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2011年10月29日土曜日

7歳のベトナム娘に発音チエックされて四苦八苦!

宿からバイクで15分のところにプールがある。最近暇な時に週に一二回泳ぎに行っているのだが、今日は7歳のベトナム娘二人とプールの中で会話をした。

親ときているのかどうか分からなかったが、可愛い娘達と視線が合い恐る恐る話しかけてみる。
挨拶から、子どもの年齢を聞くと7歳と言う。7歳にしては水に慣れている感じだ。

空がにわかに曇ってきて雨が降りそうな天気になってきたので、sap mua(間もなく雨だ)とベトナム語で発音したら、なに?という風な大人の様な顔つきで発音が違う!と言う。

Muaの発音が違うらしいのだが、何回発音しても違うと言う。今まで大人と会話をしていても注意されなかったのに子供は正直なのか敏感なのか?

6回目ぐらいにようやくokとなる。
泳ぎよりも疲れるよ!
娘たちにカムオン(cam on)と言うと、キョトンとしている。ウソ!分からんの?コムヒユ(分からん)と言う。

でも、3回繰り返すと分かった顔をする。
発音よりも、コミニュケーションの理解力の問題かな?
ベトナム人はめったにカムオンなどと言わんからね。

もう少し娘たちと話したかったが、雨が降る前にと私は一人先にプールから上がりました。
へン ガップ ライ。



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2011年10月27日木曜日

TPP交渉参加は本当に必要か/記者の本音:必要ない/転載記事

TPPについては毎日新聞ネット版に下記の意見記事が掲載された。私もこの意見に賛成だ。TPP参加は日本を滅ぼす。
以下転載
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記者の目:TPP交渉参加は本当に必要か=位川一郎(毎日新聞)


◇輸出依存戦略もう見直す時だ
環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉参加問題が大詰めを迎えた。政府は、「アジア太平洋の成長を取り込む」として参加を決めたいようだ。しかし、これ以上海外に依存した成長を目指す戦略は間違っていると私は考える。国民の大多数にとって、TPPのリスクは大きく、メリットはわずかだろう。野田佳彦首相が参加を思いとどまってくれることを願う。

◇農業、医療などリスクが大きい
TPPについて、慎重派は多くのリスク、問題点を挙げている。関税撤廃で打撃を受ける農業のほか、▽「混合診療」の全面解禁や株式会社の参入で公的医療保険が縮小する▽遺伝子組み換え作物の表示、残留農薬などの食品の基準が緩められる▽公共事業の発注ルールや日本郵政の簡易保険への影響--などだ。

農業以外の懸念に対し、政府は「交渉対象になっていない」などと説明するが、楽観的すぎる。9カ国のこれまでの交渉で議論されなかったテーマも、日本が加われば取り上げられる可能性があるだろう。慎重派が指摘する項目の多くは、過去に米国が「年次改革要望書」などで日本に要求したものだからだ。また、理不尽な要求は拒否するといっても、国際交渉で主張がすべて通るはずがない。TPPへの不安は、実体のない「TPPおばけ」(前原誠司民主党政調会長)ではないのだ。

影響を受けるのは日本だけではない。TPP加盟国は、ビジネスの「障壁」を除くために国内規制の緩和を求められる。他国でも、医療や食品安全に関する日本の規制のように国民生活に不可欠なものが、緩和対象に含まれるかもしれない。推進論者は「アジア太平洋のルールづくりに日本がかかわるべきだ」と声をそろえるが、誰のためのルールなのかと問いたい。

そもそも、輸出や海外進出に依存した経済成長はもはや国民を幸福にしないのではないか。輸出主導で景気が回復した03~07年度の間に、企業の経常利益は48%増え、株主への配当金は94%増えた(財務省の法人企業統計)。しかし、同じ期間に労働者の賃金は0・3%下がった(厚生労働省の毎月勤労統計)。輸出企業が、新興国などの安い製品と競争するために人件費をカットしたからだ。

経済連携を広げ輸出と対外投資を増やしても、利益を得るのは輸出企業とその株主だけで、賃金と雇用は増えない構造と言える。松原隆一郎東大教授は、輸出企業が「国内を牽引(けんいん)するのでなく、切り捨てた」と指摘している(農文協「TPPと日本の論点」)。

◇内需を重視し地域自立型に
むしろ、中長期的な政策の方向としては、国内の需要に注目することの方が重要だろう。供給過剰(需要不足)の日本経済だが、環境、自然エネルギー、福祉、食などのように、供給が足りない分野はまだ多い。むやみに海外へ販路を求める前に、国内で必要な製品・サービスが十分に提供され、雇用も確保される経済が望ましい。同時に、税などを通じた所得再配分で格差を是正すれば、中間層の厚みが戻り、個人消費が増え、景気回復の力にもなる。

特に、グローバル化の対極にある「地域」の役割はもっと評価されていい。原発やショッピングセンターに象徴される外部からの大規模投資は、あちこちで地域の自立を損ない、コミュニティーを破壊し、人と人の絆など国内総生産(GDP)の数字に表れない便益が失われた。もう一度、地場の企業や自治体などが主役になって、身近なニーズに応える自立経済を築いてほしい。その際、経済評論家の内橋克人氏が提唱する「FEC自給圏」、つまり、食料(Food)、エネルギー(Energy)、福祉(Care)の自給という考え方が指針になるだろう。

貿易には資源を浪費し地球環境に悪影響を与えるというマイナス面があることも、忘れてはならない。食品の遠距離輸送が大量の化石燃料を消費することを示す「フードマイレージ」という言葉が知られているが、同じ問題はあらゆる物品に存在する。また、消費者は生産地が遠いほど、そこで起きる資源・環境問題を実感しにくい。例えば、日本などに向けた穀物の生産で米国中部の地下水層が細っていることを、日本の消費者はあまり知らない。安く輸入すればそれでハッピーなのか、改めて考えるべきだ。

「鎖国」の勧めを述べているのではない。日本の関税率は一部を除いて低く、海外からの投資も原則自由。経常収支は約17兆円もの黒字(10年)だ。既に国は開かれ、海外からの果実も十分得ている。言いたいのは、もっと自国の足元を見つめようということだ。                    (東京地方部:毎日新聞)


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2011年10月18日火曜日

(写真の人は泥棒ではありません、工事人です)

(写真の人は泥棒ではありません、工事人です)

 昨日の朝、電線ドロボー事件が発生してから電気が来ないのでネットをしにカフェに行って宿へ9時に帰ると電気工事の車が来ていた。思わず早い!とつぶやく。

早くても今日中かなと思っていたので嬉しい誤算だ。
盗まれた電線は8mだった。
引き込み線は屋外なので費用は電力会社の負担だろう?

(分かりにくいが、左上から右に斜めに走る線が引き込み線だ)

工事が終わって後で聞くと、作業した二人に我が宿と隣で5万ドンづつ渡したらしい。コーヒー代として。

というわけで朝の10時頃には電気が回復したのである。

しかし、
電気を供給している電線を盗むとは、電線は至る所を走っているので盗む機会はいくらでもあると言えばあるよな!

何で、我が宿の電線だけ?後日談だが近所でもドロボー被害はあり、パスポートなど重要な物を盗み、後でドロボーがお金を請求して来ることがあるらしい。

とんでもないことだが、ここベトナムでは警察も頼りにならないので住民は気をつけかしかない。
(白いのが引き込み線)

今まで、私は夜中は暑い時にはドアを開けて寝たりしていたが、そんなことはベトナムではドロボーに入って下さいと言っているようなもんだと思った。

仕方がない、暑くても夜中は鍵を掛けて寝ることだ。
日本人はベトナム人のドロボー対策にはいつも過剰反応だと思ったのだがそうでもないと反省!

昨日は、一日中周りのベトナム人が皆ドロボーに見えた。
(ベトナム人はよく、隣の人は泥棒ですから気をつけてください、と言っているがその気持ちが分かるような気がしてきた。)




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2011年10月17日月曜日

泥棒が電線を取ったので停電です!

今朝は同居人のベトナム人若者のタンが家主女子学生と騒いでいる。
どうやら昨夜に電線を盗んで行った奴がいるらしい。

そう言えば、昨夜の深夜2時半ごろに宿の外で異様な物音がして目が覚めた。直後にバイクが走り去る音も聞こえた。
その時に停電だと気付いたが、いつものことだと気にしなかった。しかし左隣の家は電気が付いているので不思議だと思い、念のためにブレーカーをチエック
するが異常はない。

近所を見渡すが街路灯も付いている?我が宿と右隣は電気が付いていないことに不思議を感じながらまた寝る。そして、今朝の騒ぎだ。

現場を見ると、宿への引き込み線が約10mぐらい切られていた。隣の家と二軒分だ。
セコイドロボーだ。

引き込み線の宿側は住宅の軒下間際で切られているので、そこを切断するには門をよじ登るか何かしなければ手は届かない高さだ。昨夜の物音はその時のモノだと理解する。

結局、右隣の住人が電力会社に連絡をしてくれるらしい。はたして電気の復帰はいつになるだろうか?今日中に付けばいいが、まさか数日もかかることは無いだろうに。
午前中ならば上出来だなどと思いながら、いつものカフェへiPadを持参してネットをする。

久しぶりの投稿は以上のように電線ドロボー事件で始まった次第です。

2011年10月15日土曜日

防護服の男、「25人の真実」、福島原発事故直後の真実/転載記事

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/e623ea60d0c7288f4c4fd6f68c00f230?st=0#comment-form
ブログ「薔薇、または陽だまりの猫」より転載記事。元ネタは朝日新聞の記事。

〈プロメテウスの罠〉防護服の男(1)〜(12)
2011/10/15 08:25社会
■防護服の男(1) 

 福島県浪江町の津島地区。東京電力福島第一原発から約30キロ北西の山あいにある。 

 原発事故から一夜明けた3月12日、原発10キロ圏内の海沿いの地域から、1万人の人たちが津島地区に逃れてきた。小中学校や公民館、寺だけでは足りず、人々は民家にも泊めてもらった。 

 菅野(かんの)みずえ(59)の家にも朝から次々と人がやってきて、夜には25人になった。多くが親戚や知人だったが、見知らぬ人もいた。 

 築180年の古民家を壊して新築した家だ。門構えが立派で、敷地は広い。20畳の大部屋もある。避難者を受け入れるにはちょうどよかった。門の中は人々の車でいっぱいになった。 

 「原発で何が起きたのか知らないが、ここまで来れば大丈夫だろう」。人々はとりあえずほっとした表情だった。 

 みずえは2台の圧力鍋で米を7合ずつ炊き、晩飯は握り飯と豚汁だった。着の身着のままの避難者たちは大部屋に集まり、握り飯にかぶりついた。 

 夕食の後、人々は自己紹介しあい、共同生活のルールを決めた。 

 一、便器が詰まるのを避けるため、トイレットペーパーは横の段ボール箱に捨てる。 

 一、炊事や配膳はみんなで手伝う。 

 一、お互い遠慮するのはやめよう……。 

 人々は菅野家の2部屋に分かれて寝ることになった。みずえは家にあるだけの布団を出した。 

 そのころ、外に出たみずえは、家の前に白いワゴン車が止まっていることに気づいた。中には白の防護服を着た男が2人乗っており、みずえに向かって何か叫んだ。しかしよく聞き取れない。 

 「何? どうしたの?」 

 みずえが尋ねた。 

 「なんでこんな所にいるんだ! 頼む、逃げてくれ」 

 みずえはびっくりした。 

 「逃げろといっても……、ここは避難所ですから」 

 車の2人がおりてきた。2人ともガスマスクを着けていた。 

 「放射性物質が拡散しているんだ」。真剣な物言いで、切迫した雰囲気だ。 

 家の前の道路は国道114号で、避難所に入りきれない人たちの車がびっしりと停車している。2人の男は、車から外に出た人たちにも「早く車の中に戻れ」と叫んでいた。 

 2人の男は、そのまま福島市方面に走り去った。役場の支所に行くでもなく、掲示板に警告を張り出すでもなかった。 

 政府は10キロ圏外は安全だと言っていた。なのになぜ、あの2人は防護服を着て、ガスマスクまでしていたのだろう。だいたいあの人たちは誰なのか。 

 みずえは疑問に思ったが、とにかく急いで家に戻り、避難者たちにそれを伝えた。(前田基行) 

     ◇ 

 ギリシャ神話によると、人類に火を与えたのはプロメテウスだった。 

 火を得たことで人類は文明を発達させた。化石燃料の火は生産力をさらに伸ばし、やがて人類は原子の火を獲得する。それは「夢のエネルギー」とも形容された。しかし、落とし穴があった。 

 プロメテウスによって文明を得た人類が、いま原子の火に悩んでいる。福島第一原発の破綻(はたん)を背景に、国、民、電力を考える。 

     ◇ 

 「プロメテウスの罠」は、数カ月にわたり長期連載します。
第1シリーズ「防護服の男」は十数回の予定です。文中はすべて敬称を略します。

2011.10.3朝日新聞朝刊
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■防護服の男(2)
 3月12日夕、菅野みずえは自宅に駆け戻り、防護服の男たちの話を避難者に伝えた。議論が始まった。 

 「本当に危険なら町や警察から連絡があるはずだ。様子をみよう」。やっと落ち着いたばかりで、みんな動きたくなかった。 

 しかし深夜、事態が急変する。数台のバスが、避難所になっている公民館に入って行った。それに避難者の1人が気付く。バスの運転手は「避難者を移動するのだ」といったという。 

 当時、浪江町は、逃げ遅れた20キロ圏内の町民たちを津島地区までバスでピストン輸送していた。しかし、みずえはそんなことは知らず、やはりここは危ないのではないかと思った。みずえは寝ていた人々を起こし、再び議論となった。 

 多くは動きたがらなかった。しかし、一人の女性が「みんながいたら、菅野さん家族が逃げられないでしょう」といった。それで決まった。 

 「車のガソリンが尽きるところまで避難しよう」 

 深夜0時すぎ、若い夫婦2組が出発した。2月に生まれたばかりの乳児や、小さい子どもがいた。 

 夫婦は最初、「こんな深夜に山道を逃げるのはいやだ」と渋ったが、「子どもだけでも逃がしなさい」とみずえがいい、握り飯を持たせた。 

 翌13日の朝食後、再び話し合った。前夜「逃げない」といっていた若い夫婦連れが「子どものために逃げます」といった。年配の女性が、夫婦に自分の車を貸した。 

 「私は1人だから、避難所でバスに乗るわ」 

 夕方までには、25人全員が福島市や郡山市、南相馬市などへそれぞれ再避難した。 

 みずえは近くの家で避難している人たちにも、防護服の男たちのことを伝えた。1人が笑って答えた。 

 「おれは東電で働いていた。おれらのつくった原発がそんなに危ないわけねえべ」 

 男は原発事故からではなく、津波から逃れてきたのだ。みずえはこれで気が抜けた。みずえと長男の純一(27)は避難を取りやめた。 

 純一は避難所の活性化センターの炊き出し係で、握り飯をつくっていた。 

 「おれだけ逃げるわけにいかないよ」。このとき津島地区から10キロほどの地点で、30マイクロシーベルト用測定器の針が振り切れていた。(前田基行) 

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防護服の男(3)警察官、なぜあんな格好を

3月13日に菅野家の25人が出て行った後も、津島地区の避難者は大半が残っていた。 

 避難指示は12日午前5時44分に10キロ圏内に拡大。1号機が水素爆発した後、午後6時25分に20キロ圏内に広がった。 

 しかし官房長官の枝野幸男は12日夜の記者会見で、「放射性物質が大量に漏れ出すものではない。20キロ圏外の地域の皆さんに影響を与えることにはならない」と語った。 

 要するに、たいしたことはないが念のため避難してくれ、という趣旨だ。人々は30キロの津島地区は安全だと信じていた。 

 東電の社員が12日と13日に浪江町の津島支所を状況報告に訪れた。彼らは防護服ではなかった。「ここは危ない」ともいっていない。菅野みずえが会った男たちの様子とは大きく違っていた。 

 役場職員も区長も、みずえの会った防護服の男を見ていない。しかし、みずえは見聞きしたことをしっかりメモに書きとめていた。 

 15日早朝、前日の3号機に続いて、2号機で衝撃音がし、4号機が爆発した。政府は初めて20〜30キロ圏内の「屋内退避」を要請する。 

 津島地区の住民が避難したのはそのころだった。町長の馬場有らが14日の3号機の爆発をテレビで知り、隣の二本松市に15日から自主避難することを決めたのだ。 

 福島第一原発の正門では、15日午前9時に毎時1万1930マイクロシーベルトの高い放射線量が観測された。それでも枝野の発言は楽観的だった。 

 「放射性物質の濃度は20キロを越える地点では相当程度薄まる。人体への影響が小さいか、あるいはない程度になっている」 

 「1号機、2号機、3号機とも今のところ順調に注水が進み、冷却の効果が出ている」 

 原子炉が12日のうちにメルトダウンを起こしていたことが国民に知らされるのは、後になってからだ。 

 12日朝、浪江町で交通整理などにあたる警官が、防護服を着用した。 

 「警官はなぜあんな格好をしているのか」 

 住民は不安を抱いた。浪江町議会議長、吉田数博(65)は津島地区の警察駐在所を訪れ、「不安を与えるので防護服は着ないでほしい」と要請した。 

 吉田はいう。 

 「知らないのはわれわれだけだったんだ」(前田基行) 

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防護服の男:4 殺人罪じゃないか

 SPEEDI(スピーディ)というコンピューター・シミュレーションがある。政府が130億円を投じてつくっているシステムだ。放射線量、地形、天候、風向きなどを入力すると、漏れた放射性物質がどこに流れるかをたちまち割り出す。

 3月12日、1号機で水素爆発が起こる2時間前、文部科学省所管の原子力安全技術センターがそのシミュレーションを実施した。

 放射性物質は津島地区の方向に飛散していた。しかし政府はそれを住民に告げなかった。

 SPEEDIの結果は福島県も知っていた。12日夜には、東京の原子力安全技術センターに電話して提供を求め、電子メールで受け取っていた。しかしそれが活用されることはなく、メールはいつの間にか削除され、受け取った記録さえもうやむやになった。

 3月15日に津島地区から避難した住民に、県からSPEEDIの結果が伝えられたのは、2カ月後の5月20日だった。県議会でこの事実が問題となったためだ。

 福島県の担当課長は5月20日、浪江町が役場機能を移していた二本松市の東和支所を釈明に訪れた。

 「これは殺人罪じゃないか」

 町長の馬場有は強く抗議した。

 馬場によると、県の担当課長は涙を流しながら「すみませんでした」といい、SPEEDIの結果を伝えなかったことを謝ったという。

 知らされなかったのはSPEEDIの情報だけではない。

 福島県は、事故翌日の3月12日早朝から、各地域の放射線量を計測している。

 同日午前9時、浪江町酒井地区で毎時15マイクロシーベルト、高瀬地区では14マイクロシーベルト。浪江町の2地点はほかの町と比べて異常に高い数値を示した。1号機水素爆発の6時間以上も前で、近くには大勢の避難民がいた。

 これらの数値は6月3日に経済産業省のHPに掲載された。しかし、HPにびっしり並ぶ情報の数字の中に埋もれ、その重大さは見逃された。

 8月末、浪江町の災害救援本部長、植田和夫にそれらの資料を見せると、植田は仰天した。

 「こんなの初めて見た。なぜ国や県は教えてくれなかったのだろう」

 菅野みずえはいう。

 「私たちは、国から見捨てられたということでしょうか」

 (前田基行)
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防護服の男(5) 私、死んじゃうの?

菅野みずえの家にいた25人の人々は、その後どこに向かったのだろう。 

 その一人、谷田(やつだ)みさ子(62)はいま、愛知県春日井市の市営住宅で避難生活を送る。 

 みずえの遠い親戚だ。同じ浪江町の小野田地区に家がある。みずえの家からは約20キロ海寄りで、福島第一原発から10キロ以内の距離にある。 

 3月11日午後、自宅で地震に襲われた。 

 翌12日早朝、隣の双葉町に住む次女一家が「ここは危ないから逃げるのよ」と駆け込んできた。朝9時、家を出た。 

 みずえの家がある津島方向に向かう国道114号はすでに大渋滞。国道6号に出て北に進み、南相馬市小高区の長女宅に向かう。ここで1号機の水素爆発を知り、さらに全員で津島を目指した。 

 みずえの家に着いたのは夕方6時を回っていた。他の避難者が炊き出しの握り飯を食べ終わったところだった。 

 一日中走り回って疲れていたが、避難者の会議には出席した。共同生活ルールのうち、使用済みトイレットペーパーを段ボール箱に捨てるよう提案したのは、みさ子だった。以前メキシコ旅行をしたときの経験を思い出したからだ。 

 しかし、ほっとしたのもつかの間、白い防護服の男たちの警告をみずえから聞かされた。 

 生後1カ月の赤ちゃんを抱えた次女一家7人と、長女一家4人を、夜中に逃がした。翌13日夕、みさ子も発った。 

 行くあてはなかったが、「少しでも遠くに」と郡山市を目指す。 

 郡山市では、避難して来る人たちの放射能測定をしていた。みさ子に測定器が向けられると、針が大きく振れた。「私、死んじゃうの?」と測定係に叫んだ。 

 その晩は車で寝た。15日朝、地震当時は相馬市にいた夫(54)と携帯電話でようやく連絡が取れた。会津若松市で合流し、新潟県経由で、22日、姉が暮らす春日井市に逃れた。 

 国や東京電力から的確な指示が一切ないまま、12日間の逃避行だった。 

 「原発は安全」。これまで、そんな説明を何度も聞いていた。それを前提とした生活がすべて崩れた。 

 しかし、原発のおかげで住民が恩恵を受けてきたのは事実なのだ。「原発だけ悪いなんて、私たちはいえないのよ」。みさ子はため息をつく。(前田基行) 

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防護服の男(6)ハエがたかっていた

谷田(やつだ)みさ子(62)は浪江町で生まれ育った。中学生のころ、東京電力が福島第一原発づくりを始めた。 

 高校卒業後、上京して就職したが、1年半で浪江町に戻った。そのあとは東電一色の生活だった。 

 結婚し、3人の子を育てながら焼き鳥屋をやった。客は原発で働く作業員たちだった。 

 その後は東電の社員寮に勤める。 

 昨年の夏まで10年間働いた。食事をつくり、若い社員らに「やつだっち」と呼ばれて慕われた。女子寮には、女子サッカーのなでしこジャパンで活躍した鮫島彩選手らがいた。「みんないい子でかわいかったです」 

 子供たちの手が離れてからは、東電の管理職の寮に住み込んだ。 

 思い出すのは選挙の時の東電の力の入れようだ。 

 町長選挙や県議会議員選挙があると、寮の食堂が東電幹部らの待機場所となった。支援候補が当選すると、幹部はそろってお祝いに駆けつけた。「電力会社は政治とがっちりつながっているんだな」と感心した。 

 これまでの人生の半分以上を東電とかかわってきた。にもかかわらず、今度の事故では東電から何の情報もなかった。 

 愛知県春日井市に避難してからはいっそう情報が入らなくなった。福島県の地元紙を郵送してもらい、隅から隅まで目を通す。 

 これから生活はどうなるのか。補償はどうなるのか。不安だらけだ。 

 6月、浪江町の家に一時帰宅した。冷凍庫は地震でひっくり返ったままで、腐った食材にハエがたかっていた。 

 8月末、自分の車を引き取りに再び福島に戻った。夫が車を運転し、春日井市から高速道路で8時間かかった。広野町の体育館で防護服に着替え、用意されたバスに乗り込んだ。 

 バスが止まると、首輪をつけた2匹の犬が足元に寄ってきた。途中、道ばたで猫が2匹死んでいるのを見た。 

 「一歩間違えたら、私たちがああなっていたのかな」 

 事故後、長女は郡山に、次女は新潟に、家族は散り散りになっている。 

 9月、福島県の仮設住宅に入居を申し込んだ。 

 「福島は何十年も暮らした土地ですから。戻りたい」。涙がこぼれた。(前田基行) 
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防護服の男(7) 早く東京へ来なさい

東京に住む娘の携帯電話の指示で転々と避難を続けた者もいた。菅野みずえの家に避難した門馬洋(もんま・ひろし)(67)と昌子(しょうこ)(68)の夫婦だ。 

 自宅は浪江町の権現堂地区で、原発まで10キロない。3月12日朝、町の防災無線が「津島に逃げてください」と避難を呼びかけた。車で知り合いのみずえの家に避難した。 

 菅野家には昼前に着いた。昌子はみずえの炊き出しを手伝い、お握りを握った。夕食後、25人の避難民たちが自己紹介しあった。知り合いが何人もいた。 

 みずえから白い防護服の男たちの話を聞かされたときは、夫婦はずるずる居残った。 

 しかし、翌13日朝、再びみずえから逃げるようにいわれ、昼前に菅野家を出発した。 

 とにかく北へ逃げようと、南相馬市を目指した。コンビニも商店も閉まっていた。レストランを見つけた。納豆定食が残っていたので、それを食べた。3軒のホテルに断られ、ようやく見つけたホテルに泊まった。 

 14日夜、福島空港から飛行機に乗り、15日に東京の長女と合流した。 

 長女の真理子(36)は地震のあと、両親の携帯を呼び続けた。11日の地震直後に、一度通じただけで連絡が途絶える。あとはメールだけだった。 

 しかし、メールの返信も途絶えた12日の午前8時43分。 

 「お父さんとお母さんの無事を神様にお祈りしています」 

 テレビやインターネットで、原発事故の新しい情報を必死で探し、両親に送り続けた。 

 1号機が水素爆発した12日の午後9時。真理子はテレビで専門家が「大丈夫」と言っているのを聞いた。「爆発は外壁だけで、放射能をまき散らすものではなかったと判明」。そんなメールを送った。大変な誤りだった。 

 両親が南相馬市に再避難した13日には「女川原発まで放射能が飛んでいる。そこも危ない。東京に来なさい」。 

 そして14日の正午。「3号機が11時半に爆発した。早く東京へ」 

 父は「そこまで行かなくてもいいじゃないか」と返してきた。真理子は「とにかく早く来なさい!」と叱った。 

 責任のある人たちは、だれも両親を助けてくれようとしなかった。真理子にはその不信感だけが残る。(前田基行) 

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防護服の男(8) 「ふるさと」歌えない

 菅野みずえの家に避難した門馬洋(67)は元高校教師だ。福島第一原発がつくられた40年前から反原発運動にかかわっていた。 

 当時住んでいた楢葉町(ならはまち)の町営住宅に、住民3人が集まって始めた運動だ。県知事や町長らに危険性を訴え続けた。東京電力とは数年前から毎月1回交渉し、3月22日も交渉が予定されていた。 

 原告404人で隣の福島第二原発について裁判を起こしたが負けた。そのとき仙台高裁の裁判長が述べた言葉を今もはっきり覚えている。 

 「反対ばかりしていないで落ち着いて考える必要がある。原発をやめるわけにはいかないだろうから」 

 それから21年。原発は安全だという幻想はあっけなく崩壊した。 

 「東京電力の想定がいかに甘いか。そのために多くの人に、どれだけの被害を与えたか。いったいどう責任を取るつもりなのか」 

 しかし、浪江町が今回の事故で「殺人行為だ」と国や東京電力を非難していることについても、同様に違和感がある。 

 浪江町にも、東北電力の原発建設計画が40年前からあった。浪江町議会が誘致を求めていたものだった。 

 昨年、町内会の会合で町議が洋を見ながらいった。「原発で浪江町の未来は明るくなる。門馬先生は反対でしょうが……」 

 7月に一時帰宅したとき線量を測った。家の近くで毎時4マイクロシーベルトあった。 

 畑には大きな柿の木がある。長女の真理子(36)が生まれたときに植えたものだ。300個以上の実をつけた年もあった。 

 「もう実がなっても食べられませんね。汚染されてしまったから」 

 30年ほど前、町内の体育館を借り、東京の劇団を呼んで放射能漏れ事故をテーマにした劇をやったことがあった。原発事故で町民が逃げ惑うというストーリーだった。それが現実になった。 

 夫婦は東京都北区の団地に身を落ち着けている。 

 家賃は13万5千円と高いが、長女の家の近くに住むため、そこに決めた。東京電力からもらった仮払金100万円を家賃の支払いにあてる。 

 洋は福島にいたころから合唱が好きだった。7月、北区で合唱団の催しがあるのを知り、妻の昌子(68)と参加してみた。 

 兎(うさぎ)追いしかの山、の「故郷(ふるさと)」を歌った。洋も昌子も途中で歌えなくなった。(前田基行) 

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防護服の男(9) 

 浪江町の赤宇木(あこうぎ)地区に住む三瓶(さんぺい)ヤスコ(77)は隣の飯舘村から嫁いで55年になる。菅野みずえとは公民館の民謡サークル仲間だ。 

 ヤスコは8月初めまで、細い山道を上った一軒家に1人で住んでいた。 

 地震直後は、神奈川県の孫娘の1DKのアパートに、富岡町の長女と孫息子の3人で避難した。 

 しかし、隣室の食事の音まで聞こえる。周りにも気を使う。「この年になると都会の生活は合わない」。犬と猫のことも気になり、4月末に赤宇木に戻った。 

 そのころは、まだ地区に数世帯が残っていた。そのうち1軒減り、2軒減り、誰もいなくなった。警察が30キロ付近で通行規制を始めると、車も通らなくなった。 

 さみしくなった。夜は真っ暗だ。何も考えないように思っても手が震え、食べ物がつかえた。 

 気晴らしに近くをドライブした。しかし、帰り道はどの家も明かりはない。山道を落ちてもだれも助けにきてくれないと思うと、ドライブが怖くなった。 

 日曜になると、背中に「文部科学省」と書かれた作業服の男たちが、地区に放射線量を計測にきた。ヤスコは車がくると出て行き、「今日はなんぼですか」と尋ねる。 

 「15マイクロシーベルトだよ」。男は気軽に教えてくれた。 

 「私の家も測ってくれんかね」 

 別の日、男は家の周辺を測ってくれた。家の外で10マイクロシーベルト、居間で5.5マイクロシーベルトあった。平常値をはるかに上回る量だ。 

 男はそれを紙に書いてヤスコに渡した。 

 6月初めのある日曜日、男がポツリと言った。 

 「今だからいうけど、ここは初め100マイクロシーベルトを超していたんだ。そのときは言えなかった。すまなかった」 

 その後も、男は「参考にして」といって、各地域の放射線量が書かれた地図をヤスコにくれた。 

 だが、ヤスコは8月初めまで赤宇木にとどまる。 

 「放射能は目に見えるわけでないし、数値を聞いてもよく分からなかったのよ」 

 8月初め、二本松市の仮設住宅に当たったため、赤宇木を出た。 

 しかし、今も2日おきに、約25キロ離れた自宅まで車で通う。 

 犬と猫にえさをやるためだ。 

(前田基行) 

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防護服の男(10)口止めされた警察官

関場和代(52)は3月14日、会津若松市の親類宅に避難した。家は菅野みずえの家に近い浪江町南津島にあった。 

 その後も避難指示がないため4月2日、ひとまず自宅に戻った。数日して、家の前に自衛隊のジープがとまり、隊員が降りてきた。安否確認で来たという。 

 そのころ浪江町の放射線量が高いことが報道されていた。それが心配で、おそるおそる尋ねた。 

 「この辺の線量はどのくらいですか」。隊員はにっこり笑い、ここは大丈夫だと答えた。 

 「私たちは線量計を付けています。1日にどのくらい線量を浴びたか分かるんですよ」。和代はそれで安心した。家に閉じこもるのをやめ、近所に出かけていった。 

 4月17日。近くの橋の上にいると、男が近づいてきた。フリージャーナリストの豊田直巳(55)だった。和代が、自宅の線量を測ってほしいと頼んだ。豊田は敷地のあちこちを測りはじめた。 

 玄関の雨どいの下を測ったとき、豊田が「ワッ、これは大変だ!」と叫んで立ち上がった。 

 ためらう豊田に、和代は「本当のこといってください」と頼んだ。 

 「2時間いたら、1ミリ吸います」と豊田は答えた。 

 豊田によると、そのときの線量は毎時500マイクロシーベルトを超えていた。2時間いただけで年間許容量の1ミリシーベルトを超える値だ。 

 具体的な数字を初めて聞かされ、大変なことだと初めて自覚した。和代はあわてて身支度し、豊田に見送られて家を飛び出した。 

 数日後、ネコを引き取りに再び家に帰った。警視庁のパトカーが敷地に入ってきた。 

 「ここって高かったんですね」と30代ぐらいの警察官に聞いてみた。 

 「そうなんです、高いですよ。でも政府から止められていていえなかったんです」 

 警察官はそう答えた。 

 和代はびっくりした。ジープの自衛官がいったことは何だったのか。 

 「もし自分の家族だったら、同じことがいえますか。真っ先に逃がすでしょう。私らのことは、しょせんひとごとなんですかね」 

 7月、中国の高速鉄道事故で証拠隠しが発覚した。日本のメディアは中国政府の対応を厳しく批判した。和代は腹が立ってくる。 

 「日本だって同じじゃないの」(前田基行) 
 
*2011.10.13朝刊

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防護服の男(11) あの2人のおかげで

菅野みずえの家に避難した25人は、「白い防護服の男」の情報とみずえの判断でそれぞれ再避難し、危険な状況から逃げることができた。 

 大量の放射性物質が飛び散り、住民が被曝(ひばく)するかもしれない緊急の時期だった。しかし政府も東京電力も、それを住民に教えなかった。 

 しかし25人は、混乱を起こすこともなく、冷静に動いている。 

 みずえは今、福島市に近い桑折町(こおりまち)の仮設住宅で暮らす。 

 「ほら、見てください」。みずえは空き地で遊ぶ子どもたちを指さす。 

 「あんな小さな子が、避難生活の苦労を背負ってこれから生きていくんですよ。もし被曝していたら……」 

 それにしても、あの白い防護服の男たちは一体だれだったのか。みずえは今も考える。 

 そのころ福島県内は、文部科学省や福島県、日本原子力研究開発機構、東京電力、東北電力などの計測車が走り回っていた。 

 例えば新潟県からの応援車もきていた。3月12日夕のちょうどその時刻、津島地区を通っている。 

 新潟県の職員2人は、原発事故対応の支援のため、ワゴン車に乗って福島県に入った。114号を浪江町に進み、津島地区を通った。午後4時ごろ、その先の川房地区で警官に止められて引き返している。 

 その職員に話を聞くことができた。ただ、内部被曝してしまったので、名前が出るのは困るとのことだった。 

 職員によると、当時、測定器は激しく鳴りっぱなしで、焦っていた。 

 津島地区を通ったとき、車がたくさん止まっていたので避難所だと思った。 

 「防護服? いいえ、着ていませんでした。車を降りてもいません」 

 14日未明には、放射線医学総合研究所のモニタリングカーが津島地区を通過している。まだ大勢の避難民がいたころだ。 

 車には測定器などを積み込んでいたが、「資材を運ぶのが目的だった。放射線量は測っていない」(広報課)という。 

 みずえが会った2人は、そうした計測チームの一つだった可能性が高い。 

 「あの2人の警告のおかげで逃げられた。それをなぜ国や東京電力は組織としてしてくれなかったのだろうか。もっと多くの人が逃げることができたのに」(前田基行) 

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防護服の男(12)区長は逃げなかった

菅野家の25人が再避難した3月13日、下津島区長、今野秀則(64)は、家を訪ねてきた菅野みずえから白い防護服の男の話を聞かされた。 

 しかし、逃げなかった。確かな情報もなしに右往左往すべきではないと思った。なにより、区長として先に逃げるわけにいかなかった。 

 3月15日の午前10時。津島支所の対策本部に呼ばれ、支所が二本松市に避難すると告げられた。 

 なぜだ。原発から30キロ離れた津島は安全のはずではなかったのか。しばらく事態がのみ込めなかった。 

 そのとき、テレビが政府の会見を放映していた。20〜30キロに屋内退避の指示。職員が食い入るように画面を見つめている。これなのか。 

 午後から下津島の50軒を1人で回り、避難を呼びかけた。 

 大半の家はカーテンが引かれ、避難していたが、10軒が残っていた。避難を促したが、拒まれた。3軒は「牛がいるので避難できねえ」といった。寝たきりの老人もいた。 

 今野は妻(55)と長女(23)を先に逃がし、そのまま津島に残る。 

 大勢の避難民でごった返した地区から物音が消えた。夜、雨が雪に変わり、路面は真っ白になった。静かだった。 

 昨日はたまたま留守だった家があるかもしれない。16日、もう一度、50軒を回った。いったん避難した5軒が戻ってきていた。 

 妻が車いすで、避難所ではトイレに行くのも大変だから帰ってきた――。1軒で、老夫婦がそう答えた。夫は「いいんだよ放射能なんか。もう年だし、ここで生活する」といった。今野は、車いすでも不自由しない別の施設をさがして伝えた。 

 「地域が消滅してしまう」 

 無人となった地区を車で走りながら、今野は悔しかった。 

 今野は元県庁職員で、今後は地元の伝統芸能保存活動に力を入れるつもりだった。しかし、そんな老後の夢は消え去った。 

 今野は町から測定器を借り、7月から毎月、地区の一軒一軒の放射線量を測り、その住人の避難先に郵送で知らせている。 

 県や町からいわれたわけではない。防護服の男の話を聞いたとき、津島が高い線量だと知っていたら、もっと強く避難を呼びかけたのに……。そんな後悔があるからだ。 

 ひと月前と比べ、どの家の軒先も雑草が生い茂っている。3年前に亡くなった父が大事に育てていた庭の植木も枯れた。(前田基行) 



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2011年10月12日水曜日

「私もがんになるのかな」と娘が漏らした言葉が胸に刺さった。/こんな言葉を子どもに言わせなければならない国家とは!!??

標題の「私もがんになるのかな」の子どもの言葉は重い。胸に突き刺さるような痛みを感じた。その痛みは日本の政治家が一番に感じなければならない。もちろん原子力村に関わる全ての大人も。

あらためて、もう一度事故が起きたら日本は本当に終わりだなと思う。そんな危険を無視して原発の再稼働を言う連中の気が知れない。以下は毎日新聞の転載記事。
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甲状腺検査:福島県の子供、不安ぬぐえず

甲状腺検査に向かう子供たち=福島市の県立医大病院で2011年10月10日、安高晋撮影
甲状腺検査に向かう子供たち=福島市の県立医大病院で2011年10月10日、安高晋撮影
 東京電力福島第1原発事故の収束作業が続く福島県で、18歳以下の子供約36万人を対象にした甲状腺検査が始まった。生涯にわたり繰り返しチェックする世界的に例のない検査について、県は「県民の不安解消につなげたい」と期待するものの、住民からは検査機会の拡充や交通費補助を求める声が上がる。同検査を含めた県民健康管理調査は全県民約200万人が対象だが、その基本となる問診票の回収率も低迷するなど課題は多い。【安高晋、関雄輔】
 甲状腺検査の所要時間は約5分。のどに超音波機器を当て、しこりがないか調べる。
 計画的避難区域の川俣町山木屋から町内の借り上げ住宅に避難した佐藤裕美さん(45)は開始2日目の10日、高1、小5の娘2人と検査のため福島市の県立医大病院を訪れた。検査は20歳までは2年ごと、その後は5年ごと。娘たちの未来を考え、佐藤さんの心配は尽きない。事故4~5年後から子供の甲状腺がんが急増したと伝える旧ソ連・チェルノブイリ原発事故のテレビ番組を見ながら「私もがんになるのかな」と娘が漏らした言葉が胸に刺さった。
 県は当初、医学的見地から検査開始を3年後と想定した。同大の山下俊一副学長は「現時点で異常が見つかる可能性は低いが、不安を和らげたい」という。佐藤さんは「体験したことのない事態。定期健診だって毎年ある。もっと頻繁にやってほしい」と訴える。
 
毎日新聞 2011年10月12日 11時40分(最終更新 10月12日 11時46分)

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2011年10月5日水曜日

Global Research誌「フクシマ、真実を目指す戦い」(全訳) 開始されたフクシマの情報戦争/転載記事

日本の政府やマスコミが決して国民に知らせない現実が下記の文章から見えて来ます。

以下転載記事
ーーーーーーーーー
■童子丸ブログ「フクシマからの警告」
http://doujibar.ganriki.net/fukushima/fukushima_and_the_battle_for_truth.html

======以下転載(改行アリ)======

Global Research誌「フクシマ、真実を目指す戦い」(全訳)
開始されたフクシマの情報戦争

これは9月27日付でGlobal Researchに掲載されたPaul
Zimmermanによる「Fukushima and the Battle for Truth」の全文和訳(ただし、童子丸開による仮訳)です。
まず和訳文を示させていただき、その下には訳者からの若干の説明、最後に英語の原文を付けておきます。また訳文中の[1],[2]…は原文の該当箇所に付けられた注釈ナンバーであり、クリックしていただくとその注釈(原文どおり)に飛びます。

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【翻訳、引用開始】

フクシマ、真実を目指す戦い
日本人口の大きな部分が著しいレベルの汚染を体内に蓄積しつつある

ポール・ジンマーマン著
Global Research, September 27, 2011
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&

フクシマの核事故は悪夢である。漏れ出た放射能は亡霊のように日本国中をさまよっている。かつては安全だった生活が、いまや悪性の病気と死をもたらす忌むべき災厄に付きまとわれているのだ。

人口の大きな部分が著しいレベルの汚染を体内に蓄積しつつあり、それは人々の健康に対する悲劇を準備している。

流産と胎児死亡数の急激な増加が不都合な何かが起こっていることを最初に告げるだろう。生まれ持った機能不全の数の上昇が暗転の開始でありそれが未来永劫続くことになる。甲状腺障害と心臓病と幼児や児童の白血病罹患率の上昇がその後に続くだろう。最初の10年間とその後に癌の罹患率も急増するだろう。

チェルノブイリはこの胸が張り裂けるようなシナリオのさきがけだった。それは、高濃度の核分裂生成物によって内部から汚染された人々の間に起こる逃れえない生物学的な真実を人類に教えた。それにもかかわらず政府と産業を動かす者たちは、これらの事実をありもしない人騒がせなデマだとして攻撃する。彼らはチェルノブイリが膨大な数の死者を出した事件であったことを冷ややかな無関心さで否定する。彼らは盲目のまなこを巨大な量の調査結果に向けて、このウクライナの惨劇による被害者がわずかでありそれより多いという証拠は無いなどと、ずうずうしく主張するのだ。彼らは科学的なうわべだけで飾ったプロパガンダを発表するのだが、それは低レベル内部被ばくの障害を無視するものである。その逃げ口上がうまくいったと信じ傲慢な横暴さに有頂天になって、彼らはすでに福島の人々の知識や見解を操る立場に身を置きつつあるのだ。

日本政府、原子力安全委員会そして東京電力はすでに、人々がいま起きていることを見ないようにさせ続けるために、その権力が及ぶあらゆることをするだろうと表明している。表面化しつつある健康への危機は消去されるように予定されている。過去に世界中に撒き散らされた放射能を元に作られ時間をかけて確かめられた被害予測はもとより、フクシマ事故の医学的な衝撃の評価に関連するデータは決して集められないだろう。人々に対する放射能の量は恐ろしいほどに過小評価されるだろう。低レベルの内部被ばくにともなう障害はリスクについてのありとあらゆる議論から抹消されるだろう。

核開発のアジェンダを支える学術雑誌は、人々が苦しむ健康上の傷害は無かったと明示するいんちきな研究であふれるだろう。小児白血病件数の増加は、津波被害による混雑した避難生活で広められた未知のウイルスか何かのせいである、などとされることだろう。(この理屈はいま、原子炉近くに住む5歳未満の子供の白血病の増加が放射能によって起こされたことを否定するために流行している。)生まれつきの障害は、国際放射線防護委員会(ICRP)によって取り上げられたリスクモデルが予測していないので可能性が無いとして、ひとまとめに否定されるだろう。そのモデルが詐欺的な手段で作られているという可能性は考慮に入れられない。(『放射線防御機関による人類への裏切り』http://www.du-deceptions.com/excerpts.htmlを見よ。)

この制度化された欺瞞の構造の中で妨害されるときに、どのようにすれば真実が優越性を手に入れるのだろうか。どんな機関が率先して、十分な範囲の疾病を正確に記録し、犠牲者を突き止め、そして公衆の健康についての信頼に足る情報を公表するようなことができるだろうか。誰が子どもたちを守るという責任を取ろうというのだろうか。政府の助けを待つのはナイーブである。放射線事故の歴史を見れば、政府が核兵器開発計画や核(原子力)産業の方を向いており、常に国民を裏切るということが明らかになる。政府に頼むことではなく、たった一つの他の手段が日本人に開かれているのだ。彼らは先手を打って学ぶようにしなければいけない。先回りをして、事故の「知識や見解」のコントロールを、政府や企業からもぎ取らねばならないのだ。

フクシマの事故について、現状に対する正直な評価を作り、医学的な結果が現れるごとにそれらを列挙し、どのようにして国民が自らを守ることができるのかという正確なアドバイスを提供することで、人々の戦いを開始する必要がある。インターネットを基本的な環境として使いながら、関連したあらゆる学問領域の科学者たちが、情報源の調査研究企画の幅広い配信を確立するのに役立つ価値あるものを、関心を持つ非専門の人々と結び付けなければならない。発達しつつあるオンラインの知識庫は、関連あるデータを記録し、将来起こるであろう不当な干渉からそれを守ることだろう。

事故はその発端から記録されなければならない。しばしばお互いに矛盾しあう公開された報告書といっしょに、政府資料からのものだろうが一般の研究者や目撃者からのものだろうが、ありとあらゆる入手可能な情報が、将来の評価のために集められなければならない。3月11日以来の世界規模での気象データが集約されなければならない。日本と世界の両方で、あらゆる公式と非公式の環境放射線量の測定結果が集められ照合されなければならない。これは将来の疫学的な研究に要求される根本的な情報である。

汚染された農地は突き止められなければならない。人間や動物が食用として消費する全てのもののサンプルが安全性を評価されなければならない。人々の中に放射能起源を疑われる病気が現れ始めると、健康管理を行う者と患者はその経験を公開しなければならない。最初のうちはその情報は話の種程度だろうが決して無価値なものではない。それが沸き起こる病気と死の傾向を突きとめ、もっと組織的な科学的調査を必要とする小数グループの人々をはっきりさせるだろう。単独であるいは少人数で作業する研究者たちは、その専門的知見と関心を持つ分野で、先手を打って研究を続けなければならない。(the Canadian Coalition for
Nuclear Responsibilityのゴードン・エドワーズによる、ストロンチウム90の地理的分布と摂取の客観的なデータを提供する乳幼児の歯の幅広い収集が、一つの卓越した例として示唆を与えるものである。[1])

方法論とデータと結果が入手可能な形でインターネットサイトに書き込まれる必要がある。世界中の人々によって厳密に吟味されるように、その作業のすべての自由なアクセスが保証されなければならない。透明性が最重要なものである。開かれた対話によって様々な視点が公平に述べられるだろう。調査の基本方針や結果の解釈に対して賛同を得なくても、それによって新たな調査の道筋が指し示され、明示性と合意が実現できるかもしれない。科学的な方法による客観的な調査が真実への最終的な審判なのだ。この努力の究極的なゴールは、環境中に放出された放射能が人々の健康に与える結果の偏りの無い定義を作り、現行の放射能安全基準の正確さを判定し、人類共通の価値のためにいかなる改良を施すことができるのかを明らかにすることである。

今すぐこの先手を打った研究を開始することが緊急の課題である。データは汚されないうちに手に入れなければならない。特に大切なことは、事故以前の日本人の健康に関する統計を保護することである。様々な妊娠の結果の割合、生まれつきの障害の頻度、甲状腺障害や心臓障害や癌などの件数といったすべてが整理されなければならない。この基盤となるデータが保存されなければならないという十分な理由がある。放射線事故の歴史はデータ捏造のあからさまな実例でゴミ箱のようにされており、それが低レベル内部被ばくの人間の健康に与える影響の正直な評価を妨げているのだ。

たとえば、米国公衆衛生局によって公表された病気と死亡のデータは、核兵器製造施設と商業用の原子力発電所から放射能が放出されるにしたがって、人口中の癌死亡を覆い隠すために書き換えられたのだ[2]。スリーマイル島での事故はいつでも、政府と業界の広報担当者によって穏やかな出来事であるかのように描かれたのだが、実際にはその風下での人間と家畜の病気と死の原因となった[3, 4]。

チェルノブイリ事故の後、何十万人ものいわゆる「清掃人」たちが破壊した原子炉のすぐ近くで撤去作業に従事し、また放射能を閉じ込めるために原子炉の周りにコンクリートの石棺を建設した。欧州放射線リスク委員会(ECRR)によれば、その後に続く何年間かでこれらの人々では一般の人々よりも白血病の発病率が低かったのである。しかし後になって、ソビエト連邦の医者たちが診察で白血病を記録することを禁止されていたのだということが明らかになった[5]。

ECRRが引用したウェールズ癌登録では、英国にあるセラフィールドの核燃料再処理工場が人々に病気をもたらしたと非難されないようにするために、データベースから癌の件数を抹消した。さらにECRRによれば、チェルノブイリ後にドイツで、人々の健康に対するこの事故の衝撃を隠すために、幼児死亡数が書き換えられた[5]。

害毒は健康記録の偽造に限ったことではない。1957年に英国のウインズスケイルの黒鉛型原子炉、いまはセラフィールド再処理工場となっている場所で、火災が発生した。大量の放射能が放出されアイルランド人の間で起きた癌の発病は、現在まで激しく引き続いているのだ。ECRRによれば、火災後のある時点で気象の記録が「影響が及ぶと思われる場所を隠そうとする明らかな動機で」書き換えられた[5]。同様に、日本の敦賀で高速増殖炉の原型である文殊が1995年に破滅的な火災に遭った。県と市の役人たちは、この災害の規模を隠すために火災のビデオ映像に手を加えた[6]。

もしフクシマの健康被害の結果を正確に記録する作業がうまくいけば、最も重要になるのは、その作業が、現在放射線の影響に関する議論を支配する国際的機関からの独立性を、必ず維持できるという状況である。それらの機関による無言の支配は、核兵器開発計画と核(原子力)産業を支えるべきものである。そしてそれらは、環境中に放出された放射性物質による健康被害を軽度に見積もる欺瞞に満ちた科学研究を公表する。たとえば世界保健機関(WHO)、国際原子力機関(IAEA)、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)、そしてChernobyl’s Legacy: Health, Environmental and
Socio-economic Impacts[7]を合同で作成したその他の国連機関である。

この研究は、チェルノブイリが人々の健康にわずかの影響しか与えなかったことの証明として恒常的に引用される。それは次のように結論付ける。事故当初に作業にあたった28名のみが激しい放射線障害によって死亡、4千人の子どもが甲状腺ガンに罹り、2002年までに死亡したのはそのうち15人である、と。加えてその報告書は、全人口の中でそれ以外の4千人が致死的な癌を患ったかもしれないと推定した。

このチェルノブイリ災害の矮小バージョンは、わずか350の、それもほとんどが英語で発表された情報源を参照するという、ずるがしこいやり方で作られたものだが、その一方で英語以外の言語で書かれた3万の出版物と17万の情報源は無視されたのである[8]。これらの大量の文献の要約はChernobyl:
Consequences of the Catastrophe for People and Natureとして出版されたが、それは放射線がもたらした死は98万人に達すると結論付けた[9]。

第二の例を挙げると、劣化ウランを用いた兵器がもたらす健康被害について、数多くの権威ある機関が誤った情報を流し続けている。それにはWHO、IAEA、欧州委員会、英国のthe Royal Society、米国のthe Agency for Toxic
Substances and Disease Registry、the Rand Corporation、そしてthe Health Physics Societyが含まれる[10, 11, 12, 13,
14, 15, 16]。

そのすべてが、兵器にされたウラニウムは、戦場の兵士と風下の住民の体内に取り込まれた際にも、なんらの健康に対する悪影響を及ぼさないと結論付けた。この結論は、ウラニウム産業と核産業の労働者たちへの汚染と、飲料水中のウラニウム・レベルの上昇にさらされた住民たちについての、科学的な文献の調査によって正当化されたものだった。歴史的に言えば、それらの人々に対する健康への悪影響はわずかに2種類だけが記録されていたのだが、それはウラニウムの化学的な毒性による腎臓機能への悪影響、そして放射能によって起こる癌である。しかし湾岸戦争症候群に苦しむ退役兵への研究は腎臓障害の証拠が全く無いことを明らかにする。そして国際放射線防護委員会(ICRP)が公表したモデルによると、戦場のウラニウムの放射線量は非常に低いため癌をひき起こさない。結論は?結局こうだ! 劣化ウランは退役兵の激しい苦しみやファルージャとイラクの他の場所で起こっている癌と先天性異常の要因ではありえない、と。

これらの研究のロジックが説得力を持とうとしても、それらがことごとく致命的な欠陥を抱えていることは明らかである。それらはすべて、燃焼がひき起こしたマイクロそしてナノ・サイズのウラニウムの粒子が取り込まれた際に、それが生物体内で、過去に現れたウラニウム被ばくのタイプとは比較できない特有の動きをするという点を認識できないのだ。そしてそれらの研究はウラニウム汚染の最新の研究を考慮に入れるのをずるがしこく避けている。第1次湾岸戦争から導入された新しい研究は、ウラニウムが遺伝毒性的(DNAを傷つけうる)、細胞毒性的(細胞に対する毒性を持つ)、催奇形性的(mutagenic:奇形をひき起こしうる)、催奇作用的(teratogenic:正常な胚の発達を妨害しうる)そして神経毒性的な(神経組織を害しうる)ものであることを明らかに示している。

この研究はさらに、ウラニウムが腎臓障害と癌の原因となりうるだけだという古臭い呪文を追い払わねばならないものである。(劣化ウランによる障害を軽視するために用いられる詐欺的科学の完全な暴露、およびウラニウムの毒物学的な最近の研究のまとめについては、この著者による「A
Primer   in   the   Art   of   Deception」の中の「The
Harlot of Babylon Unmasked: Fraudulent Science and the
Cover-Up of the Health Effects of Depleted   Uranium」を見よ。こちらで求めることができるhttp://www.du-deceptions.com/[17]

放射線防御の機関もまた害毒に冒されている。広島にある放射線影響研究所は、第2次世界大戦終了時に原子爆弾で被ばくした生存者の健康に関する医学的な調査を続けている。その寿命調査(LSS)は、世界的な放射線安全確保のガイドラインを決めるためにICRPによって使われる唯一の最重要な証拠である。被ばくのあらゆるタイプと放射線障害のあらゆるあり方に対する放射線安全確保がこの研究にあまりにも頼りきっているのは、信じがたいほどに不安をかきたてる。その寿命調査が深く繕うことの出来ないほど欠陥に満ちたものだからである。

それは原爆投下の5年後、すでに何万もの人々がもうレベルを知ることの出来ない放射線によって倒れた後に開始されたのだが、その結果は、実際よりもずっと少ない放射線障害を発見するのに都合の良い、絶望的なほどに捻じ曲げられたものだ。さらに、その研究は胎内で被ばくした胎児の出産の結果について何一つ意味のある情報をもたらすことが出来ない。もっと大きな問題は、その研究の対象となる群と比較対照のための群が、ともに原爆投下後に破壊された市街地に降った黒い雨によって内部被ばくをしていた点である。

この比較対照のための群が当時まだ知られていなかった汚染を受けていたことは、研究の対象となる群における放射線障害の割合について意味のある結論が出ることを、絶望的に妨げている。この寿命調査は他にも、どうしてこれが放射線防御の基準の中心になるのかという深刻な疑問をひき起こす数多くの欠陥に毒されている。(この件についての更なる情報はこちらからダウンロードできるhttp://www.du-deceptions.com/downloads/Betrayal_Chap6.pdf前記にあるExhibit Cを見よ。)

日本人は地球上の他のどの国民よりも多く核の脅威の犠牲にされている。いまや彼らは、知覚できない悲劇の中に放り込まれている。それは何百万人に、ゆっくりとしかし避けがたく、疾患と胸のつぶれる出来事をもたらすだろう。この犯罪への返答の中に、一つの貴重なそして勇気の要るチャンスがある。自分たちを覆い尽くすそうとする災厄を正直に記録する国民的なキャンペーンを実行することによって、日本人は全人類の先頭に立って、核兵器と原子炉の全盛を許してきた詐欺と誤魔化しの泥沼を突き破ることができる。真実は最終的に虚構に打ち勝つ機会を手にしている。ある小さな、しかし明らかな方法で、これがヒロシマ、ナガサキそしてフクシマの悪逆非道への報復に値するのかもしれない。

ポール・ジンマーマンは『A Primer in the Art of
Deception:  The Cult of Nuclearists, Uranium Weapons
and Fraudulent Science』の著者である。その本の中に、現在の放射線防御基準が持つ欺瞞に満ちた性格と劣化ウラン兵器の影響の隠蔽についてのより技術的で十分に詳しい紹介がある。その抜粋は次からフリー・ダウンロードできる。www.du-deceptions.com

【翻訳、引用ここまで】
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●訳者からの若干の説明

ひょっとすると、この文章作者による日本人への呼びかけをお読みになって、「何という冷たい厳しい見方だ」とお思いの方がおられるかもしれません。「こうはなってほしくない」「避けなければならない」と思うようなことがらを「必ずこうなる」と断言し、「助かりたい」と思う災厄からは「逃げられない」と言い、できたら目を背けたい現実を「正直に記録する」ように勧め、「誰かにすがりたい」ようなことに「日本人が全人類の先頭に立て」と語るのです。しかしこれは、作者のジンマーマンに言われるまでもなく日本人自らが自覚しなければならない自分たちの現実ではないかと思います。
前回の私の文章「銃剣なき全体主義 太初(はじめ)に結論ありき」の最後に、私は次のように書きました。

「この門をくぐる者は一切の希望を棄てよ」(ダンテ、神曲『地獄編』より)
2011年に生きる日本人は、すでにその門をくぐってしまっているのです。そうと覚悟してください。ダンテの言葉のように、一切の希望を棄ててください。
一切の希望を棄てたうえで、一つ一つの事実を拾い集め、一つ一つを自らの目で確かめて、自ら分かっていき、一つ一つの現実を自ら噛み締めていくことによってしか、我々はもはや一歩も歩くことができないのでしょう。人間らしく生きるためには、そうしよう!と決意するしかないように思います。希望があろうが無かろうが、我々は最後まで人間らしく生きるしかないのではないでしょうか。 


「希望を棄てよ」というのは決して「あきらめて何もするな」ということではありません。逃れられない現実に対して覚悟を決めて冷静に事実と直面しようということです。それがどれほどにむごい事実でも、正面から向き合う以外に、人間として生きる術は無いように思います。

拙訳文から引用しますが、作者のジンマーマンは「フクシマの事故について、現状に対する正直な評価を作り、医学的な結果が現れるごとにそれらを列挙し、どのようにして国民が自らを守ることができるのかという正確なアドバイスを提供することで、人々の戦いを開始する必要がある」、「今すぐこの先手を打った研究を開始することが緊急の課題である。データは汚されないうちに手に入れなければならない」、そして「自分たちを覆い尽くすそうとする災厄を正直に記録する国民的なキャンペーンを実行する」と語ります。これは、国家の機構を使って利権のために国と人間を滅ぼすような者たちと、それに抵抗し打ち勝って生き延びようとする者たちとの、いわゆる「情報戦争」です。

相手はすでに陣形を固めつつあります。文中にも「その逃げ口上がうまくいったと信じ傲慢な横暴さに有頂天になって、彼らはすでに福島の人々の知識や見解を操る立場に身を置きつつあるのだ」とありますが、この点は、47プロジェクト代表の岩田渉さんによる次のご報告をお読みいただければ十分に確認できると思います。
はじめに結論ありきの「福島国際専門家シンポジウム」

http://chikyuza.net/n/archives/14386
市民・科学者国際会議:放射線による健康リスク~福島「国際専門家会議」を検証する~
http://chikyuza.net/n/archives/14886

3月11日以来、そしてあの山下長崎大教授が唐突に福島県に派遣されて以来、日本人と全人類に対する核攻撃を推し進めようとする者たちは、着々とこの情報戦の陣を固めてきました。電力会社が中心となり政府機関と官僚たちが主力部隊、そしてその最前線で使われる主武器がマスコミ(記者クラブ)報道である、などということはもはや誰の目にも明白でしょう。一方で、自然発生的に、岩上安身さんなどのフリー・ジャーナリストたちと小出裕章さんなどの学者・専門家たちが中心になってそれに立ち向かってきました。その最前線はインターネット・メディアによってつながった無数の人々です。しかし、特に今後の戦いの中で何よりも先に為されるべきことは、文中でジンマーマンが語るように、「先手を打った事実の把握と情報の収集とその効果的な整理」です。

日本人を更なる核の犠牲にしようとする者たちは、「騙し、隠し、やらせ」を主武器とし、大嘘を真実と言い換えて日本と世界を破滅に誘うでしょう。何よりも怖いことはこの情報戦に負けて大嘘の勝利を許し人間が魂の内から破壊されていくことです。

今後、出産異常がどのような頻度でどのように起こるのか、先天性の障害の数はどうか、心臓や甲状腺やその他の器官に異常を持つ人々(特に子ども)の数はどうか、免疫や神経の作用の異常はどうか、人々の鼻血や下痢などの身体の異常がどのように出ているのか等々のデータを、どれほど早く正確に集めることが出来るのかで、最初に勝負が決まるでしょう。次には、それらのデータと、放射性物質の分布に関するデータとの関連性を見つける作業が続くでしょう。

それがどれほどにつらい作業であっても、少しでも医学、衛生学、放射線学などの専門知識と技能のある人たちに、勇気を持って実行してもらいたいことです。そしてそこから単純な誤報を取り除いたうえで情報を整理・分類する作業が、その能力と手段を持つ人たちによって行われなければなりません。しかしきっともう、一部の自覚した人たちによって、各方面でこういった作業が開始されていると信じます。

【参照資料】
チェルノブイリ事故による放射性物質で汚染されたベラルーシの諸地域における非ガン性疾患 Y.バンダショフスキー教授
ベラルーシ・ゴメリでの、子どもの非がん性疾患の激増
チェルノブイリ被害実態レポート翻訳プロジェクト
クリス・バズビー:原発事故が子どもたちの心臓に及ぼす深刻な影響
ECRRクリス・バズビー論文「福島の破局的事故の健康影響」日本語訳
福島原発事故における被ばく対策の問題-現況を憂う 西尾正道(国立病院機構北海道がんセンター院長)
”チェルノブイリ膀胱炎”-長期のセシウム低線量被曝の危険性 児玉龍彦教授

なお、著者のジンマーマンによるGlobal Research誌の記事にはこの他に下記があります。
Uranium Weapons, Low-Level Radiation and Deformed
Babies (2010-01-01)
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=16726


(2011年10月4日 バルセロナにて 童子丸開)



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2011年10月1日土曜日

日本人の「責任」―徐京植「フクシマを歩いて」にふれて/転載記事

以下転載記事
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みなさまへ   (BCCにて)松元@パレスチナ連帯・札幌


徐京植さんのルポルタージュ「フクシマを歩いて」にふれて考えた拙文です。

「こころの時代 シリーズ・私にとっての3・11 フクシマを歩いて 徐京植」
きょう:アンコール再放送(地上波・Eテレ) 10月1日(土)13:00~14:00
http://www.youtube.com/watch?v=lq4xuXFKlDk

■日本人の「責任」―徐京植「フクシマを歩いて」にふれて

100年後のあなたへ
しあわせなくらしをしていますか。
戦争はありませんでしたか。
地球はおかしくなっていませんか。
飢えている人はいませんか。
そのまえに、にんげんがおかしくなっていませんか。
…(後略)…
これは、今は亡き作家井上ひさしの遺稿となった一文である。


3・11の原発事故直後、東電、政府の発表を固唾を呑んで見守っていた。私も多少の知識はあったから、こんどは誤魔化しようがないだろうと半ば期待をこめて注視していた。人々をどのように救うのであろうかと。ところがすでに周知のように、誤魔化し続ける「安全・安心」情報、事故の過小評価と隠蔽、汚染数値の隠蔽、矢継ぎ早に出てくる避難区域や食品汚染値のいいかげんな「線引き」、東電、政府、保安院、学者、行政官僚の反省のかけらもない鉄面皮な表情…。「パニックを恐れた」?とんでもない!計算された責任回避以外の何ものでもない!日本人とは、これほど卑劣なニンゲンどもであったのか?これらの非人間的な対処に、私は史上最大の原発事故を上回る衝撃を受けた。「にんげんがおかしくなっている…」

以下は、徐京植のルポルタージュ「フクシマを歩いて」に触発されて考えあぐねてきた日本人についての小文である。いっしょに考えていただけたら幸いです。

徐京植のルポルタージュ「フクシマを歩いて」の映像と言葉は、まだ深い余韻を残して私の中で反芻している。

キーワードはたしかに「根こぎ」であるが、「同心円のパラドクス」、「魂の重心」、「自殺」、朝鮮学校と朝鮮人強制労働の金鉱山、「安楽全体主義」と「ハイマツ(這松)」が相互にどのように関連しているのか徐さん自身は解説などせず、観るものは「日本人」への鋭い問いを突きつけられずしりと重たい宿題が残される。配置されたいくつかのキーワードをめぐる想いは、なかなか結像に辿りつかない。

私が考えあぐねたのは、スペイン思想の研究家佐々木孝さんのことば「魂の重心」であった。大切なのはそれぞれの魂の重心に基づく生のかたち、人生の価値、個人の尊厳、自由なのだと語る佐々木さんのことばは重い。自主避難を拒否して汚染地区に妻と居残る在り方は、佐々木さんの存在証明であった。

しかしながら、「根こぎ」に抵抗して自らの「魂の重心」にしたがって生きようとする人はひとり佐々木さんだけではない。「根こぎ」に抵抗して汚染地域から補償を待たずに避難した何万人もの家族、文字通り抵抗することに根をおいて反原発の運動をしながら汚染地に踏みとどまる人々。同時に考えられなければならないのは、家族も入れると何百万人にもなるだろう原発資本と網の目のような国策推進システムに群がって生業(なりわい)を支えている人々もまた、己の「魂の重心」を守り居座る「権利」をもっていることだ。腐った土壌といえどもそこに芋づる式に根を張っている者たちは、正当にもその危機意識を「原発を守る」方向に働かせるだろう。

私たちが見せられてきたようにこのクニは、政、財、官、司、学、報の六角形がしっかりとスクラムを組んで、この期に及んでも原発推進に邁進しようとしている。このような原発推進の諸機構に群がる人々と交付金その他で恩恵を被っている地方自治体住民と関連地方産業、漁協、農協、さらに原発の危険から遠く離れた都会の受益者および電力受給企業を含むと、日本人の相当数が「魂の重心」を原発推進国策に依存しているといっても過言ではなさそうだ。佐々木さんの意図はそうではなくとも、「人生の価値、個人の尊厳」という普遍的概念は、そういう人々にも当てはまる。

それにしても、礼節を重んじるはずの日本人による日本社会はどうしてこのように無責任が蔓延してしまったのだろう。藤田省三さんが警告した「安楽全体主義」のはじまった1960年代は、植木等の「無責任男」が風靡した高度成長の時代でもあった。しかし日本人の無責任性は、もっと根が深そうだ。

原子力ムラと揶揄されているが、日本の企業集団はもとより、官公庁、教育、福祉、医療、法曹界から学会まで、すべてがムラで構成されているといっても過言ではない。三菱ムラ、日立ムラ、東芝ムラ、鹿島ムラをはじめ、行政各省庁にもムラがあり、細部の部課長ムラという末端までムラ共同体意識が貫かれている社会である。

言うまでもなく日本の経済力は、その技術力と集団主義の威力である。カネと時間の支配はもとより、業績、栄達、人間関係の一切のエネルギーが帰属職場集団の目的に糾合され、個と集団の思考を覆う。個人の自己実現も業績も栄達もムラが保証してくれる。ムラに帰属して生きる日本人。帰属しないでは生きて行けない生活の現実。個人の「魂の重心」とムラとは、切っても切れない関係がからみついている。

数年以上も前になるが、殿平善彦さんら空知民衆史講座の方々に案内されて韓国の元強制連行・強制労働に駆りだされた被害者の方と一緒に北海道深川の旧三井鉱山跡地を訪ねたことがある。数千人もの人々がそこで生計を営んでいたとは信じられない、いまは山峡の雑草と雑木に覆われた廃墟であるが、そこで聞いた話は生々しかった。労務担当警備要員がヤマ(内)とマチ(外界)の門衛を兼ねて外モノを入れないようにチェックしていたという。つまり朝鮮人・中国人の強制連行・強制労働者や日本人タコ労働者たちがヤマから逃げないように、また余所者が侵入しないように監視していたのが憲兵とともに労務担当だったのである。これが日本の企業ムラの原型である。

軍隊的上意下達を筋金としている日本の集団主義というムラには民主主義はない。あるのは、内なる平和を乱すものに対する制裁、外モノの侵入を拒む排外主義である(きだみのる)。日本人の生活の優先的な大部分を占めているムラという職場には、どこにもパブリックな場としての民主主義はない。どこでもムラの利潤追求、利害追求が集団の強固な目的となって個人をしばり、集団主義に洗脳する。

日本は立憲政治と三権分立に立脚し選挙があるのだから民主主義国家であると考えている人も多いと思う。しかし学校や職場で人生の大半の公共生活を終える日本社会では、個人の歴史的社会的見解が発揮され許容されるパブリックな場は市民運動などを除くとほとんどない。学校や職場こそ「人権と民主主義」にほど遠いところはないからである。日本のムラ社会では、「個人の(見解や主張の)尊厳」と「歴史的反省」は、異質で不要なものであって、日本人の大半は訓練されたことがない。つまり没主体性、没歴史性が大事であって、そこから結果する無責任性が日本人の集団主義を支えるエートス(特質)になってしまっている。会社に対する個人の責任、国家に対する個人の責任は、あくまで役割(part)としての任務・義務に対する責任であって、「人間としての責任」を問われる場はない。だからこれほどの大惨事になっても、原発推進のトップから末端にいたるまで「責任」の声は出てこないのである。

数年前、札幌の多くの市民が徐京植さんをお呼びして講演会「《ホロコースト》とパレスチナ―在日朝鮮人が語る」を開催したことがある。徐さんは、「ホロコースト」、「パレスチナ」、「在日朝鮮人」という三つのものを繋ぐ一つのキーワードが「難民」であり、帝国主義と植民地主義が支配した場所では普遍的に起きていると語った。私がとくにつよく印象に残っているのは、在日朝鮮人が被った苦難の歴史に、「日本国政府や日本人が深く関与している。無関心なままに深く関与し、しかも自らは人道的であると考えている。そういう構造」であり、「日本国保守層、そのまわりに集まっている中心部日本国民」が現在行なわれている不正義に対して闘わなければ、全般的な植民地支配の歴史を乗り越えることは出来ない、と述べたことだった。今回の徐さんのルポルタージュでは、明らかに棄民されつつあるフクシマの人々を自らのテーマである「難民」に重ね合わせている。

責任とはレスポンスビリティ(応答)であるから、他者なくしてはありえない。日本のムラ社会は、根源的に他者性を排除することで維持されてきた。維新のエネルギーは、すぐさまアイヌモシリと琉球を植民地化し、ほどなく征韓論として朝鮮侵略に向かい、江華島事件から日清、日露を経て真珠湾にいたるまで、ことごとく奇襲攻撃に端を発しその責任は「敵」になすりけることを常套としてきた。そうして朝鮮、台湾、満州の植民地化にさいしてはすべてが奸策謀略であった。いまだにアイヌ、沖縄、在日の、そして朝鮮半島はじめ周辺諸国の人々にまっとうな謝罪と責任ある施策をとったことは一度も無い。今回のフクシマもすべてのツケが弱者と後世に回される。こうしたエートスはどこからきたものなのか。

維新の功業を果たした武士たちの行動原理は、「だまし討ち、謀略など武士たるもの、勝つためには手段をえらばず」であった。「武者は犬ともいえ、畜生ともいえ、勝つことが本にて候」(朝倉宋滴話記)しかし謀略・謀殺の話はもっと古くからある。「女装して宴席にもぐりこみ、不意打ちするヤマトタケル」は、古事記神武東征のだまし討ちの話である。坂上田村麻呂の征夷によって謀殺されたアテルイとモレ(801年)の話はじつに9世紀初頭の話である。コシャマイン(1457)もシャクシャイン(1669)も和合を偽っての謀殺である。秀吉の東北アジア征服構想(1592)による鼻塚・耳塚はいまも京都にあるが、クナシリ・メナシ惨殺後の塩漬けの話は知らない人が多い。アイヌの長老小川隆吉さんは「松元さん、日本人はナンモ変わってないよ」と語っていた。

武士道を西洋キリスト教文明にたいする誇りうる伝統として推奨した新渡戸稲造は、「日本の神の国の種子は、その花を武士道に咲かせた」という。「武士道、これ世界無比、忠君愛国の宝庫、国民的名誉の番人」ともいう。「朝鮮および満州において戦勝したるものは、我々の手を導き我々の心臓に博ちつつある我らが父祖の威霊である。これらの霊、我が武勇なる祖先の魂は死せず、見る目有る者には明らかに見える。」「殖民とは、優等なる人種が劣等なる人種の土地を取ることである。」(植民地政策講義)維新以来の日本の支配層が男社会たる武士のエートスを汲んだものであることは、一目瞭然である。福沢諭吉たるものが、当時の中国に較べ「わが国は英語をしゃべれるものが500人もいる」と自慢して脱亜入欧を唱えていたのも宜なる哉である。

明治維新によってビルトインされた武家の魂は、アイヌモシリの征服、琉球王国の滅亡、台湾出兵、征韓論と、残念ながら奇襲、欺瞞と謀略、謀殺、武力侵略、民族浄化、集団懲罰・虐殺、そして隠蔽と無責任として、日本の近代史を特色づけた。長いあいだ女性を貶め人格の責任関係をないがしろにしてきた男性優位の社会形成も日本人の無責任性を野放しにしてきた深い根のひとつである。狡猾性と無責任性は、一体のものの二面である。『天皇のウヤムヤな居据りこそ戦後の「道義頽廃」の第一号』であると丸山真男は言い残したが、その無責任性は国家組織の形成、社会意識の形成にしっかりと受け継がれてきた。のみならず、あらゆる社会組織を一元的に国家管理の下に置いた「お上主導」の集団主義は戦後においてもムラ形成の主動因として持ち越され連綿としていき続けている。

このようにして日本の国家主義は、企業資本と行政が一体化し組織にがんじがらめにされた没主体的で排外的で無批判な諸個人が集団主義的な活力のみを拡張強化する全体主義・ファシズムを内部から再生産していることになる。それを支えているのは、中心部日本国民であり彼ら(彼女ら)の「魂の重心」をひたすら守ろうとする日々の営みである。6万人デモで話された福島の主婦武藤類子さんのような責任に貫かれた「道義」が日本のムラ、ムラに息づくことが期待できないとしたら、どうしたらいいのだろう。

徐京植さんは、番組でひと言次のようにいう。「日本人はシステムを変えるという果たすべき責任を負っている。恐懼して身を震わせるように反省しなければならない」と。

原発を推進しようとする先にあげた鉄の六角形に根を張る既得権益者たちが、自国民同胞を棄民し犠牲者にして恥じないのであれば、そして彼ら(彼女ら)が自らを批判的に変革しないのであれば、市民運動を中心とした批判的民衆との真っ向からの敵対が避けられない。まだ加害企業の一人も逮捕されていないのに、デモに参加した若者が逮捕されるという理不尽は、またぞろ無責任の準備以外の何ものでもないだろう。責任ある道義に貫かれた日本の本当の改革は、「資本=国家」と合体した中心部日本国民に対する民衆革命の道しかありえないのだろうか。「資本に乗っ取られた国家」に真の民主的な選挙はむずかしい。そのもっとも平和的な覚醒は、タハリール広場の再現であるかもしれない。


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