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2011年12月31日土曜日

今年、お世話になりました。来年は良い年でありますように。

今日は大晦日、ベトナムでの年越しは4回目だと思うがいつも何をしていたのかな?と思う今日です。
今年の大晦日は心穏やかに居られる事に感謝です。

今年の日本は何といっても3.11東北大震災、原発事故の事を語らずには居られませんね。
お亡くなりになった方には心から、ご冥福と、震災、原発事故で避難されている方にお見舞いを申し上げます。

原発事故では今まで無関心だった原子力発電について、原発事故以来ネットで多くの情報やニュースを見て、原発の恐ろしさを痛感しました。そして反原発を表明いたしました。

日本語教育については、長年勤めたホーチミン市の大学を辞めて田舎町で教える予定でしたが、結果としてその話はダメになって長く暇を持て余していましたが、暮れになり研修生に教える仕事を紹介いただき嬉しかったです。

その長く暇を持て余している時に、色々と思い悩み、考えた末に、この間3年ほどベトナム人女子大学生と共同生活をした経験を活かして、前から考えていた構想を実現する為に今準備中です。テト明けには具体的な話になると思っています。

このように、今年も色々とありましたが、日本を離れて異国の地で生活している者にとっては、一人では何もできないということを今更ながら思いました。
上記の色んな出来ごとも、多くの学生、友人、知人の方に助けられて、寂しいときや落ち込んだ時には励まされてきました。

最後に、私は4年前にホーチミン市で命に関わる病気になり、日本に帰国して手術、療養して再びホーチミン市に戻りました。その時に医者が5年間元気に生きたら後は大丈夫、と言ってました。
ですから、この4年間はその医者の言葉がいつも気になってました。でも、おかげで元気に生きています。その事に感謝いたします。

健康にも自信が出て来たので、これからの人生をもう少し積極的に生きてみようかと少し欲も湧いて来ました。

来年こそは、私自身にも日本全体にも良い年でありますように願わずにはいられません。


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2011年12月28日水曜日

考えてしまうな!ベトナム人との結婚。

年の瀬になって嫌な話が飛び込んできた。
以前、友人を介して会った日本人男性、私よりはるかに若い方でベトナム人女性と結婚して幸せそうだった。
その時は家を新築中だと言っていた。自分たちが住む以外にも家を建てて貸しているとかだった。

ここベトナムでお金があれば土地を買ったら良い投資になることは分かっているが、貧乏な私には無縁な話だ。

その男性の話を友人から聞いた。
今、ベトナム人の奥さんと離婚の協議中らしい。
え!と絶句してしまった。

家を新築して間もないはずだ。奥さんから離婚の話が出たらしい。ベトナムでは外国人は自分名義では土地は買えないので、当然結婚していたら奥さんの名義だ。金は日本人が全額出す。

こういう例での離婚の話は噂ではよく聞く。
金を夫が出していれば離婚しても全部は奥さんの物にはならんだろうと思うのだが、どうもそうではないらしい。

最初からこれが目的で結婚ということだったのかどうかは分からないが、同じ日本人としては身につまされる話である。
家を3軒も立てて、その権利が全部奥さんの物とは行かないでしょうが…。子どもも居たはずだ。

今回の話は知人のことだったので頭から冷水をかけられたような気分になった。

思わず、怖いな!!と独り言。

でも、このホーチミン市でも結婚して幸せに暮らしている人も多いはずだ…。


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真実を報道しないマスゴミの実態暴露!!

2011年12月31日をもって日本国内でのジャーナリスト活動を無期限休養する上杉隆氏の手元には、これまでのジャーナリスト生活の中で独自ルー トで入手してきた、政治家とマスコミのオフレコ懇談会の40万枚にも渡るメモがあるという。それにはマスコミが伝えない事実が赤裸々に綴られているとい う。上杉氏はそれを「上杉リークス」と称して記者クラブ以外のメディア(ラジオ・雑誌等)で暴露していくと宣言している。
その第一弾が週刊ポストに掲載された。
▼上杉リークス掲載:週刊ポスト 2012年 1/1・6合併号[雑誌]

以下は、週刊ポストに掲載された記事を大友涼介さんが文字おこししたものを、一部修正、編集して掲載したものです。
▼元記事:上杉隆氏~「上杉リークス ~ 永田町爆弾 ~ 記者クラブのオフ懇メモ大公開」(週刊ポスト)|平和ボケの産物の大友涼介です。
後半の仙谷由人氏の権力に固執する発言など、現在の民主党政権を端的に表しているものだと思う。
それではどうぞ。
▼最後に投下する「永田町爆弾」上杉リークス「談合記者クラブの恥メモ大公開」週刊ポスト2012/01/01・06日号
年 内をもってジャーナリズム活動を無期限休業する上杉隆氏が権力とメディアの「官報複合体」に向け最後の爆弾を投下する。政治記者たちが封印してきた「オフ レコメモ」をすべて暴露するというのだ。政治家・官僚と記者クラブメディアの「不適切な関係」を白日の下に晒す最後の警告。
■官邸に上納される取材メモ
<→
記者:今日の総理会見の感想は?
A:まぁまぁ。
記者:語りかけているのは向いていないようだが?
A:ああいうのは得意じゃない。
記者:菅総理が記者会見で(国会議員の)定数削減に言及したが?
A:今朝の公邸での朝食会で「具体的なことを言った方がよい」と言った。私が指示した。これオフだよね。(笑)
記者:総理の演説はどうだった?
B:良かったんじゃない。両院総会の演説は良かったよね。
←>
上から目線で受賞の会見を評価してみせたこの二人。何を隠そう、枝野幸男経産相と蓮ホウ・行刷相である。
Aは2010年7月30日に枝野氏が、Bは11年1月24日に蓮ホウ氏が、ともに番記者たちを前にして首相会見の感想を語ったものだ。
だが、これらの発言は、一切翌日の新聞には掲載されていない。枝野氏が確認したように「オフレコ」条件の取材だったからだ。彼らはそれで表の「事業仕分け」とは違う顔を番記者たちに見せたのである。
では、記事に残っていないオフレコ発言を、なぜその場にいなかった私が知ることができたのか。これからその秘密を明かそう。
記者クラブメディアの記者たちは、官邸などで開かれる表向きの会見を速記すると同時に、政権幹部らによる「オフ懇」(オフレコ懇談会)も記録に残す。オフレコといいつつ、実際にはICレコーダーに録り、書き起こしてメモにする。
そ うして「オン」「オフ」などと注意書きされたメモの集約が、キャップからデスク、政治部長、編集局長へと「メモ上げ」されていく。現場で取材もしない幹部 たちが記事を書いたり、テレビで解説したりできるのはこのためだ。メモさえあれば、新聞やテレビの報道など誰でもできてしまう。
現在は禁止されているが、米国でも30年前まではこうしたオフ懇メモが存在した。ただ、時代遅れには違いないが、日本のマスコミではこの程度なら問題とならないだろう。重要なのは、国民にはわからないところで、メモがもうひとつ別の使われ方をしているということです。
メディアの幹部や中堅記者たちは、野党も含む各現場から上がってきた膨大なメモを、結果として官邸に「上納」しているのである。つかり、各メディアの取材メモはすべて官邸の手元に渡っているということだ。
現 場の記者たちがこっそり回していると信じているオフ懇メモも、当然、権力側は知っている。だから、政権幹部や官僚たちは、実際には録音されていることを見 越してオフ懇で観測気球を上げたり、メモを見て与党議員や野党の動向を探ったりもしているのだ。しかもメモがあれば、どのメディアがどのように取材を進め ているかも手に取るようにわかる。結果として、現場の記者たちは官邸の情報収集係として利用されているというわけである。
かつて『週刊ポスト』で官房機密費問題を追及した際、自民党政権時代の官邸関係者はこう語っていた。
「官邸は、機密費で各新聞社の幹部からメモを買っていました。メモを集約するのは毎日の日課だった。月一回くらい、情報の対価として機密費から100万円程度を支払っていた」
このシステムは、徹底して情報収集した当時の官房長官の名前を冠して「野中システム」あるいは古くは「後藤田システム」と呼ばれていた。
■40万枚以上のメモ
実 はこの膨大な量に上る各社の(1社ではない)メモが、極めて希少なソースを通じて、私の手元に10年以上ほぼ毎日送られ続けているのだ。記者たちが懸命に 作り上げたメモは、24時間以内にデータとして私に届く。その数はA4用紙にして日に平均100枚以上。ジャーナリスト生活12年の間で、少なく見積もっ ても40万枚ものメモを私は保管していることになる。さらに1対1でのオフレコ取材など、より機密性の高いメモも別途送られ続けている。
官僚と記者クラブから最も嫌われるはずの私が、このメモを持っていることに、記者クラブシステムの限界を見て取れるだろう。
た だし、メモの中身となると、官僚の首が一発で飛ぶようなものや記者の人間性が問われるものも混じっているが、オン会見は予定調和のものばかりだし、オフの メモもどうでもよい与太話ばかりだ。しかも、各社のメモにはほとんど違いがない。会見やオフ懇の後に記者同士で「メモ合わせ」を行い、聞き漏らしや間違い がないように確認し合っているからだろう。さらには、現場に来ていない他社の記者のために「代打ち」をしてメモを上げたりしている様子も窺える。メモには 「他社もらい」という言葉が散見される。
こうした「談合」が罷り通ってきたのが記者クラブの実態なのである。記事を書く元になっているメモ が同じなのだから、新聞各紙、横並びの記事になるのも当然である。こんなカルテルやカンニングのようなことは海外メディアでは絶対に有り得ない。「談合」 の証であるメモの存在が明らかになった時点で、それらを共有した記者たちは一人残らずクビになるし、そのメディアも終わりになるだろう。
私は11年12月31日をもってジャーナリストを無期限休業する。元ジャーナリストになる私は、いよいよこの不健全なメモを公開し、記者クラブシステムの是非を問おうと思う。
来年早々、私はさまざまな」メディアでこの40万枚にも及ぶメモを分散して公開していくつもりだ。それは、自らの身の安全を守る意味でも、また、官報複合体がソースに悪事をしないためにも、長い準備を経て行う決断である。
米 外交当局の公電を暴露したウィキリークスに対し、私のそれは、官報複合体の恥部を晒すものとなるだろう。このメモ公開は、記者や政治家の個人攻撃を目的と するものではない。あくまで日本のメディアシステムの不健全さを表す象徴的な存在として、日本の皆さんに問うものなのだ。
今回、記者クラブ問題や官房機密費問題を追及してきた『週刊ポスト』で、まず最初にそのごく一部を公開することにした。
■「怒ってる感じ伝わった?」
今回公開するのは、震災前までの菅政権のオフ懇メモの一部だ。書かれている発言の真偽は別として、メモ自体が本物であることは、関係者には一目瞭然だろう。
例えば10年9月には、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件があった。海保は中国漁船の船長を逮捕したが早期に釈放。菅政権は「あくまで検察の判断」と言い逃れした。その間、官邸側が記者たちに何を語っていたかは明らかにされていない。
9月22日、中国の抗議がエスカレートしている点について、瀧野欣彌官房副長官(当時、以下同)はオフ懇でこう述べている。
<→
記者:起訴でもされるとさらにエスカレートしそうだが?
瀧野:勾留期間は29日。そこでどうなるか。シーシェパードのように長期化するのは懸念している。小泉さんのときのような反日にならないことを願っている。
記者:有罪判決にでもなればどうなるのか?
瀧野:こちらは粛々とやるだけ。こちらはあくまで、受身の態勢。そうなるかについては・・・。
←>
中国を恐れ早期釈放への願望を吐露する一方、あくまで検察の判断に「丸投げ」する体裁は崩していない。
瀧野氏は官僚だけにまだ発言に含みを残すが、民主党参院議員の福山哲郎官房副長官になると、ずっとわかりやすい。
10月末にASEAN会合でベトナム・ハノイを訪れていた福山氏は、日中首脳会談が中国にドタキャンされたことを受けた会見で「驚いた。真意を測りかねる」と強い口調で述べた。11月1日夜に官邸で行われたオフ懇では、福山氏が自らそのことを振り返った。
<→
福山:そうだ。俺なんか映像写ってた?
記者:コメント映像は何回も使われてました。
福山:そう。何か「怒ってたね」って帰ってきたらすごく言われたんだよね。でもあれ(現地での)質問誰したの?ここにはいないよね。なんか「日本からまたお願いしますか?」とか言うから。
記者:でも怒ってましたよ。
福山:そういう感じは伝わった?
記者:伝わりました。弱腰と言われないためにもいいんじゃないですか。
福山:そう。
←>
福山氏は最後に「これオフだよ。明日紙面に載ったら怒るからね」と語っている。ハノイの会見で憤っていたことが、実はポーズであることを自ら認めているというわけだ。
こうして政治家や官僚は、オンとオフを巧妙に使い分ける。記者たちもそれをわかっていながら、表の予定調和な会見だけを記事にしていく。私が日本の記者会見を「茶番」と言い続けてきた理由はここにある。
記 者メモを見ていると「オフ」で話す政治家とそうでない政治家に二分されることに気付く。小沢一郎氏や岡田克也氏、原口一博氏などは、ほとんどオフ懇に応じ ることがない。記者会見をオープン化してきた政治家にとって、記者クラブの番記者相手にオフ懇をやることは、そこに入れないフリーランスや海外メディアに 対してアンフェアだと考えているからだろう。
一方で菅政権当時、もっとも多くオフ懇を行ったのは仙石由人氏だ。彼は官房長官として、後藤田正晴や野中広務氏と同じように、番記者をコントロールしようと目論んでいたのだ。
たとえば10年12月28日、赤坂の中華料理店で行われた番記者との忘年会で、小沢氏が政倫審に出席するとのニュースが突如舞い込んできた。小沢氏と対立いしていた仙石氏はその場で記者から一報を伝えられるとこう言ってのけた。
<→
ほれ。俺の言った通り(笑顔)。政治は一寸先は闇・・・というあれだから。一寸先は台風一過!
←>
わざわざ良い意味の諺に置き換え「明るい話題」であることを強調している。
11年1月14日には、翌日に65歳になる仙石氏の誕生会が番記者によって開かれた。記者たちからペアカップなどをプレゼントされた仙石氏はご機嫌になった。
<→
記者:解散はないか?
仙石:解散なんてしないよ。306~7議席持っていたら世論がどんなに非難しようと解散しないよ。またたらい回しするだけ。そのとき誰が(総理を)やるかわからないけど。どんなに支持率が下がろうと権力持っている方が強いんだよ。簡単に手放すなんてしない。
←>
このあとも解散権を持つ菅首相を無視するような発言が続くが、まったく報じられることはなかった。官房長官として仙石氏の不信任案が出された際など
<→
「あなた方がちゃんと(記事に)書かないからこうなるんだよ。そうでしょう?」(10年11月15日夜)
←>
と恫喝まがいのことまで言われているにもかかわらず、記者たちは黙っている。もはやジャーナリストとはいえない。
■こんな八百長は止めろ
こうした記者クラブの限界が、3・11の東日本大震災で露呈する。政府や東電の会見で、原発事故の問題をなにも追及できない記者クラブの無能ぶりが、国民の目にも明らかになったのだ。
一 方で11年は「オフレコ破り」によって、多くの政治家や官僚が辞任した。だが、そもそも海外のジャーナリズムにおいては、複数の記者がいる懇談の場でオフ レコが成立すること自体が稀だ。政治家や官僚の言いなりになって「オフレコ」を守る日本のメディアこそが異常なのである。
松本龍復興担当相のオフレコ発言を最初に報じたのは東北放送だし、田中聡沖縄防衛局長の「犯す」発言は琉球新報だった。ともに、記者クラブの中ではメインストリームではないローカルメディアが報じたものを、他が仕方なしに後追いしたに過ぎない。
鉢 呂吉雄経済産業相の「放射能つけちゃうぞ」発言に至っては、そもそも鉢呂氏は「放射能」という言葉を使ってはいない。防護服姿の鉢呂氏は記者から「放射能 付いているんじゃないですか?」と言われ、近づいただけだ。しかも第一報を報じたフジテレビ記者の姿を、鉢呂氏は確認していない。つまり、記者たちの談合 で生まれた虚報で、鉢呂氏は辞任に追い込まれた。
松本氏といい鉢呂氏といい、政権の中枢ではなく、官僚たちが「あいつはもう駄目だ」と切り捨てた閣僚が、オフレコ破りの標的に遭っている。一方で、仙石氏や政権中枢のオフレコが表に出ることは決してないのだから「オフ破り」すら八百長に過ぎないのだ。
政治家が表の会見では嘘をついていることを知りながら、国民を騙し続ける記者クラブメディア。これによって洗脳される国民はあまりに不幸である。
いい加減、八百長カルテルに加担するのは止めるべきではないか。今回のメモ公開はジャーナリストとして無期限休業する私の、そうした「同業者」に対する40万ページにも及ぶ「クリスマスプレゼント」であり、記者クラブシステムへ全体への「最後通牒」でもあるのだ。

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2011年12月26日月曜日

たまには、社説を!「国の未来は自分たちで決める」

年の瀬になって、週のはじめに、ふと立ち寄った東京新聞の社説、最近ではほとんど読まなくなった新聞社の社説ですが原発事故では辛うじて評判の悪くない東京新聞。「国の未来は自分たちで決める」この言葉の意味を噛み締めて新年を迎えたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー転載記事


【社説】

週のはじめに考える 遠くて近きものは

2011年12月26日

 
 過去は現在を照射して未来への展望を開いてくれます。閉塞(へいそく)感に覆われ、政治が非力な時代だからこそ熱狂を警戒し冷静であることが求められます。
 真珠湾攻撃から七十年、映画の完成もあって山本五十六が脚光を浴びています。対米戦争に誰よりも反対しながら、開戦の指揮を執ることになった提督です。
 経済停滞、政治の機能不全に不安、不満が募る状況に当時と似たところがあるからでしょう。
 陸軍若手将校がクーデター未遂の二・二六事件を起こした一九三六年から開戦の四一年までの五年間で、内閣総理大臣が六人誕生するほど政治は不安定でした。
◆民主的に握った独裁権
 政治のブレーキが利かず、軍部は既成事実を積み重ねて暴走し、まるで軍部独裁でした。
 それから七十年余、「独裁も必要」と言う橋下徹氏の率いる「大阪維新の会」が大阪府議選、府知事選、市長選で圧勝しました。橋下氏は「民意を無視する職員は去ってもらう」と自分になびかない職員を威嚇し、「維新の会」は政治的に中立であるべき教育委員を政治に追従させる教育基本条例を制定しようとしています。
 枕草子には「遠くて近きものは極楽、舟の道、人の仲」とあります。「十万億土の彼方(かなた)にある極楽も、ひたすら仏を念ずればたちまち到達する」「遠いと思っても舟旅ならすぐ着く」「男女はいつの間にか結ばれる」と言うのです。
 清少納言が生きていたらこれに「民主主義と独裁」を加えるかもしれません。
 日本の同盟国だったドイツのナチスはクーデターで権力を奪ったのではありません。極めて民主的と評されていたワイマール憲法の下で選挙に勝ち、全権委任法を議会で制定して総統ヒトラーが独裁者になったのです。独裁を許したのは国民でした。
◆言葉が躍るだけの政治
 野田佳彦首相は、小泉純一郎氏が退陣した後の五年間でやはり六人目の総理大臣です。政権が変わっても民主党のマニフェストは多くが空手形です。政治家の言葉が躍るばかりで成果はいっこうに見えてきません。
 破産に近い国家財政、破綻寸前の社会福祉制度、難航する地震、津波被害からの復興、終息の見えない原発事故…重なる危機を前に責任者が適切なリーダーシップを発揮できず混乱しています。
 その一方で「風評被害」だとか「絆」などといった責任を曖昧にする言葉が飛び交い、異論を唱えにくい空気もあります。
 政治不信が高じると強力な指導者待望論に結びつき、独裁を歓迎する雰囲気が生まれかねません。
 閉塞感に覆われた時代に民衆の不満を束ねるには、敵をつくって目をそちらに向けさせ、二者択一の決定を迫るのが手っ取り早い手法です。分かりやすく激しい言葉で熱狂させ、「人気」を「支持」に変質させます。
 橋下流はその典型といえます。その人気に押され、異なる考えの主は萎縮し沈黙します。地方自治にしろ国政にしろ、そうなると真の民主主義は機能しません。
 かつての日本軍部の暴走もナチスの暴虐も民衆の熱狂が後押ししました。「改革派か守旧派か」と問題を単純化して異論を蹴散らした小泉元首相も、有権者は圧倒的に支持しました。
 小泉改革の熱が冷めた後に見えてきたのは荒涼たる社会です。社会福祉は揺らぎ、貧富の格差が広がり、貧困層が増大し、若者が夢を抱けなくなっています。
 清少納言は「近うて遠きもの」に「宮のべの祭り、思わぬ同胞、親族の仲」をあげました。後の世に「民主主義と国民の幸せ」と加えられないよう、歴史の教訓を生かさねばなりません。
 多様性、少数意見の尊重は民主主義の大原則であり、責任ある立場の人の適切な指導力発揮と、時間をかけた丁寧な議論により相対的に適正な結論が生まれます。自らと正反対の意見でも真摯(しんし)に聞いて、自分の主張を疑ってみる寛容が社会を成熟させます。
 国民一人一人が、冷静な目で全体を客観的に見渡し、人気を能力や識見と見誤らずに熱狂から距離を置くことが大事です。
 それは報道に求められる姿勢でもあると自戒しています。近現代史はメディアが国民を熱狂に追い込んだ歴史でもあります。
◆自分たちで決める気概
 混沌(こんとん)たる不安、不満から建設的な力は生まれません。情緒や感覚に頼らない冷徹な現実認識と主体的思考が、不満や政治不信を前向きエネルギーに変えます。
 増税論議の本格化など一段と厳しくなる新しい年を前に、誰かに任せるのではなく「国の未来は自分たちで決める」という気概に富む主権者でありたいものです。

2011年12月23日金曜日

「生きよ、堕ちよ」 週刊・上杉 隆 最終回 「最期のメッセージ」 /転載記事

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●堕国論 Ⅲ  「生きよ、堕ちよ」 週刊・上杉 隆 最終回 「最期のメッセージ」
(ダイヤモンド・オンライン)1-11
http://diamond.jp/articles/-/15455 

▼ジャーナリストを休業される上杉隆さん。最後の迫真の3.11当日の調査・ドキメント記事。
原発に関する日本政府と記者クラブの実態告発文です。
長文ですので、前半をみなさまにご紹介させていただきます。
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▼ジャーナリストの日隅一雄(HPJ編集長・弁護士)さん。ご自身の命をかけた壮絶な取材の姿。
せめて、せめて1日でも長く生きていただきたい!
毎日手を合わせ願い祈っております。(涙)

▼全文については、下記アドレスからNO9-11をお読みねがいます。
ダイヤモンドラインでは、終わりに、簡単なアンケートが今集約されています。
みなさま、ご自身の意見表明にぜひご利用ください。
http://diamond.jp/articles/-/15455/votes

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堕国論 Ⅲ
http://diamond.jp/articles/-/15455
2011年12月22日【第205回・最終回】 週刊・上杉 隆 :ダイヤモンド・オンライン


http://diamond.jp/articles/-/15455/votes

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12月23日、布袋寅泰(元BOOWY)の30周年ツアーは被災地・仙台で幕を閉じる。

7月のコンプレックスの再結成による東京ドームチャリティライブ、そこで4億円もの支援金を集めたロックスターの2011年がそうやって終わろうとしている。

「何ができるんだろう。3.11の呆然とする中、しばらくして俺は気づいた。やはり俺にはこいつ(ギター)しかない。30年以上一緒にやってきたこの相棒で表現するしかないんだ」

渋谷公会堂での演奏の合間、そう呟いた布袋氏の言葉を聴きながら、筆者は、継続することの力強さ、さらに、またひとりの人間がなすべき可能性について、想いを巡らせていた。

▼ひとりひとりにできることは小さい。だが、今回の震災で、「何かしたいのだ」と考える機会を、ひとりひとりの日本人に与えるきっかけになったことは大きい。

布袋氏は、それをギターという道具を使ってロックで届けようとした。その布袋氏の言葉に符合するのが、広河隆一氏(フォトグラファー)の言葉だった。

▼「何ができるのか、そして何をしたのか。3.11は、ひとりひとりのジャーナリストにそのことを突きつけた」

▼野田首相が「事故収束」宣言を発表した翌日、DAYS JAPAN編集長の広河氏は、その総会の冒頭挨拶でこう述べた。

乾杯の挨拶を待つ間、筆者はその言葉を自らに向けて、深く反芻させていた。

いったい3.11のあの日、筆者は何をしていたのだろうか。

▼そう、そういえば、あの日、筆者はいったんすべての取材活動を休止し、あるひとつのことに集中、猛進していたではないか。それは、一瞬の判断での決断と行動であった。

「▼記者会見をオープンにしてください。まもなく世界中から一線級のジャーナリストたちが日本に到着します。その時に政府の会見をクローズドにしていたら、まちがいなく情報隠蔽を疑われます。そしてそれがデマとなり、▼世界中で日本政府の信用、さらには日本の国家全体の信頼を堕とすことになります。最初が肝心です。▼放射能事故の際はなおさら完全な情報公開が必要です。なんなら、私は入らなくてもいい。とにかく、▼外国人記者だけでもいいから会見に入れてください」

官邸の脇、途中からは国会議事堂前の坂道に自動車を止め、筆者はこうした電話を繰り返し繰り返しかけ続けた。相手は内閣官房、閣僚、民主党幹部、秘書、党職員、そして官邸中枢だ。

だが、その震災後の100時間ほど、筆者の人生において無力感を覚えた時間はなかった。

官邸の笹川武内閣広報室長(当時)、西森昭夫内閣参事官(当時)は相も変わらず、煮え切らない態度を続けている。私の口調は徐々に荒くなり、3月14日以降の電話では、ほとんど怒鳴ることが続いていた。

「原発事故だ。原発事故! 人の命が懸かっているんだ。▼国民の命だぞ。お前ら役人に何の権限があって情報を遮断するんだよ。とにかく、こちらには現地の情報があるんだ。▼フリー記者、海外メディア、自由報道協会の記者たちが現場に入り、そこの情報を持っているんだ。▼ガイガーカウンターで測定した数値もある。こんな時に政府を批判しようなんてジャーナリストなんていないよ。いいか、おい、記者会見は質問ばかりではない。▼記者が政府に情報を伝えるという機能もあるんだよ。とにかく、早く官房長官、副長官でもいいから伝えろ!」

▼前の日の3月13日、筆者は原発から3キロメートルのところに到達した広河氏と電話で話していた。

広河氏は、▼子どもたちの遊ぶ病院の敷地内で3つあるガイガーカウンターを稼動させた。▼すべての計器の針は振り切れ、それは20年来チェルノブイリを取材している広河氏にとっても初めての経験となる恐ろしい出来事であることを示していた。

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▼「とにかく、子どもと女性だけでも逃がさなくてはいけない。首長に掛け合っているところですが、なかなか信じてもらえない」

その広河氏の言葉を聞いた私は、官邸への圧力をさらに強める覚悟を決めた。携帯電話のバッテリーはすぐに消耗し、▼自動車の電源系統から直接、充電しつつ、電話を続けるようになった。

また、ちょうど同じころ、▼自由報道協会所属のフリーライター島田健弘氏の知人の自衛隊員が、福島第一原発への最初の突入を試みていた。それは初めての現場の声として、▼筆者らの背筋を凍らせるに十分な情報だった。

「ダメだ。遠くに避難しろ。ここは無理だ」

島田氏は迷いながらもそれを自由報道協会のメーリングリストにアップした。情報源との兼ね合いなどもあるものの、▼人命救助を優先させた末の判断だった。

▼その時期、そうした決断をした人物はほかにもたくさんいる。▼三号炉の緊急冷却装置の設計者でもある上原春夫・元佐賀大学学長もそのうちのひとりだ。

「▼燃料棒が空気に触れている今、メルトダウンは確実に始まっているんだよ。緊急冷却装置を作動させ続けて、時間を稼げば、どうにか対応できるんだよ。▼なんで、動かさないのかな。上杉さん、伝えてくれよ」

上原氏による原子炉のメルトダウンの可能性にかかる重要な情報は、▼翌14日、氏を紹介してくれた原口一博元総務大臣の口から、直接、官邸のオペレーション室に届けられた。

▼その原口氏は今回の震災後、もっとも献身的に行動した政治家のひとりである。仮に原口氏がいなければ、福島の原発はもっと酷いことになっていたに違いない。それは断言できることだが、▼残念ながらその原口氏の評価は低いものとなっている。

▼なぜか。それは記者クラブメディアが自らの「誤報」を隠すために、▼原口氏を悪者に仕立て上げることを続けているからだ。その証拠はたくさんある。だが、そのすべてをいま明かすことはできない。ただ、筆者はその証人でもあり、▼確固たる自信をもって原口氏の涙ぐましい努力の数々を証言することができる。

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▼3.11直後のうんざりするようなあの情報隠蔽の中、原口氏は果敢に官僚機構に挑んだ数少ない政治家だった。

▼だが、当時の官邸は、いや現在もそうだが、完全に機能不全を来たし、▼そうした献身的な人物たちが寄せる情報を吸収する余裕はなかった。▼むしろ、官僚と記者クラブが伝える偽情報ばかりを信じ、▼逆に、現場からの正しい情報を排除するという過ちを繰り返すことになる。

▼それは9ヵ月後のきょう(12月22日)、ようやくメディアが当時の真相を明らかにし始めたことでも、本コラムの読者のみなさんならばすぐに理解できるだろう。

〈▼東京電力福島第一原子力発電所の3号機で、水素爆発を起こす前日の3月13日に、▼現場の運転員が非常用の冷却装置を所長らがいる対策本部に相談せずに停止し、▼原子炉を冷やせない状態が7時間近く続いていたことが、政府の事故調査・検証委員会の調べで分かりました。

福島第一原発では、▼1号機に続いて3号機も原子炉が冷却できなくなってメルトダウンを起こし3月14日に水素爆発しました。政府の事故調査・検証委員会の調べでは、▼この前日の13日未明に、3号機の運転員が原子炉を冷やす「高圧注水系」という非常用の冷却装置のバッテリーが切れることを懸念して、▼消火ポンプによる注水に切り替えようと装置を停止したということです。▼ところが、注水ができるように原子炉の圧力を抜くための弁の操作に必要なバッテリーを用意していなかったため、▼弁は開かず、再び冷却装置を稼働させようとしましたが、▼動かなかったということです。このあと、▼3号機では車のバッテリーを集めて弁を開け、消防ポンプによる注水が行われましたが、▼原子炉の冷却が7時間近くにわたって中断され、その後メルトダウンに至ったということです。

▼装置の停止が対策本部に伝わったのは停止から1時間以上あとだったということで、事故調査・検証委員会は、▼冷却装置を止めるという重要な決定を事前に所長らがいる対策本部に相談しなかったことは問題だったとみています。

福島第一原発では、▼1号機でも、非常用の冷却装置を運転員の判断で停止したのに対策本部に伝わらず、▼所長らは冷却装置が動いていると誤って認識していたことが明らかになっています。こうしたことから事故調査・検証委員会は、安全上重要な情報を現場 と対策本部が共有できなかったことが事故対応の遅れにつながったとみて、今月26日に公表する中間報告で指摘することにしています〉(12月22日NHKニュース)。

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▼こんなことは3月13日、遅くとも15日までにはすべてわかっていたことだ。結局、筆者らがずっと指摘してきたように、▼今回の原発事故は「人災」だったのだ。

▼だが、NHKをはじめとするメディアは当時、そうした可能性を一切報じなかったばかりか、真実を口にする者を次々とメディアの世界から追放しはじめたのである。

▼果たして、戦時中の「大本営」を髣髴とさせるそんなことがこの現代日本に起こるのだろうか。▼いや、実際にそれは起きたのだ。

▼政府と記者クラブは、3.11を境に事実上、自分たちと論を異にする言論人たちを社会から遮断し続けた。それはチュニジア、エジプト、リビアの独裁者たちが行った情報隠蔽とまったく同じ構図である。

いや、わざわざ世界に例を探す必要もないだろう。▼かつて日本においても同じことが行われていたではないか。そう、▼日本のパワーエリートたちは再び70年前のあの愚挙を繰り返しているにすぎないのだ。

まさか、そんなことはなかった、とは言わせない。▼3月、原発事故による瓦礫とともに築かれたメディア「誤報」の山は、いまなお撤去されること無く積み上げられたままである。自らの目で確かめるがよい。

▼その誤報の山はまた、TBSを筆頭に、まともな言論人たちを追放した責めを将来にわたって負うことになるだろう。すべての記者クラブメディアが背負った▼国家と国民への重大な「犯罪」は2011年の歴史に確実に刻まれている。

▼いったい誰が放射能の危険性を最初に追及したのか。いったい誰が東京電力の隠蔽に迫ったのか。▼いったい誰がこれから日本の未来図にとって重要な原発事故の工程表を明らかにさせたのか。

少なくともそれは政府でも、役人でも、東電でも、▼ましてや大手メディアの記者でもない。▼あの三月、自由報道協会を筆頭とするフリーランスのジャーナリストたちがいなかったら、果てして日本はどうなっていたか。それは考えるだに恐ろしい。▼現在の日本社会から事実上、追放された者たちの仕事によって、ほとんどすべてが明らかになったのだ。

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▼仮にあの三月、ジャーナリストの日隅一雄氏がいなかったら、あるいはフリーライターの木野龍逸氏がいなかったらと考えると筆者は暗闇に落ちるような錯覚を覚える。

▼とくに日隅氏は、自らの本業である弁護士業務をすべて中断させ、東京電力本店に通い続けた。あの底冷えする暗いロビーに座り込み、記者クラブの記者たちが独占している椅子の隅で立ち続けていた日隅氏。体調不良を洩らすも、彼の使命感は東電会見から離脱することを許さなかったのだ。

▼その結果、5月、耐えに耐えた末に向かった病院で余命半年の末期がんを宣告されることになる。▼だが、それでも、日隅氏は政府と記者クラブの隠蔽に立ち向かい続けた。

▼週に2回開かれる統合対策本部の記者会見に姿をみせ、弱って痩せ細ったその体から、か弱き声をマイクにぶつけ、文字通り命を賭けた質問を繰り返している。

12月、日隅氏の余命はマイナス一ヵ月になった。それでも彼の姿は東京電力本店に認められていた。咳き込みながらも、いつものように鋭い質問がマイクを通じて繰り出される。だが、いまの日隅氏に残された力はそこまでだ。▼質問を終えると机に突っ伏す。そして肩で息をしながら、その耳で回答を聞くのがやっとのこともあるのだ。

しかし、▼政府・東京電力は、その日隅氏の唯一の心の叫び場である会見を閉鎖することに決めてしまった。なぜ、政府と東電による統合対策室は命の明かりを灯しながら、真実に向かって戦う者を排除するのか。細野豪志原発担当相によると、▼会見の閉鎖というそのアイディアは同業者、つまり、▼筆者たちとおなじ記者からもたらされたものだという。▼記者クラブの記者はそこまで腐りきっているのか。

また、▼福島第一原発の現場にいる2000人を超える作業員たちも同じだ。まさしく日々、命がけで「冷温停止状態」の政府の保証する「安全な」原発の収束作業に当たっている。

3月以降、▼すでに5人以上の作業員が命を落としている中、現場検証もされず、死因特定もされず、親会社の東京電力への捜査も、証拠保全さえもされない中、「安定して安全な原子炉」(政府)の作業に当たらされているのだ。

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▼日本という国家が彼らを救済することは絶対にないだろう。なぜならこの9ヵ月間、どんな死因であろうが、政府と東京電力は一例たりとも放射能の影響による健康被害を認めていないからだ。

▼政府・東京電力は賠償逃れを確定させるため、今日の今日までこの事故が「人災」であるということを伏せ続け、代わりに「津波」や「地震」のせいにし、▼時間稼ぎをしているのである。そして、▼原子力賠償法に基づくそうした賠償逃れの片棒を担いできたのがメディアだ。▼記者クラブという世界でも稀に見る不健全な利権システムを完成させた大手メディアの記者たちだ。▼それはまさしく「大本営発表」以外の何者でもない。

▼あのころ、官邸は何をしていたのか。筆者がかけ続けた電話をすべて拒否したあの100時間、政府と記者クラブは何を諮り、▼実際どのような「犯罪」を繰り返していたのか。

その欺瞞の証拠を少しだけお見せしよう。

〈記者 ▼IAEAへの要請については首相はなんと言っていたのか?

顧問 早期に先遣隊というのは時期的な問題もあるから、▼そういうのは外国の受け入れを含めて細野さんのところだったかな、そこに指示を出すと。

記者 国民が安心していない、ということか?

顧問 ▼説明に対して、やっぱりわかんねえんだよ。やっと専門用語じゃない、平易な言葉で話すようにはなったけれども、やっぱり国際機関の中でこういう処理をしていけば大丈夫だとか、これがものすごく広がることにはならないよ、とか政府や事業者がいったって、なんとなくそうなのかなとは思うわね。

記者 ▼首相はそれについての問題意識は持っていたのか?

顧問 ▼本人は「ぼくはものすごく原子力には強いんだ」と。詳しいんだといっていた。辻元さんが「まいっちゃうよねえ」とかいっていたね。ハハハ。

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記者 ▼危機感がないようだが?

顧問 ▼福島が弾けた後、最大の危機の震災の問題、日本の半分はつぶれるんじゃないかと。このまま、もしチェルノブイリと同じようなことになったらね、という危機感の中で対応した、ということだ。▼技術的な面も含めて、自分は詳しいからものすごい対応をしてきたと。でも、▼ここから先、収まりそうになったので、原発問題については枝野さんと福山さんのかかわりかたを少し軽減させたいと。

記者 ▼軽減させる、というが、それは首相の言葉?

顧問 それは少し、荷を軽くするといったのかな。▼原子力ばかりしゃべっている話じゃないわけだから。

記者 4号機も近付けないようだが。

顧問 ▼炉心に完全防護で入った経験からいうと、10分交代でやる作業になるわけだよ。今もうちょっと短い期間なのかな。一番いいのはわかるところから注入するのがいいんだけど、▼これが接近できないとなるとね。非常にタイトなところを渡っているのは間違いない。

記者 ▼「ぼくは原子炉に強いんだ」の発言はどういう文脈で出たのか?

顧問 ▼電力事業者の危機感が薄いねと。だから最終的に乗り込んでいって、もっと危機感をもって対応してくれないかという話をしたなかで出た。

記者 それは首相が話した?

顧問 そうですよ。自分としては原子力の問題については詳しい。▼まあ、たぶん自分は政府の中で一番知っていると思っているんじゃないかって。

記者 政府で一番知っていると言ったのか?

顧問 ▼あ、それは私の感じだが。

記者 東日本が、というのも首相の発言か?

http://diamond.jp/articles/-/15455?page=9

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2011年12月21日水曜日

民族対立か?低次元の文明衝突?理解不能なベトナム人。

ここ一週間ぐらい、宿の学生家主の態度が妙によそよそしい。私と話す時に目を合わさない。
家にいる時に、昼飯の時間でも一緒に食べようとしない。「今は食べたくない」と言うから、食欲が無いのかな?と思っていたが、そうでは無かった。

今の宿は、ベトナム人は3人いる。一人は学生家主で、あとの二人は親戚のベトナム人が居候している。その二人は私よりも後から来た。

実はと、学生家主が話し出した内容は、その二人の親戚のベトナム人が私に不満を持っているらしい。「何もしない」が理由らしい。

その二人は、一人は男子で18歳、学生家主もその男子に「何もしない」と良く文句を言っていた。少し異常なくらいボーとしている。

もう一人は、24歳くらいの女子で、会社員である。
会社の近くに家を探すまでの短期間居候と聞いていたが…。まだ同居して3週間くらいだが、学生家主よりも年上だからだんだん我が物顔になってきたようだ。ベトナムでは年長者は絶対である。どうも、この24歳の女子が18歳の男子を味方に付けて学生家主に圧力をかけているようだ。

そこで、最近妙に余所余所しい学生家主の告白。
上記の2人が私が何もしないと文句を言っているとのこと。
上記の女子が来てから、夜の食事を自分が作るからと言って皆から食事代を徴収して作り出した。

会社が終わってから買い物をして家に帰るので料理ができるのは夜の8時ごろ遅い。前は6時ごろには食べていた私としては改悪だ。

自分から、作ると言ったはずなのに、仕事で疲れて帰って作るのは大変だ、一方で日本人は何もしないのはおかしいと言い出すのだ。

ベトナム人は家族や親戚は理屈抜きに運命共同体的なところがあることは、この間の3年間のベトナム人学生8人と住んで経験済みだ。

何かあると、ベトナム人は家族や親戚は理屈抜きに一致団結して外的に立ち向かうがごとくに私にも対決姿勢を表す。
今回もそれと同じようなものを感じた。

「なにもしない」と文句を言う意味がもちろん理解できない私は、学生家主に色々と質問するが具体的なものは返ってこない。

思い当たる趣旨は、台所のゴミ出し、皿洗い、家の掃除、トイレ掃除、料理…。

ゴミ出しは18歳の男子の担当のはず?私は数回は行っている。皿洗いは、自分が作ったりした時には自分で行っている。家の掃除は、自分の部屋は自分で行うが、廊下や階段が気になる時には時々している。トイレは数回おこなったが、共同トイレだ。料理は昼は自炊するが、夜は私が作る物はベトナム人の口には合わないから作らない。

だから、私にはベトナム人が言う不満は理解できないと学生家主に言うが、「親戚ですから…」と言うだけ。

「しかし、私は家賃を払っているだろ、あの2人の親戚は家賃を払っているか?」
「いいえ、親戚ですから」
「ええ!そんなバカな!」「私は家賃を払っているということを2人は知っているのか?」
「ええ、知っています」
「いや、そのことの意味を分かっていないだろ」

家賃も払っていない居候の身なら、もっと色んな事をして当たり前、家賃を払ってる私と立場が全く違う事を理解できない、田舎者の言うことなど関わっていられない。

しかし、非文明的人間に文明社会の常識を一夜にして理解せよと言うのは簡単では無いのかも。

二日目に急に、学生家主の母親と親戚の男が一晩やってきて、その2人と学生と話をしていた。母親は二晩泊まって行った。

2人の理不尽な言い分が何故おかしいかを教育してくれていると思うのだが、内容は分からない。

とにかく、今回の出来ごとは私には全く理解できない事である。嫌な気持ちになった。

また一つ、この国が嫌になった。

今回の事が理由ではないが、テト明けにはこの家を出る事は学生家主には既に言ってある。


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2011年12月17日土曜日

政府の「冷温停止状態」会見、作業員「政府ウソばかり」場

転載記事

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作業員「政府ウソばかり」

「冷温停止状態」を通り越し「事故収束」にまで踏み込んだ首相発言に、福島第一原発の現場で働く作業員たちからは、「言っている意味が理解できない」「ろくに建屋にも入れず、どう核燃料を取り出すかも分からないのに」などと、あきれと憤りの入り交じった声が上がった。
作業を終え、首相会見をテレビで見た男性作業員は「俺は日本語の意味がわからなくなったのか。言っていることがわからない。毎日見ている原発の状態からみてあり得ない。これから何十年もかかるのに、何を焦って年内にこだわったのか」とあきれ返った。
汚染水の浄化システムを担当してきた作業員は「本当かよ、と思った。収束のわけがない。今は大量の汚染水を生みだしながら、核燃料を冷やしているから温度が保たれているだけ。安定状態とは程遠い」と話した。
ベテラン作業員も「どう理解していいのか分からない。収束作業はこれから。今も被ばくと闘いながら作業をしている」。
原子炉が冷えたとはいえ、そのシステムは応急処置的なもの。このベテランは「また地震が起きたり、冷やせなくなったら終わり。核燃料が取り出せる状況でもない。大量のゴミはどうするのか。状況を軽く見ているとしか思えない」と憤った。
別の作業員も「政府はウソばっかりだ。誰が核燃料を取り出しに行くのか。被害は甚大なのに、たいしたことないように言って。本当の状況をなぜ言わないのか」と話した。

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2011年12月15日木曜日

心が和む日だった!捨てる神あれば拾う神あり。

今日は久しぶりに一定数の日本語学習者を相手に日本語を教えることができた。その、感想は「私はやはり日本語教師の仕事は好きだ!」

3年働いた大学を辞めてから半年が経過していた。
他の大学で働く予定で辞めたのだが、次の仕事は結論から言うとご破算になった。ベトナム人教師を信じてたのに…。

ホーチミン市からは遠い田舎町なので、宿も引っ越した。
しかし、その引っ越しも今では無駄になってしまった。
時々にホーチミン市へ行く時、遠いは!が感想だ。

でも、今日はある日本人の方に日本語教師の仕事を紹介していただいた。
久しぶりの朝の授業、会場へ向かうバイクに乗った私の心は爽やかだった。やはり、朝の授業は気持ちが良い。

事前打ち合わせ無しだったので、いきなりの授業だったが、そんなことは問題無し。
若い学習者の輝く目を久しぶりに見ることができて感無量。

紹介いただいた方に感謝です。
「捨てる神あれば拾う神あり」が今日の実感です。



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2011年12月12日月曜日

ニューヨークタイムズ記事、除染計画に疑問を呈す/転載

=====以下、全文転載(英文は省略しています)=====
Friday, December 09, 2011
ニューヨークタイムズ記事、除染計画に疑問を呈す New York
Times Article Poses Questions Over Japan's
Decontamination Plans

12月7日のニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・フラッカー氏による記事「日本は大規模な除染計画への希望(見通し)について二分されている」は注目に値する。除染事業を、日本最大の「ホワイト・エレファント」公共事業になる可能性があると言っている。共同通信はこのように報道した。
2012年12月7日 共同通信

米紙、除染への悲観論紹介 「最大の浪費事業になるかも」
http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011120701001683.html

【ニューヨーク共同】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は6日、東京電力福島第1原発事故後取り組まれている除染とそれに対する日本での論議を紹介し、「日本再生を示す」との積極論の一方で「最大の浪費事業になるかもしれない」との悲観論もあることを指摘した。

同紙は除染を「巨大な規模」とし、専門家は「数千の建物を洗浄し、コネティカット州並みの広さの地域で多くの表土を交換して初めて住民は戻れる」とみていると説明した。

さらに児玉龍彦東大教授の見方を紹介。除染自体は支持するものの、避難している人は除染が生きているうちには終わらないということを受け入れなければならないとしている。
「ホワイト・エレファント」は文字通りだと「白い象」であるが、この記事では「浪費事業」と訳している。基地や原発を受け入れている自治体が交付金で作る、小さな町にはそぐわないような立派な施設の数々、いわゆる「ハコモノ」を指していうときも多い。「無用の長物」とも訳せる。しかし除染は「無用の長物」どころか、大量の放射性廃棄物という「有害の長物」を生む。除染自体に効果があればいいが、それが疑わしいというのがこの記事の論点である。

NYT記事は、双葉町のゴーストタウンぶりを記述した後、このように綴る。

双葉町から避難した人たちは、福島第一から半径12マイル(20キロ)ともう一つの北西部の地域(飯館村等計画的避難区域のこと)から避難した90,000人に含まれる。

現在日本は、この人たちが帰還できるように、前例のない除染計画を立てている最中である。

試験的な除染が成功した場合避難地域に人を戻すか否かは、未来の日本をどうするのか、というより大きな議論を象徴する論争となっている。除染を支持する人たちにとって、この地域は、日本の大いなる決意と卓越した技術力をショーケースするため―日本がまだ大国なのだということを証明するため―の機会なのだ。その人たちにとって除染は日本の復興のシンボルなのだ。

しかし除染に批判的な人たちは、これが日本の最大の「ホワイト・エレファント」(無用の長物)公共事業になり得ると反論する。日本が震災後、過去20年間経済成長を阻んだ浪費的な方法に舞い戻る例になると。

今のところ政府は原発事故発生以来のパターン通りに動いてる―危険を軽視し、事故の規模を過小化して見せるのに懸命になっている。すでに試験的な除染は立ち往生している。除染後の汚染土の引き受けを地元が渋ることを政府は予想できなかった。

近くの町で大規模な除染に関わった放射線の専門家は、除染後も、長期的に住むための国際基準以下に抑えることはできなかったと言う。

この人は除染・帰還を支持しているが、政府が事態の深刻さを国民に率直に伝えていないと指摘する。

その人とは東大アイソトープセンター所長の児玉龍彦であり、「福島を救うことは可能と信じているが、避難した人たちの多くは、自分たちの生きている間にはそれは起きない(帰れない)ということを受け入れなければいけません」と言っている。

何千、何万もの建造物に付着している放射性物質を除去して、コネチカット州に相当する土壌を入れ替えなければいけないと専門家が指摘していることから、日本がどれだけの規模の除染を行おうとしているかの想像がつくだろう。

森林の除染も必要となると、完全な伐採(クリアカッティング)、文字通り森林自体をぜんぶ削り取らなければいけなくなる。

福島第一の事故より大規模であった唯一の事故、チェルノブイリのときはそこまではやらなかった。30万人の住民を避難させ、広大な農地を放棄した。

日本の政府関係者の多くは、日本にはそのような余裕はないと信じている。避難地域は、人口の多い日本の面積の3%以上を占めている。

避難地域の一つ、大熊町の渡辺利綱町長は、「我々はチェルノブイリとは違う」と言う。「我々は戻ると決意している。日本にはそれができる意思と技術がある」と。

先祖代々19世代大熊町に住んできた渡辺氏の地元への愛着は、日本の地方の人々の思いを反映している。地元の人の故郷への戻りたいという思いは日本中に大きな同情を呼び、その願いに逆らうことを困難にしている。

しかし、避難した人たちからも、また、巨額な費用のかかる除染事業が本当に人々を放射線から守るのかという保証もないのに行うのは犠牲が大きすぎるのではないかという人たちの中からも、反対の声が次第に出てきている。

地元自治体や、専門家たちが、事故を起こした原発付近にまた安全に住めるようになるなどと慰めの表明をしているが、それらは希望的観測以上のものではないように聞こえる。

低線量の被ばくの場合、どの程度の被ばくで、早死にしてしまう可能性が出てくるのかは誰もわかっていない。ということは、汚染地に住む日本人は将来的な調査の対象となっていく可能性が高い―広島と長崎の原爆以来、70年ぶりに日本人が再び放射線被ばくのテストケースとなってしまうのだ。

日本政府は、避難指定地域の除染にのみ責任を持つと言っている。それ以外の地域では、自治体が除染をすでに始めている。

20キロ圏内では環境省は2年以内に放射線のレベルを半分にまで下げると約束しているが、半減期の短い同位体があるのでそれは比較的容易な目標である。問題は、ICRPが指定する、年間の人工的放射線被ばく基準とされる1ミリシーベルトに下げるまでどれぐらいかかるかということである。放射線を何十年にも渡って発し続ける、セシウム137(半減期30年)の除去のことを考えるともっともっと困難な目標となる。

フットボール・ドーム33個分の汚染土を受け入れる場所がないため試験的な除染にも何か月もの遅れが生じている。

神戸大学の放射線専門家である山内知也は福島市での除染実験を行ったところ、丁寧な除染作業をした後も、家屋内の放射線量は25%しか減らないという結果だった。これは、福島市内に、被曝許容量の4倍もの線量の地域がそのままになっているということを意味する。

「この試みは今のところ失敗だ、と結論づけるしかありません」と山内は言う。

除染の限界については、原発から15マイル(20キロほど)にある南相馬市の例を見るのがいいだろう。

南相馬市は7万人の人口のうち3万人が避難しており、その人たちを呼びもどすために学校、公園、スポーツ施設などの除染をしてきた。先日、ある高校のサッカー場、野球場にブルドーザーとダンプカーが入り、サッカー場の片隅の穴にはぎ取った表土が埋められた。現場を監督していたサクラ・マサヒロは、この作業で線量はかなり減ったが、市内の多くの場所はまだ、最低2年間は除染が行きとどかないであろうという見通しに不安を抱く。

彼が3人の娘を外出させるのは、学校に行くときと、表土を取り替えた公園で遊ばせるときのみである。「こんな生活は現実的であるのか」、と問う。

20キロ圏内では除染の困難は更に大きいものとなる。場所によっては、避難基準(年20ミリシーベルト)の25倍を」超える、510ミリシーベルトのところもある。

除染・帰還計画は避難した人たちの間に亀裂を生んでいる。大熊町から避難している1万1千5百人の人たちは、多くが60マイル(100キロ)ほど内陸に入った仮設住宅に暮らすが、この件について分断された状態だ。

渡辺町長は、大熊町西部の比較的汚染が少ない農地に新しい町を3年から5年以内に創ることによって町に帰還する計画を立てるよう指示している。

渡辺氏は最近の町長選で当選しているが、対立候補は、日本の別の土地に町を移動させるという計画で、小さい子を持つ住民たちからかなりの支持を集めた。支持者の一人、イケダ・ミツエは、8歳の息子がセシウム内部被曝していることを知り、町には戻らないと言う。

「危険すぎる。どうやって常にマスクをしながら生きろというのか」とイケダは言う。

他の多くの避難者のように、イケダも、政府は補償を払うのを避けるために除染にこだわっているのだと政府を非難している。

逆に、より高齢の住民たちは、家に戻してほしいと言う。

福島第一原発に修理工として40年間働いたツカモト・エイイチは、「放射線より喫煙の方がずっと危険だ」と言う。「大熊町は、原発事故後の復興の世界のモデルになれる。」

しかし政府の除染事業を支持する児玉龍彦でさえ、若い人たちが戻らなければ、そのような勝利は浅薄で一時的なものとしか言えないと言う。政府がまず、何か月もの責任回避により失った信頼を取り戻すことによってコミュニティの再建を始めなければいけないと言う。

「福島を救うにはお金と努力だけでなく、信じること(faith)が必要だ。年のいった人たちだけが戻るのでは意味がない」と児玉は言った。

Faith という言葉は、宗教的な「信仰」という意味や、誰かを信じるという意味で使われる言葉である。同じ「信じる」でも、trust や believe よりも、観念
的な意味合いが強い。児玉氏がNYT紙のインタビューに英語で答えたのか日本語で答えたのか知らないが、科学者が faith という言葉を使ったのだ
としたら、それは彼自身が除染計画の効果に確信を持てていないということであり、「福島の除染の計画は、信じてやっていくしかないのだ」と言ったという様なニュアンスに聞こえる。

放射線被曝による健康被害のリスクと、巨額の費用が概ね無駄になるリスクをおかしてまで、「信じて」やっていくしかないような除染計画を行う意味があるのか。除染作業自体も、高汚染地域の除染に動員される自衛隊員、民間除染作業員、市民ボランティアの除染などで女性や若い人たちが無用の被ばくをすることになるのが心配である。除染で被ばくし、除染後も被ばくし、大量の除染土が盛られ、汚染が減っていない場所にたくさんの人が返され被ばくをさせられ、帰りたくない人は補償を切られ、見捨てられていくのは到底許せることではない。

ここまでの除染の費用と意思があったら、避難指定を受けていない、比較的汚染の高い福島市、郡山市などの子ども抱える人たちや若い人たちに避難の権利を与えてほしい。また、現在人のいない地域より人の住んでいる地域を優先してほしい。

米国きっての大手メディアがここまで日本の除染への疑問について踏み込んだ記事を書いている 。日本のメディアも、政府の除染計画や帰
還計画を発表するだけでなく、もっと議論してほしい。

@PeacePhilosophy

元の記事は下記を参照。
Japan Split on Hope for Vast Radiation Cleanup

(以上、日本語文のみ転載)


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2011年12月11日日曜日

涼しくなったな!?サイゴン

今、1区のビンタン区寄りのとあるカフェで居る。
半年前までは良く通った店だが、9区に引っ越してから久しぶりに訪れた。

2階の席で、いつもはエアコンが効いているので窓が閉めてあるが、今日は空いている。
最初、暑いのでは?と思ったが外気は以外にも涼しい。

もう12月だ、サイゴンもようやく涼しくなった。
今日の空は真っ青で気持ち良い。

昨日会ったベトナム人はいつもの口癖か、ベトナムは年中暑いです。雨が降るか、降らないかだけです。と言っていた。
その雨は、まだ時々降る。今が乾季なのかどうかはっきりしないこの頃だ。

2011年12月8日木曜日

『堕国論 』/転載記事

<以下転送・拡散歓迎>
***************************************************
■『堕国論 』週刊・上杉隆 =ダイヤモンドオンライン=下記ご紹介です。
http://diamond.jp/articles/-/15248

---「粉ミルクからセシウム」またも最初の報告は市民団体から----
----明治乳業に罪はない「犯罪者」は政府やマスメディアだ------
*******************************************************************
こんなに国民をばかにした政府。
この日本国の政府を選んだのも、民主党に期待し投票した選挙民の責任と言えるのでしょうか?

菅前政権・野田現政権の両方共の真の姿とは、、、、→ベールをはがすとアメリカ・財界傀儡政権と言えるでしょう。
国民との約束を平気で蹴散らし、選挙公約である、マニフェスト違反の、とんでもない化け物。
日本は民主主義国家などとは、「安全神話」と同じです。
政府・マスメデイアによる、国民の洗脳による幻想でしかありえません。
財界後ろ盾のフランケンシュタインに私は見えています。

<貼り付け開始>
******************************************************************
http://diamond.jp/articles/-/15248

2011年12月8日
上杉 隆 [ジャーナリスト]
【第203回】 2011年12月8日

『堕国論 』
「粉ミルクからセシウム」
またも最初の報告は市民団体から
「子どもと女性を守ろうとしない国家(政府)は必ず滅びる」

明治の粉ミルクからセシウムが検出されたという共同通信発のニュースは、強烈な無力感を筆者にもたらした。

本コラムの読者ならばすぐに察しがつくだろうが、相も変わらずこのニュースも、最初に調査したのは政府やマスメディアではなく、市民団体(NPO法人・チーム二本松「市民放射線測定室」)である。

〈速報 【粉ミルク(明治ステップ)からセシウム検出】2011/12/06

明治乳業(株)が製造の粉ミルク『明治ステップ』からセシウムが検出されていることを、明治乳業(株)側が認め、40万缶が無償交換されることになりました。
http://www.47news.jp/news/flashnews/

当測定室での測定結果を基に、共同通信社の記者さんが動いて下さいました。〉
http://team-nihonmatsu.r-cms.biz/topics_detail1/id=43

それにしても、いったいこれで何度目だろう。そう思い、ラジオ出演中の筆者は、思わず冒頭の言葉をラジオ(『吉田照美のソコダイジナトコ』(文化放送))でつぶやいていたのだった。

4月4日の放射線汚染水の海洋リーク、レベル7への引き上げ、メルトダウンの追認、作業員の被爆、海産物への放射能汚染――。

だが、3・11以降、数あるこうした政府・東電・マスメディアの情報隠蔽の嵐の中、ずっと取材をしてきた筆者自身、もっとも堪えたのは次の3つだった。

「4月の茨城、千葉の母親の母乳から放射性セシウムを検出」、「6月の450人の児童の尿から放射性セシウムを検出」、そして、今回の「粉ミルクからの放射性セシウム検出」である。

まず「子どもと妊婦を守る」
最低限のモラルすら守ろうとしなかった国
放射能に対して、相対的に耐性の弱い子どもや妊婦などに対しては、震災発生直後から、世界中の政府・国際機関などが優先的避難を日本政府に対して訴えてきた。

実際に、米国やフランスをはじめとする各国は、3月18日までには子どもと女性を、政府の用意したチャーター機で国外退避させるなどしている。

また、同時期、日本国内でも、チェルノブイリ子ども基金の創設者でもある広河隆一氏などが声を上げ続け、福島県の各自治体に対して、子どもと妊婦の一時退避を直接、呼びかけ回っていた。

さらに同じ3月、予想される内部被爆の危険を避けるため、グリーンピースなど各国NGOのスタッフなどがやはり現地入りし、食品の安全摂取と検査の必要性を説いて回っていた。

同じくWHOも、福島県内の子どもと妊婦への取り計らいを日本政府に求めていたのも3月のこの時期である。

なにより、こうした有事の場合、子どもと女性を守ることこそが、政府や各自治体の行うべき最優先事項であるのは自明の理だろう。

古今東西、長い人類の歴史の中で、数多くの戦争や天災、大事故などが発生している。

近代以降、有事の際には自国の子どもを守り、女性を救うということが、国家の存亡につながっている最重要事項になっている。

とりわけ、現代においては、社会的弱者である子どもと妊婦は特別に扱われるべきという概念が広がり、世界共通の認識にさえなっている。

だからこそ、私たちはいま、たとえば世界各地で頻発している紛争において、子どもたちが死ねば大きなニュースになり、また地震などの天災発生時には、妊婦などの救出が優先されることに少しの違和感をも持たないのであろう。

だが、そうした時代の中、「子どもと妊婦を守る」という最低限のモラルですら守ろうとしなかった国がある。私たちの国・日本である。日本の社会は本当にその大事なことを忘れてしまったのだろうか。

党内からの子どもと女性優先避難の
提言を無視し続けた民主党政権
「被災地支援を続けている私達にも世界各国から暖かな救援物資などの援助が届きました。本当に感謝でいっぱいです。

『液体ミルクを送ったので被災者の皆さんに届けてほしい』2億円分もの液体ミルクがヨーロッパの友人から届きました。

あくまでも寄付は匿名にしてほしいということで名前を明かすことはできませんが、この方は民族浄化から自らの命をかけて第二次世界大戦中に迫害されている人々を救った方の孫にあたる方です」(原口一博オフィシャルブログ)

原口一博衆議院議員は、初期の段階から子どもと女性の避難を呼びかけ続けてきた数少ない民主党幹部のひとりだ。

3月、官邸に乗り込み、菅直人首相(当時)や枝野幸男官房長官(当時)に子どもと女性の優先避難をも直談判している。

だが、政府は、原口氏の提言を無視し続けている。そればかりか、細野豪志原発担当相は、避難解除宣言とともに、子どもと女性までも、例外なく南相馬などの解除域内に戻してしまう始末である。

世界の対応と間逆のことを続けている、これが現在の日本社会の現状なのである。

なぜチェルノブイリの教訓生かし
“未来の日本人”を救おうとしないのか
実際、子どものセシウム摂取を防げれば、後の健康被害も軽減できるという教訓は、チェルノブイリ事故を取材してきた広河隆一氏も繰り返し述べている。

たとえば、当時、ポーランドでは母乳からの粉ミルクに切り替えたため、小児甲状腺癌の発症率が下がったという報告もある。

なにより、放射能国家日本を救うのは、未来の日本人、つまりいまの若者たちだ。とりわけ、その主役になりうるのが現在の乳幼児やこれから生まれてくる赤ちゃんたちだ。

その赤ちゃんの「主食」であるミルクの汚染に関して、当初から多くの人が万全の注意を払うべきだ、といい続けてきたのは当然のことだろう。

だが、日本政府はそれをできなかった。今回の粉ミルクからのセシウム検出は、残念だったという言葉では片付けられない。

にもかかわらず、政府や大手メディアは、次のような報道を続け、相変わらずの「安全デマ」を撒き散らしている。

〈粉ミルクから1キログラム当たり最大で30.8ベクレルの放射性セシウムが検出されたことについて、食品の安全に詳しい国立医薬品食品衛生研究所の松田りえ子食品部長は「今回検出された値は国の暫定基準値を下回っているうえ、粉ミルクは7倍くらいに薄めて飲むので、赤ちゃんの健康への影響を心配する必要はないと思う。ただ、メーカー側が公表したように、大気中の放射性セシウムが入り込んだのだとすると、空気中の微粒子が製造過程で混入したことを意味している。放射性物質については想定外だったとしても、外部から空気を取り入れる吸気口に微粒子の侵入を防ぐ目の細かいフィルターを設置するなど、管理態勢をもう少し厳しくしておくべきだったのではないか」と話しています〉(NHKニュース)。

国の暫定基準値は震災以降、ご都合主義で引き上げたものだ。さらに内部被爆による幼児などへの健康被害はわかっていないことが多い。それをなぜ、「心配する必要はない」と言い切るのか。報道の公平性の観点からいえば、危険だという反対意見を述べる専門家も出演させるべきである。

3・11以降、そうした当然のことをしなかったために、日本は世界からの信頼をも失っていったのだ。

明治乳業に罪はない
「犯罪者」は政府やマスメディアだ
〈【北京時事】中国国家品質監督検査検疫総局は7日、日本産の粉ミルクについて、昨年4月に日本で発生した口蹄(こうてい)疫や今年の東京電力福島第1原発事故の影響を受けて導入されている輸入禁止措置を現在も継続していることを改めて明らかにした。

明治の粉ミルク「明治ステップ」の一部から放射性セシウムが検出されたことは、7日付の中国各紙も報道。同総局は、オーストラリアで製造され正規輸入された明治の粉ミルクについては、検疫当局の検査に合格し、「豪州産」と表示しなければならないと指摘。正規販売されている豪州産製品には問題ないとの認識を示した。(2011/12/07-14:41)〉(時事通信)

明治に罪はない。「犯罪者」は、一方的な「安心デマ」を広めて、結果として、日本という国家の信頼までをも貶めてしまった政府やマスメディアの方である。

あの3月、川内博史衆議院議員らが繰り返し訴えていたのは、SPEEDIの公開だった。

仮に、公開によって、放射線の飛散状況などを知ることができていれば、個人も企業も各々が判断を下して各々の対応ができたはずだ。明治であるならば、その数日間だけ操業を停止して、今回の悲劇を回避できたかもしれない。

政府・東電・マスメディアという「原子力帝国」が、そうした情報公開に積極的でなかったのは、国家や国民のことは、自らの利益や立場に比して二の次だと考えているということの証明となろう。

中でも、子どもと女性を守ろうという成熟した民主国家であるならば、誰もが考えうる大前提を忘れてしまっていたのは残念極まりない。

▼繰り返し言おう。子どもと女性を守れない社会は必ず滅ぶ。日本政府と東電、そしてその「犯罪」に加担した日本のマスメディアはいま、世界から冷たい目で見られている。



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2011年12月7日水曜日

卒業おめでとう/ベトナムの大学の卒業式

先日、大学の卒業式に出席した。
大学で3年間教えて来たが、卒業式出たのは初めてだ。それもそうだ、日本語学科の初めての卒業式なのだ。

式は冒頭で国歌斉唱で始まり、大学の代表の祝辞があり学生代表の答辞があり、その後卒業生一人一人に証書が手渡される。
約2時間の式でした。式が終わると皆が記念写真を撮ったり、花をプレゼントしたりで会場はてんやわんやの大騒ぎ。

私も30数名の卒業生に花を1本手渡す予定だったが、全員は無理でした。

でも、卒業式に出席して良かった。感動しました。卒業生の笑顔が素晴らしかった。

しかしながら、今回の卒業生は100名以上の中から30数名だけの卒業です。少な過ぎますね。これについては前にも書きましたが、未だに大学側の方針が理解できない。

もっと多くの卒業生を送り出しても良かったと思った次第です。


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2011年12月5日月曜日

ベトナム人で人相が悪いのは根性が悪い!と思っていい。

家探しの一件で、家主と長時間交渉して話がまとまりそうになった頃に、突然に交渉の場に人相の悪い顔からして薄汚れた風の男が乗り込んで来て喋り出した。

最初、どこの誰かが分からなくて家主の親戚か?と思ったりしていたが、あとで家探しの時の紹介人の連中の一人だと分かった。

家探しをするときに、最初頼んだ一人のベトナム人のオバさんが最後は6人くらいのベトナム人がウロウロと寄って来ていた。連中の顔は胡散臭い腹に一物ありそうな顔つきのベトナム人ばかりだった。金の匂いがするから寄って来た連中だ。

その男が呼びもしないのにやって来て、家主との話でまとまりかけていたのに、家賃を1ヶ月分多く払うような条件を言い出した。当然、こちらは頭に来た。家主も、また欲が出て来て話を元に戻す。

その男は、勝手に言うだけ言うと帰って行った。

結局、家主との交渉はまとまらず、元に戻ってしまった。もっといい条件があればそちらに貸したいと言い出した。

はい、ではさようならと帰って来た。

と言う訳で、今回のお邪魔虫のベトナム人男性の顔は人相が悪くて不健康そうな顔の野郎だった。
前から思っていたが、ベトナム人はある意味正直で思ったり考えたりしていることが表情に出るのですね。これはベトナムに5年住んでみての経験則です。

だから、人相の悪い奴とは付き合わない方が良い。



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2011年12月1日木曜日

間違いましたで済むか!学生通訳の間違い。

家探しをするのに、ホーチミン市では物件を紹介してくれる人が居るとの学生の紹介で頼むと、早速何件か案内してくれた。その物件を見学する途中のバイク上の会話。

学生:紹介料は、契約したら家賃の1%です。いいですか。

私:1%!?

学生:契約できなかったら、少しお礼を出します。

私:幾ら?

学生:20万ドンぐらい。

私:……………。??
(10チユの1%は10万ドン?)

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後で電話の会話場面

私:ところで、紹介料は1%だよね。

学生:はい。そうです。1%です。

私:あ、そう。じゃ、例えば、14チユの1%は14万ドンだけど、14万ドンでいいのだね。

学生:エエエ!14万ドン!?
1チユ40万ドンです。

私:何を言っている。それは10%だろ!

学生:間違いです。

私:(バカモン)通訳するのに、数字や金額を間違うな!!!間違いでしたで済むか!

学生:…………… 。

私:(ぷっつん)(電話を切る音)

……………………………
後で、メッセージが入る。

学生:間違ってごめんなさい。紹介者に確認しましたが、紹介料は10%です。でも、相談で交渉はできます。

私:(性格は良いのだが、通訳の能力としてはちょっとね…。)

………………………………………
こんな簡単な事でも、通訳の間違いで問題は生じる。通訳者の経験や能力の差もあるが、何事にも大雑把なベトナム人のばあいは特に金額や数字の確認はダメ押しを何度もすることが大切と痛感した出来事でした。