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2011年9月21日水曜日

「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。  福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。/「9・19さようなら原発5万人集会」でのスピーチ

「9・19さようなら原発5万人集会」での、ハイロアクション福島・武藤類子さんのスピーチ
*********************************

みなさんこんにちは。福島から参りました。

今日は、福島県内から、また、避難先から何台ものバスを連ねて、たくさんの仲間と
一緒に参りました。初めて集会やデモに参加する人もたくさんいます。
福島で起きた原発事故の悲しみを伝えよう、私たちこそが原発いらないの声をあげようと、
声をかけ合いさそい合ってこの集会にやってきました。

はじめに申し上げたい事があります。

3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆる事に取り組んできた
みなさんひとりひとりを、深く尊敬いたします。

それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をして
くださった方々にお礼を申し上げます。ありがとうございます。

そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった
子供たち、若い人々に、このような現実を作ってしまった世代として、心から
あやまりたいと思います。本当にごめんなさい。

みなさん、福島はとても美しいところです。
東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。桃・梨・りんごと、くだものの宝庫中通り。
猪苗代湖と磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。

そのむこうを深い山々がふちどっています。
山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。

3.11原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降り
そそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。

大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。
すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれ
ていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの
人々が悩み悲しんだことでしょう。

毎日、毎日、否応無くせまられる決断。逃げる、逃げない? 食べる、食べない?
洗濯物を外に干す、干さない? 子どもにマスクをさせる、させない? 
畑をたがやす、たがやさない? なにかに物申す、だまる? 
さまざまな苦渋の選択がありました。

そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、

・真実は隠されるのだ
・国は国民を守らないのだ
・事故はいまだに終わらないのだ
・福島県民は核の実験材料にされるのだ
・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ
・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ
・私たちは棄てられたのだ

私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。

でも口をついて出てくる言葉は、

「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。

福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。

・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・
・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・
・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、労働者たちが・・・
・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・
・放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・
・ひとりひとりの市民が・・・

国と東電の責任を問い続けています。

そして、原発はもういらないと声をあげています。

私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。

私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、
苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。

私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。



政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発・放射能についての学び。
そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。

今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りのあらゆる


ことに取り組んでいます。

私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。


もうひとつ、お話したいことがあります。

それは私たち自身の生き方・暮らし方です。

私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければ
なりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いを
はせなければなりません。原発はその向こうにあるのです。

人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の
未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。

私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。
ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な
暮らしを紡いでいきたいです。

どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な
答えはわかりません。

できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、本当に本当に
本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、
行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。



私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。


そして、つながること。

原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、
つながり続けていくことが、私たちの力です。

たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いの
つらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手の
ぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。

私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、
道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに
生き延びていきましょう。



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2011年9月20日火曜日

「未来の時間を破壊することが平気な社会、それは恐怖に満ちた社会である」/転載記事

 福島第一原発の事故で、亡くなった人は一人もいないじゃないか-。原発推進派には、こんな発言をする人もいる。慣れない避難所生活の中、持病を悪化させて亡くなったお年寄りや、将来を悲観して自らの命を絶った農家や酪農家の姿は見えないのだろうか▼そんなことを考えている時、哲学者である内山節さんの近著『文明の災禍』を読んだ。原発事故が奪ったのは住民の未来の時間であるという。「人間の営みが未来の時間を破壊した。日本では、おそらくはじめて」。その思想の射程の深さに共感した▼殺人は被害者の未来の時間を破壊する。原発の事故は地域の未来の時間を丸ごと破壊する。「未来の時間を破壊することが平気な社会、それは恐怖に満ちた社会である」という哲学者の問い掛けは重い▼未来の時間を奪われた土地は「死の町」そのものである。前経済産業相の発言も長期間、人が住むことができない福島の厳しい現実を直視する契機になれば、意味があったのかもしれない▼きのうも全国で脱原発を求める行動があった。作家の大江健三郎さんらの呼び掛けで東京で開かれた集会には、過去最大の六万人が参加した。うねるようなにぎやかな人の流れが、ゆっくりと繁華街を通りすぎる▼先頭を歩いたのは、福島の人たちだった。二度と私たちの未来を奪わないで。そんな心の叫びが聞こえてきた。(東京新聞/筆洗)

さよなら原発の勢いは止まらない。あとは政治の決断だけだ。



昨日の。さようなら原発5万人集会の写真を見て今朝のコーヒーの味は格別だ。
集会の呼びかけ人の大江健三郎さん内橋克人さんなど尊敬すべき人たちがいる。そうなんだ日本にはまだまだ良識ある人たちがいるんだ。日本は変わるぞ。
http://mainichi.jp/select/wadai/graph/20110919/2.html
http://mainichi.jp/select/wadai/graph/20110919/22.html

【ベルリン篠田航一】ドイツのシュレーダー前首相は毎日新聞との会見で、何度も「決断」を口にし、脱原発に抵抗する電力業界を説得した経緯を説いた。官僚や側近任せではない、自らが政治決断した自負がある。

脱原発を選択した理由について、国内では「使用済み核燃料の最終処分場が決まらない状況」があり、国外では「86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故」のような放射能汚染への懸念があったと指摘し、「このような状況を長期にわたり社会に強制できなかった」と振り返った。

戦後、国土が東西に分断されたドイツは米ソの中距離核ミサイルがにらみ合う冷戦の最前線で、市民も「核の脅威」は身近にあった。反核を訴える学生・市民運動は、環境政党などの政治勢力とも結び付き、世論形成に一定の役割を果たした。

だが、60年代にドイツで原発が運転を開始してからシュレーダー政権が登場するまで40年近く、脱原発は「絵に描いた餅」だった。

前首相が会見で「日本は技術的に(原発とは)違うエネルギー政策が可能」と述べた理由は、日本特有の環境だ。世界トップ級の太陽光発電技術を持ち、ドイツよりも日照時間が長く、風力も「極めて大きな潜在力」(日本の環境省)がある。

前首相は「安全への哲学は日本国民の決断次第だ」と語った。

毎日新聞 2011年9月13日 2時30分(最終更新 9月13日 3時34分)



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2011年9月19日月曜日

原発のコストが安いなんて真っ赤な嘘は今や常識、事故の補償費など入れたら計算できないほど膨大なコストになる。その費用を国民が電気代と税金で負担する構図。これで怒らないのはおかしい。

下記の情報はネットでは今や常識のことですね。原発が安全とか底コストとか嘘で国民を騙して来たのは原子力村に群がる電力会社、メーカー、ゼネコン、テレビ局などマスコミ、御用学者、官僚、自民党を筆頭の政府…何ですね。

嘘の宣伝する広告宣伝費が全て電気代として徴収できるシステムなどずる賢い姑息な官僚の考えそうなことです。
それを許してきた歴代の政府、特に自民党や公明党はどう責任を取り方針転換するのか注目すべきでしょう。民主党政府にケチつけあら探ししてる場合では無いだろうに。

原発建設の地元対策費なども膨大な金が使われて、地元の反対意見も札束でねじ伏せるようなやり方で、若いギャルタレントが「シャブ中毒のよう」と表現して物議を醸したがまさにその通りでは無いか。日本全体が原発のカネまみれとなり、今や放射能まみれとは笑い話にもならない。

一旦事故が起きたら、何世代も何万年も放射線の影響を受ける。
ドジョウ首相は財政再建で今の世代で責任を取るべきと言うが原発問題も同じだろう。
次の世代にツケを回してはいけないだろう。

それにしても日本国民は何でこんなに大人しく意気地なしになったのか。自分だけよければいいやなどと思っているのだろうか。真実に気づいた若者達が今ハンガーストライキを経産省で行っているようだがその勇気と行動力を応援したい。
………………………………………………………



永岡です、新聞うずみ火の学習会、いまさら聞けない原発の話の第2回として、イラクの子供を救う会の西谷さんと、うずみ火の核担当の高橋さんの紹介によるイベントがありました。数十人の参加者を得て盛大に行われました。
西谷さんの作られた、「原発の利権と構造」のDVD(32分)を見て、原発がコストが安いというのは、皆様には釈迦に説法ですが真っ赤な嘘で、揚水発電所などをいれたら原発がダントツに高く、さらに、再処理コストなどを含めたら、計算不能です。
また、総括原価方式により、原発のテレビCMが電気料金からテレビ局に支払われるもので、何と、節電のCMすら同じで、CMをするほど電力会社が儲かるのです。そんなわけでテレビ局は反原発番組を作れない、毎日放送が小出先生ほかの紹介番組をやったら関電が怒ったことは有名ですが、何と、大量の広告費引き上げをやっているのです(汚い!)。
そして、ゼネコンが地元の買収等のことをやり、原発最大手は鹿島建設ですが、その下請けの前田建設、さらに下請けの水谷建設がこの汚れ役をやっているのです。
また、青森知事選の際に、アントニオ猪木が当初、反原発陣営の応援をすることになり、謝礼を150万円で引き受けながら、六ヶ所村推進の候補が1億円!出したら寝返ってそっちの応援をしたそうです(佐高信さんの本による)。
また、以前は核廃棄物の地層処分のCMが流れていましたが、どこの国もあきらめて、あんなことをやっているのは日本だけです。
そして、ベトナムへの原発輸出、これは「原子力村」の命綱であり、国内新規設置が無理な今、輸出を止めたら原子力村は崩壊するところだったのです。そのベトナムへの輸出、これはメンテナンスも日本のビジネスになる(火力なら、現地の人が勉強して自分でメンテできるが、原子力はそうは行かない)上に、日本からの税金によるODAでベトナムに原発を買わせようとしている、さらに、ベトナムの原発が事故を起こしたら、責任は日本がとらないといけないのです。
その他、3時間近いお話で、充実していました。西谷さんのDVD、皆さんも見てください。
なお、うずみ火では原発についてみんなで勉強しようということで、11月26日に京都大学原子炉実験所の元講師、小林圭二さんを招いての学習会(いきいきエイジングセンター)、12月3日に同じく今中啓二さんを招いての学習会(市民交流センター東淀川)を開催します、日が近づけばまたお知らせいたします。
以上、



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2011年9月16日金曜日

赤旗日曜版 9/18にて原発暴露/転載記事

以下、メール情報の転載記事です。
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赤旗日曜版の最新号(9/18)が来て、原発の建設費が合計13兆円にもなることを暴露しています。http://www.jcp.or.jp/akahata/week/ 

これ、ゼネコンの発注実績、東電が隠したかったのを、共産党の吉井英勝議員が経産省エネルギー庁に出させたもので、計画中のものもあわせて57基の原発の建設費は合計13兆円、原子炉は三菱重工、東芝、日立が国内で独占、ゼネコンは鹿島建設(24基建設)、大林組(同11)、大成建設(10)、竹中工務店(7)、清水建設(5)が競争入札なしの特命受注なのです。

原発の粗利益は20〜30%というものすごい数字であり、1号機を取るとその後も受注できる、廃炉まで50年間仕事の切れないおいしいビジネスなのです。 また、ゼネコンは電力会社に新社長が就任すると、数百万円のお祝い金を持っていくとのゼネコン幹部の証言もあります、すさまじい世界です。

そして、ゼネコンは、原発用地をひそかに買収していたのです。読んでいて、絶句であり、なかなかいいもです。 赤旗日曜版、なかなかのスクープをやってくれています。

このほか、安西育郎先生による内部被曝の話もあります。

赤旗日曜版は時々こういうスクープ記事があり、原発問題、最近週刊誌が下火なので貴重です。

なお、原発問題を追及している吉井英勝議員、10月に神戸に来ます(10月29日土曜日、午後2時〜4時、須磨パティオ健康館)、原発とこれからのエネルギーについて語ります。 赤旗の記事が良かったので、お知らせいたしました。



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日本語教師をしながら思うこと

久しぶりに日本語教育について思うことを少し書いてみたい。

今、iPadに向かっているところはホーチミン市の郊外の9区のとあるカフェだ。このカフェ、この界隈では唯一WiFiができるので見つけた所だ。カフェにしては変わった建物で、小さなプールがある豪邸の庭をカフェに開放しているような感じだ。
そのカフェが最近のお気に入りの店で毎日通っている。

ベトナム人の男性は朝早くから友人達とカフェに来て駄弁っているが、私はいつも一人だ。
外国人の私には話す相手もいないので仕方がない。
いつもiPad相手にネットしているか物思いにふけっている。

日本語教師の仕事が2ヶ月ほど無いので長い夏休みを過ごしているような状況だ。
前に務めていた大学は辞めた。前の宿で一緒に生活していた学生が卒業するので、それを機会に次の職場を探していた。
辞めないでもいいだろうという思いもあったが、一区切りつけたかった。

ベトナムへ来て最初に日本語教師をしたのはホーチミン市で一番大きい日本語学校だった。
もう4年前になる。初めてのこともありストレスの連続だった。
日本とは全く違う組織運営に驚くばかりだった。その結果ではないが病気にもなった。

2番目の職場はホーチミン市のある国立の大学だった。最初の日本語学校の職員だったベトナム人教師の紹介だった。
ここベトナムでは人の紹介、いわゆる口コミ、コネが主流だ。私の次の仕事も大学だがやはり人のつながりから縁があった。
ベトナムはコネ社会なのだ。

前の大学だが、日本語学科の一期生が今年の卒業生だが約120名の中で卒業試験に受かったのは約35名だ。卒業できるのは三分の一だけなのである。この事実に私は驚愕した。怒りにも近い気持ちを抱いた。学生が可哀想な気が強くした。

その卒業試験にNHKのニュースが聴解試験で出ると聞いて驚くばかりだった。呆れた。学生にはとても難しいだろうと思った。今まで授業でもNHKのニュースを教材で使ったことも無いだろうに、N2もまだ難しい学生には分からないに決まっていると思った。大学側の教育方針が理解できなかった。

そんな試験をしたらできる学生は殆どいないだろうに、責任者のベトナム人の教師の考え方が分からなかった。
聞くところによるとその聴解問題は殆どの学生ができなかったらしい。
学生は各年度で期末試験を受けて不合格なら次の年度もその科目を勉強するようになっている。



そうして、勉強して来た学生の卒業試験を今まで教えたことも無い無理な問題を出してわざわざ卒業できないようにするようなやり方に私は驚愕した。そのやり方は大学側の方針というよりも、担当責任教師の個人的な考えによるものだと私は思った。日頃から試験の評価は厳しくして下さいと言っていた教師だ。

その卒業試験に宿の学生は半分しか受からなかった。案の定である。二人の内で一人しか卒業できない。一人は来年また卒業試験を受けなければならない。この一年、また4年生と一緒に勉強するのかどうか解らない。単位が取れていない科目なら分かるが…。

もう一年留年しても学力は向上しないで低下するのでないかと心配する。それで試験を受けても結果は悪いだろう。
一方で、宿の学生をみていて思うことは、学生は一生懸命に勉強していた。そのことを思うと卒業させてやるのがいいと思う。ここで留年させてもいいことは無い。

N2並のいやそれ以上の難しい内容の卒業試験を行うことの意義が理解できない。試験は時の運という言葉もある。1回の試験で4年間の評価は難しいだろう。


というのが、私の思いだった。もうこの大学とはオサラバというのが率直な思いだった。

卒業試験から2ヶ月が経った最近の情報では、来年からは卒業試験は行わないと大学の発表があったらしい。
これまた驚いた。大学内部でいろいろとあったのだろうと推測する。学生側からも意見や要望もあったのでないか。日本とは違ってベトナムでは大学や教師については、絶対という文化があるように感じる。

大学や先生が行うことにどんなことがあっても批判的な意見を学生は言わない。仕方がないと常に言う。おとなしい日本人でもそこまでは無いだろうにと思うが、大学の権威に逆らうようなことは出てこない。

大学内の組織運営は非常に個人的だ。職員会議も無い。教育内容については担当責任者から時々に注意があったりするが殆どお任せである。自由であると言えば自由だ。だから担当教師の責任は大きいと常に思って来た。教師の個人的な資質に影響することが多いのが現状だ。

日本語学科の教育内容については、担当教師が集まって意見交換することも無い。あるのはボトムダウンだけである。考えようによっては教師にとっては自由な職場だ。

ベトナムの他の大学が全てこのような状況かどうかはもちろん分からない。
次に仕事する予定の大学がどうなっているか楽しみだ。

どちらにしても、私は教室で学生と向き合っているのが一番楽しい。学生の目が輝く一瞬を見るのが好きだ。これからもそれを大事にして行きたい。

2011年9月14日水曜日

フーコック島のナイトマーケットでやけ食い編

 フーコック島での最後の夜はやはりナイトマーケットでシーフードのやけ食いです。
 最近、メタボ対策でダイエット中ですが今夜だけはいいでしょう。展示品を見ながら貝を指差し買いです。日頃ホーチミン市では食べれない物を食べてみたいです。
 上の品で20万ドンぐらいです。安いかな。ウニも二回目で店の主人がワサビとヌクマムで生を食べろと言うので挑戦しました。内心、お腹が心配でしたが大丈夫でした。冷蔵もしていない物でしたからね。味は日本で食べる物とは比べ物にならないほど普通です。ウニは1個1万どん。

 上の貝は名前がオックヤーと言ってました。グロテスクですが珍しいので挑戦しましたが。味は今ひとつで大味です。固いです。もう少し小さめが5万どん。
上の写真の展示品を見ながら注文します。


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2011年9月13日火曜日

フーコック島の海のゴミは増えている。





フーコック島の海岸のゴミは増えているのでは?

今回、フーコック島の海岸を歩いて感じたことはゴミが多いことだ。
生活用品のゴミが目立つ。波打ち際大小のゴミがスジを作っているのである。

おそらく住民が海へ捨てた物が波に打ち上げられているのだろう。

海の中を泳いでいてもしょっちゅう体にゴミがぶつかってくるので不快だった。
3年前はここまで多く無かったように思う。

これからもリゾート地として発展する計画があるのにこの現状では残念だ。
時間がかかっても環境教育に力を入れないとダメだろう。

それでも毎朝海岸でゴミを拾っている人たちがいる。ホテルの従業員だ。自分たちの敷地の前の海岸だけは掃除をしているのだが、敷地外はゴミだらけだ。

確実に3年前よりゴミは増えている。
情けない。

ベトナムの海が汚ないのはここに始まったことではない。
ブンタウは石油系のゴミが海の中に一杯だった。
5年前に行ったムイネもきれいじゃ無かった。
ニャチャンもまあまあ、最近行ったホイアンはそれよりも綺麗かなと感じたが、日本の沖縄のような海ではない。

ま、ベトナムの川の汚れようを見たら仕方がないように絶望感に陥る。
これから綺麗になる時が来るだろうかと問うたら、無理だろうと多くの声が聞こえてくるような気がする。

ベトナムは国民教育の中で環境教育に力を入れるべきだろう。国民の生活と観光資源を守る為にも国民一人一人がゴミを川や海に捨てないことから始めないといけないと思う。






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いよいよ明日はサイゴンへ帰る日だ。 今回のフーコック島の旅はほろ苦い旅になってしまった。





いよいよ明日はサイゴンへ帰る日だ。
今回のフーコック島の旅はほろ苦い旅になってしまった。

とっさに思いついて衝動的に来てしまい、航空券も割引なし。衝動買いは銭失いだ。

天気も来た当初の一日半ぐらいしか太陽を見なかった。後は雨ばっかし。メタボ対策にまいにち泳ぐ計画はダメだった。

従って、宿のバイクを借りての島を一周しようという計画もご破算。

3年前に出会ったフーコック娘との再会も実現しなかった。

という訳で新たな感動や発見も無くすぎてしまった。

二匹目の泥鰌はいなかった。




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フーコック島写真編、その3/魚市場

魚市場はどこも活気がありますね。新鮮な魚があり、生で食べたくなった。刺身も可能かな?
小さい魚の開きを少し買って、ヌクマムで食べましたが大丈夫でした。ワサビと醤油が欲しかったな。
この辺のは刺身なりそうな感じだ。
フーコック犬です。背中の毛が逆立っているのが特徴。
魚のすり身を油で揚げていた。はんぺん?美味しそうなので一つ買って食べた。1万ドン也。揚げたてだから美味かった。

フーコック島写真編、その2、夕日

海岸のレストランの食事、これだけで7万ドン、少し高めです。
席からの眺めは最高。海を眺めながらの食事は最高の贅沢。
遠くの空が怪しくなって来たと思うとすぐに雨でした。

ベトナムで夕日が見られるのはフーコック島だけ?

フーコック島写真編

空港
空港からユンドン町へ行く途中の桟橋、時々船が通る時に外れます。
海岸
レストラン
レストランからの景色

2011年9月11日日曜日

宿の女将は綺麗好き。

宿の女将は綺麗好きだ。部屋を毎日掃除してベッドのシーツなども替えてくれる。これは3年前と変わらない良さだ。

宿の主人はフランス人だと言うことだが誰かはもう一つ何処か血が混じっていると言っていたが未確認だ。


歳は80歳だが元気だ。毎朝私にはお早うございますと少し変な発音で言う。夜は今晩はだ。日本人と日本が好きなようだ。

日本で本を二冊出版している。最近も8月に出したばかりだ。
その本は小説というか物語になっていて、人間が地球環境を破壊して自然と調和しないので自然界が人間にリベンジするという内容だった。

長編小説だが何とか飛ばし読みで読了した。行きつけのレストランでその本を読んでいると、私の本か?面白いか?とそばに来て肩を叩いてくれた。ご機嫌おの様子だ。主人はこの店の常連で毎朝定時に海岸を杖をつきながら歩いて通っている姿を見る。

店では、他の客を見つけてはチェスをするのが好きなようだ。私も誘われたが生憎とできない。残念。いつかは

フーコック島は今日も雨だ。


今日も雨だ。空は雨雲に覆われて本格的な雨で、今日で三日連続だ。

フーコック娘じゃないが雨が降るから何処も行けませんだ。

朝から二度寝三度寝をして水シャワーをしてからいつものレストランへ行く。

そこへ行くのは海岸を歩くのが一番近いし、景色も良いのだが今日は雨風が強くて歩きにくい。

海水も陸地まで押し寄せてくる。

雨が降るのでどこも行けません。


今日は朝から一日中雨だった。
昨日も雨だったが今日は本格的な雨で時折強く降ったりするが、絶え間なく雨は降り続いていた。
こんな雨はサイゴンではない。

どこもいけないので宿でゴロゴロとしていた。昼と夜の食事は歩いて10分くらいのレストランで食べる。

宿の近所ではここが安心して食べられる店だ。前回きた時もここを宿で紹介してもらった。

そこの女将と話したのだが、この島にはフランス人やドイツ人が住んでいる。その店の常連客の中に、主人はドイツ人で奥さんはベトナム人の夫婦もいた。私が行くと必ずその夫婦も居るので、家で食事を作らないの?と要らぬ心配をしてしまう。
主人は私と同じぐらいの世代だ。ベトナム人と一緒にこの島に住むのはどうなんだろう?と思う。実際に半年ぐらい住んで見ないと分からんな。

3年前にはそのきっかけが出来そうだったが…。

そんなことを思いながら食後のコーヒーを飲んでいると、海岸にある店なので海水混じりの雨風が強く吹いて来る。
海は荒れていて波が高くて泳げる状態ではない。ザーザーと打ち寄せる波の音が大きい。

今回の思いつきの旅はやはり時期が悪かった。3年前のような新鮮な驚きや感動はない。


せめて明日は晴れてくれて、バイクで島を巡って見たいのだが、どうなることやら。

2011年9月10日土曜日

ある恋の物語の」彼女は今どこに?




ある恋の物語の彼女はその後どうしているのか、やはりそれが確認したかったので島に着て二日目に空港内へ行って尋ねた。

何しろ3年前の事だ。同じ職場にいるかどうかも分からない。一度は空港内に入って前に居たお土産売り場をそれとなく見るがもちろん姿は無い。

二回目に思い切ってその売り場の女性にiPadに入っている写真を見せて尋ねた。
その女性の話だと、どうやらドイツへ3ヶ月前に行ったらしい。結婚して。

やはり3年の月日はベトナムでは昔だ。昔の出来事は殆どが忘れていたが、今回この島に来るについて確認しておきたかったのだが、納得すると同時に一抹のさみしさはあった。

でも、3 年前に彼女の話の中でドイツ人の彼氏と付き合っていて別れてまだ忘れられないと言っていたのが思い出された。
そうか、結局それで良かったのだろうと思う。今年、28歳のはずだがまだまだ若い。
お幸せに。ほろ苦い日であった。



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これがピザ?これがコーヒー?チャダーが1万ドン?旅行者をバカにしていない?






今日は朝から雨が降っている。どこにも行けないので午前中は部屋でゴロゴロとしていた。昼も雨は止まない。島の雨はホーチミンとは違ってシトシトと降る雨だ。
傘もカッパも無いので、宿から歩いて近くのレストランに飛び込む。

メニューを見るに、どれも6万ドン以上の値段がついている。割高な感じだ。
迷った末に、ピザ(6万ドン)を頼む。出てきたのはパンを半分にしてチーズもどきを乗せて焼いた半端なものだった。注文を後悔した。

コーヒーだけは1万ドンで割り安の感じだったが、出てきたものはホーチミンで飲み慣れている物とは雲泥の差で、何じゃこれは?という代物だった。薄くて不味い。
これじゃ、旅行者をバカにしているなーと思う。

最後っ屁にもう一つ、お茶が欲しくてチャダー(冷たい氷の入った茶)を注文したのは良かったが、いざ、勘定の時に驚いた。お茶の値段がコーヒーと同じに1万ドンだった。思わず大きな声でマックワ(高すぎる)を連発する。

他の店でも、ホーチミンでも5000ドンまでだろと言うが確認しないで飲んでしまったので仕方ない。店員は変な客だぐらいの様子でウロウロするだけだった。

フーコック島はホーチミン市よりも質は低いのに値段は高い。観光客をバカにしているとしか思えない。近年、急速にリゾート地として発展しそうだがもっと教育に力をいれて欲しいものだ。

因みに島に住んでいる外国人はフランス人が一番で次がドイツ人だと聞いている。外国人の皆さんどうしてる?この質の低さと値段だけはボッタクリをどう思いますか?ベトナムの田舎者が欲だけ強くて金の亡者って感じですな。

その点は、ダラットはマトモですな。観光地としての品位を感じるな。歴史の違いかな。

2011年9月9日金曜日

相変わらずのボッタクリ精神健在/ユンドンの市場

フーコック島の中心街ユンドンの市場での出来事。
宿で蚊が多いので蚊取り線香を買おうと市場で尋ねる。ある売り場でおばさんが売り場の裏の方からゴソゴソとほこりを払いながら出して来た。その仕草に警戒心が湧いて来た。


幾らかと聞くと、14000ドンと言う。何!?高い!ともう口癖の言葉が口から出る。
では12000ドンと言う。なんじゃそれは。マックワ!
ふと、左の視線の中に入ってきた別の売り場の若い女性が手で六を表示しているのが見えた。
即座に、要らんはと言ってその場を立ち去る。同じ市場内でも各々は競争相手、だからベトナムは面白い。

唯一信頼できる衣類売り場の娘の所に行って事情を話し、マトモな価格で売る店を紹介して貰う。やはり6000ドンだった。
あのオバさん、倍以上もボッタクリをしようとしたのだ。
これだからベトナムは旅行者が再度行きたいと思わない国になるのだ。


私が3年前に初めて来た時も、いたるところでボラれていると思った。たとえ僅かな金額でも外国人には嫌な気持ちなのだ。
それがベトナム人には理解できない。先のことは分からんから今儲けておけの精神は日本人には特に理解できない。

フーコック島のわがまま娘!「雨が降るので行きません」










3年前に訪れたユンドンの町の市場、再び行く。ベトナムで3年は浦島太郎の気分がした。
その時に私にある娘と付き合えと指示した仕切り役の娘はまだ働いていた。ちょうど8歳になるという息子が市場にいた。でも、まだ20代だ。

向こうは私の顔を覚えていてくれた名前までも。嬉しかった。
でも、私に付き合えと言っていた娘は既に結婚して2歳の子供がいるらしい。縁が無かったが、少し寂しい気持ちになる。
ベトナムで3年は大昔だよなと実感する。

その市場、写真が無いので分からないが人が歩く所が非常に狭い。特に衣類売り場が。外国人が入って行くには勇気がいるだろう。普段は客も少なく、売り子は殆どが女性だ。暇なこともあって女性たちの好奇心の対象となって話しに花が咲く。
この島で住め結婚相手を紹介すると言う。

一人居る、その女性は売り場で働いていて、30代後半、綺麗だがわがままで短気だと言う。でも良い人だと。(ベトナム人が紹介する時の常套句??)
内心、わがままと言うのが気になるが、とにかく今晩みんな一緒にカフェへ行こうと約束する。
実は、3年前もこんなパターンだった…。

夜、約束の時間前から私はカフェで待っていた。午後から雨が降っていた。小雨だったのでカッパを買おうか迷ったが見つけられないままバイクでカフェに着いた。

(写真はカフェからの夕日)約束の時間を過ぎても待ち合わせのみんなは来ない。結局、45分経過してから電話が鳴った。約束の相手だった。
「雨が降るから行けない」だった。チョイオイだ。こりゃダメだ。
雨?小雨だよ!と言っても反応無し。 ここはベトナムでした。

一緒に食事でもできるかな?とまだ夕食を食べていなかった私はユンドンのナイトマーケットで海鮮料理を食べたのでした。決してやけ食いではありませんが、最近お腹がメタボになってるのをフーコック島で普通体にと思っているが無理かな?

しかし、市場の女性が紹介してわざわざワガママだと言う意味が分かるような気がしてきた。このベトナムで雨が降るので行かないと言う言葉を長年住んでいるが初めて聞いた。こりゃ、相当なプッツン娘かな?いや、オバさんかな。行き遅れるはずだわ。