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2012年2月28日火曜日

原点に戻ろう。目的の再確認する。

予期せぬ引越しでこの1週間バタバタして無駄な時間を費やしたが、当初の目的を再確認することのミーテイングを学生たちと行う。

私たちの家は自称「日本語ハウス」。日本語を勉強するベトナム人学生の日本語能力を磨くために学生と日本人教師が同じ屋根の下で共同生活することが目的だ。

2月中に準備して3月からスタートする予定が、思わぬアクシデントで準備が遅れた。
学生からも、ミーティングの督促があり急きょ今日行った。

2012年2月26日日曜日

引越し先を何とか決める。今より狭くなるが…。

今月中に引越し先を見つけて出ないといけないというプレッシャーの中で何とか家を探しました。
狭いけど日本風の3階だてで家主の家と隣り合っている。

夕べ一度家を見たのだが、今朝あらためて家主と交渉する。
相手はお婆さんなのだが、何故かホーチミンさんの考え方についての本など持ち出して私や学生に説明します。
そのうちに、ビデオまで出てきた。

学生がファッション風に数珠を腕にしていているのを、やめなさいと言う。
何故?学生も何となくひいている…。

どうもホーチミンおじさんの考え方を強く信じているお婆さん家主だ。
同行した一人の学生がヤバそうな顔をして、ここ借りますか?と小声で聞いてくるが、借りるしかないだろうと答える。
家の賃貸の条件の事よりも、お婆さんの話はホーチミンさんの教えのことが続きます。

それでも、学生はちゃっかりと家賃を100万ドンも負けさせた。

この家を借りると、今後、事あることにホーチミンさんの教えの話が出てくるのだろうと予想される。
でも、この際背に腹はかえられない。借りることにして、明日の朝には荷物を運ぶ事にした。

でも、何故か、学生たちは明日の晩は今までの家に泊まるという。荷物は全部運んだ後なのに…。
その理由は良く分からんが、学生たちに従うことにする。

と、言うわけで、何とか引越し先を決めることができた。




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2012年2月25日土曜日

妖しい洋風風呂の誘いに心は揺れる…

1週間以内の退去勧告を受けて家探しは始まった。
今の家を探して決めるのに1カ月以上も掛ったのに…。

とにかく、探すしか無い。
家主からの退去を言われた晩に学生たちとミーテイングした。
学生たちの不安な気持ちが分かるので、私はできるだけ不安な顔をしないようにと心がける。

ある学生が「一週間で探さないといけない、最悪見つけられない時はどうしますか」と聞いて来た。
「見つけるしか無い。見つけます。」が私の答え。
「でも…、最悪の事も考えないと。」学生は心配顔。

でも、こんな時に最悪の事を考えても仕方ないだろう。と内心思う。今も最悪の時だ。(ベトナム人らしくないマイナス思考だ!)

それでも…としつこく学生は言うので、その時は公園か路上にハンモックをぶら下げて寝るか!!と戯けてみせる。
他の学生が「その時は一緒に行きます。」と健気なことを言ってくれる。
その声を聴いただけで、私は「必ず、家をさがしましょう。」と声を張り上げた。

そして翌日から必死の家探しが始まった。その中での物件で、下記のような妖しい洋風バスのある家もあった。

お風呂好きな日本人、在ホーチミン市でこの5年間満足にお風呂に入ってない私の心は揺れる…。しかし、これだけで物件を決める訳にはいかない。もちろん、ベトナム人学生には無用の長物である。これより良い物件が無い時には帰って来ようと思いながら家を後にする。


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2012年2月24日金曜日

今の家の契約、一抹の不安感が付きまとっていたよな。

今の家の契約時、ふとこれでいいのかな?と言う不安感が過ぎったのを思い出す。契約してからもその不安感のようなものが胸につかえていた。

家主は軍隊あがりとかで、その割には饒舌だった。日本人のことは良く分かっている、親戚の子供が日本で働いているなどと親日派のような言動だった。
友人の通訳兼代理契約者のベトナム人女性に上手を言う様な調子の良いおじさんだった。軍隊あがりにしては調子が良すぎる感だった。
最近の軍隊も戦争が無いから話術も無いと出世しないのかな?とも思った。

家の中には、ホーチミンおじさんの古ぼけた額がポツンと掛けられていたのが印象的だった。軍隊だけに尊敬している?と勝手に想像していた。
清廉潔白なホーチミンさんのイメージが家主と重なってしまったのが今回の契約の間違いだったかもしれない。

しかし、そのホーチミンおじさんからみたら、今のベトナムの公安の実態などは想像だにできないことだろう。
家主と話して、ホーチミンおじさんに会ったことがあるかと問うと、子供だったからとてもとてもとの返事だった。
もはや、ベトナムの革命世代は遠くになりけり。

2012年2月23日木曜日

え!!一週間で出て行け?契約解除?どうなってるんだ。

今朝、家主から連絡が入った。
「警察との話がややこしい、契約解除したいので、今月末で出て行くように。」

え!!一週間で出て行け?契約解除?どうなってるんだ。

一昨日の夜に警察が来て、昨日、家主は警察に行ったはずだ。
パスポートのコピーや学生の身分証明書のコピーも渡したのに…。

警察は、罰金を500万ドン要求しているらしい。(払ったのかどうかは不明。払うのが嫌で契約解除なのか?)
それ以外にも、色々と手続きが面倒らしい。

それで、私たちとの契約は解除!?

1週間で、新たな家が見つけられるかな?
見つけるしか無いな。

ほんと、何が起こるか分からないベトナムでした。



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2012年2月22日水曜日

民主主義と無縁の人たち ≫ ◆無法検察 (田中良紹の国会探検)  THE JOURNALコラム。/転載記事

以下、転載記事です。田中角栄から小沢一郎に至るまで、政治家は巨悪、検察は正義とマスコミを通じて刷り込まれて来たのだと今になって知る。恐ろしさを感じる。
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民主主義と無縁の人たち ≫ ◆無法検察 (田中良紹の国会探検)  THE JOURNALコラム。
▲産経新聞のベテラン司法記者宮本雅史氏が書いた「歪んだ正義」(情報出版センター)
を引用しながら、特捜検察の歪んだ手法を具体的に解説されています。ご紹介いたします。
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田中:<こうした有様を見ていると、日本の検察は民主主義とは無縁の所で育成されてきたのではないかという気がする。
戦前の治安維持法を支えた思想検事が、戦後も追放される事なく君臨した検察の体質は戦前から変わっていないのである。>

99.9% の日本の有罪率と聞きますが、一度、狙われたら、冤罪をかけられ、職場を失い、有罪となってしまう司法、、、、
国民の声をひねりつぶす、国家権力のおそろしさを、ひしひしと感じます。  

(貼り付け開始)
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(田中良紹の国会探検)  THE  JOURNAL
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2012/02/post_289.html

民主主義と無縁の人たち ≫
◆無法検察     2012年2月 8日

小沢一郎氏の裁判を巡って、東京地裁から求められていた証拠の開示を東京地検が拒否している事が明らかになった。
▲小沢弁護団の喜田村洋一弁護士は「公文書の照会には回答する義務があるはずで『無法検察』と言われても仕方がない」と批判している。


昨年12月に行なわれた公判で、石川知裕衆議院議員を取り調べた田代政弘検事は架空の捜査報告書を作成した事を認め、それが小沢氏を強制起訴した検察審査会の議決に影響した可能性が指摘されていた。
▲そのため裁判所は検察審査会に送付した資料リストの開示を東京地検に求めたが、東京地検はこれを拒否したのである。

拒否の理由を検察幹部は「検察は訴訟の当事者でなく、裁判に影響を与える証拠を自ら開示できる立場にない」と述べたと報道されている。逃げの一手の屁理屈だが、そもそも検察官僚には国民の税金で養われているという意識がないらしい。
●民主主義国家では公務員が職務上作成した公文書を勝手に隠蔽する事は許されないのである。


●こうした有様を見ていると日本の検察は民主主義とは無縁の所で育成されてきたのではないかという気がする。
戦前の治安維持法を支えた思想検事が戦後も追放される事なく君臨した検察の体質は戦前から変わっていないのである。

そして戦後最大の疑獄事件とされたロッキード事件で馬鹿メディアが「最強の捜査機関」などと賞賛したため、民主主義国家ではありえない異常な捜査手法が生き続けているのである。

これまで何度も引用してきたが、▲産経新聞のベテラン司法記者宮本雅史氏が書いた「歪んだ正義」(情報出版センター)には検察幹部の興味深い言葉が色々と紹介されている。

●宮本氏は当初は「検察=正義」という考えに凝り固まっていたが、故金丸信氏が摘発の対象となった東京佐川急便事件で捜査に疑問を抱く。▲疑問を検察幹部にぶつけていくうちに杜撰な捜査の実態が浮かび上がってきた。

●特捜部は捜査経過を上層部に報告する前にメディアを利用する手法を採っていると検察幹部が宮本氏に打ち明けた。

「最初に政治家ありき」でまず「政治家=巨悪」のイメージを国民に植え付け、摘発する対象を悪いイメージにしたところで捜査に乗り出す。▲そして検察が描くストーリーに合わせて供述調書を作成する。都合の悪い調書は採用されず、都合の良い調書だけが採用される。

東京佐川急便事件では検察の思い込みとは異なり金丸氏を訴追する事が無理だと分かった。起訴しても裁判で有罪に出来ない。
それどころか杜撰な捜査の実態が明るみに出てしまう。しかしメディアを利用して「金丸=巨悪」のイメージを作り上げた検察は振り上げた拳を下ろせない。

●そこで検察は「恫喝」によって検察のストーリーを押し付ける事にした。略式起訴の罰金刑という軽微な処分を条件にして検察のストーリーに合った供述に差し替えるよう求めたのである。

拒否すれば竹下派の政治家事務所を次々「家宅捜索」すると言って脅した。検察にとって「家宅捜索」はただの脅しで事件にする気はないのだが、▲「家宅捜索」された政治家の方は決定的に窮地に立たされる。そして検察と戦えば長期にわたり政治活動を制約される。

「検察と戦うべし」との小沢一郎氏の進言を退けて金丸氏は検察との取引に応じた。●ところがメディアによって「金丸=巨悪」のイメージは定着してしまっている。軽微な処分に国民の怒りは爆発した。怒りは検察にも向かう。▲検察庁の建物にペンキが投げつけられ、検察の威信は地に堕ちた。

検察は何が何でも金丸氏を逮捕するしかなくなった。▲無記名の金融債を所有している事を掴んだ検察は金丸氏を脱税で逮捕するが、▲宮本氏はなぜ無記名の金融債を検察が知りえたのかに疑問を持つ。

●元検事から検察は永田町の権力闘争に利用されたと示唆される。そして「検察の堕落の原因はロッキード事件にある」と宮本氏は検察幹部から言われるのである。

ロッキード事件で検察が描いたストーリーは、ハワイでの日米首脳会談でニクソン大統領からトライスターの購入を要請された田中角栄総理が、丸紅の檜山広社長から「請託」を受け、全日空の機種選定に影響力を及ぼし、見返りに5億円の賄賂を受け取ったというものである。

▲しかし様々なジャーナリストの取材によって日米首脳会談でトライスターの話などなかった事が明らかになっている。

また全日空は田中総理の働きかけなどなくともトライスター導入に傾いていた事を航空業界に詳しい記者から宮本氏は教えられる。

田中角栄氏は丸紅からの「請託」を一貫して否認したが、▲丸紅の檜山社長は取り調べで「請託」を認めた供述調書を、裁判では「検事から恫喝され、あきらめて署名した」と証言した。

●丸紅が田中角栄氏に5億円を提供したのは全日空がトライスター導入を決めてから10ヶ月も経った後で、受け渡しの場所は英国大使館裏の路上など不自然な場所である。
▲宮本氏はロッキード事件を見直しながら、本当に丸紅から田中角栄氏にロッキード社からの賄賂が渡されていたのかに疑問を持つ。

宮本氏は事件を担当した検事に疑問をぶつける。すると「ロッキード事件は奥が深いんだ」、▲「ロッキード事件の追及は検察に対する挑戦になる」と言われる。「ロッキード事件の真相を追及するのはやめろ」と言う訳だ。

そして1993年、田中角栄氏が死亡すると、▲宮本氏は最高検の幹部から「誰も田中の判決を書きたくなかった。これで最高裁もほっとしただろう」という言葉を聞く。

●最高裁は田中の死後、検察のストーリーの拠り所となったロッキード社幹部への「嘱託尋問調書」の証拠能力を否定する判決を下した。●メディアが東京地検を「最強の捜査機関」と持ち上げたロッキード事件は、事件後17年を経て最大の証拠を否定されたのである。

ところがロッキード事件は●国民を「政治とカネ」のマインドコントロールにかけ、▲国会は国民生活に関わる議論より「政治とカネ」のスキャンダル追及に血道を上げるようになった。

国民は国民の代表を「巨悪」と思い込まされ、政治資金規正法を厳しくする事で政治家は政治活動を自ら制約するようになった。

●情報は専ら霞が関の官僚頼みとなり、情報によって政治家は官僚に支配される。▲先進民主主義国には見られない政治の構図が続いてきた。

●メディアを利用して「政治家=巨悪」のイメージを植え付け、ストーリーに合った供述だけを証拠とし、合わない証拠は隠滅し、また恫喝によって証拠を作り上げる検察の捜査手法は、検察幹部によれば、●ロッキード事件をメディアが賞賛したため誰もが問題にすることなく続けられてきたのである。

それが「無法検察」を野放しにしてきた。いま国民の目の前にあるのはそうした現実である。●国民主権の国を作ろうとするのならこの現実をしっかり直視すべきである。

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夜中の零時に突然ベトナムの公安(警察)が査察に来る!

やっぱり、来ました。昨夜の夜中の零時にベトナムの警察が新しい宿に来ました。

外国人がベトナムの家に住むと、ベトナムの警察(公安)は必ず決まったように夜中の零時前後に査察に来ます。
私はこれで3回目です。慣れましたね…。

前回の時は3年前ですが、やはり夜中に突然に来られて、外国人はこの家に泊まれないから明日の夜はホテルに引越すようにと宣言されて慌てたことを思い出します。

今回も言われるかと内心不安でしたが、今回は後日届けを出すようにとの事でした。やれやれ。

家主を通じて手続きをする予定でしたが、引越をしてから2週間、学生もぼちぼち集まっていたのと家主から催促も無いのでのんびりと構えていました。

その間に、近所の見回りの係がある学生に「役所に届けを出すように」と言っていたのですが、そのままでした。

そして、2週間目に来たのです。

学生の身分証明書は持って行きました。

庭木に果物が生る新住居、ようやく落ち着きました

新住居に引越してから2週間以上が経過しました。
細かいところは、まだ色々と課題は残っていますが、ようやく一段落というところです。

と書いても、何のこっちゃ!と読者の方はさっぱり分からないでしょうね。

具体的に言うと、古いながらも一軒家を借りて住み始めました。その家は、狭いですが庭があります。ベトナムで庭付きの家に住めるとは思いませんでした。

その家に、前に日本語を教えていた大学の日本語学科の学生たちと一緒に住む共同生活が始まります。

学生たちも、ぼちぼち入居して来て、現在7人です。
言わば、日本語合宿のようなもんですね。

「家の中は、日本だと思ってください。」と私は学生に言って、生活の中で日本語を話す事で日本語会話の上達を目指すのです。

これからは、その学生たちとの出来ごとをこのブログで書いていきます。


 上の写真は庭に生っている果物でベトナム語でkhế(和名:スターフルーツ)です。
上のは、ベトナム語でゴンと学生は発音する果物ですが、和名は未確認です。家主曰く「目に良い」とのことです。

そのゴンが写真のようにオレンジ色になったら食べ時期だそうです。外側はとげとげがあるのですが、厚い皮の中は大きな種がたくさんです。その種の周りに少しの果実がある程度です。

その色が赤みがかったオレンジ色です。
種と一緒に焼酎かお酒を少し入れて混ぜたのが上の写真です。色は赤いです。この赤いのが体に良いのかな?
餅米と一緒に炊く為に混ぜています。
炊きあがったのが上の写真です。種も一緒です。
お椀に移しました。種は食べません。
味は無いと言った方がいいでしょう。

目が良くなる?!と言うので期待して食べましたが、結果は未確認です。

庭の木には合計で15個ぐらい生っています。
これから熟れる度に食べれば目が良くなるかな!?
目が良くなると言うのは、老いは目から始まると言いますから、その逆で若返りの果物?
新しい住居に住み始めて私は若くなるかも知れません。(なんて、バカな内容のブログで再スタートです。よろしくお願いします。)


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2012年2月10日金曜日

ベトナムの携帯電話がカンボジアで使えるか?

タイトルの答えは「いいえ、使えません」が正解です。

今回のカンボジア旅行でベトナムで使用している携帯電話が使えたら便利だなと思ったので、事前に色々と調べました。

*使えるよ。カンボジアでSIMカードを買って入れ替えればいい。
*いや、簡単には使えない。ベトナムで正式に登録している場合は向こうでSIMカードを買えば使える。2〜3ドルで売っている。
*(カンボジアでボランテア活動中の日本人)私はSIMカードを自分で買ってるよ。
*ネットの情報では、外国人はSIMカードの購入もできないとある。

というような、いろんな事前情報に混乱しながらプノンペンで私のノキアの携帯電話機を見せながらSIMカード買いたいとコンビニで言うと、店員は隣のホテルのフロントで売っていると言う。

フロントに行くと、2ドルでSIMカード(?)を買えた。登録の仕方を頼むと快く若いカンボジア人はやってくれた。

ベトナムの方式と同じで、記号と番号を登録して操作していたが、「できない」と言い出した。
電話機の内部に入っているカードもチエックしたが、そのカードも交換しないと使えないらしい。

しかも、それは外国人は買えないから、誰かカンボジア人が購入しないとダメとのこと。

やはり、簡単ではないことが分かった。

2ドルのカードはすでに番号部分は削ってあるが、快く返金に応じてくれた。(内心、カンボジア人は優しいと感ずる)

以上が、タイトルの問いに対する答えの経過説明でした。


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2012年2月4日土曜日

明日は引っ越しだ!!

今の宿、ホーチミン市の九区に昨年の8月から住み始めたが
少し前に引越す事を宣言したが、明日引越す事になった。

突然ではないが、テト前から宿を探していてようやくテト前に契約をすることができた。

この1週間は、その準備でバタバタしていました。
なんとか、明日の引っ越しに間に合いそうです。

ホーチミン市に一人で住み始めてこれで4回目の引っ越しです。まだ、少ない方かも知れない。3年前に出会った日本人女性はもっと経験していたが、その後タイへ行かれた。

ところで、引っ越し先はホーチミン市のビンタン区です。1区の隣です。以前、9区の前の宿がやはり同じビンタン区でしたが、その近くです。

新しい住まいでの状況はまた、おいおい書きますが、今の宿のように家主と同居ではありません。

少し古いですが、一軒家を借りました。
新しい展開がスタートします。

では、また引っ越してからの状況はネットが繋がればこのブログで報告します。


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カンボジア、プノンペンのホテルのいい加減さはベトナムと同じ?!

今回のカンボジア旅行では、現地でボランテア活動を昨年から行っている日本人の友人に大変にお世話になった。
ホテルの手配や交通機関の情報提供などを親切に行ってもらった。
(写真がそのゲストハウス。名はハッピーゲストハウス、客はちっともハッピーではないが。)
その友人がプノンペンでわざわざ足を運んで予約をしてくれていたホテル(ゲストハウス)に着いた時の事である。
そのゲストハウスをなんとか探して到着、やれやれとフロントですでに予約している者だがと言う。

しかし、フロントでは予約は無いと言う。
そんなバカな?!私の名前や友人の名前で確認するが無いと言う。
友人が予約した部屋番号を言ったら、その部屋は現在客が居ると言うではないか。

「え!!?それじゃ、なんでわざわざ予約した友人の手間はどうなるの?’」
と言いたいが、言葉の壁もあってイライラするが、向こうは別の部屋は空いているからそこでどうか?と言って来る。

こちらは、そうですかと言う訳にはいかない。「予約した部屋を他の客に貸す事がおかしいのだ」



(写真:セントラルマーケット:この周辺が中心街でホテルもこの近辺。)

友人に電話して、事情を話して、友人の通訳を介してホテル側と話をする。
私がこだわっているのは、予約していたのに部屋が空いていないし予約したはずの部屋は他の客に貸している事がおかしいということをホテル側に言いたいのだ。

何回か、やりとりするうちに、ホテルは確かに予約は聞いた、その時のノートのメモはあった。

だったら、何故、他の客にその部屋を貸すのか?そのことに関してはノーコメント。当然、ごめんなさいなどと言う言葉は無い。

ホテル側の態度に不満はあったが、ここで新たに別のホテルを探すのも大変なので、仕方なく別の部屋を借りることにした。

今回の一件、ベトナムでも同じような事があったことを思い出した。日本人が考えているような「予約」「約束」の概念はないと思った方がよい。

電話やメールでホテルの部屋の予約をしたつもりでいても、ホテル側は目の前に客が来たらその客に部屋を貸すことがある。
後で、予約した客が来ても、予約したはずの部屋は空いてないからトラブル。

カンボジアも同じような状況だろうと思う。

これは、日本と文化の違いと言うのか、習慣の違いと言うのか分からない。ベトナムに住んで5年になる我が輩も未だに分からない。
(正月用の花かな。マーケットの前で。)
そう言う訳で、そのゲストハウスの部屋はシエムリアップから帰って来た時も含めて4泊する予定だったが、トラブったので1泊だけで他のホテルを探して予約をして、キャンセルした。ちなみに、最初予約した部屋は14ドル、他の泊まった部屋は13ドル、新たに自分で探したホテルの部屋は18ドルだった。

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2012年2月3日金曜日

カンボジア清貧旅行の虚と真



カンボジアへいく前の情報では、貧しい国、ポルポト政権時の虐殺、地雷、児童買春などなど、あまり良いイメージはない。一方で、世界遺産のアンコールワット、物価が安いなどが良いイメージかな。

その、カンボジアへ何故行くのか?と問われると、ビザの手続のため、友人が最近赴任しているので、ベトナムの隣の国だから、アンコールワットを見たいからなどがこたえだろう。

カンボジアへいって見て、貧さはそんなに感じな無かった。プノンペンなどの首都では日本車や欧米の豪華な車が走っている。バイクとの比率でもホーチミン市と比較して車が多いように感じた。
ばいくのかずはもちろんホーチミン市が多いのは人口の差もあるだろう。

事前情報では子供の物売りが多いとあったが、ほとんど気にならなかった。
アンコールワットなどの遺跡の中で少し見ただけだ。
物価が安い、という事は今回は感じられなかった。むしろ、ホーチミン市より高い!と思うこと多し。
外国人が行くようなとこの店では何でも最低値段が2ドルだ。
アンコールワットがある近くのレストランでは最低が5ドルから始まる。

シエムリアップでは、世界遺産にしていされたこともあってか、街も綺麗だし夜でも治安に不安は感じない。
バイタクやツクツクの兄ちゃんもスケベーな紹介もしてこない。

いっぽうで、首都のプノンペンでは少し違う。

バイタクやツクツクにのると、けっこう女やマッサージの案内をしてくる。

でも、食べ物の味は美味しい。日本人には合う。辛くない。


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2012年2月1日水曜日

アンコール遺跡の町シエムリアップからプノンペンまで船に乗る旅編

シエムリアップからプノンペンまで船で行けるとの情報をガイドブックで知りゲストハウスで予約する。朝6時にピックアップで船の出発は7時とのことだった。
朝、6時前から待つが迎えは来ない、結局30分遅れてやってきた。途中で、何人も人を拾って行くので車の中は荷物と人でぎゅうぎゅう詰めだが、旅行者は文句も言わずに乗っている。

私以外はみんな欧米人だ。

結局、船着場に着いたのは7時を過ぎていた。いざ乗り込もうとするが、予約券を見て係りに乗船を待てと言う。
同じホテルの3人だけが、理由は分からないが、係は携帯電話で何か確認をしている。
ようやくオッケーが出て乗船するが、私たちのあとからもドンドン人はやって来る。結局、船が出たのは8時を過ぎていた。


船旅もバスと同じで約6時間ぐらいかかるらしい。トレンサップ湖は広かった。海のように水平線が見えるではないか、驚いた。

船はスピードを出してガンガンぶっ飛ばす。
バスの旅と時間はあまり違わないが、船の旅は涼しいし川沿いの景色も変化に富んでいていいですね。料金は35ドルだが価値はあるでしょう。

バスのように途中で休憩したりしないで高速でぶっ飛ばして行くから退屈しないで時間が過ぎていきました。

しかし、約6時間ぐらいをノンストップで走れる川と湖があるとは、その雄大さに感動しました。
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