証委員会などの調べで、高線量区域がサイトのあちこちに存在することがばれそうになったからあわてて発表した、という推測も成り立つ。ステップ2に入ったといっても、循環冷却システムは故障の連続で、事故の収束が長引くことの言い訳として、作業員が近づけない高線量区域の存在をアピールしたかった、などという理由もあるかもしれない。
 どちらにしろ、このタイミングでの発表自体が相当に怪しいことは確かだ。それを怪しみもせず、情報を独占している東電と経産省の思いのままに、検証抜きで発表をなぞっているメディアは、多分、3月11日の真実には永遠に近づけないだろう。

飛散した放射性物質の核種も量も明らかにされず

Foresightコンテンツ爆発で大破した福島第1原子力発電所4号機の原子炉建屋5階。左側に黄色く見えるのは定期検査中で外されていた原子炉格納容器のふた=2011年6月29日[東京電力提供]
 今、ネットで話題になっている動画 がある。東京大学アイソトープ総合センターの児玉龍彦教授が7月27日に衆院の厚生労働委員会で参考人として話した映像と音声で、放射能汚染に対する国会の「無策」、東電と経産省の「不実」を満身の怒りをもって告発している。学識と見識に基づいて道理を説くまっとうな学者が東京大学にもいたのかという驚きが、動画を見聞きした人の共通の感想だろう。
 児玉教授の厳しい指摘の中で、福島第一原発からどれくらいの放射性物質が外部に飛散したかを東電と経産省は一切公表していないとの告発が、特に印象に残る。どんな核種がどれほど飛散したか。東電と経産省は、事故対策の大前提となるこの数値を隠し続け、研究者にも情報を公開していない。中国並みの隠蔽体質などと言ったら、中国が怒るかもしれない。
 原発事故後、周辺地域の空間線量には2つのピークがある。3月15日と21日である。児玉教授はこの時の周辺地域の計測値から、広島型原爆20個分(ウラン換算)に当たる放射能が、福島第一原発から放出されたと計算している。
 3月11日からの11日間に、福島第一原発で起きたことを、国民はほとんど知らされていない。隣接する4基の原子炉建屋がすべて、次々に爆発して、原爆20個分の放射能が外部に放出されるという、世界にも例のない無様な事故の「原因」は隠されたままなのだ。

機材を送り返し数値公開も拒む「隠蔽の実態」

Foresightコンテンツ放射性セシウムを含む稲わらを食べた肉牛が出荷された問題で、東京電力の西沢俊夫社長(中央)らに補償を求める泉田裕彦新潟県知事(右)=2011年7月22日、新潟県庁【時事通信社】
 児玉教授同様に、3月11日から21日までの事故の真実を、今後のあらゆる対策や判断の根拠にすべきだと、会見で強調したのは、新潟県の泉田裕彦知事である。
 8月4日に日本記者クラブで会見した泉田知事 は、今回の原発事故で、情報の隠蔽を「実感した」と語った。合計出力821万キロワット、世界最大の原発サイト、東電・柏崎刈羽原発を抱え、放射能漏れ事故を体験している知事は、安全性には幻想や神話ではなく合理的な根拠を求める。
 事故直後に支援のために福島に派遣した県の放射線モニタリングチームと機材が、活用されずに戻されたという。現場での観測数値も公開を拒まれ、隠蔽を実感したという。汚染の実態が隠されたことで、しなくて済んだはずの被曝が人数も線量も膨大に膨らんだと、東電と政府の対応を厳しく批判した。
 また知事は、3月11日には、福島第一原発1号機は津波が来る前に配管が破断し、電源の有無にかかわらず冷却材の喪失でメルトダウンした可能性が高いという、原発関係者の話を披露した。地震の後、福島第一原発で起きたことの実態を把握せずに、原発の再稼働など判断できるはずがないと、言い切っている。
 経産省出身の泉田知事の発言は重い。事業者、企業しか見てこなかった経産省の役人が、住民の安全や避難計画などに頭が回るはずがないともいう。
 海江田万里経産相が、事故の真実を何一つ把握しないまま、妙に前のめりになって原発安全を閣議決定も経ずに宣言し、玄海原発の再稼働を要請したのは、まさしく経産官僚の業界寄りの振り付けそのものだろう。水素爆発を防ぐのにドリルを備えて建屋のコンクリートに穴をあけるという、原子力安全・保安院が示したマンガのような追加的安全措置を、経産相は本気で信じたのだろうか。やらせ問題やストレステストの実施によって、前のめりの原発推進大臣はみごとにすっ転んだ。国会で泣いたのは、その痛さに「恥」を知ったからと考えたい。

3.11をすべての原点に

Foresightコンテンツ福島第1原発を襲う津波。中央の排気筒の右側に高い波しぶきが立っているのが見える。同発電所展望台から協力会社の作業員が動画を撮影していた[東京電力提供]=2011年3月11日【時事通信社】
 放射性物質放出の2つのピークのうち、15日は前日までの水素爆発の連続による放出の累積効果という見方ができるが、21日は謎というのが、良心的な専門家たちの共通した疑問だった。単に降雨による放射性物質の降下というだけでは説明しきれない。
 8月8日付の朝日新聞1面に、この疑問を解く鍵となる研究が紹介されていた。旧日本原子力研究所の元研究主幹の田辺文也氏が、炉心への注水量の変化から、21日ごろに3号機が再び炉心溶融を起こした可能性が高いと指摘しているという。
 地震への真剣な備えを怠り、津波などは眼中になく、世界最長・最悪の事故を起こした上に、その後の事故対応を誤り、炉心の再溶融まで招いていたとすれば……。周辺住民の被曝などお構いなしに、事故対応の失敗を隠すため、データを公開していなかったのだとすると、その罪は途方もなく重い。
 「前向き」という言葉で、3月11日の真実にふたをしてはなるまい。原発の安全性評価も、新しいエネルギー戦略も、地域再生も、すべては3月11日が原点だ。そこを避けて通る言説はすべて虚構であろう。

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2011年8月25日木曜日

ベトナムの高速道路?

先日、新しい宿の周辺を探索した時の写真を掲載する。
高速道路の工事中だと思う。
ご覧のようにまだまだ橋桁のような物しかできていない。
完成はいつの事だろう?と思う。数年後だろう。
ビエンホアに国際空港ができたら、ホーチミン市内と結ぶ高速道路ができるという話をきいたことがある。その道路かもしれない。
素人判断ですが、完成までの道程は遠いような気がした。

帰りに市場に寄ったら、市場のオジさんが「あの現場で働いているのか?」というようなことを聞いて来た。

現場では日本人技師が働いているのかな?勘違いかも知れない。




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2011年8月21日日曜日

9区の豊かな(?)田園風景、こんな所に新車が!?


今朝、日曜日新しく引越した9区の宿の周辺を初めて探索した。
宿から東方向に地図上では湿地帯のような所をバイクで走ると周りは写真のような蓮の栽培池や沼地が点在している。

3キロも走ると下のような船着き場のような所に突き当たった。ドンナイ川らしい。
ちょうど小さな船が一人を乗せて出る所だった。船の大きさから見て、バイクは乗せれないようだ。
ふと、その船着き場の川に向かって右側を見ると写真に写っているように家の中に車が隠されているではないか。しかも新しい車だ。
こんな所に
車が!!
思わず、金持ちだ!と呟いて写真に収める。この周辺環境の風景に似合わない光景を見た。


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2011年8月19日金曜日

美少女の目に大粒の涙が…「どうしたの?」

 引っ越して数日のこと。夕方、散歩しようと宿から大通りに出てふと道路の向こう側を見ると同居している学生がいた。
新たに同居することになった女子学生(20歳)は家が親の家なので家主でもある。

その女子学生が道路の向かい側で、携帯電話に夢中になって立っている。私の呼びかけにも聞こえないらしく反応がない。
道路を渡り、側に行き「どうしたの?」と呼びかける。

いつもは、そんな時には可愛い笑顔で応えてくれる美少女はその日は何故か笑顔が無い。無表情に近い!?

ふと、目を見ると両目に大粒の透き通った涙が今にも落ちそうに一粒見えるではないか!

美少女の目に大粒の涙が…「どうしたの?」

その学生は黙って答えない…。私は散歩に行くのを止めて学生と一緒に宿に帰る事にした。
歩きながら学生が「私はまだ子どもですね!」と小さな声で呟く。

私「………?」

その言葉が何を意味するかは分からない。私もそれ以上は聞かない事にした。でも、学生に涙する訳はある。

いつもは、笑顔がすてきな学生の顔にその夜は笑顔はうかばなっかった。

しかし、その翌朝は「お早うございます」と飛び切りの可愛い笑顔で私を迎えてくれた。良かった!!



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2011年8月15日月曜日

「原発難民」となって--元宇宙飛行士・秋山豊寛さん/転載記事

転載記事

▼元宇宙飛行士・秋山豊寛さんは有機農業に取り組まれていて、月刊誌「自然と人間」に「農のある暮らしから」を連載するなど、執筆活動をされているので、読ませてもらっていました。

▼「『経済成長がなければ、幸せになれない』という神話、いや、これはイデオロギーですよ(秋山豊寛)

▼現在の私たちの暮らし、生き方を鋭く問われている「ことば」だと思います。
産業革命からはじまり、侵略植民地政策が世界でもたらした破壊と戦争の大きな問題は、今なお続いています。

▼日本の近代化とは、また、「近代とは何なのか?」私たちは、何だったったのか。
原発のもたらした、核開発がもたらした世界の取り返しがつかない被害は、未来の生きるものたちすべての、
いのちを奪ってしまいます。

今回の原発のことに対する深い悲しみと、罪責。人間として、あたりまえの大人としての責任感を、
行動、言動から、政治家・菅直人にはとうていあるとは私は思いません。

彼がすることは、せめて、国会の無秩序の責任を取り一刻でも早くやめるべきと私は思います。
▼たとえ形式的であったとしても、日本の政党政治・議会制民主主義制度を破壊した責任は重いと思います。

子供たち、被災の人たちを一時でもはやく次の内閣は決断して、
放射能の被害から遠くへ退避させ、原発の地下水への封じ込め工事などを含め、
超法規的法律をどんどん成立させて、緊急災害を官僚を使い動かす内閣の力が今求められていることだと私は思います。

▼家族が揃って、食事が食べられるあたりまえの幸せを、実現できるそのためにも、
それに向けて一歩でも現状を動かすためにも、私たち大人が、一つでも援助にむけて現実に動かななければ、
日本の国は、とりかえしがつかない崩壊をしてしまいます。

▼マスメデイアの流す情報は、あきらかに、官僚制国家が国民を都合のいい方向へ洗脳していく意図を汲むものが、
今回も含まれているということが明らかにわかります。「ただちに影響がない」【風評被害」など、、、、

国民のメデイアを読み解く力・メデイアを分析していく力が、「原発」に関しても、まさに今必要ではないでしょうか。
▼「国家は国民のいのちを守らない」ということは、戦争を経験してきた、人間は痛いほどわかっていると思います。

▼元宇宙飛行士・秋山豊寛さんの、インタビュー下記記事は、
毎日新聞・東京朝刊の記事から、保存していたのをご紹介。
現在も、検索すれば記事が全部読めますので、どうぞ。

(下記転送・拡散歓迎)
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http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110728ddm013040137000c.html

ザ・特集:「原発難民」となって--元宇宙飛行士・秋山豊寛さん

日本人初の宇宙飛行士として、▼90年に旧ソ連(現ロシア)のソユーズ宇宙船に搭乗したジャーナリストの秋山豊寛さん(69)。その後、福島県旧滝根町(現田村市)に移住、有機農業に取り組んでいた。福島第1原発の事故を受けて、今、どこで、どんな思いで過ごしているのか? 訪ねてみた。【大槻英二】

◇福島で農業15年、群馬へ/平和な老後、破壊された/経済成長に頼らぬ生き方を

「こっち、こっち」。待ち合わせ場所のバス停に、長靴をはいて現れた秋山さんは真っ黒に日焼けし、すっかり「農家のオジサン」になっていた。ここは福島県ならぬ群馬県藤岡市の鬼石(おにし)町。そのまま埼玉との県境を流れる神流(かんな)川のほとりにある田んぼに案内された。有機農業に取り組む知人から借りた6畝(せ)(約6アール)の水田。7月の初めに手植えをした。

「福島では5月20日前後に田植えをしていたけど、なかなか水温が上がらなくてね。ここは稲がどんどん伸びて、びっくりします」。ハウスではアスパラガスやカボチャ、ピーマンなどの野菜も栽培。▼避難先とはいえ、ようやく「農のある暮らし」を取り戻し、秋山さんもホッと一息という表情だ。

東京放送(TBS)記者だった秋山さんが、旧ソ連カザフ共和国(現カザフスタン)のバイコヌール宇宙基地からソユーズ宇宙船で宇宙へ飛び立ったのは、90年12月2日のこと。生中継で東京のスタジオからの呼びかけに、「これ、本番ですか?」と聞き返したのが、宇宙からの第一声となった。その後、▼国際ニュースセンター長となったが「管理職になって、現場を離れるのは耐えられない」と95年に退社。福島・滝根に移り住み、▼自給自足を目指して有機農業を始めた。現在も月刊誌「自然と人間」に「農のある暮らしから」を連載するなど、執筆活動を続けている。

滝根では阿武隈山地の標高約600メートルの山里に▼1ヘクタールの土地を購入。シイタケの原木栽培をはじめ、コメや野菜づくりに取り組んでいた。16年目の今年は、田んぼの一部をレンゲ畑にして、ニホンミツバチを飼って、ハチミツの自給に挑もうと考えていた。そのさなかの東日本大震災だった。

「福島第1原発は運転開始から40年がたち、僕の計算では今年あたりから廃炉の作業が始まると思っていました。まあ、これが浅はかな考えだったわけですけどね」

原発から自宅までは約32キロ。震災翌日には、近くの体育館に、第1原発がある大熊町の住民が避難してきた。テレビは「空中からセシウム検出」と報じ、▼屋外に出ると、以前から持っていた放射線警報器が鳴り始めた。身の危険を感じた秋山さんは、郡山市の宿泊施設に避難、事故が長期化するのを見越して、鬼石町の知人宅に身を寄せた。

避難から4カ月余。原発から約200キロ離れ、いま何を思うのか?

▼「『経済成長がなければ、幸せになれない』という神話、いや、これはイデオロギーですよ。▼このイデオロギーから脱却しない限りは、今回のこの悲惨な事態の教訓を生かすことができないんじゃないでしょうか」

60年安保闘争の余韻の中で学生時代を過ごし▼た秋山さんが、一貫して追い続けてきたテーマは「▼日本の近代化とは、何だったのか?」。農の世界に飛び込んだのも、近代化以前の自給自足の暮らしを追体験したいとの思いから。宇宙ステーション「ミール」から地球を眺めた体験は、環境破壊の進行を前に、自分も行動する時ではないか、との思いを強くしてくれたという。

日本は戦後、高度成長からバブルへと、常に経済成長を求めて突き進んできた。「80年代には、既に買い替え需要しか望めなくなっていた。▼ものが行き渡った先では、欲望を刺激するしかありません。だから、必要ではないにもかかわらず、あたかもそれがないと暮らせないようにあおった。▼IT化もその一環ですよ。誰にとっての幸せなのかの問いかけもないままに、▼便利だということが呪文になった。便利さとは電化することであり、▼その延長線上に、エネルギー供給、すなわち原発があるわけです」

パソコンは60歳のときに手放し、「原発難民」になるまでは携帯電話も持たなかったという。▼それでは、経済成長に頼らない生き方のヒントは、どんなところにあるのか。

▼「農業や漁業など1次産業が軸にしているのは、暮らしですよ。利益や発展を必ずしも求めているわけではなくて、そこで暮らしを維持していけることが基本目標なんです。私もシイタケを栽培しながら、コメや野菜をつくって、それなりに食べていけていたわけです。ナスが一山いくらになったかに一喜一憂するのではなく、▼ナスがなったからただそれを食べるという暮らし。豊作の年もあれば、不作の年もある。株式会社が農業に参入するというけれど、それは利益が目的であり、▼そもそも1次産業に単年度決算なんてそぐわないわけです」

依然、収束のメドが立たない原発事故。秋山さんの滝根の家は30キロ圏外にあり、「自主避難」の身だが、この先どうするつもりなのか。

「(原子炉建屋に)ふたがされれば戻れるかなとも思っていますけど」。しかし、直接販売で年間100万円の売り上げがあったシイタケは、放射性セシウムなどを吸収しやすいとされることから、当面はあきらめなければならないという。

「おそらく30年は……。そんなにたったら、俺は白寿(99歳)だよ。▼セシウムはそれでやっと半減だからね。政府が言うように『ただちに健康に影響を与えるような数値ではない』かもしれないけれど、人様に安全な食べ物です、と言って売れません。▼風評被害は政治不信そのもの。詳細なデータを公表することもなく、基準値以下ですと言われても、消費者が買わないのは、庶民の知恵ですよ」

そして、率直な胸中をこうも表現した。

「平和な老後をおびただしく破壊されました。秋に稲刈りをしたら、わら人形を作り、原子力ムラの人たちの名前を張って、くぎを打ち付けたい思いです」

▼それは、福島の人々の怒りでもあるかもしれない。山里で地道に農業を営んできた秋山さんが、人を呪わなければならないとは……。原発事故の業は深い。

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「ザ・特集」は毎週木曜掲載です。ご意見、ご感想は

t.yukan@mainichi.co.jp

ファクス 03・3212・0279まで

毎日新聞 2011年7月28日 東京朝刊



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2011年8月12日金曜日

お別れパーティーでの秘密の話

引越し前日のお別れパーティーで、一人の学生が言い出した。「秘密でしたが…。」
この宿に引越し前の宿での出来事、その宿は一階に家主が住む家で、住み始めの時に家主が私との約束の家賃よりも高く言い、そのことを私に言うと私が怒って出て行くので無いかと思い、その家賃の差額分は二人の学生が負担したのだと打ち明けた。

私にとっては、全く想像もしなかったこと。日頃、お金にはシビアと言うか貧乏な学生にそんなことをさせていたとは、二年半前の出来事とは言え、学生の心根に私の心は痺れた。

そのガメツイ家主の態度に我慢出来なくて、みんなで今の宿を探して移り住み二年半、色々あったが私には長い人生の中で平和で幸せだった。

心根の優しいベトナム人女子学生たちよ、ありがとう。

2011年8月10日水曜日

引っ越しました

日曜日に今まで住んでいた所からバイクで約30分くらいの所に引っ越しました。
引越しの度に荷物が増えるのが難儀ですね。ベトナムでは日本の様な引越し専門業者はいるのかいないのか?
学生に頼んでいたのですが相変わらず肝心な時に役に立たない。結局、引越し先の新たな同居人の学生に親戚の仕事先のトラックと二人の人間を頼みました。大きな荷は洗濯機だけ、あとはダンボール箱が10個ぐらい、2トン車には余裕の引越しでした。

トラックを先に送り出して直ぐに後を追いかける予定が、今まで一緒に住んだ学生3人が引越し先まで一緒に行くと言うので、では後について来てとバイクで走り出す。

そう言えば、3年前の時は私は自転車でバイクリヤカーの後を追いかけたのを思い出した。

ところが、学生のバイク一台が10分くらいのところで一緒について来ていないのだ。もう一台のバイクの学生に電話をさせると、何故か私よりもずっと先を走っているらしい。近道を行くつもりなのでもとに戻るように言うが、結局そこで15分は待った。もう着いている時間だ。

勝手に道を分かっているつもりで私よりも先に走る学生には、「もうオッチョコチョイが」と注意するが、いつものクセで言い訳ばかりだ。性格が自己中心的で、今までも一番私とトラブルが多くて良く注意したのだが、本人は喧嘩しましたね!と言っている。喧嘩では無い、私からは
叱りと注意なのだがその学生には分からない。しかし、日本語の会話は上手になった。

遅れて引越し先に着いたら、荷物は二階の私の部屋には置かずに、一階の家の前に置いたままだ。オイオイ!
男が二人も居てこれかよ。引越し先の学生もなにも言わなかったのか?
とにかく、みんなで二階まで運ぶ。

それでも、荷物はそんなに多くないので運ぶのは直ぐに終る。

引越し先を見て、学生たちは「綺麗な家だ。静かで良いところだ!だから、早く引越したかったのでしょう。」などと言っている。

と言う訳で、引っ越し作業は午前中でなんとかできた。
その後、二日ほどは足腰が痛かった。

引越し先の状況などは、おいおい記する予定です。

2011年8月5日金曜日

引っ越しの準備中

 ただいま、引っ越しの準備中。と書くと、何処へ行くのか?と思われますね。

当ブログに唯一自慢風に書いている「女子学生と共同生活」を捨てて何処へ行くのか?

そうなんです、引っ越しと言うことはその女子学生との共同生活はどうするのか?

結論から言うと、約2年半の共同生活は終わりなんです。

8人の女子学生の中で大学4年生は4人います。その学生たちは卒業して、各々の道に向かってスタートします。
日本語学科の学生はその卒業組の中で3人だけですが、その時は私も次の展開をと思っていました。

当初は、猥雑で煩雑、喧噪のホーチミン市を離れて遠くはダラットで住みたいなと思っていました。

しかし、最近になって色々と考える中でダラットは今行くと、仕事が少ないし冒険だなという思いが強くなり断念しました。

結論から言うと、ホーチミン市にそう遠くない所に縁があり住まいと仕事先を求めて行くことにしました。

引っ越し日は、日曜日です。
その準備で、今忙しいのです。

そう言う訳で、引っ越しの経過は、引越してから報告になるでしょうが、引っ越し先のインターネットがすぐに繋がらないので少し遅れるでしょう。

では、引越してからまた。


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2011年8月3日水曜日

間接的原発被害どこまで広がる!?/セシウム汚染:コメどころ東北の循環型有機農法が危機に


京大の小出先生の言葉に「原発、放射能はいいことは一つもない」という意味のことがあった。本当にそうだなと思う。今ごろになって致死量相当(広島爆心地相当)の放射能が第一原子炉の外で計測された。計って無いところで他にもありそうだ。完全に第一原子炉はメルトダウン、チャイナシンドロームしているのだ。恐ろしい。地下に溜まって、今ごろは地下水系から拡散しつつあると思える。もはやその影響はその…。米所の米も危ないだろう。食物全てが全滅だ。



転載記事

セシウム汚染:コメどころ東北の循環型有機農法が危機に(毎日新聞)

2011年8月3日 12時49分 更新:8月3日 13時29分
運転中止に追い込まれた有機センター=宮城県登米市で2011年8月1日、津久井達撮影
運転中止に追い込まれた有機センター=宮城県登米市で2011年8月1日、津久井達撮影
センターで作った堆肥を利用してキャベツづくりに汗を流す桜井利光さん=宮城県登米市で2011年8月2日、津久井達撮影
センターで作った堆肥を利用してキャベツづくりに汗を流す桜井利光さん=宮城県登米市で2011年8月2日、津久井達撮影
大震災や肉牛・稲わらの放射性セシウム汚染で、コメどころ東北の有機農法が危機に直面している。宮城県登米市の堆肥(たいひ)生産施設7基がすべてストップし、環境にやさしい肥料が足りなくなってきた。コメ農家から出る大量の稲わらを多くの家畜に与え、そのふんを堆肥に使い、安全で肥沃(ひよく)な農地を作る--。理想的な自給型有機農法循環サイクルが崩れ出している。
同市は総面積約536平方キロのうち35%が農地だ。コシヒカリやひとめぼれで知られる宮城県の15%に当たる約5100戸の米作農家が市内にある。また、牛や豚も全県の約2割を出荷し、古くから農家同士で稲わらと堆肥を交換、肥沃な農地を作ってきた。
さらに、自治体(9町が05年に合併し登米市に)とJAは、牛や豚から出る大量のふんを処理する施設(有機センター)を99年に設置した。以来、07年までに市内7カ所にセンターを設けた。04年に2101億円だった県内の農業産出額は09年には1824億円と減ったが、同市ではセンター設置効果もあり、04年の303億円から10年には310億円に増えた。キャベツやトマトなども生産額を伸ばしてきた。
ところが、震災で2カ所のセンターが故障した。さらに、7月に市内でセシウムに汚染された稲わらが見つかると、家畜が汚染されている可能性があるとして、残り5カ所も運転中止に追い込まれた。一部の畜産農家は肉牛の餌を他県産に切り替えた。
1ヘクタールの畑に毎年3月に30~40トンの堆肥を入れるというキャベツ栽培農家の桜井利光さん(23)は「消費者のニーズに合わせて何年もかけて土作りしてきた努力が水の泡になりそう。一度化学肥料に頼れば、なかなか抜け出せない」と話す。酪農から稲作まで手がける須藤元晴さん(56)は「肥沃な土地でもセシウムに汚染されていれば台無し。稲わらや肉牛だけでなく、農業全体にかかわる問題だ」と訴える。
JAみやぎ登米の佐藤悦郎・営農企画課長は「このままでは堆肥が枯渇するかもしれない。化学肥料に頼らず、環境にやさしい有機農法を市内で完結させるという『売り』を維持できるのか心配だ」と話している。【津久井達】
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